小学校の教員を22年やった。いろんなことはあったけど、ぼくにとっては学校はいつも楽しかった。
子どもとつくる日々はおもろい。「〜したい」という好奇心にあふれた人々が集まり、いっしょにつくる場所がおもろくないわけがない。そうなっていないとしたら、それを阻害する特別な力が働いていると考えた方がよい。
もちろん学校には残念なことが山のようにある。話題のブラックの校則もそう。問題だらけであることは重々承知。とはいえ「だから学校はダメなんだ」は飛躍している。「学校教育はダメだ!悪だ!」とばかりに学校を悪の象徴にしても何も生まれない。
公立の学校で可能性を奪われていく子のために、オルタナティブな場をつくる。放課後や休日の活動の場をつくる。それで救われてい人はたくさんいる。そこには素晴らしい人々がコミットしてくれていて素晴らしい活動が広がっている。だからこそぼくは違うアプローチをしたい。せっかくたくさんの子が来る学校時代を「おもろい場所に」。そう思うのだ。だってほとんどの子がくるのだから。
学校を「変わらないどうしようもない場所」と置くのではなく、「学校自体がおもろくなったらいいのじゃないか」、そう思って学校づくりに関わっている。
その可能性にかけられる根っこには、ぼくの教員経験がある。教員になって2校目のT小学校。破天荒な学校だった。学校のお祭りは地域の保護者が食べ物の出店をだしてくれ、駄菓子のお店もある。子どもも思い思いにお店を主店。特設の舞台では出演したい人が自由に演じる。そんなお祭りが日常の行事だった。
6年生は学校でお泊まり会。校庭で小グループごとの「食べ物屋」を出し、そのイベント限定の通貨でお買い物。保護者も当然お店を出す。わるい大人はその横で夜の会のために三浦直送の巨大マグロの釜焼きをじんわり焼く。夜はキャンプファイヤー。終わると全校を使った肝試し。放送室からはこわい音楽。
大人も子供もキャーキャー喜んだあとは、教室で就寝。「日本の夜明けを見るんじゃ」と徹夜しようとする人たちも頼もしい。「大人にあまり迷惑かけるなよ」と言葉をかけて放っておき、大人は音楽室でマグロの釜焼きを摘みながら飲み会。楽しかったなあ。「地域の子を育てよう」と熱く語りながら。おおらかな時代だった。おおらかは大事。おおらかでないとよいものは育っていかない。
運動会は地域と共催。ほとんど練習もなく出たい競技にでる。徒競走に出るだけで参加賞がもらえるので、出たくなかった人もうっかり参加する。お祭りだった。
教員も仲良かった。職員旅行でオーストラリアに行ってた。5、6年の先生で沖縄に行ったり。「いい職員室をつくれないやつにいいクラスは作れない」と言ったSさんが中心でつくった職員室。放課後の教育談義は日常茶飯事だった。
飛び跳ねていた若者であったぼくにも「岩瀬さん面白いことやってるねー!」なんて言ってくれる職場だった。ぼくは少しずつ、一緒につくること、シェアすることの喜びを知った。
学級通信を全ての先生に配り合う文化だった。「低い公平性」ではなく、よいものを学び合う「高い公平性」を目指していた。
Sさんは本気で「学校は変わる」と確信していた。ぼくはそのバトンを受け取った。
「学校は変わる」。強烈な原体験がぼくを支えている。学校を諦めたら子どもに失礼じゃないか。どんな環境にいる人も来る学校。そこをおもろくしたい。好奇心に満ち溢れたひとが集まる場所なんだから、なんとかなるはず。大人はそこに知恵を絞ろう。大人こそ面白がろう。学校を責めても何も変わらんよ。
学校以外のところで子どもを救う活動、子どもの可能性を広げる活動はたくさんある。その数はどんどん増え、その質はどんどん上がっている。次は学校の番だ。
22年のサンプル数1の実践だけれど、その可能性を実感できた。ぼくが「おれがなんとかしなくちゃ」を手放すたびに、子どもたちはその先に軽々と進んでいった。変わるべきは大人だ。そう思えば問題は手元に引き寄せられる。子どもはいつの時代も、思う存分力を発揮できる場を待っている。
繰り返しになるけれど、ほとんどの子が来る公立の学校。その可能性を諦めるアプローチではなく、その変化可能性を追求したい。ぼくはぼくでできるアプローチを。その道は簡単じゃないけれど、これまで出会ってきた子どもを思い浮かべるたびに「それってなんとでもなるじゃん」って思うのだ。一緒につくればいい。子どもを侮っていてはいけない。
「常識を疑えば学校はもっとおもろしろくなる」。これはぼくが10年前に『食農教育』で初めて連載したときのタイトル。今もそう思う。自分が経験したこと学校でそれは変わらない、という思い込みを手放そう。「幸せな子ども時代を過ごせる学校って?」から再設計しよう。
自分にできることをあと10年あれこれやってみます。そんな簡単じゃないこともよくよくわかってます。夢を見ているわけではない。日々現場で疲弊している方々がいるのは、現場にいたぼくはよくよくわかっているつもり(その感覚は鈍ってきている自覚もあるけれど)。
でも可能性を手放すのは子どもに失礼だと思う。
大人が「でもなんとかなるんじゃん?」をおもしろがる。本当に子ども時代が大事だとおもうのならば、共にあれこれ試行錯誤したい。
ぼくは、あえてポジティブにその可能性を追求する役割を果たしたい。
2月22日に行われた、日野市立平山小学校の研究発表会。3年間にわたる学校づくりの過程の発表でした。公教育の可能性に満ちた素晴らしい場だったなぁ。