いわせんの仕事部屋

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最近買った本読んだ本memo。

最近買った本、読んだ本のメモ。

生きる はたらく つくる

生きる はたらく つくる

  • 作者:皆川 明
  • 発売日: 2020/06/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
Hello!! Work 僕らの仕事のつくりかた、つづきかた。

Hello!! Work 僕らの仕事のつくりかた、つづきかた。

 

★★★★★

立て続けに読んだ2冊。いやあすごくよかった。とくにHello!!workはいまのぼくにドンピシャだった。

 

★★★

2時間もあると読めます。AIに仕事を奪われる!と大騒ぎしなくて済む本。現状がよくわかります。

 

学力格差を克服する (ちくま新書)

学力格差を克服する (ちくま新書)

  • 作者:志水宏吉
  • 発売日: 2020/08/21
  • メディア: Kindle版
 

★★★

志水さんの本を読んだことがある人は読まなくて良いかも。これまでのレビュー的な本なので、初めて読む人にはオススメです。

 

★★★★

新書ばっかりだな。サラッと読めますが、今よんでおくべき本。「世間」とは何かに敏感になろう。

 

★★★★

高い!高すぎる!でもその価値がある。手元に置いておいて辞書的に使う本ですね。

えいやと読もうと思っていたら、とんでもない本が届いた。

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独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法

独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法

  • 作者:読書猿
  • 発売日: 2020/09/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

★★★★★★

これ、とんでもない本だ。読むしかないが事典だ。これで二千八百円は安すぎる。風越の中学生にはおすすめかも。

こういう本大好き。

 

読書していると、自分のバランスが取れていくな。

さて読もう。

 

 

 

 

なんと9刷

ぼくの初の単著本、『クラスづくりの極意』、なんと9刷の連絡が来ました。

 

クラスづくりの極意―ぼくら、先生なしでも大丈夫だよ

クラスづくりの極意―ぼくら、先生なしでも大丈夫だよ

 

 もう10年近く読み継がれていることに心から感謝です。

 

今読み返すと「若いなー!」と思うこともしばしばですが、

エネルギーほとばしっていて、我ながら「いいぞいいぞ」と思います。

ぼくの原点の本です。

よかったら手に取ってみてくださいね。

 

写真もたくさん載ってます。

なんと中川綾さん作のチームゲーム「てがみち」が綴じ込み付録でついているという実は豪華な本です。

 

iwasen.hatenablog.com

 

 

マイナー出版社なので本屋でめったに見ないのですが、まさか10年も読まれるなんて思ってもいなかった。

 

編集者の伊藤伸介さん、妥協のない人で、何度も教室を見に来たり、原稿も何度も何度も書き直させられたり、人に読まれる文章を書き始めたばかりの僕を思いっきり鍛えてくれました。人に読まれるってどういうことかを教えてくれました。

その出会いがなかったら今はない。

 

汎用的能力とは?(メモ)

この本がおもしろい。

 特に5章が刺激的。

教科は手段と喝破する。でもこの章だけ読んでいてもよくわからない。

いいタイミングで、こんな論文の紹介がツイッターで流れてきた。

京大、松下佳代さんの「汎用的能力を再考する -- 汎用性の4つのタイプとミネルヴァ・モデル」だ。

repository.kulib.kyoto-u.ac.jp

 

今は非認知能力等を中心に、汎用的能力があるということを前提に語られているが、それって本当なのだろうか?文脈に依存しない、いつでもどこでも発揮される汎用能力ってあるのか?数学が得意な人は、どんな場面でも論理的思考を発揮するのだろうか?

 

松下は、汎用能力を以下の4つに分類した。

①分野固有性に依らない汎用性:
 分野を越えた幅広い応用可能性としての汎用性
②分野固有性を捨象した汎用性:
分野固有性があるはずのものを捨象して得られる見かけの汎用性
③分野固有性に根ざした汎用性:
特定の分野で獲得・育成された知識・能力が分野を越えて適用・拡張されることで得られる汎用性
④メタ分野的な汎用性:
各分野に固有の知識・能力の特徴をふまえつつ、それを俯瞰・融合することで得られる汎用性

 汎用的能力の教育(①)の先端事例としてミネルヴァ大学のカリキュラムの特徴が明らかにされていて、この種の議論をすっきりまとめてくれている。

PBLや評価、非認知能力に関心がある人、実践している人は必読です。

このようなミネルヴァの取組は、これまで日本でぼんやりと「汎用的能力」(あるいは「汎用的技能」「ジェネリックスキル」)と称されてきたものについて、細かい粒度で具体化し、その習得・活用に必要な条件とプロセスをくっきりと描き出した点で、意義がある。また、カリキュラムマップとは異なる方法で、プログラムの学習成果を各科目の学習成果と結びつけ、評価する方法を示した点も参考になる。さらに本稿では検討できなかったが、オンライン授業の方法も学習者によっては有効だろう。

 

この論文を読んでから、先の本の5章に戻ると、理解度が全然変わってくる。

メモとして。

振り返りジャーナルを始めよう

学校現場で口頭での対話やコミュニケーションが難しい状況だからこそ、振り返りジャーナルのようなコミュニケーションのチャンネルが大切です。
2学期ぜひ。あるとないのとでは全然ちがいますよ。

 

はじめに

ある年の5年生。グループ間で競争するアクティビティを行った後に書いた、振り返りジャーナルを紹介します。テーマは「リーダーって何だろう?」です。


リーダーシップってしきるんじゃなく、話すことでもなく、ちゃんとみんなの意見を公平に聞いてまとめる役、だと思います。今日一番高く積んだチームは、いつも意見をよく聞いている人たち(あんまり話をしない人たち)がけっこういたから、あのチームはちゃんとみんなの意見を聞いていて、みんな公平だったんだと思う。自分にはどんなリーダーシップがあるだろう。 いつも○○ちゃんたちはこんな気持ちだったんだ…ってことがわかった。


 リーダーシップって「引っぱること」って思いがち。でも自身の体験を振り返る中で「きくことのリーダーシップ」に気づき始めているのがわかります。
振り返りジャーナル(以下「ジャーナル」)は、その名の通り、毎日の振り返りを習慣化するノートです。
そのままでは忘れてしまう毎日の出来事を1日の最後に丁寧に振り返り、自分の成長を記録します。 行事に限らず、授業でできるようになったことや友だちとのトラブルで感じたこと、日々の学校生活すべてが子ども達の成長の種です。しかし体験したことはあっという間に忘れてしまいます。これらをジャーナルに記録すると、後から読み返したときに自分や他者、コミュニティの成長を自分自身でたどることができるのです。先のジャーナルも振り返って言語化したからこそ、その人の「学び」として残っているのですよね。

●なぜ書き残すの?
 ジャーナルを書く間、子どもたちはシーンとした集中した空気を作ります。カリカリカリ…鉛筆の音だけが静かに響く教室で、子どもたちは自分との対話を深めながら振り返りを進めます。
 その日の思考や心の動きを書き出すプロセスを通じて、子どもたちは自分の体験を一旦、整理して、自分の中から外に出します。書くことで「文章化された自分の体験」を、まるで読者のような気分で、客観的に眺めることが可能になるのです。
 ペラペラとジャーナルをめくって「1週間前の自分」と比べてみると「あのときはこう考えていたけれど、今は違うな」といった具合に、自分の思考や行動の変容、そこにある成長を知ることができます。メタに眺めるからこそ、次に生かせることが整理され、振り返りのサイクルが生まれるのです。1年が終わって改めてジャーナルを読むと、自分や友達、クラスの成長がはっきりとわかります。自分で成長を確かめる時間はなんとも幸せな時間です。

新学習指導要領でも「自らの学習活動を振り返って次の学びにつなげるという深い学習のプロセス」 が重視されていますが、そこでも振り返りジャーナルで育まれる力が役立つはずです。

 

●「振り返りジャーナル」を始めよう!
具体的な導入方法を紹介します。誌面の都合で概略の紹介ですので、詳しくは拙著、『「振り返りジャーナル」で子どもとつながるクラス運営』(ナツメ社)をご覧ください。始めるのに必要なのは、クラスの人数分のノートだけです。B5判の大学ノートを横半分に切って使います。

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低学年も同じノートでスタートし、最初は、罫線2行分で1文字分を目安にします。慣れてくると小学1〜2年生も横罫1行にびっしりと書きます。毎日以下の手順で進めます。
①基本は帰りの会に取り組みます。
②黒板に今日のテーマを書きます。
③子ども達は振り返りジャーナルを書きます。
④書き終わったら、前に座っている先生に提出します。
⑤先生はサその場でサッと読んで、簡単なフィードバックをします。

以下、実践で大切にしたいことを整理していきます。

・毎日、帰りの会で5〜10分!
 振り返りジャーナルを書く時間は5〜10分が基本です。B5ノート半ページの分量は、1日分を5分で振り返って書くのにちょうどいいサイズサイズです。最初の2週間は、書くことに慣れるためにも余裕を見て10−15分とりましょう。1日に1ページ書ききるのを目標にします。

・毎日、書くことを徹底しよう 
 何よりも、まず大切にしたいのは「毎日書く」ことです。
 振り返りジャーナルの目的は、「振り返り」の習慣化です。そのためには当たり前すが「続ける」のが一番です。優先順位をあげて時間確保に努めます。続けているうちに、子どもたちが振り返り慣れてきます。とにかく続けましょう。

・ 最初はポジティブなテーマで
 残念な「反省日記」にしないことが大切。最初はポジティブなテーマからスタートしましょう。振り返ることが楽しい!という体験を積み重ねます。ポジティブなコミュニケーションが一定量貯まると、うまくいかなかったこと、辛かったこと等の深い振り返りもできるようになります。「今日の○○大成功!その時どんな気持ちだった?」「私の好きなこと、実は○○なんです」「こんなクラスにしたい!」「今日の算数で私ががんばったことを紹介します」「この土日どんなことが楽しかった?」等々。他のテーマ例は拙著を参照してくださいね。
 
・フィードバックは40人で20分!
忙しい業務の中で、フィードバックを書く時間の確保は難しいものです。ぼくらは他にも教材研究や会議、事務仕事など山のように仕事を抱えています。 無理なく、毎日、続けるために、フィードバックにかける時間は40人を20分と決めてチャレンジしましょう。

・共感のコメントを2カ所程度。
 ジャーナルにフィードバックを書くときは、子どもたちの書いた文章に赤ペンでアンダーラインを引き、コメントがある場合はその横などに一言書き込みます。コメントの内容は、先生の意見ではなく、相づちのようなもの。先生が「うんうん、なるほどなるほど!」と、子どもの話を聞いている姿を想像すると、イメージしやすいでしょう。先生が子どもの毎日を励まし、応援していると子どもが感じるコメントにしましょう。よく使う言葉は、「うんうん」「ナルホド」「OK!OK!」「ありがとう」「スゴイ!」「感動!」「大丈夫」「そっかあ」「一緒に考えてこう」「了解」「へえ〜」「あらら」「そっかあ」「は〜い!」「応援!」などです。

 

・長く書きたくなる時は直接の対話で。
 とはいえ、内容によっては返事を長く書きたくなることもあります。そんな時は、次の日の直接の対話の機会につなげます。「昨日〜って書いてあったから気になってさー」「昨日のジャーナル読んだよ。いやあすごい気づきだなと思って〜」。振り返りジャーナルの中ですべてを解決しようとしないようにします。日々の子どもとの関係性を深めていくことに生かしていきます。


●先生を成長させてくれる
学校教員時代、一番の楽しみは、放課後にコーヒーを飲みながらジャーナルを読んでコメントを書く時間でした。一人ひとりの成長に思いを馳せ、自分自身の実践も振り返る時間。この時間が、先生としてのぼくを成長させてくれました。拙稿を読み、やってみよう!と思ってくださった方々にとって、振り返りジャーナルが子どもの成長、そしてぼくら教員の成長に寄り添ってくれるものになったら嬉しい限りです。

 

振り返りジャーナルについては以下の記事も参考にして下さい。

 

iwasen.hatenablog.com

iwasen.hatenablog.com

iwasen.hatenablog.com

 

今年、先生になったあなたへ。あなたを迎える私へ。

2学期が始まります。

新型コロナウィルスの影響で、この春に「せんせい」という仕事に就き、教育という世界に夢を持ってチャレンジしはじめたみなさんは、ものすごく大変な4ヶ月だったのではないでしょうか。休校からのスタート。登校開始後も、コロナ対策に縛られ、子どもたちと関係を作ることもままならない。管理職や先輩も余裕がないように見えるし、子どもたち自身もしんどそう。

 

パソコンを整理していたら、5年ほど前に書いた文章がでてきました。ちょこっとリライトして再掲。今年度「せんせい」になったあなたへのエールと、その「せんせい」を学校で迎える私への戒めとして。

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●「せんせいという仕事」スタート! そしてリアリティショック・・・・
団塊世代の大量定年退職によって、都市部を中心に若い先生がすごい勢いで増えています。学校を支えるミドル層(30,40代)が極端に少なく、大量の20代と50代といういびつな年齢構成になっている学校も少なくありません。
今は都市部ですが、これから地方にも同じ波がやってくるでしょう。東京、大阪、横浜等の大都市では既に担任の半分が20代なんていうことも珍しくありません。自分と同じぐらいの年齢の先生がたくさんいる中、あなたは「せんせい」という仕事をスタートしました。

 

あなたは、ついに全権を渡されて、突然担任になりました。
教育実習や大学の勉強、この日に向けてたくさん準備してきましたよね。
今、期待と不安でいっぱいなことでしょう。
最初から冷や水を浴びせるようですが、いくら事前に勉強していたとはいえ、学校現場で起きるリアリティの中で右往左往します。
私の子育ての経験から言っても、たった3人の子育てですら思うようになりません。すぐケンカが起きるし、言うことを聞かない。言わないとやらない。3人公平に、と思ってもなかなか難しい。
それよりも多様な環境で育った子たちが、本人たちの望むと望まざるとに関わらずに30人近く一つの部屋に集められるのです。いろいろなことが起きるに決まっています。同時多発的に起きるトラブル。だって30人ですよ。3人兄弟の10倍です。授業も準備も追いつきません。30人公平に関わろうと思ってもうまくいかない。ましてやこの状況です。うまくいくはずもありません。

 

隣の先生はすごくうまくいっているように見える(ベテラン勢はこういう状況でうまく力を抜いたり、「通達」を打っちゃったりするのが上手な人もいるので)。どうすればよいかわからないのに、ひとりで何とかしなくてはならないと思い込んでしまう。困っているけれど、困りごとが多すぎてもはや何に困っているかわからない。圧倒的な現実の渦にショックを受けます。これを「リアリティショック」といいます。現実のリアリティの前に、これまで学んできたことが「洗い流されて」しまうのです。
こんなはずではなかった。ステキなクラスができると思っていたのに。子どもに会えないところ、マスクで表情がわからないところからスタートなんて。一緒に遊ぶこともままならないなんて。

 

あなたは自分のふがいなさを責めはじめるかもしれません。保護者の目も、同僚の目も、管理職の目も気になります。心ない先輩や管理職から「もっとビシッとシメないから、なめられるんだよ!」とプレッシャーをかけられ、ますます焦り、何とかしようと子どもたちを叱ります。そうするとますますうまくいかなくなる。負のループです。
寝る間も惜しんで仕事をする。でも一向によくなる感じがしない。日々に疲れ、休みの日も学校に行って準備。保護者から連絡が来る夢をみる・・・

 

他の仕事と比べて教員という仕事のしんどさは、人間関係と感情の渦の中で日々仕事をするところです。正のループが回っているときはいいのですが、うまくいかなさが続いてくると自分に向く刃物のような感情に日々傷つき続けます。保護者からのクレームの連絡帳ひとつで、何日も思い悩む。子どもたちからの冷たい視線を感じたとき、それが1日中何日も続く。その後ろにいる保護者も同じ目をしているのではないか。見えない影におびえながら、負の感情と視線の渦の中に居続けなければならないつらさ。

 

かつては若い先生もゆっくり成長することがある程度許されていました。
しかし冒頭でも書きましたが、年齢構成のいびつさから、学校は都市部を中心に若い先生ばかりになっています。学校現場自体にゆっくり成長を待つ余裕がなくなりつつあります。自分はもちろん、周りの先生も若くて自分に精一杯かもしれません。即戦力が期待され、早く一人前になることを要求され、「若手」でいられる期間がグッと短くなっています。また学校へ対する社会の視線も厳しくなっています。若いあなたは早く育つことが求められ、絶えず評価され続けます。

「早く早く」と追い立てられた教員は、子どもを「早く早く」と追い立てます。
成長を見守る余裕もなく。短期的な成果を上げようと絶えず評価し「早く早く」とせき立てる。人は扱われたように人を扱い、自分が見られているように人を見てしまいがちです。

 

●ゆっくりせんせいになっていく。
ちょっと立ち止まって考えてみましょう。
冷静に考えてみれば、突然渡された「全権」を、いきなり使いこなせるはずがないのです。免許取り立てでF1レースにでるようなものです。ましてやこの状況。うまくいかないのが当たり前です。困っていて当然です。本来、私たちは日々の経験の中でゆっくりゆっくり「せんせい」になっていくのです。子どもたちとの日々のやりとりの中で、同僚たちの仕事を見ながら、教わりながら、ゆっくりゆっくり。あなたが「せんせいになっていく」ということは、子どもたちと一緒に成長していくプロセスに他なりません。

確かにあなたは、いわゆる「技術」はベテランの先生に劣るかも知れません。でも、子どもたちと年齢が近いという「若さ」と、何とかしたいというエネルギー。いい先生になりたいという学びの姿勢。それらは子どもたちに伝わります。子どもたちにとって年齢の近い学び手としてのモデルであるあなたは、もしかしたら手慣れのベテランの先生よりも子どもたちにいい影響があるかもしれません。
慌てず慌てずいきましょう。クラスをクラスと見るのではなく、一人ひとりに関心を寄せ、子どもたちと一緒に成長していきましょう。そしてその子たち一人ひとりもまた、あなた同様に自分のペースでゆっくり成長しているのだ、ということを忘れないようにしたいですね。

そんなあなたを、ベテランである私たちは今こそ「ゆっくりせんせいになっていくプロセス」を見守る余裕を持ちたいと思います。私たちの役目(同僚、管理職、保護者、行政の役目)は管理することではなくエンパワーし、支え、学ぶ機会をたくさんつくることことです。見守ってくれる、悩みや不安を聴いてくれる他者。学びに伴走してくれる人。「あのお、ちょっと相談があるんですけど・・」「困っているんです。助けてください」と声をあげてみてください。早めに早めに声をあげてみてください。

私たちもつい日々の忙しさに追われて、目の前ばかりを見て、横にいるあなたが困っていることに気づけていないかもしれません。

あなたのその声が学校を変えていくはずです。私たちベテランはその声を真剣に、丁寧に受け止められる存在でいたいと思います。

職員室で助けを求められる。援助希求が気楽にできる環境の中でこそ人は成長します。ああ自分はこの環境の中で、必要な学びを積み重ね、ケアしケアされながら成長しているなあ、と少しずつ「いいせんせい」にむかって歩いていると実感できる。この体感こそが大切です。そうすればその体感を自分の核に、子どもの成長に寄り添えるようになっていくのではないか。私はそう考えています。

あなたが成長していくのを見守り、共に成長していきたいと思います。あなたに訪れるたくさんの失敗と悩みに寄り添い、向き合い、共に乗り越えていきます。
成長していくことに貢献しあえる職員室。「困った-」が気楽に言える職員室。ベテランである私たち自身も、あなたに刺激を受け、これまでの経験の前提を疑い、あなたと共に変化し続けていく、そんな職員室をあなたと共に創っていきたいと思います。もちろんあなたの力を貸してください。実は職員室と教室は入れ子構造なのです。お互いから学び合う職員室があって初めて、教室もそうなっていくのです。そのような職員室の中で仕事をしていれば「この職場のような教室をつくりたい」と思えるはずです。

 

●岩瀬さん、職場をつくれないひとは、本当の意味でクラスもつくれないよ
ふと一つのエピソードを思い出しました。若い頃の思い出です。まあちょっとつきあってください。私は「自分のやっていることが正しい」と無邪気に信じ、同僚や管理職から何かを言われても、自分のやりたいように学級で実践し続ける教員でした。自分の学級さえよければそれでいい!恥ずかしながらそう思っていました。当然職場では浮いていたのです。「自分はこの職場の中でいちばん勉強している。外にも学びに行っている。にもかかわらず同僚たちは学びにも行かず、今までのことを繰り返しているだけではないか。教育委員会もおかしい。管理職もおかしい!」学校の現状に落胆し、批判的であることが私の中の正義だったのです。初めての異動先でも私の態度は変わらずでした。異動先で出会った先輩教員、染谷さんに4月早々、私はこう言われました。
「岩瀬さん、職場をつくれないひとは、本当の意味でクラスもつくれないよ」。

私はしばらく染谷さんの言葉の意味がわかりませんでした。その意味が少しずつわかってきたのは、職員室の中に、初めて私の居場所が生まれた頃です。彼は、本当に職員室を大切にする人でした。「担任同士は夫婦みたいなもの。いっぱい話して協力していい関係を作って一緒に子どもたちを育てていくんだ」。学年ハイツもチームでした。校内研究でも職員を巻き込み、保護者を巻き込み、「みんなで学校をつくる」を第一に、職員室を一つのチームへとファシリテートしていました。「岩瀬さん、この企画お願いしていい?職員みんなが活躍できるようにね。期待しているよ!」「若いからどんどん動いてくれて助かるよ」、いつの間にか私もチームの一員として巻き込まれ、それが嬉しくなり始めていたのです。跳ねっ返りだった私も「岩瀬さんやっていることおもしろいねー!教えてくれる?」と先輩の先生が聞いてくれるようになりました。職員室で実践の話が日常の中に当たり前にありました。「みんなの学校をみんなでつくる」が原則の学校。ずっとここで働いていたい、そんな職員室の中で「自分は大切にされている」と体感した私は、染谷さんの言葉、
「岩瀬さん、職場をつくれないひとは、本当の意味でクラスもつくれないよ」
の意味が、少しずつ少しずつ身に染みてきました。
何のために学校はあるのか。例えば「その学校に来ているすべての子に居場所があり、その居心地のよい場で、一人一人が成長していけるため」と仮定してみます。そこからスタートして考えると、学級単位で考えていては1年限りのことになってしまいます。子どもたちは6年間かけて成長していきます。中学、高校を入れると12年間。
その長いスパンの中で「学校」としてなにをしていくか。目指す教育を学校で丁寧に共有していく。職員が対話を重ね、学び合い、エンパワーし合う。学校全体で学びの文化を創っていく。そこがスタートなんだと彼は伝えたかったのだと今ならわかる気がするのです。
ついつい思い出話が長くなりました。
職員を信じることは、人の力を信じること。そして、それは子どもの力を信じることにつながります。先ほどもお話ししましたが、2つは入れ子構造です。職員の力を信じることができないならば、本当の意味で子どもの力も信じていないと言えます。だからこそ、あなたには、教室を大事にしつつ、職員室を大切にしてほしいなと思います。周りを頼って下さい。あなたの一つの行動から職員室は変わっていきます。

iwasen.hatenablog.com


●ピンチはチャンス
今「先生」になった人、これから「せんせい」になっていく人にとっては厳しい現状が待っています。それは知っておいてください。

でも、若い皆さんが増えることはチャンスです。
極端なことをいえば、教員総取っ替え期ともいえます。若い先生たちが新たな学校モデルを創っていくチャンスだと考えることはできないでしょうか?その意味で私は、若い先生、これから先生になっていく方々に期待しています。ピンチはチャンスです。だからこそ、学校や教育を「視野の狭いメガネ」でみないでほしい。
学校の先生になった私たち、これからなろうとしている方々は、小学校から大学まで、1万時間を超える膨大な時間を学校に「弟子入り」して、学校とはこういうもの、教員とはこういうものという、体験を通した強烈な被教育者としての学びを積み重ねてきています。言い方を変えれば、学校に対する「思い込み」が強すぎる可能性があります。
知らず知らずのうちに無意識の信念や価値観になってしまっているかもしれません。頭では「新たな教育を!」と思っていても、気がつくと無意識の前提に戻ってしまう。でも今の学校の有り様はこれからの学校を考える時の前提にしてよいものなのでしょうか?

私の子どもは、小学校の一時期「学校に行きたくない期」がありました。
つまらない、と。私にとっては、自分の仕事のアイデンティティを揺るがされるような出来事でした。
その時考えました。「もしこの子がもう学校行かない!と決めて、仮に私が、「よし、この子のために学校を創ろう」と覚悟を決めたら、どんな学校をつくるだろうか」
朝マラソンってする?いやあ、しないなあ。朝の会って?あんな不自然なプログラムにはしないなあ。授業はどうするだろう?読書は大事にしたい。もっと本人の「やってみたいこと」からカリキュラムを考えるなあ。社会との繋がりはどうしよう。魅力的なオモシロイ大人に出会う機会は必要。一人一人今必要なことは違うから、もっと学習を個別化していく必要があるな。そもそも、ずっと「教室で学ぶ」は不自然だ。 等々。

相当真面目に考えました。その時の思いが、今の軽井沢風越学園づくりにつながっています。


たくさんの本を読む中で、見学に行く中で、世界の教育に目を向け、様々な「カタチ」があることを知りました。現状を「当たり前」と思ってはいけないと改めて思ったわけです。いろいろな人が集う公立校だからこそ、「どんな学校だと子どもも大人も幸せになれるんだろう?」を根本から考えたい。現状を否定するなんて簡単だけど無責任。今の学校の良さを引き継ぎつつ、より良くしていくには?そう考え、実践をさらに変えていくきっかけとなりました。

繰り返しになりますが、今の学校の現状を前提にせず、教員としてスタートする(したばかり)あなただからこそ、「私たちはどんな学校を目指すのか?それはなぜなのか?」からスタートしてほしい。それは「私たちはどんな社会を目指すのか?」に他なりません。

今までの学校のあり方が通用しなくなってきた今、無意識に私たちの多くは「元に戻ろう」としています。この大変な状況をチャンスに変えるか、変化へとつなげていくか。それは、あなたの手の中にも選択肢があります。


いつの時代も、社会を変革していくのは若者です。「近頃の若者は」なんてよく言いますが、そんなことは紀元前からいわれていること。常に若者は、新たな感性で社会を変えていくのです。確かに学校現場は大変。申し訳ないぐらいに多忙。朝令暮改で変わっていく仕組みや制度に右往左往。皆さんを迎える前に変えられずに申し訳ない。これはこれでなんとかしていきましょう。


一方、いつの時代も「現実的な制約」はあります。現状の中でもその制約をずらしながら、しなやかに実践できることがあります。
今、教育が大きく変わる転換期に差しかかっています。だからこそ、より大きく教育を捉えるために、「そもそも学校って?」「そもそも教育って?」と根っこから考える時間をたくさん持ってほしい。世界の教育や日本のこれまでの教育ではどんなことが蓄積されてきているのか?
そこから未来の教育を考えるのにヒントはないだろうか?学校外の社会では、どのように「学び」を捉えているのだろうか?未来はどうなっていくと予測されているのだろうか?
そこで必要にされることってなんだろうか?幅広い視野を持ち続け、学び続けてほしい。あなたの手元にこの国の教育の未来の種があります。


●最後に。変化の種は手元にある

教育の現状はお世辞にもよいとは言えません。制度やシステム上の欠陥もたくさんあります。そこへのアプローチは続ける必要があります。

しかし、まず確実に言えることは、制度やシステムの改革を待っていてもしかたがない、ということです。結局はあなたを含めた私たちこそが変えていくのです。私たちはシステムを直接変えることはできないけれど、現状のシステムの中でしたたかに変化を生み出していく力があります。私たちこそが変化の担い手なのです。

 

 

SOSは早めに。同僚も必死で日々に向き合っています。あなたが困っていることに気づいていないだけです。どんどん相談しましょう。相談できそうな誰かはきっと職場の中にいるはずです。私たちもアンテナ高くそこにいるようにします。そこにいなかったら学校の外に目を向けましょう。受け止めてくれる誰かは必ずいます。

 

さて2学期です。

子どもたちは、楽しい時間を待っています。

時計の進みを少しゆっくり目にして、子どもたちとゆっくりとした時間、楽しい時間を過ごすところからスタートしたいですね。

 

それにしても。

まずはこのクソ暑い日々よ、去ってくれ!

 

 

参考文献
F.コルトハーヘン(2010)『教師教育学』(学文社)
脇本健弘・町支大祐(2015)『教師の学びを科学する』(北大路書房)

 

 

小1プロブレムとは何か?

今日から2学期がスタートした学校もあるようです。ぼくが以前勤めていた某市は、夏休みが10日間しかないらしい・・・・

例年であれば、4月に小1プロブレム、中1ギャップがクローズアップされますが、今年は分散登校、6月以降に通常登校と異例の事態。登校しても周りとのコミュニケーションが十分に取れなかったり、前倒しで授業が進んだり、たっぷり遊べなかったり、コロナ対策で全員前を向いて無言の給食だったりなど、特に初めて学校に来た小学校1年生にとってはこれがデフォルトになるわけで「学校ってこういうところなの??」と悲惨な体験を積み重ねている可能性があります。先生たちも苦心を重ねているところでしょう。初任の先生はこの状況でかなり苦しい思いをしているというのをよく耳にするようになり、教員養成に関わっていた身としては、そのリアリティに胸が苦しくなります。

 

そういう意味では小1プロブレム、中1ギャップは、今は顕在化していないけれど、2学期以降じわじわとその副作用のようなものが出てくるはずです。僕らはそこにどんな備えをしておけばよいのでしょうか。

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(軽井沢風越学園の低学年はたっぷり遊ぶところからスタートしました)

 

さて一般に小1プロブレムとは、小学校1年生などの教室において、学習に集中できない、教諭の話が聞けずに授業が成立しない児童が増えている、等の課題を指します。一般に、幼児期から児童期にかけての教育において、自制心や耐性、規範意識が十分に育っていない等、家庭教育や幼児教育の問題にしてしまう議論をよく見かけますが、本当にそうでしょうか。

 

ぼくは「学校種が変わるときに起こる文化的な違いへの子どものとまどい」と捉えています。子ども側から眺めると、幼稚園、保育園で3月まで遊びを中心に、自身の「〜したい」を大切にした生活を送っていたにもかかわらず、ある日突然、自分が暮らす世界のルールが変わってしまうのです。とまどって当然です。これは子どもの育ちの問題ではなく大人の側の問題、制度の問題です。

 

小1プロブレムに内実は、小学校が自分たちの文化に疑いを持たず、教員の「教えやすさ」を優先させて、「学校のお作法」を教えることの優先順位を上げてしまっているからではないでしょうか?

 

我が家の3人の子のうちの1人は、遊ぶこと、自己決定すること、自分たちで自分たちの暮らしをつくることを大切にするこども園を卒園しました。小学校に入学した際、

「学校ってずっと座ってるんだよ」

「手は膝の上に置かなくちゃいけないんだって」

「どんなに晴れていても、教室の中にいるんだよ」

「遊ぶ時間は20分しかないんだよ」と不思議そうに報告してくれました。

ある日を境に文化が180度変わる。ギャップを感じる方が自然です。

今年度1年生になった子は、さらに悲劇的な経験をしている可能性が高い。ここは注意すべきポイントです。

 

にもかかわらず学校文化への移行、今年に関して言えばコロナ対策と遅れを取り戻すための様々な方策(行事削減、土曜授業実施、7時間授業、教科書の内容を授業と家庭学習に分けて家に持ち帰らせる、協同あそびの禁止など)を盲目的に目指してしまうと、それに従わないこと、「いかに45分間座らせるか」「マスクを外させないためにどうするか」ということが「課題」として立ちあがってしまいます。例えば指名されるまでしゃべらないという「スキルをいかに身につけるか」に一生懸命になってしまうのです。

 

言い換えると、小1プロブレムを考えるとき、小学校教員側が「いかに学校文化にスムーズに移行させるか」という問いを立てていることに問題の核心があります。「グーピタピン」とか、「筆箱の置く位置は」とか、「1の声、2の声」とかいう話になってしまうわけです。

 

では私たちはこの問題に対してどのような問いを立てたらよいのでしょうか?

「良質の幼児教育を継続する形で小学校教育をリデザインしたら?」という問いを立てたい。どうすればギャップのない一貫した育ちの環境をつくれるか。この問題は、実は新学習指導要領でもしっかり書かれています。

 

「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿を踏まえた指導を工夫することにより、幼稚園教育要領に基づく幼児期の教育を通して育まれた資質・能力を踏まえて教育活動を実施し、児童が主体的に自己を発揮しながら学びに向かうことが可能になるようにすること。(中略)特に、小学校入学当初においては、各教科等における学習に円滑に接続されるよう、生活科を中心に、合科的・関連的な指導や、弾力的な時間割の設定など、指導の工夫や指導計画の作成を行うこと。」(小学校学習指導要領 第1章総則より)

 

 

幼児期で身につけたこと・育まれたことを大切にしながら、その力が生かされる学校教育を構想するのが重要と言えます。

では具体的にはどうするか?ピンポイントには低学年教育をいかに変えていくかになるでしょう。幼児期に大切に育まれてきた「〜したい」からあそびに没頭する経験の積み重ねは、ひとり一人の「学びに向かう力」につながっていくでしょう。そのためには生活科を中心としたプロジェクトとしての活動の充実が鍵だと考えています。子どもの「〜したい」からはじまるあそびをつなぎ、プロジェクトとして発展させていく。その中で結果として教科の学びも起きるでしょう。そこで起きる結果としての教科の学びは現状よりもレベルが上がるのではないかとさえ予想します。幼児教育から学べることは多いです。

 

でもこれは思った以上に難しい。

軽井沢風越学園は幼小中の混在校です。前期を「年少〜小2」後期を「小3〜中1」でスタートしました。幼児期と低学年教育をつなげていこう、幼児期の学びを義務教育学校でも生かしていこう、という試みです。

しかしコロナ禍の影響もあり、まざって遊んだり学んだりすることは日常的にみられるものの、気づくと幼稚園と義務教育学校の間に壁がある状態。さらには小1、2と後期の間にも壁ができ始めている状態。じわじわと分かれていくのですよね。この辺りの分析はもう少し丁寧にしたいと思っていますが、子供の意識というより、結局大人の意識が壁を作っていくのだなと実感しています。この課題意識はスタッフ間でも共有されていて、夏休みも課題の大きな柱の一つになって検討されていました。どうやって年少〜中3までの学び、育ちを緩やかにつないでいくか、試行錯誤は続きますが「簡単でははい」ということはよくよくわかりました。

でも、きっと超えていきますよ。スタッフそれぞれが課題だと認識している時点で、解消に向かっているのです。たのもしや。

 

さて、最後に一つエピソードを。ぼくが初めて1年生を担任した際、やはり「なにもできないんじゃないか」と不安になり、友人の幼稚園の先生に相談しました。「年長さんは園で『番を張っていた』んだから、何でも自分たちでできるの。朝の会の司会も自分たちでやるし、給食の配膳だって、ケンカの仲裁だって、下の子の世話だってやってきてるの。なんでも任せてみてよ。失敗したっていいじゃない。そこから学ぶ力だってあるんだよ」。

実際1年生はまことに頼もしい存在でした。給食を運ぶとき、Mくんが倒してしまって廊下がカレーだらけに…廊下中に広がったカレーから湯気が上がっているのを見てつい「なんで倒したの!」と叱ってしまいました。するとKちゃんが、「先生、そんなことより片付けることが先でしょ」とぼくを諭しました。本当にその通り。みんなでカレーを拭く作業は、不謹慎だけれど、なんだかお祭りのようで楽しかった。その間に給食当番の子は食缶を持って他のクラスに、「カレーこぼしちゃったんで少し分けてくださーい」と集めて歩いていました。

 

子どもをどんな存在として見るかで、アプローチは変わっていきます。

いまだ学校が始まるまえ、「学校楽しみ!」と思っていた1年生はたくさんいたはず。この状況だからこそ、0から教育を問い直すチャンスです。2学期のスタートは、楽しいこと、没頭できることからスタートしたい。今の状況でリスクを鑑みつつ、たっぷり遊んでみてはどうかと思うのです。

大人の都合からスタートするのではなく、一人一人の子どもが日々何を経験しているのか、どんなことを感じているのか、に想像をふくらませ、何を経験して欲しいのか、どんなことを感じてほしいのか、からスタートしたい、切にそう思います。