いわせんの仕事部屋

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学校で遊ぶということ

映画「ゆめパの時間」。

yumepa-no-jikan.com

 

できるだけ早く見たい。ホームページをみているうちに2年前に川崎子ども夢パークを訪問したことを思い出し、その時の文章を発掘。ここに載せておきます。

開校してもうすぐ3年経つが、「子どもと遊び」にアクセスできていない。昼休み、来年度こそ小さくアプローチを始めるぞ! という決意を込めて転載。

大人からの積極的な仕掛けが大切だな。仕込みを少しずつ始めよう。

今こそ身体を介した遊びが大事。

 

         *  *  * 

2020年3月の記録。

 

川崎子ども夢パークを訪問してきた。
http://www.yumepark.net/
軽井沢風越学園がはじまって半年。一番課題に感じていることは、子どもたちが意外と遊ばないこと。広い森があり、たっぷりとした時間(昼休みは1時間半)があっても、自由な遊びはたくさんは生まれないということを痛感している。


休み時間や放課後、Chromebookで時間を潰している子が多かった。楽しくないわけではないが没頭しているわけでもない、でもなんとなくいじって楽しむ、そんな感じ。
きっかけがあれば遊びが広がる。遊びの楽しさは遊んでみないとわからない。楽しさは事後にわかるのだ。つまり、今はきっかけが少ない。これは大人側の問題でもある。

 

学校づくりのプロセスで描いた情景では、そこかしこで異年齢で遊び浸っているイメージを持っていた。森の幼稚園の子たちが、夏休みのキャンプに参加している子どもたちが、自然の中でたっぷり遊んでいる姿が、風越での日常になるといい。そんなふうに描いていた。たっぷり遊び、たっぷり学ぶ。この2つはつながっている。
遊びの中に「〜したい」の種が転がっている。遊びの中に子ども時代の大切な原体験がつまっている。ぼくはそう確信している。

 

秋シーズン(いわゆる2学期)になって、幼稚園は大きく環境を変えた。それによって日に日に子どもたちの遊びはダイナミックになり、「きのうのつづき」が増え、遊びひたるようになってきた。環境が変われば、大人の側のかかわりが変われば、遊びは生まれていく。

 

そのときに浮かんだのが「冒険遊び場」(プレーパーク)だった。
学生時代から「羽根木プレーパーク」に関心があり、冒険遊び場にはずっと関心を持ち続けていた。校庭が冒険遊び場だったらどうなるだろう?朝来ても、昼休みも、放課後も、もしかしたら休みの日も、遊びたい人はそこで自由に遊ぶ。それが日常になったらどうなるだろう?そんな妄想からスタートした。冒険遊び場と学校教育はこれまでほとんど交わらないできた。でもそこが重なると新しいことが生まれるのではないか?そもそも「まざる」って遊びの中でこそ自然に生まれるのではないか?
カリキュラムとは「子どもの経験の総体」のことだ。となると、ぼくらはもっと積極的に「遊び」に向き合いたいし、休み時間や放課後も積極的に考えていきたい。「子どもの自由な時間だからね」と放置しているのは無責任なのではないか、ぐらいに思い始めている。
つい遊びたくなる環境づくりをしたい。

 

校庭に冒険遊び場を。
というわけで、金曜日に嶋村さん、所長の西野さんの案内で子ども夢パークに行ってきた。


終わった後、西野さん、嶋村さんと1時間ほどお話しする時間をいただいた。その中で印象的だったことをいくつか。
「17年間、何を一番大切にしてきたのですか?」とおききすると、「子どもの最善の利益は何か、をいつも問い続けて行動してきたこと」と西野さん。
「プレーパークは学校教育とは独立した社会資源、サードプレイス。学校の文化から自由になれるところなのに、学校の中にあると大切な機能が失われてしまうのではないか」ということ。
ある意味、学校文化を笑い、やりたいことを真ん中に置き続けられる場がプレーパークなのだ。そこに学校文化が持ち込まれたり、学校にいる大人がプレーパークにも同じようにいると、子どもが自由でい続けられるのかどうか、居場所になりうるのか、というのはあまりにも大きな問いだ。学校文化から自由であるからこそ価値がある、子どもの居場所になりうる可能性が広がる。「やってはいけないことをやらかしていい場所がプレーパーク」と嶋村さん。

 

学校に冒険遊び場をつくるにはどうすればよいか、と設定した問いがどうやら違っていたようだ。
例えば、「冒険遊び場の発想や考え方を大切にした、自分の『〜したい』に没頭できる風越らしい遊び場はどんな場か?」という問いに変換すると、見えてくることが違いそうだ。
学校教育から眺めると「異世界」である冒険遊び場的な場が学校の身近にあることで、学校自体が刺激されて変化していく、問い直されていく、みたいな可能性もあるのではないか。
サードプレイスである冒険遊び場と、学校内にある冒険遊び場的場の、ちょうど間、微妙に重なり合うところを探ってみたい気持ちもあります。そんな漠然とした思いを持ちながら帰ってきた。いやー外から眺めてみるって大事だ。
子どもを真ん中において、問いから設定し直しです。
GIGAスクールの流れは止まらないし、そのメリットもある。だからこそ、同時にリアルな遊び、かかわりも真ん中におくことを探究したい。
子ども、保護者、スタッフでワークショップしながら、学校という枠を超えたなにかになるとおもろいと妄想したり。