宿題の記事、けっこう反応が大きかったです。
フェイスブックに書いた、
気づいちゃったんだけど、学校教育って、家庭での宿題や課題を前提でカリキュラム考えているんだよね。なぜだろう。考えてみると不思議。そもそも履修の量が多すぎるのか。その前提を疑ってみるとどうだろう?最初から「家庭ではやらない」を大前提でつくっていったらどんなかたちになるだろう?思考実験として興味深い。
にもいろいろなコメントをいただき、せっかくだからさらに思考を深めようとこれを読み始めています。
まえがきから熱い。
毎日の宿題に効果があることを示すだけの研究結果がほとんどないにもかかわらず、生徒の学びの可能性を破壊するようなことを、教師に(そして、結果的に生徒に)対して私たちが期待し続けるのはなぜでしょうか。
生徒は、すでに十分な努力をしているのです。それゆえ、彼らには大人が介入しない主体的な遊びに費やすだけの時間が必要なのです。遊びをとして、ワークシートを埋めることからは得られない大切な車騎的スキルを身に付けることだってできるのです。
かなり強めに批判していますね。
さらにはこんなふうに書いています。
宿題(家庭学習)は、教育においてもっとも誤用されているツールです。あまりにもたくさんの矛盾する考えが、宿題という枠組みの中に組み込まれています。顕著なものとしては、学校で学ぶことのほかに出される課題と、より自然な状況で行われる遊びや学びとの間に矛盾があります。生活と直接関係しない宿題を出した時は、生徒の時間に対する価値をおとしめているだけではなく、学ぶことの価値も軽んじていることになります。
「もっとも誤用されているツール」とはさらにぐいっと踏み込みますね。大切なポイントは「誤用」といっているところ。いらないといっているんじゃないんですよね。
まえがきはこんな文章で締められています。
結論を言えば、読者の皆さんに、すべての生徒が学ぶことを好きになり、授業時間以外においても学ぶことを促すといった、従来の宿題に代わる理にかなった方法を検討していただきたいのです。
単に批判するのではなく、前提を疑って、よりよいものに変えていこう!という姿勢がぼく好みです。
では実際にどんなハックがあるのでしょうか?目次は以下の通りです。
目次
1 宿題を毎日やらせない―悪い習慣の方向転換を図る
2 教室で計画実行の仕方と責任の取り方を教える―アカウンタビリティーと時間の管理能力を高める
3 信頼関係を築く―学習を促進する建設的な関係を構築する
4 生徒のニーズにあわせた特別仕様にする―課題や時間を柔軟に
5 生徒に学びを奨励する―イノベーションと創造性を促進するために
6 授業の前に好奇心を刺激する―学びへの興味関心を生み出すつながりをつくる
7 デジタルでやり取りする場を活用する―学びのためにソーシャルメディアを利用する
8 生徒の発言を拡張する―宿題の内容と方法を生徒が選択できるようにする
9 家庭と協力する―保護者に教え方のモデルを示す
10 成長の過程を見えるようにする―生徒が自分で成長を記録し、確認できるようにサポートする
目次から想像できることあるかもしれませんが、この本、実は宿題を変えよう!という提案にとどまっていないんですよね。学習者が自立して学び手、ぼくの言い方では、学びのコントローラーを自分で操作する学び手になるための方法と、大人の役割をまとめてある本なのです。つまり、日々の学校の学びのあり方自体を学習者中心に変えようよ、という大胆な提案書です。
あたりまえですが、宿題単体で語れることなんてないわけです。日々の授業、学校のあり方と地続きなんですよね。
大人がどのように生徒に伴走すれば良いかも具体例(ストーリー)で描かれていてわかりやすい。2学期前に一読をお勧めしますし、保護者として子どもとどう関わるかのヒントも満載です。
ちなみにこのハックシリーズ、どれもおもしろいですよ。是非一読を。単純に反対!するわけではなく、それをおもしろく工夫しちゃおうという姿勢が素敵。そしてその中に本質的な提案が隠されている名シリーズです。
それにしても、
「宿題を出すことで、家庭や社会にどんなメッセージを出していることになるのか?」
は深めるべき問いだな。
家庭や社会の学校化の一翼を担っているのかもしれない仮説。
では。