いわせんの仕事部屋

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自分の日記がわりに。

すっかり放置していたブログ。自分の日記がわりに再開してみようと思う。書き残しておくことで、未来の自分が読んだときに何らか意味があるかと思って。

 

夏休み。お盆になってようやくお休み。

仕事モードからノーミソの距離を置きたいので1日1冊1映画を始めている。

最近読んでいる本や見ている映画。今は小説モード。

少し距離を置いた方が見えてくることがある、気がする。

 

夜に星を放つ

夜に星を放つ | 窪 美澄 |本 | 通販 | Amazon

★★★

やや淡白だったかな。嫌いではない。

 

 

★★★★★

瀬戸内寂聴という人を初めて詳しく知った。井上荒野の筆致も恐るべし。

 

★★★★

認知症の女性の一人称の語り。成功していると思う。

 

★★★★

中学娘が読んでいてよかったというので、読んでみた。

軽いタッチだなあと思っていたがエピローグがなかなか。

 

 

コ・デザイン

コ・デザイン

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今日読み始めた。

名著の予感。風越のライブラリーには本当にいい本があるなあ。

 

★★★★

久々の金原ひとみ。これ読んでから 窪 美澄を読んだので浅く感じてしまった。

ただ好みは分かれますね。

 

今日読み始め。今の僕には哲学が必要。

 

★★★★

「ことばとは、過去現在未来の記憶をひっかける、釣り針みたいなものです。何もないと思っていたのに、じつはこんなにいっぱい沈んでいたのか、と、あることばを自分の中にひたすだけで、ふわっと内側からわかってきます」。

 

★★★★★

再読候補。

 

★★★★

教員必読。教室マルトリートメントとは「教室で行われる子どもの心を傷つけるような不適切な指導を示す造語」。いかに正義の名のものに子どもたちを痛めつけているか。

心当たりがない、と思う人こそ。

 

★★★★★

再再読。

映画も見たよ。船の舳先。

 

 

★★★

探究とは、を考えるために。必読書。

 

★★★

 

 

 

映画

きみに読む物語(字幕版)

きみに読む物語(字幕版)

  • ライアン・ゴズリング
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★★★★

こういう純愛の映画、きらいじゃない。

 

Search/サーチ (字幕版)

Search/サーチ (字幕版)

  • ジョン・チョー
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★★★

なるほどの設定。★4つか迷った。

 

filmarks.com

★★★★

明日は8月15日。

 

★★★★★

 

★★★

原作、好き。ラスト40分なう、です。

 

罪の声

罪の声

  • 小栗旬
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★★★

ていねいなつくり。この時間はリアルタイムで体験した。

 

 

さて今日は何をみようかな。

今日はうちの犬が読書につきあってくれました。

あと数日は、仕事以外の本を読もう。じわじわ読んだり考えたりしちゃってるんだけどね。

学校をおもろい場所に。

 

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小学校の教員を22年やった。いろんなことはあったけど、ぼくにとっては学校はいつも楽しかった。

 

子どもとつくる日々はおもろい。「〜したい」という好奇心にあふれた人々が集まり、いっしょにつくる場所がおもろくないわけがない。そうなっていないとしたら、それを阻害する特別な力が働いていると考えた方がよい。

 

 

もちろん学校には残念なことが山のようにある。話題のブラックの校則もそう。問題だらけであることは重々承知。とはいえ「だから学校はダメなんだ」は飛躍している。「学校教育はダメだ!悪だ!」とばかりに学校を悪の象徴にしても何も生まれない。

 

公立の学校で可能性を奪われていく子のために、オルタナティブな場をつくる。放課後や休日の活動の場をつくる。それで救われてい人はたくさんいる。そこには素晴らしい人々がコミットしてくれていて素晴らしい活動が広がっている。だからこそぼくは違うアプローチをしたい。せっかくたくさんの子が来る学校時代を「おもろい場所に」。そう思うのだ。だってほとんどの子がくるのだから。

 

学校を「変わらないどうしようもない場所」と置くのではなく、「学校自体がおもろくなったらいいのじゃないか」、そう思って学校づくりに関わっている。

 

その可能性にかけられる根っこには、ぼくの教員経験がある。教員になって2校目のT小学校。破天荒な学校だった。学校のお祭りは地域の保護者が食べ物の出店をだしてくれ、駄菓子のお店もある。子どもも思い思いにお店を主店。特設の舞台では出演したい人が自由に演じる。そんなお祭りが日常の行事だった。

6年生は学校でお泊まり会。校庭で小グループごとの「食べ物屋」を出し、そのイベント限定の通貨でお買い物。保護者も当然お店を出す。わるい大人はその横で夜の会のために三浦直送の巨大マグロの釜焼きをじんわり焼く。夜はキャンプファイヤー。終わると全校を使った肝試し。放送室からはこわい音楽。

大人も子供もキャーキャー喜んだあとは、教室で就寝。「日本の夜明けを見るんじゃ」と徹夜しようとする人たちも頼もしい。「大人にあまり迷惑かけるなよ」と言葉をかけて放っておき、大人は音楽室でマグロの釜焼きを摘みながら飲み会。楽しかったなあ。「地域の子を育てよう」と熱く語りながら。おおらかな時代だった。おおらかは大事。おおらかでないとよいものは育っていかない。

運動会は地域と共催。ほとんど練習もなく出たい競技にでる。徒競走に出るだけで参加賞がもらえるので、出たくなかった人もうっかり参加する。お祭りだった。

教員も仲良かった。職員旅行でオーストラリアに行ってた。5、6年の先生で沖縄に行ったり。「いい職員室をつくれないやつにいいクラスは作れない」と言ったSさんが中心でつくった職員室。放課後の教育談義は日常茶飯事だった。

飛び跳ねていた若者であったぼくにも「岩瀬さん面白いことやってるねー!」なんて言ってくれる職場だった。ぼくは少しずつ、一緒につくること、シェアすることの喜びを知った。
学級通信を全ての先生に配り合う文化だった。「低い公平性」ではなく、よいものを学び合う「高い公平性」を目指していた。
Sさんは本気で「学校は変わる」と確信していた。ぼくはそのバトンを受け取った。

 

「学校は変わる」。強烈な原体験がぼくを支えている。学校を諦めたら子どもに失礼じゃないか。どんな環境にいる人も来る学校。そこをおもろくしたい。好奇心に満ち溢れたひとが集まる場所なんだから、なんとかなるはず。大人はそこに知恵を絞ろう。大人こそ面白がろう。学校を責めても何も変わらんよ。

 

学校以外のところで子どもを救う活動、子どもの可能性を広げる活動はたくさんある。その数はどんどん増え、その質はどんどん上がっている。次は学校の番だ。

 

22年のサンプル数1の実践だけれど、その可能性を実感できた。ぼくが「おれがなんとかしなくちゃ」を手放すたびに、子どもたちはその先に軽々と進んでいった。変わるべきは大人だ。そう思えば問題は手元に引き寄せられる。子どもはいつの時代も、思う存分力を発揮できる場を待っている。

繰り返しになるけれど、ほとんどの子が来る公立の学校。その可能性を諦めるアプローチではなく、その変化可能性を追求したい。ぼくはぼくでできるアプローチを。その道は簡単じゃないけれど、これまで出会ってきた子どもを思い浮かべるたびに「それってなんとでもなるじゃん」って思うのだ。一緒につくればいい。子どもを侮っていてはいけない。

 

「常識を疑えば学校はもっとおもろしろくなる」。これはぼくが10年前に『食農教育』で初めて連載したときのタイトル。今もそう思う。自分が経験したこと学校でそれは変わらない、という思い込みを手放そう。「幸せな子ども時代を過ごせる学校って?」から再設計しよう。

自分にできることをあと10年あれこれやってみます。そんな簡単じゃないこともよくよくわかってます。夢を見ているわけではない。日々現場で疲弊している方々がいるのは、現場にいたぼくはよくよくわかっているつもり(その感覚は鈍ってきている自覚もあるけれど)。

でも可能性を手放すのは子どもに失礼だと思う。


大人が「でもなんとかなるんじゃん?」をおもしろがる。本当に子ども時代が大事だとおもうのならば、共にあれこれ試行錯誤したい。
ぼくは、あえてポジティブにその可能性を追求する役割を果たしたい。

 

2月22日に行われた、日野市立平山小学校の研究発表会。3年間にわたる学校づくりの過程の発表でした。公教育の可能性に満ちた素晴らしい場だったなぁ。

 

個別最適化と無能化と。

愛車が160000キロを超え、とうとう乗り換えです。我が家のインプレッサ。自動運転アシスト機能がついています。


前の車に一定の車間距離でついて行ってくれたり、線からはみ出すと「はみ出し注意!」という文字とともに警告音が鳴ったり、前に近づきすぎると「前方注意!」という文字とともに警告音が鳴り、自動ブレーキもついてる。運転者はハンドル操作だけしてればいいというわけです。安全安全。特に高速道路は本当に楽で、ちょっとした渋滞でも、前の車にゆるゆるついて行ってくれる。

 

2019年の1年間、軽井沢に車通勤していたわけですが、距離ほど負担を感じなくなりました。運転アシスト機能万歳!この車にして本当によかった。

 

で。時々妻の車を運転するのですが、家族でちょっと遠くのイオンまで高速に乗って買い物に出かけたときのこと。
「あー、運転感覚随分違うなー。ふんふん♩」
なんて運転していたら助手席の妻から一言。

「あなた、車の運転下手になったんじゃない?」

曰く、ブレーキを踏むのが遅くなったし、なんかフラフラしている感じがすると。やたらよそ見をするようになったと。
むむむ。自覚は全くなかったのですが、しばらく運転していると「やっぱり下手になってる。乗ってて怖い!注意が散漫!」
どうやらこの1年で本当に下手になったようだ。
「自動運転に慣れすぎてるんじゃない?」。

言われて見るとそうかも。車が注意してくれているから、そこへの信頼(という名の依存)が生まれて、ぼーっと運転しているのかも。言われてみれば以前ほど気をつけて運転していないなあ。時速も調整してくれるのでアクセル気にしないし、はみ出しそうになると教えてくれるし。やたら景色を見る余裕が出た気もする。

 

その機能がない車に乗ったときに、つまり自分の能力で運転しなくてはならなくなったときに、使わずに退化した能力を突きつけられたわけです。そういえばナビを使うようになってから、色々な場所での地理感覚や方向感覚もかなり鈍ってるな。

 

そういえば似たような心当たりはまだあるぞ。
我が家は共働きで、子育て3人をしながらのバタバタ生活を長らくしていたので、晩御飯は食材宅配サービスの「ヨシ◯イ」を愛用していました。仕事場を飛び出し、学童にお迎えに行って家に帰ると、今日の夕食分の食材が届いている。食材によってはもうすでに切ってある。

あとは付いてくるレシピ通りに作れば、30分〜40分で夕食が出来上がり。そこそこ美味しくて、栄養バランスにも配慮が行き届いている。

我が家はこのヨシ◯イのサービスにどれだけ助けられたか。買い物の時間も調理の時間も短縮できてほんとうに助けられました。ありがとうヨシ◯イ。
妻と交代交代しながら、10年近く晩御飯作りに勤しんできました。家に帰ってテキパキ料理してました。それを続けたらさぞかし料理上手になったと思われることでしょう。
それが全然できるようになってないのだ!!悲しいことに。

 

毎日ひたすらレシピに書いている通りに作っているだけで、何故ここでこの調味料を使うのかよくわからない。書いてある分量通りに「大さじ1と3分の1か」と機械的に入れるだけ。「味付けは大体これくらいだな」とか、「ちょっと味が薄い気がするから調整しよう」とか全然応用が利かないのです。なぜ今日、この調味料を使うのか、なんて考えないので、味付け力が身につかない。

「食材も測られて、必要な分だけ送られてくる」ので、どの料理に何が必要なのかが全然学ばれていかない。時々一念発起して、今日は買い物してご飯を作ろう!と思っても、「八宝菜に必要な材料は◯◯だから、買い物してこよう」という知恵が身についていない。レシピが必要なのです、レシピが。
なんで中火なのかわからない。強火じゃだめなの?なんて疑う事もなく、書かれている通り中火にするだけ。でも美味しいのができるのです。だから10年間困ったことはありませんでした。

そして今、はたと気付くのです。10年も料理を続けてきて、何もできるようになっていない、と。手際だけはよくなってるけど。
でもレシピがないとだめなのです。食材を選んでもらわないとだめなのです。10年も時間を割いてきたのに、自分のノーミソを使ってこなかったばかりに・・・・・・・応用できない。そのサービスを手放した今、つまり自分の能力で料理しなくてはならなくなったときに、使わずに伸びなかった能力を突きつけられたわけです。
もっと積極的にこのサービスを活用していればこうはならなかったはず。美味しい料理を作れるようになったはず。意識して自分の「料理力」につなげる方法はあったはずです。勿体無いことしたが後の祭り。


個別最適化してくれるサービス、痒いところに手が届き、自動でやってくれるサービスが、人の力を無能化する。
これって気をつけないと、これからの学校教育にも起きかねない。例えば個別最適化された学習。
「個別最適な問題を自動で選んでくれてその問題を解いていったらできるようになっていく、という学び方」にも同じことが起きる可能性がありそう。自分で自分の学びをデザインしたり、振り返って改善したり、と自己調整ができなくなる危険性がありそう。口を開けて最適を待つ人を育てかねない。

かといって遠ざけるのも無意味。使い方によっては個に寄り添う優れたツールと言えます。さてそのために大切なことは?
そんなことをカリキュラムを考えながら向き合っております。

 

今更,運転アシスト機能は手放せないわけで。これがあったおかげでなんとか1年通えた。ありがとうスバル。

乗り換えがちょっと寂しい。

 

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現場が変わる仕事を。

視野を広げることと、視座を上げることと、視点を磨くことと。

ある程度経験を積んだ現場の教員の中には視野を広げることの優先順位をあげてしまいがちな人が多いけど、視座を上げるために理論を学ぶといいと思うなぁ。その意味に限っては大学院は意味のある場所だと思う。課題も山積だけどね。

広げるは行き詰まる。問い直しが起きないから。
見に行くより腹を据えて学び直そう。

その逆もまた真なりで、理論を学び続けた人は視野を広げるためにどんどん現場へ。慣れた場ばかりではなく、行ったことのない場へ。
自身の研究の射程の狭さを自覚したほうがいい。視野の狭さは、現場の縮小再生産となる。学校教育の変革に貢献しているのか、所与の強化、縮小再生産に寄与しているのか。
はっきりいうと、教育学部の研究者には後者の人が多い。

現場で実践していくには、視点を磨くこと。
子どもの何を見るのか。何が見えるのか。
それなくして実践者にはなれない。
徹底して現場にいつづけること。
自分のかけているメガネを自覚し、問い直し、解像度を上げること。そのためには他者との対話、他者からのフィードバックが必要だ。自分にばかり関心を向けるナイーブな人ではいられない。

現場が変わる仕事をしよう。
そのために自分に必要なことは、視野を広げることなのか、視座を上げることなのか、視点を磨くことなのか、考えたい。

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日常の小さな積み重ねが文化をつくる

Facebookの「過去のこの日」が7年前の今日の様子を教えてくれた。

 

日々のたった20分の朝のサークル。

小さな時間の積み重ねではあるけれど、ミルフィーユのように重なり合って、大切にし合う関係が生まれていく。

 

積み重ねは、日常でしかできない。

 

ただ、時には非日常も大切で、日常から離れたところから日々を見つめてみることができる。

その行ったり来たりが手元を自覚的にする。

その上で日々の小さなことをどれだけ大切にするか、だ。

 

朝のサークルも、毎日ぼくらがどれくらいその場を大切にして、どれくらい一人一人を大切にしているかが、文化をつくる起点。

 

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毎日、朝のサークルからスタート。
ぼくは離れたところで聞いている。

「おはようございます。近くの2,3人で健康観察してください-」
「具合わるい人いる?」
「○○がのどが痛いそうです」
「○○が小指が痛いって」「なかなか直らないね-」
「○○が休みだ」
「昨日から,明日は都合で休むっていってたもんね」

次に、ホワイトボードの議題に入っていきます。

「連絡報告いきます。返してない本を返してください,図書委員より。というと?」
「もうすぐ夏休みなので、借りっぱなしの本は早く返してください。あと夏休みの貸し出しは3冊までです」

はーい。借りに行こうぜ-。イワセン、時間とってくれるんじゃない?

「他に連絡ある人いる?」

「<いいクラスにしたい,相談したい>にいきます。『算数テストいつごろにする?』。というと?」

「算数、だいぶ進んできていて、10時間全部使わなくてもテストできちゃうと思うんだよね。後どれくらい必要?
近くの人と話し合ってみてー」
ファシリテーターの子が進めはじめた。

今日が算数7/10時間目。
「もうカンペキという人もいるし、ハイクラスとか活用問題やっている人もいるけど、まだ不安という人もいるよね。」
「じゃあ、指で後何時間ほしいか出してみて、せーの」
だいたいの子が指1本。中にはOKサインで「0」の人もいる。
「あと1時間ぐらいなら、今日勉強して,月曜テストでいいんじゃない?」
「あ、でも今日3,4時間目は雨でプールに入れないだろうから、2時間目に最後の確認して3時間目にテストしちゃえば?」
「いいねえ。」
「でも、復習したい人もいると思う。だから今日2時間目やって、土日に復習したい人は復習して,月曜にテストの方がいいと思う。私は復習したい。」
「ああ、そっかー」
「今決めちゃわないで、2時間目最後の勉強して、その時にみんなに今日やっちゃうか,月曜の方がいいか聞いたらどう?」

ああ。それがいいね。そうしよう。そうだね。

「じゃあ、それでいいですか? 2時間目終わるときに聞きます−。
 いわせーん、それでいい?」

「了解でーす」

「では次行きます。今月の生活目標は「身の回りの整理整頓をしよう」でクラスの目標きめなくちゃならないので、みんなアイデアだしてください。」

「机の中からプシュっとものが出るようにする」 
「プシュ!は絶対入れてほしい」
「英語で訳そう。HPDSでどう? 必要なものをプシュっと出せるように」 笑
「いらないものはゴミ箱へ捨てる」
「忘れ物をしない」
「WSだね」
「それって整理整頓なの?」
  :
  :
  :
『これで決まりでいい?」

と、ここまでで10分。

「最後にイワセンの話です」
「あらためておはよー。
今日は特にないので絵本読みます。
『ソメコとオニ』です。昔国語の教科書に載っていたんだよ」
「モチモチの木の人じゃない?」
「そうそう!じゃ、よみます。はじまりはじまりー」

 

iwasen.hatenablog.com

当事者であることと、外から関わること。

昨日は某公立校で90分の研修。

2年ぶりの公立での研修だった。

 

明日の実践のために何を残せるか。

一人ひとりの、そして職場をエンパワーするために何ができるか。

研修に入るときは全力でそこにフォーカスできる。

 

自分の職場になると、なんか立ち方が変わってしまうのはなぜなんだろう。

 

もし外の場に立つように中で立つと何が起こるんだろう。

そもそも違うのか、同じなのか。

ここに本質的なことが隠れているように思う。

 

体調悪いから、はよ寝よ。

 

 

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感染動機

ブログ、じわじわ復活させていこうと思う。

以前は「書きながら考える」という感じで気楽に書いて、推敲もせずにブログにあげていた。自分の整理のため、自分の思考のため、自分の内省のために書いていて、読み手にもなにか引っ掛かることがあったらいいな、ぐらいのスタンスだったのが、いつの間にか読み手や編集者を意識しすぎるように。

自ら評価に縛られるという。

 

リハビリを兼ねて、気楽に書き散らしていこうと思う。

今日、新しいプロジェクト始まるということで、授業を覗きに。

「世界とつながるワールドアンバサダープロジェクト」。

何やら本当に海外に行くことを目指すらしい。

 

聞いているうちにスタッフの語りに惹きつけられて長居をすることに。本人の芯から出ている言葉はきき手の芯と共振していく。

 

「突然ですが、ひとり1ミッションです!今から渡します。ウェブ検索は禁止。30分後までに回答見つけてきてちょ!」

という突然のインストラクションとともに、ミッションを渡されて部屋を飛び出していくことに。

「ゴリさん(ぼくの呼び名)もどうぞ!」

 

ミッションを渡されてしまった。

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「ニュージーランドでしょ?」

「ぶぶー。はい調べてきてくださいー」

 

30分ライブラリーで必死で調べた。

全員ミッションが違っておもしろい。この一手間。30分で!という負荷もモチベーションを高める。

ライブラリーで調べる人、本が見つからずにいろんな人にアンケートをとって答えを推測する人、「世界で一番小さい島は?」のミッションでは、世界地図をじっと眺めて探す人も。

 

いやーおもしろかった。

気がつくといろんな国の情報が集まって、関心の幅が自然に広がっていっていた。

見事なデザインだったなー。

 

というわけで本気のプロジェクトが始まった。

授業者がどうやって情熱をエネルギーに海外に向かって行ったのかの物語(ナラティブ)は、中学生たちの気持ちに届いていく。授業者の情熱に感染していく中学生たち。

感染動機ってプロジェクトの設計で実は重要なんだよな。時には「よい問い」や「探究しがいのある概念」よりもずっとずっと。

本当に海外に行くことをゴールに、ガシガシ進んでいくようです。実現できるような気がしちゃったから不思議だ。

 

午後は、近隣の公立小学校(風越の連携校)で90分いただいて、学級経営の研修。情熱を持って場に向かえたじゃないかな。

昨日からの体調不良で、そのまま直帰。

 

情熱に感染して気持ちはとても元気になった1日だった。

 

ところで羊の頭数世界一は?

オーストラリアでもないよ。

ググるの禁止!