首と右肩が痛くて、動けなくなった。毎日の長距離運転がたたったか。
鍼灸に行き、今日は仕事を断念し、安静の1日。
そうなると、一昨日の首も右肩も痛くなかった時が懐かしい。
あのころは幸せだった。そのときは少しも思わなかったけど、よくやってたよ首と右肩。
ぼくの両親は15年以上前に他界している。
いないことにはもう慣れたけれど、話したいな、とか近況を報告したいなと無性に感じる時がある。
そういうときにいないことを再確認する。
もし生きていたら、そんな風に思っただろうか。
高校時代、三重の田舎に住んでいたぼくは片道16キロを自転車で通っていた。
8キロ地点くらいで、猛烈な腹痛におそわれ、進むも地獄戻るも地獄みたいなことが時々あった。
冷や汗が止まらない。今のようにそこかしこにコンビニがない時代。朝からトイレなんて見当たらない。
「ああお腹が痛くないときはなんて幸せだったんだろう。なぜオレはその幸せを噛みしめていなかったんだろう」
と高校生のぼくはよく悔やんだ。
なんでもないときって、そのよさはわからない。
公務員を辞めてから、公務員っていかに恵まれていたかを知った。
中にいるとわからないけど、びっくりするぐらい手厚く守られているんですよ。
手元にあるときにはわからない。なくなってからわかることって、その前にはわからないからどう触っていたらよいかわからない。もっともっと丁寧に触っておいたらよかった、と思わないようにしたいのに。
なんでもないことの幸せ。
そんなこと考えながらぼーっとしてます。
写真は氷川神社に初詣行った時のおみくじ。
誘われて、あーめんどくさいなーとごねたりしたけど、取り立てて楽しくもなかったけど、過ぎてみるとそのなんでもない時間が幸せだったりするんだよね。
おみくじは吉だったけど。