いわせんの仕事部屋

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仮説実験授業から学んだこと。

ぼくは初任から5年間、どっぷり仮説実験授業を学び、実践した。著書やガリ本(なんてわからない人いるだろうなあ)もほとんど入手できるものは読み、研究会に行き、資料を書き、全授業記録を書いた。

仮説実験授業の課題が見えてきて緩やかに離れたけれど、改めて振り返るとあの5年間は実はぼくの今を支える大きな経験になっているようだ。

仮説実験授業は科学の授業理論であり、授業書という形まとめられた汎用性のある(ティーチャープルーフの)プログラムだ。典型的な一斉授業のプログラムともいえる。
では何を学んだのか?

 

①討論のファシリテーター

仮説実験授業では子どもの討論が重要である。ここでの教師の役割は淡々と司会進行することになっていて、決して誘導しない、意見がなければ速やかに実験に移行となる。小学生はそれこそ1時間でも討論し続けるわけで、授業のほとんどは子どもの討論(子どもはトーロンの授業と呼んでいた)。誘導せず司会役に徹する体験、というのはファシリテーターのトレーニングになっていた。
なにより「子どもの討論をおもしろがって聞いている」というぼくのあり方の根っこになっている気もする。
多くの子どもも「自分たちで授業をつくっている感覚」を持っていたと思う。

 

②学習者の授業評価

毎回、感想と授業評価を5段階で書いてもらう。このことで「発言しなかった人にも意見や考えがある」「聴いているだけでも思考を深めている人がいる」という当たり前の事実に気づいたし、授業評価が低ければそれは授業書のクオリティの問題だと言っていた板倉の主張は、授業の善し悪しを子どもに還元せず徹底的に授業そのものに向ける姿勢を身につけさせてくれた。

「子どものことを子どもに聞く」という原則だ。討論を続けるかやめるかも子どもに聞く。ときには2時間討論が続いたこともあった。

 

③コンテンツの重要性

授業書はかなりよくできている。授業における【問題】の質が授業の明暗をわける。この体験が、のちにファシリテーションに興味を持ち実践するようになっても、「プロセス」だけに意識を向けがちになることを助けてくれた。逆を言えばコンテンツが貧弱ならどんなにファシリテーションを「効かせても」、貧弱な学びにしかならない。コンテンツはやはり重要なのだ。

 

④授業記録

基本的には子どもの討論で進んでいくので、いい意味で先生は「暇」だ。そこで子どもたちの討論を記録するようになった。

テープ(懐かしい)に録音し、授業記録をつくり、毎回印刷して次時に子どもたちに配った。これは子どもたちにとっての学習記録になり、ぼくにとっては授業を分析する習慣を身につけさせてくれた。

いい場面だけを切り取るのではなく「単元全部を記録」する体験は、のちにライティング・ワークショップを実践しはじめたときに、導入からの20時間の授業記録を書くことにつながった。

 

⑤子どもの観察
討論の司会、授業記録、毎時の授業感想は、一人一人の子どもを観察・理解するトレーニングになっていたと思う。

一人ひとりの個の変容を、授業の発言や授業評価の記述の積み重ねから丁寧に見とるトレーニング。一人一人の学びのプロセスを追う練習になっていた。

当たり前のように「同じ授業でも一人一人考えたり感じたり学んだりすることは違う」ということも。「学習者に聞く」という構えも身につけさせてくれた。

 

⑥楽しければ人は学ぶ。

ここで言う楽しいは「おもしろおかしい」ではない。板倉は「たのしさそのものが目的」と『科学と教育のために』の中で喝破し、当時は「楽しいだけでいいのか!」と批判もされてきたが、
板倉の言う楽しさは、

”科学者とは利己的ではなく「自分の働きで他人をたのしくさせたい」という社会的な動機付けに促されながら「問題ー予想ー討論ー実験」という「楽しい科学の仕方」を駆使する存在であり、科学者が研究しているように教えればたのしくなるはずであり「たのしくやらなきゃ科学に対して罰当たり」。”

つまり「たのしさ」とは科学的概念や法則に裏打ちされた「知的関心」のことで、そのたのしさには知的緊張も努力も当然伴う。このことの価値は離れてずいぶん経って(わりと最近)、ようやく実感できた。

 

⑦・・・・

とまあ、あげればきりがないがこれらがぼくの土台を形作っているようだ。今思い返すと、初任からの5年間は、豊かなコンテンツの土壌の上でファシリテータートレーニングをしていた毎日だったのだと思う。

ではなぜ離れたか?それは後にファシリテーションを軸としていく自分の変化にも繋がっている。そういえばかつての同僚の渡辺貴裕さんに、
「もし仮説実験授業に出会っていなかったら、今の岩瀬さんはありませんか?」
と聞かれたことがある。

どうだろう。けっこう本質的な問いでまだ答えられずにいる。おそらく今のぼくはないんだと思う。

それにしても子どもたちの討論から仮説が立ちあがっていくやりとりには聞き惚れたなあ。ここに来て社会構成主義に関心をもっているんだけれど、実はあのときの聞き惚れた討論に原点があったりする。

 

ではなぜ仮説実験授業から離れていったのか?

端的に言えば以下。

 

①仮説絶対主義的な側面がある。他教科への安易な展開や、仮説さえやっていればいいというような言説。つまりは方法の絶対化。

 

②教師と子どもの授業書への過度な依存。授業書の質が高いだけに、授業書そのものへの疑いを持たない。このような姿勢は、巧妙な「授業書もどき」を作れば思考や価値観を操作できる危険性をはらんでいる。これは仮説に留まらない大きなリテラシーの問題。

 

③問いはいつも「降ってくる」ことへの違和。カリキュラム上の自由度の低さ。

 

④教材研究できない教師をつくりかねない。

とはいえ、今なお仮説実験授業の価値は高いと考えている。

仮説実験授業の豊かな蓄積をぼくたちはどのように継承していけばよいのか。
仮説における「楽しさ」の価値とは?

改めて検討したい。なんせ5年間、脇目もふらずに学び尽くしたことが大きかった。
5年やり続けると強みになる。