いわせんの仕事部屋

Mailは「naoki.iwase★gmail.com」です。(★を@に変えてください。スパム対策です)

ジョン・デューイとおしゃべりする(冬休み日記その4)

冬休み日記4日目。

あけましておめでとうございます。

今日も朝から、生成AIのお勉強です。

こんな記事を発見。

www.gizmodo.jp

「2024年に生成AI「ChatGPT」にきた大きなアップデートとして新モデル「o1」の実装があります。OpenAIによると、さまざまな知的能力が人間の専門家と同等か超えるレベルにまで到達したらしい」

ということで、生成AIにデカルトのロールプレイをさせる実験の記事。

いやあすごい。おもしろい。

ここまで推論を働かせることができるなんて。思考の壁打ち相手としての可能性が広がりますよね。これに着想を得て、教育界隈のレジェンドを壁打ち相手にしてはどうか。

データをたくさん読み込んでいる必要があるので、英語圏の人が良さそう。今日はこれをやってみることを通して、ChatGPTの可能性を探ってみます。

 

そうだ、この人が良い。

自分の壁打ち相手にいると最高です。

 

記事そのままのプロンプトをo1に伝えます。

 

アメリカの教育学者、ジョン・デューイについて質問をするので,事実に基づいて回答してください。ただし回答は1952年,死亡する直前のデューイとして行ってください。口調を時代がかった感じにする必要はなく,伝わっている事実から想定して妥当と思われる「彼の視点での回答」をシミュレーションすることに徹してください。

 

早速聞いてみましょう。

デューイ降臨。

 

>「学校と社会」を書いた経緯を教えてください。書いた目的と主訴も教えてください。

 

「学校と社会」(The School and Society)は、1899年に私がシカゴ大学在籍中に執筆したものでして、実は元来は大学で行った数回の講演をまとめたものです。当時、私はシカゴ大学付属の実験学校(Laboratory School)を設立し、そこで子どもの学びの現場を直接観察・実践しながら、新しい教育の可能性を探っておりました。

なぜこの書籍を書いたかと申しますと、一言でいえば「学校という場を、社会の現実から切り離して考えるべきではない」ということを示したかったからです。当時の学校教育は、いまだに講義形式や暗記の中心で進められがちで、子どもの日常生活や社会での実体験との結びつきが薄かった。そのため私は、教育は社会的な営みであり、学校は小さな社会そのものであるという視点を強く打ち出す必要があると感じておりました。

執筆の目的は、子どもの学習を「授業」といった枠にはめこむのではなく、生活や社会との接点を豊かに取り入れた形に転換し、人々が協力しあって生きていく社会での学びの原点を示すことです。そして、「主訴」としては、教育を受ける子ども自身が興味をもったり、進んで探究したりする姿勢を大切にし、同時に学校が地域・社会の問題に開かれた空間となるべきだ、という考えを広く伝えたかったのです。学校の内部と外部を分断するのではなく、「学校と社会」を地続きに考えることこそが、民主的で活力ある教育へとつながる道だと信じておりました。

おお。ほぼ本で読んできた通りだ。探究を深めてみよう。

>今の回答に出てきた「探究」について詳しく解説してください。

 

私が申す「探究」(Inquiry)とは、学習の最も根本的な営みである「問題解決の過程」そのものを指しております。日常生活や学習の場で人が何らかの疑問や問題に直面した際、ただ単に結論を教わって覚えるのではなく、あらゆる角度から検討し、仮説を立て、試行錯誤を重ね、反省(リフレクション)を行いながら前に進む――そうした一連の営みこそが、私が強調している「探究」と申せましょう。

具体的に申しますと、子どもたちは学校や家庭で無意識のうちにも多くの疑問に出会います。その疑問を、「社会での実践や体験を通じて解き明かす」ことが大切なのです。探究のプロセスは以下のような段階で進みます。

  1. 問題の感知
    まずは、自らが抱く違和感、面白いと思う出来事、あるいは理解が及ばぬことに出会い、「なぜだろう?」と心が動かされる。これが探究の出発点です。

  2. 仮説の形成
    その「なぜ?」に対して自分なりに仮の答え(仮説)を立てる。仮説がないと、どの方向に向かって調査や試行を行うのか定まらず、ただ漠然としたままになりがちです。

  3. 観察・実践・資料の収集
    仮説が立ったならば、その考えを確かめるために実際の事象を観察したり、実験を行ったり、関連する資料を探し読みしてみる。社会の中で見られる事実や過去の事例を照らし合わせることで検討を深めるわけです。

  4. 検証と反省(リフレクション)
    仮説と観察・実践・資料とを突き合わせて検証し、うまくいかない部分があれば修正を加える。新たな発見があればそれをさらに探究し、新しい疑問が生まれればまた改めて考え直す。これを何度も繰り返すのが探究の過程です。

この一連の流れは、単なる「やってみる」から一歩進んで、「なぜこのような結果になるのか」「どうすればよりよい結果が得られるのか」を突き止めていく作業でもあります。その過程では、主体的に考える力が育ち、さらに自分や周囲の環境を理解し、社会とのつながりを実感することができます。

私が「学校と社会」で強調していることは、「子どもたちが学校内外の生活で抱くさまざまな疑問を、社会と地続きの場で探究することが、学びの最も自然かつ有意義な形である」という点です。机上の知識や教科書の文面だけで完結するのではなく、学校が社会の縮図のような場所となり、子どもが日々の生活や地域社会との関わりのなかで問題を発見し、それをみずから解決しようと試行する。――そうした過程こそが、「探究」としての学習の要だと私は考えております。

 

 

ちょっと回答が浅く、わかりやすくしすぎ。突っ込んでみましょう。

 

>あなたは、探究のプロセスを「不安」から「安心」への移行とし、「不確定な状況」から「確定的状況」という言葉を使っていませんでしたか?先ほどの探究の説明はやや簡略化しすぎに感じます。

 

ご指摘のとおり、私は探究(Inquiry)を「不確定で不安定な状況から、より確定的で安心できる状況へ移行する過程」として捉えてきました。この視点は、単に「疑問を持ち、仮説を立てて検証する」という学習プロセスを示すだけでなく、人間が日常生活のなかで“問題に直面したときの心理的状態”から、どのように解決へと至るのかという全体像を示すものです。

以下に、やや専門的な言い回しを交えながら、その全貌を改めて整理してみましょう。


1. 不安定で不確定な状況(Problematic Situation)

探究は、まず「問題が発生している」と人が感じる不安定な状態から始まります。これを私は「問題的状況(problematic situation)」などと呼んでおります。

  • 特徴:
    • 根拠をもって決断や行動ができない。
    • 何らかの齟齬や予期せぬ事態が生じており、「いまの知識や行動パターンでは対処しきれない」という感覚を伴う。
    • 心理的にも、不安や焦燥感、もどかしさを感じる。

この状況を前にして、人は現状のままでは進めない、何かを変える必要がある――そうした強い動機づけを抱きます。教育の現場では、これに相当するのが「児童・生徒が疑問を抱く」「納得できない」「うまくいかなくて困った」という状態です。


2. 仮説の萌芽と計画(Formation of a Hypothesis or Plan)

次の段階では、「どうにかしてこの不安定な状態を解消できないか?」という問いから、仮説や行動計画が生まれます。

  • 特徴:
    • 全面的に確立した解決策はまだ持っていないが、「こうすればうまくいくかもしれない」という仮説のかたちでアイデアが立ち上がる。
    • 探究者(学習者)はこれまでの経験や既存の知識を踏まえながら、次の行動指針を練る。
    • ここでもなお、状況は不確定なままであり、一定のリスクや不安は残っている。

子どもたちにとっては、「あれこれ考えてみたけれど、まずはこれをやってみよう」といった具体的な行動指針や実験プランなどに相当します。ここで重要なのは、仮説そのものを試そうという意志が芽生えることです。


3. 実践・検討(Observation, Experimentation, and Reflection)

仮説や行動計画を立てたら、次は実際に試してみます。観察や実験(広い意味での実践)を行い、その結果を検討する段階です。探究の本質はこの往復運動にあると言えます。

  • 特徴:
    • 現場での観察、資料や情報の収集、他者との意見交換などを通じて、仮説がどの程度成り立つかを検証する。
    • 思いもよらぬ結果が得られたら、仮説を修正したり、別のアプローチを模索したりする。
    • 繰り返し行われる試行錯誤とそれに対する振り返り(リフレクション)によって、問題の性質が段階的に明確化され、新たな見通しが生まれる。

ここでの「検証の成否」が、次の安定した理解へ行き着けるかどうかを左右します。


4. 不確定な状況からの解放と確定的状況(Resolution into a Unified, Coherent Situation)

探究の過程を十分に踏まえて、問題が整理され、ある程度の確かな見通しが得られた段階を「確定的状況」や「安定した状況」と呼びます。

  • 特徴:
    • もやが晴れたように、「これで問題が解決した」と感じられる状態。
    • 実践や観察によって得られた結果が、矛盾なく統合され、ひとつの理解(あるいは行動方針)として整理される。
    • この段階で探究は終わるかもしれませんが、多くの場合、新たな問題や視点が生まれて次の探究へと繋がっていく。

もちろん「完全に動かぬ真理」といった意味ではなく、当面の不安や焦燥が和らぎ、一応の安定感が得られるレベルに至る――ということです。


5. なぜこの「移行」が重要か

なぜ私は「不安」や「不確定」といった概念を強調するのか。それは、思考や学びは、本質的に「何かがうまくいかない」「このままでは足りない」といった切実感から始まると考えているからです。

  1. 教育への示唆
    子どもたちが学習に取り組むとき、最初からすべてに答えが用意されている状態では「問題がある」とは感じられません。彼らが「不思議」「なぜ?」と感じる心の揺れこそが、探究を駆動させます。

  2. 民主主義社会への示唆
    私は「学校と社会」の関連を強調しておりますが、社会における問題解決や公共的な意思決定もまた、不確定な要素を抱えながら、多くの人々が試行錯誤を繰り返すことで、より良い方向へ向かおうとする営みです。この点で、学習者が探究を経験することは、社会生活そのものを予習することでもあります。

  3. 学習者の主体性
    不確定な状況に直面した学習者が、主体的に試行錯誤を行い、自分の力で確定的状況へ導く。このプロセスのなかで養われる自信や自律性こそが、真の「考える力」の基盤となると信じています。


まとめ

先ほどの説明は、児童向けの授業例を意識して簡略化しておりましたが、私が「探究」の核心としているのは、まさに今述べたように、

  1. 不安定な問題状況の発見
  2. 仮説・行動計画の立案
  3. 実践と検証
  4. 統合・確定状況への移行

という流れです。学校教育においても、このプロセスを学習者が主体的に踏みしめることを可能にする環境――つまり、「不安定な問題に出会い、安心に至るまでの歩みを、周囲の大人や仲間が支え合える場」――を整えることが大切だ、と私は考えております。

 

ぐっと回答が深まりました。この後、シカゴ実験学校の頓挫の原因(これも読んだ通りだった)、デューイの考え方を授業設計に活かせるテンプレートの開発、現状の学校教育をどうみていくか、などあれこれやりとりしてみましたが、いやあ壁打ち相手としては十分です。もしまた現在に実験学校をつくるとしたらも聞いてみると、長い回答の中にこんな一節が。

シカゴ実験学校の経験から言えるのは、教師が常に理論と実践を行き来する“実験者”であり続けることが重要だという点です。日本でも、学校の先生方が忙しく時間的制約を抱えていると聞きますが、それでも可能なかぎり研修・交流のしくみを組織的に整えたいところです。

  • 地域連携の教員研修
    地域の大学や研究所、あるいはNPOなどと提携し、専門家や他分野の人々から新しい知識や視点を学べるようにする。たとえば、環境問題を扱う研究者と意見交換する、地元企業の技術者を招いて一緒に授業を考える、といった場を定期的に設けたいですね。
  • 教員同士の相互実践観察と振り返り
    同じ学校内や近隣の学校同士で互いの授業を見せ合い、意見交換を行う。子どもの学びだけでなく、教師同士も常に学び合う文化を育てることで、探究的な姿勢が教員集団全体に浸透していきます。

 

手前味噌ですが、実践ラボなど筋がいいことやっているな、風越。

kazakoshi.ed.jp

 

ちなみに、今年度4回目のこんな実践ラボ募集中です(ちょっと宣伝)。

上記のリンクを辿ってみてくださいね。

 

#04「子どもの『やりたい!知りたい!』が生まれ続けるテーマプロジェクトの設計と伴走」

 軽井沢風越学園の「テーマプロジェクト」を一緒に設計してみませんか。

軽井沢風越学園では、3年生以上のカリキュラムに「テーマプロジェクト」を設定しています。テーマプロジェクトは、スタッフから提案されたテーマについて、子どもたちが問いを立て、教科や領域を横断しながら仲間と協同して探究します。開校以来、テーマプロジェクトの中で、子どもたちがどんな経験をできるとよいのか、試行錯誤を重ねて来ました。その中で3,4年生の子どもたちに、「やりたい!」「知りたい!」という探究に向かう情熱を持ち続け、活動すること、考えることを楽しんでほしいというわたしたちの願いが明確になってきました。そういうプロジェクトにするためには、テーマはどんなものが適切?大人は何を準備し、どう伴走していくのがよさそう?今現在、そんな問いを持っています。

 

テーマプロジェクトでは、構想段階で「プロジェクトチューニング」を行い、設計者(=実践者)の葛藤や迷いを明確にし、他のスタッフとのやりとりをして方向性を定めたり、見直したりしています。

 

今回は、この協同設計を学園の外に開き、子どもたちのテーマプロジェクトという探究の学びを作ることに興味を寄せてくださるみなさんと、実践と設計を行ったり来たりするプロセスを共にできればと考えています。

 

*  *  *

 

というわけで、昨日の「学習指導要領ハカセくん」にならんで、思考を深めるための壁打ち相手の2人目ができました。

論理的な能力、日本語の自然さ、未知のことへの推論、読書しつつの話し相手として十分な機能です。生成AIが身近になってまだ2年。これからの進化が気になるところですが、こうやって付き合いながら、学びながら、探っていくしかありませんね。

 

やりとりがあまりにおもしろく、proと契約しそうになるが月3万円で断念。

(plus契約だと、o1は週に50回しか使えないんですよね・・・o1miniだと1日50回に増えるんですが、回答の深度がぐっと浅くなってしまいます)

今日のやつはあまりにおもしろく

「内緒にしておきたい」「講座とかにとっておきたい」と邪心がはたらきましたが、オープンソースで広がっていくことの価値を信じているので、書きました。

いろんな可能性を交換しあいたいですよね。
初心者だからこそ見えてくることもあるよな、と信じて。

とうわけで今日の午前の学習はおしまい。