いわせんの仕事部屋

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私たちは宿題に何を望んでいるのだろうか。

この夏、軽井沢風越学園の説明会(風越づくりミーティング)でも話題にしたが、「宿題」のことについて最近よく考えています。

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宿題については本当にいろいろな意見があります。

ぼくも公立の教員時代は毎年試行錯誤でした。基本的には「家に帰ったら思いっきり遊べー!」と思っていたので、宿題を出さなかった年もあります。そのときは保護者から「宿題がないと家で勉強しないのでだしてほしい」「他のクラスが出ているのにこのクラスだけ出てないと差が出る」という意見をたくさんもらいました(管理職にも電話が…)。ちなみにこの年は学級通信で「宿題はサービスである」と公言、つまり出してほしいという家庭があるのでそこへのサービスとして出すが、やるかどうかは各家庭で相談してほしい、やらないからといって注意したりもしないし、出したからと言ってほめもしない、としたわけです。

あの頃ぼくは若かった。

その後、宿題(10−15分程度で終わるもの)を出してあとはそれぞれで!とした年もあれば(これはこれで「少ない!」という声が出たりする)、思いっきり宿題を出していた年もあります。自主学習として、ちょこっとの宿題と、あとは自分で計画して「自主的に」やる、みたいなことも長く試してきました。 これは伊垣の実践に詳しいです。基本的にはこのやり方を追試してきました。歴史的には「自学ノート」という実践の積み重ねがあります。

 その時の実践はこんな感じ。

iwasen.hatenablog.com

せっかく取り組むなら、自身の「〜したい」からやってほしい、でも「ねばならぬ」ことや継続する方がよさそうなもの(読書や漢字や計算練習など)はちょこっと出していたり、ようは折衷案的にやってきたわけです。

でもよく考えると「ねばならぬなら、家でやるのではなく学校でこそやるべきなんじゃないの?」「継続が必要ならそれこそ学校でやるべきなんじゃない?家庭でやることにすると、各家庭環境に左右されるから格差が開く一方でしょ」と当然な考えが浮かんでくるわけ、わけがわからなくなってきます。

「自主学習を通して自分で学んでいく子になってほしい」とかなり真剣に思っていたわけですが、「それこそ日々の授業の中で達成すべきことでしょ。なぜそれを家庭で?」と誠にもっともな反論が自分の頭の中に浮かぶわけです。

 

さて、軽井沢風越学園では、現状あまり宿題はないんじゃないかな。保護者からは、宿題を出してほしいという声があります。宿題がないことで親子のバトルが減って穏やかに過ごせているという声もあったりします。スタッフの間でも、「宿題は効果があるのだから、最低限出す方がよい」という声と、「基本的に家庭の時間なのだから学校が口を出すべきではない」という声と、「自分で学びのコントローラーを操作できるようになれば、必要なことを自分自身で考えてやるようになるだろう。それを待とう」という声などがあります。

子どもの中にも「出してほしい」「いやいらない」「出されないと死んでもやらない」「少しはあるとうれしい」なんて様々な声があり、子ども×保護者×スタッフで一度じっくり話したいなと思うぐらいバラバラです。宿題への考えの背景にはその人の学習観があるはずで、「そもそも学ぶとは何か」を考えるよい切り口だと思っています。

 

話がそれました。そもそも宿題って効果があるのでしょうか。ジョン・ハッティの『教育の効果』に宿題についてのメタ分析の結果が載っているので参照してみます。

 (p248-250)。

この本では、大きくはクーパーのメタ分析の結果に寄っているわけですが、箇条書きでまとめるとこんな感じです。

・宿題の効果は高校生では中学生の2倍、中学生では小学生の2倍である

(ということは小学生の宿題の効果は、高校生の4分の1。年齢によって随分違うな)

・最も効果が小さいのが数学、最も効果が大きいのが理科と社会。英語(日本語でいう国語)は中程度。

(日本では算数・数学の宿題が多いイメージ。なぜ数学が一番小さいのだろう)

・宿題の効果と宿題に費やした時間の間には負の相関。費やす時間は少ない方がよいが、小学生の場合には宿題に費やした時間と学習成果の相関はほぼ0。

(たくさんやっている方がよい、と感じる場合は、「勉強している姿」に大人が安心するからか。)

・タスク指向の宿題の方が深い学習や問題解決をさせる宿題より効果が高い。

(大人からのフィードバックなしにできる、基本スキルや浅い知識を身につけるための繰り返しに有効)

・高次の概念的思考を必要とする宿題やプロジェクト・ベースの効果は低い

(大人からの支援やフィードバック、学習者同士の学び合いが起きにくいからだろうと推測)

・宿題の効果は、能力の低い学習者より高い学習の方が、また年齢の低い学習者より高い学習者の方が高い。

(高校生に一番効果的なのはここか)

・宿題を与えることは、学習者の時間管理能力を高めることにはつながらない。

(意外。たしかに嫌々だらだらやってた我が子を思い出すと妙に納得)

以上をまとめると、年齢が上がるにつれて宿題は効果がある、タスク志向の基本スキルや浅い知識(暗記、練習、繰り返し)に効果が高い、ということでしょうか。小学校の宿題で漢字や計算練習が多いのは、実践的にこのことを現場の教師が感じ取っていたからかもしれません(出し方にはいろいろ文句を言いたくなるところもあるけど)。

 ハッティの研究では「効果量」をだしている。d=0.40を基準(目標値)としているのだが、小学生ではd=0.15、高校生ではd=0.64と顕著な差があります。小学生には宿題はあまり効果がなさそう、と(この研究にかぎっていえば)いえそうです。

 

メタ分析は個別の学習者には適用できないし(全体の傾向を掴むのが目的)、あくまでも「従来の宿題ではこうである」ということです。ここはとても大事なところで、安易に「では高校生になったらドリル的なものを出せばよいということね」ということではないということです。

 

長々と引用してきました。宿題のことを考えるときに、経験や直感から「必要だ!」「無駄だ!」とやりあうよりも、少なくともこのような研究結果を参照しつつ、あらためて同じ土俵に乗って考えたいところです。

ここで「宿題を出すべきか否か」という問いだてで考えてしまうと、二項対立の問い方のマジックにハマってしまいます。問い立てを変えたい。

例えば「私たちは宿題に何を望んでいるのか」という問いを立ててみると、宿題にこだわる背景にはもしかしたら「家で勉強をしている姿を見ると安心(=みないと不安)」という要素があるかもしれません。そういう仮説を立ててみると、大人であるぼくたちが自身の不安を分析してみることができそうですし、「そもそも学校での学びの様子が伝わっていないからでは?」という学校側の情報発信や情報共有の問題も浮かび上がってくるかもしれません。

他にも、

・「学習者自身が意味と価値を感じられる『宿題』(もはやそう呼ばないと思うが)はどんなものか」。

・「家庭と学校の役割はどう重なり、どう違うのか」。

・「学校で学ぶことと、家庭で学ぶことはどうつながっているのか」。

・「そもそも学ぶとはなにか。そこでの大人の役割は何か」

・「効果のある宿題をみんなで発明しよう」

などなどいろいろな角度で考えられそうです。

 

宿題は昔からあるし、やるの当たり前だよね、みたいな地点にたったままだと、コロナ禍の中で授業時間の20%程度を補修や家庭学習で補うことが可能、なんて通知が文科省から出てきている今、「家庭でやってこいー!」と素直に現場が呼応してしまうことに「本当にそれでいいんだっけ?」と立ち止まれなくなってしまいます。

それにしても、ここまで網羅にこだわると負の側面しかないと思うけれど、またそれは別の機会に。

 

ハッティはこんな指摘もしています。

宿題によってかえって自力で学べなかったり学校の学習についていけなかったりということが助長されてしまう学習者はあまりにも多い。自力で学べなかったり学校の勉強についていけなかったりする学習者にとっては、宿題は動機付けを軽減させ、誤った学習行動を定着させ、効果的でない学習習慣を身につけてしまうことにつながりうる。このことは、特に小学生にとって当てはまる。

宿題を考える前にぼくたちが向き合うべきこと。それは一人ひとりの学習者に日々伴走できているだろうか、自主性という名の放置になっていないか、そこにつきます。

さらに言えば、日々の学校での学びが「自分の学びのコントローラーを自分で操作する」経験になっているか、子どもが「〜したい」と情熱を燃やす経験の中で学習者としてのアイデンティティを築きはじめているか、自身の変化や成長を感じられているか、です。まずそこに向き合いたい。そこを飛ばして「家でやってこいー!」はあまりにも乱暴。

日々の学びに没頭して、思わず家でも続きをやりたくなる。読み始めた本がおもしろくて思わず続きを持ち帰ってしまう。進みたい道が見えて、そのために自身で計画して、学習を進め始める(中学生はこうなっていくといいな)。

そんな姿を理想を思い描きつつ、「いやでもやっぱり家に帰ったら、子ども時代を思いっきり謳歌して遊びひたればいいんじゃない?」とも思ったりもします。子ども時代に経験したいことって「学校の勉強」ばかりではないからです。このことは最近考えていて、あらためて「あそぶ」ということを軸にまとめてみたいと思います。

一方で「読書ぐらいは毎日家でやるといいよなー」とも強く思いつつ、2学期もあれこれ葛藤し対話しながら進んでいきたいと思います。

 

(ちなみに直感的には「宿題」という概念が消えていく。子どもの遊びや学び、つまり経験が地続きになっていくイメージ。メモ程度に残しておく)