いわせんの仕事部屋

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個別化すればよい、という話ではなさそう。

Facebookにこんな投稿をしたら、いろいろコメントがあったので、もう少しここで書いてみます。下書きなし一本勝負です。

若い方々から、個別化にチャレンジしている、なかなかうまくいかない、という相談もよくメールでいただくので、その応答を兼ねて。

 

 

↓Facebookの書き込み

自由進度の学びやイエナのブロックアワーのような「自分で学習計画を立てて学ぶ学び方」は、ややもすると進むこと、早く終わることがモチベーションの中心になりやすい。

そうなると学びが陳腐化する。そうなっている例がとてもとても多い。AIによる個別最適化も同様。
個別化すればよい、という話ではないんだよね。

教師の力量の底が抜けることにもつながる危険性がある。
どうすればその壁を越えられるか。
いくつか道筋がある。

 

うまくいっていないところに共通していることの仮説は以下の通りです

 

①コンテンツの貧困

なぜ陳腐化しやすいか?それは「やらなければならないことリスト」から学習計画を立てているに過ぎない例が多いからです。それでは宿題をやるのと大差ありません。宿題は、明日までにやらなくてはならないことですが、個別化の学びも、いくら学習計画を立てる自由があったとしても、今週中にやらなくてはならない宿題に過ぎなくなります。それでは「早く終わらせよう」がモチベーションになるのは必至。つまりはコンテンツが貧困で「やらなくてはならないこと」に覆われていると陳腐化するのです。学びに気持ちが向かっていない子ほど、「やりがいのないコンテンツ」に終始させられている例もみられます。これが最も大きな要因ではないでしょうか。

 

 

②その結果「立ち止まらない」

①から「早く進むこと」がモチベーションになってしまうと、「わからなくて立ち止まる」はマイナスなこととして認知してしまいかねません。そうなると、立ち止まり考えること、わからなさのなかで試行錯誤すること、協同で考えて「わかった!」の喜びを感じる機会が少なくなってしまいます。早く進めたいのだから協同も起きにくい。自分にフォーカスします。

またネットコンテンツによってはすぐに解説や補助問題が出るので、立ち止まる間も無く「進む」ことが前提となります。

 

③孤立化

②に関連しますが、

「わからない」が「わかる」に移行する際に、自分の力以外になくなってしまいます。行き詰まってしまったときどうしようもなくなってしまう。その学びの環境は必ずしも安心・安全とはいえません。実践の方法によっては格差の拡大につながります。「個人の責任で個人で進め個人で責任をとるモデル」になりかねません。

 

さて、ではどうするか?

 

『教育の力』にはこんな一節があります。

...いつ何を学ぶかがかなり決められてしまっている学びのあり方は、考えて見ればひどく非効率的なことです。
子どもたちの興味・関心はそれぞれ異なっているし、学ぶスピードも、また自分に合った学び方も、本当は人それぞれ違っているはずだからです。にもかかわらず、いつ何をどのように学ぶのかが一律的に決められてしまうのは、少なくとも子どもたち一人ひとりの学びの観点からすれば、やはり非効率的なことといわなければなりません。
(苫野一徳『教育の力』 講談社 現代新書、2014、73頁)

 

「そうそう!だから一斉授業よりも学びの個別化を!」と、ブロックアワー的なアプローチに一足飛びに行きたくなりますが、個別化を目的化しないことです。

この一節の肝は「子どもたちの興味・関心はそれぞれ異なっているし」のところ。 

学びの個別化がうまくいくかどうかの鍵は、

そこにその子の「〜したい」があるかです。

 

昨日の続きがしたい!

あの探究の続きをしたい!

あの本もっと読みたい!

まだつくっている途中だった!

今日はいま書いている作品の下書きを先生やクラスメイトに読んでもらって修正してもらって、文章に磨きをかけたい!

 

「〜したい」があるからこそ、「その時間を生み出すために時間をどう使おうか」という欲求が生まれる。「今週はこう学ぼう」と計画したくなる。学びに没頭している経験があるからこそ、算数の自由進度においても、立ち止まって考えるおもしろさに留まれる。

日々の学びが充実しているからこそ、たとえ「ねばならない」コンテンツですら豊かに学ぼう、効率的に学ぼう!というモチベーションが生まれてくる。

 

つまり、遠回りなようですが、学びの個別化の質を上げる一番の近道は、「日々の学びの質を上げる」ということです。プロジェクト、総合的な学習の時間、リーディング・ワークショップやライティング・ワークショップ、ワールドオリエンテーション、科学者の時間、なんでもいいのですが、良質な学習者中心の学びのなかで、子どもたちの探究が個別の時間に発揮されていくのです。「やめられない!」「続きをせずにはいられない!」からです。

自律的な学習者に成長していくには、その人にとって自分ごとになった「具体的な何か」が不可欠です。逆を言えば、日々の学びが貧困なのに、個別化の時間が豊かで学びがいのある時間になるなんてことはあまりないということです(わからなくなった学習者を置いていく型の、単線の一斉授業よりはずっとよいですが)

学びへの情熱が、個別の時間に生かされていくのではないか。ですから、個別化の時間、自由進度の時間だけ眺めていても見えてこないことがあるというのがぼくの考えです。

学習者側から考えてみると、

「今日なにするの?」と学習をスタートするのと、

「今日はなにからしよう」あるいは「今日は○○からやろう」とスタートするのでは、大きな違いがあります、その際、自分で学習計画を立てるという、自己選択・自己決定があるからやる気が出る(自律性への欲求)はもちろん、その先の学びへの情熱があって初めて学びの個別化は意味のある時間になるのではないでしょうか。

 

その根っこになるのは「あそび」。

たっぷり自分で決めてあそび、楽しさをじぶんでつくる経験、没頭をじぶんでつくる経験の積み重ねこそが、「学びの個別化」の土台になります。学びのコントローラーを自分で操作する、というのは自分のコントローラーを自分で操作するということ。その原体験は「〜したい」から出発する日々のあそびです。ですから軽井沢風越学園では「あそび」を大切に大切にします。

 

話が脇道にそれました。

 

もう一つの道筋は、ゆるやかな協同文化をそのコミュニティ(学校や学級)に育んでいくということ。小学校の教員はこのアプローチの方がなじみがあるでしょう。関係性が良好だから学び合い、助け合う。だから孤立化が起きにくい。

中高の先生にはなじみの少ないアプローチですし、その場づくりの専門性を低くみる人にもよく出会いますが、ものすごく大事ですよ。それがないところに専門性の刀を振り回しても、その専門的な知識は宙を舞うだけです。

 

でも、例えば自由進度の学びの「コンテンツ」自体も大事。

それ自体が「やりがいのあるものか」「没頭してしまうものか」どうかは大きい。

NHK「プロフェッショナル」に出ていたイモニイは、まさにそうですね。なんか顔が似ているとよく言われます。大阪にいる妹からもお兄ちゃんそっくりとラインがきました。

いま、ここで輝く。 ~超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室

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  • 作者:おおたとしまさ
  • 出版社/メーカー: エッセンシャル出版社
  • 発売日: 2019/05/14
  • メディア: 単行本
 

 

さて、では今回書いた道筋。どれがいいんでしょう?そう問うてしまうのは、「問い方のマジック」。

どれも大事だと思います。

 

「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」はこれからの教育を具体的に変えていく道筋です。

つまりは、「融合」が大事で、どれかひとつじゃないんだということです。

融合して初めて子どもにとって意味のあるものになります。

 軽井沢風越学園のカリキュラムづくりも大詰め。さあがんばろう。