いわせんの仕事部屋

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つくり手であり続けるということ

 

 

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ぼくの夏休みは明日でおしまい。怒涛の1学期は遥か昔のような気がする。もう少しだけのんびりしようと思いつつ、そろそろ再始動だな。

 

1学期、コロナ禍で全国的にオンラインへの対応を迫られ、そのスピード感に「学校教育を根本から問い直すチャンスである」という機運もあったけれど、通常登校に徐々に切り替えられるにつれて、その機運もしぼみつつあり、なんだか全速力で「元に戻ろう」としているようにも見える。

授業時数確保のための夏休みの短縮、行事削減、土曜授業実施、7時間授業、教科書の内容を授業と家庭学習に分けて家に持ち帰らせるなど、「通常」に戻るための知恵を絞っているようにも見える。(ぼくがかつて教員をやっていた某市は夏休み10日間だそうだ・・・)そこには学習の当事者たる子どもの声は聞こえてこない。3密を避けるという号令のもと、コミュニケーションを分断され、決められた防護策を守らされる。子どものための余白の時間は「時数確保のため」にカットされていく。

 

いったい私たちは何をしているのか。

 

今こそ子どもを真ん中に置いて、学校を再設計するチャンスなのに。学校は本来、人が成長していく、どんな子も幸せな子ども時代を過ごす場、自分(たち)の成長を実感する場。そんな場が楽しくないわけがない。世の中で一番希望を持って語られるべき場なのはずだ。

 

ぼくは公立学校の可能性を信じている。しかし、同時に公立学校は変わっていく必要があるとも考えている。これからの社会を創っていく子どもたちとって、教室での経験は「20年後の社会」のありようにつながっている。主体的に学校や自身の学びをつくる経験は、主体的に社会に参画しようというマインドを育て、「言われた通りにする」経験を積み重ねれば、受動的で消費的なマインドを育てるだろう。

自分の人生をデザインしつくっていく主体性・創造力は前者でこそより育つ。では、誰がそんな学校をつくるのか。教員だけが頑張ってもそんな学校はできない。「子どもこそがつくり手である」とぼくは考えている。

 

ぼくは今、私立学校にいる。「それは風越だからできるんですよね」という声を本当にたくさんきく。もちろんその側面はある。

でも本当に全てがそうだろうか?

共通する「大切なこと」があるのではないか?私たちの試行錯誤を触媒として、それぞれの現場にいる多くの子どもの日常が少しでも変わっていくことを共に探究できないだろうか?

公教育が変わっていく触媒。公立にいる時も、大学にいる時も、今も、その思いは変わらない。変化の種は手元にあるということを手放したことはない。

 

軽井沢風越学園は、子どもも大人も「つくる」経験を、じっくり、ゆったり、たっぷり、まざって積み重ねていきます。
本気で手間をかけて「つくる」ことに没頭し、ときには不安や不安定さを味わいながら「つくる」ことに挑戦していきます。
私たちは子どもこそがつくり手であることを信じています。
ここでいう「つくる」は物理的なものや学習の成果物だけにとどまりません。安全・安心な場を自分たちでつくる、学びをつくる、自分たちの学校をつくる、コミュニティをつくる、仕組みをつくる、ルールをつくる、自分をつくる。つまり、「わたし(たち)の未来をわたし(たち)でつくる」冒険をするのです。
子どもたち、スタッフ、保護者、地域の方々など、軽井沢風越学園では誰もがつくり手です。
「つくる」ことを通じて、「自由に生きる」ということと「自由を相互に承認する」ということを繰り返し試していきます。そうすることで、1人ひとりが幸せになり、幸せな社会をつくっていくのです。

これはなにも軽井沢風越学園だけのことではなく、多くの学校で大切にしてみてはどうだろうかとぼくは思う。
よりよい学校は自分たちでつくっていくもの。つくっていくためのコントローラーはぼくたちの手元にある。「よりよい学校とはどのような学校か」を探究し続け、自分たちでつくっていく。そのプロセスで「自分が行動すれば自分を取り囲む環境は変わるのだ」と実感する。その経験は、ひいては社会に対する効力感につながり、主体的に社会をつくっていく市民になっていく。つまり子どもも大人も共に「なっていく」プロセスの只中にいるということだ。
学校が変わっていける鍵はここにあると思う。

 

とはいえどこから始めたらいいんだ・・・と日々の営みの中にいるととっかかりを見つけにくいかもしれない。小さくて手元からできることもある。明日からできることもある。その具体的な小さな第一歩はどこだろうか。まずは自分たちの学習環境を自分たちでつくる、からスタートしてみてはどうだろうか。急ぎたくなる今だからこそ、ゆっくり共につくることから始めたい。


学習環境をとらえなおす

日本の学校建築の多くは、同じ形の教室が廊下に沿って一直線に並んでいる、いわゆる片廊下型校舎である。そのような教室の形式は「他に対して閉鎖的であり、この中では1人の教師によってクラスメンバー全員が「一斉進度学習」によって主導されることが学校教育の基調となる」といわれるように、現在の一般的な教室環境が、教師主導の一斉授業を強化してしまっているとも考えられる。
全国的には、70年代からオープンプラン・スクールをはじめとした子どもたちの学びやすさに焦点を当てた学校建築は増えたが、先進的な学習環境も当事者にとって「与えられた環境」になってしまい十分に機能していない所が多いときく。渡辺(2017)は、

「その空間に込められた思想を教師たちが活かそうとしなければ、新たな学校建築上の試みは役に立たなかったり、かえって「他と違っていて不便な施設」と認識される可能性がある。実際、教室の横に配置された、子どもが数名中に入ってくつろいだりできることを意図された「アルコーブ」と呼ばれる小さな空間が、教師たちに単なる物置として使われ、子どもが寄りつかなくなってしまっているといった例が、学校建築の「先進校」とされる学校においてさえ見られることもある。設備があっても、教師たちにその空間を活かそうとする構えがなければ、その設備は活かされない。」

と指摘しているが、残念ながら、ハードとしての学校建築を変えたからといって、ただちに子どもたちの学びに変化が起きるわけではない。大切なことは、空間の意味と価値を踏まえ実践を変えていこうとする意識や継続的な取り組みだ。ただ学校建築を一から検討できるチャンスはそうあるものではない。でもそこで諦める必要もない。
澤本(1996)が、

教室といえばようかん型の校舎に同じ長方形の教室が長廊下の片側に並ぶ現行方式しか思い浮かべられない教師は、その枠の中でしか授業を考えれない。木陰の読書、屋上での合唱や詩の暗唱、廊下に机を出したひとり学び、廊下コーナーのパソコンコーナーやミニ美術館等々、頭を切りかえれば、いろいろなアイデアがわいてくる」

というように、従来の学校建築の枠中でもその空間の活用の仕方次第で様々な可能性が広がっていくはずだ。


教室リフォームプロジェクト

見方・考え方を変えれば、実は一般的な教室にも多くの利点がある。自由に移動できる机と椅子、余計な壁や柱がないすっきりした部屋……見方を変えれば、自由度の高いフレキシブルな学習空間と見ることもできる。
 
ぼくが小学校で担任をしていたころ「教室リフォームプロジェクト」を行ってきた。
学習の当事者である子どもたちが主体的に参画して、「どうすれば居心地のよい空間になるか」「どうすれば学びやすい環境になるか」のアイデアを出し合い、協働で教室環境をつくっていくのである。先に澤本が指摘していることを学習者と共に試行錯誤する営みだ。

このプロジェクトで重要なのは、
①学習者自身が「こうしたい」というアイデアを出すこと。大人である「わたし」も共に考えること。
②子どもたちが実際に空間をデザインしてみること、
③まずプロトタイプ(試作品)を試し、不都合があれば改善を図ること。

この3点を大切にしながら、継続的に実践を重ねることによって、子どもたちは学びやすさや居心地のよさに敏感になり、「毎日過ごす教室の環境を、自分たちの手でつくり続けたい」というオーナーシップ(物事を自分事と捉え、主体的に取り組む姿勢)が育まれていく。子どもこそがつくり手であることを実感する時間だ。

 

教室だって変えられる。

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学習環境を教師が準備して「あげる」のではなく、学びの主体であり教室のオーナーである子どもたちと一緒につくる。
机をアイランド(グループ)に固定することで、協同的な学びをクラスの中心とする。座り方ひとつで学び方が変わっていく。私は30歳の時に、アイランドで固定することで、自身の授業スタイルを変える縛りとなった。
共同を促しやすいので、異学年合同の学び、自律した個の学びに合った環境といえる。

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例えば畳を置いて図書コーナーを作る。畳は人が集う場を促す。本を読んだり、少人数で話し合ったり。教室を学習コーナーにわけることで、様々な学び方が同時に起きやすくなる。
キャンプ用の椅子は「クールダウンチェア」。感情が揺れた時はここに座ってクールダウンする。誰が使っても良い。ぬいぐるみを抱きながら座っている人は、みんなで気にしつつそっと見守る、をお互いが居心地良く過ごすためのマナーにしていた。

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子どもたちが自分たちで試行錯誤することが大事である。図書・畳コーナーを窓際に寄せてみたこともあった。手が届くところに本があると、読書をする子は飛躍的に増える。この経験が風越でのライブラリーセンターの校舎につながっている。

kazakoshi.ed.jpぼくの中では地続きでこうなることは必然だった。

 

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人が集うベンチを置いたことも。子どもたちと一緒にベンチを作り、朝の会や帰りの会、授業で全員で集まって話す際のコーナーとして活用した。集まる場所をつくると人は集まる。畳コーナーも同様だ。風越の各ホームベース(荷物を置いたりミーティングをしたりする小さな部屋)にもベンチは置かれているし、2階のROOM(汎用教室)には畳の小上がりがある。そこにいる子を見るとちょっと嬉しくなる。

2020年6月 校舎紹介 on Vimeo (4分01秒あたり)

 

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 こんな小さな工夫も大切。環境をより良くすることは自分たちの手元にあることを実感できる。
 子どもたちの現状に応じて、やりたいこと、やれるところから小さく出発していくことが大切だ。
「やってあげる」から「自分でやってみる」へ。
教師が手を尽くすことで、子どもの主体性を奪っているかもしれないことに自覚的になりたい。

 

この教室リフォームプロジェクトは、教室という手元からスタートできる。

この学校版が「風越づくり」だ。

kazakoshi.ed.jp

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「だれもがつくり手である」という大切にしたいことが根底にあれば、それぞれの現場でそれぞれのサイズでできることがある。

風越の校舎、手前味噌ながら考え抜いてつくった。今のところ校舎という環境が生み出すことがプラスに働いているようにぼくには見えているが、それはあっという間に日常になり、先に渡辺が指摘していたことも起きかねないし、その兆候がみえなくもない。例えば7月に入って校舎内が散らかりはじめたが、それが当たり前になっていたり、気づいている大人が声を上げていなかったり、みたいなことが大人でも起き始めている。常に大切にしたいことに戻る。言葉では簡単だが日常にするのは大変だ。 

 

共同修正

教室リフォームプロジェクトにおいて身につけてほしいものは、ハウツーではなく考え方である。現状の空間をどうリデザインするかを、すべての当事者がともに考え試してみる。教室いう小さな空間の改善から目覚めたオーナーシップは、やがてその他の環境、ひいては社会への当事者性と、自らの行動による改善可能性への確信へとつながっていくのではないだろうか。

それは、OECDが「OECD education 2030」の中で、これからの教育で重要なのはエージェンシー(社会参画を通じて人々や物事,環境がより良いものとなるように影響を与えるという責任感を持っていく姿勢・態度)だと言っているが、それは手元で子どもと共に学習環境を試行錯誤する、こんな一歩から地続きだとぼくは信じている。

 

教室環境をどうしたら子どもたちは使いやすいか、学びやすいかなあと考える時、エンドユーザーである子どもたちに、「ねえ、どうすると使いやすくなる?」と相談して一緒に教室環境をつくっていく。意見が割れたら、「じゃあ、1週間ずつ試してみて、よかった方でいこう。」と一緒に実践研究する。教室環境を「共同修正」する。

共同修正=そのコミュニティのメンバーでよりよくし続けるプロセス。

学校のあらゆることで、子どもたちと共同でよりよくしていく。本気で子どもや大人がが参画する場をつくる。「共同修正」を学級の、学校の核に据えると腹を決める。それが民主主義の第一歩ではないかと思う。

 

例えば自立した個の学びのための学習計画表や学習進度、振り返りを記入するワークシートも、「試しにこんな形式にしてみたんだけど、使ってみていろいろ意見ください」と問う。使っている本人ならではの建設的な修正案がたくさんもらえるはずだ。このようにワークシートも「共同修正」すると、圧倒的によくなっていくし、なにより子どもたちが消費者から「つくり手」に変化していく。 

極端なことを言えば、研究授業においても、子どもたちに授業案を示して、「どう思う?」と相談したっていい。「導入はもう少し時間とった方がいいんじゃない?ペアでの対話で3分は短い。1人しか話せない。」
「振り返りはノートよりジャーナルの方が書きやすい」
「全体での対話は、10分じゃ足りないよ」
「ホワイトボードに話し合いのテーマ書いて出しておけば?」
「途中、見に来ている人にに『〜って私は思うんですけど、どう思いますか?』って聞いてみよう」
「そもそも、課題が簡単すぎるんじゃない?」
「参観者が見やすいように、教室のレイアウト変えた方が良いかも」

ぼくが担任していた子たちは教員の指導案検討さながらの真剣さで授業案を共同修正した。 

 

人には力がある。

その力は普段は見えにくかもしれない。大人も子どももそう見えないかもしれない。

しかし「つくり手」になったときに、力みたいなものがぶわっと湧き出てきて、呼応し合うんだよなと思う。

 

  

《引用・参考文献》
①上野淳『学校建築ルネサンス』鹿島出版会、2008年。

②田中耕治他 『教育方法と授業の計画 (教職教養講座)』協同出版 2017年
③澤本和子『学びをひらくレトリック』金子書房、1996年。
④岩瀬直樹ほか『子どもとつくる教室リフォーム』学陽書房、2017年。

⑤岩瀬直樹・吉田新一郎『シンプルな方法で学校は変わる 自分たちに合ったやり方を見つけて学校に変化を起こそう 』みくに出版