ぼくは教員になってから、いい先輩に恵まれた。
なんといってもSさん。本当によく叱られた。
でも愛があった。こわかったけと。喧嘩もよくした。
当時ぼくは、Sさんがみている世界が見えていなかった。自分の見えている世界だけでいきがっていた。
自分の見えている世界が全てと思っているところで、視座が上がると違う世界が見えるんだよ、と教えてくれた。解ったのはずいぶん先だが、諦めずにずっと説いてくれた。
研究主任になったときには、先輩のkさんにしこたま怒られた。
KさんはSさんのお弟子さん。
視座が高い人には、ぼくのように視座が低いのに全てが見えているように行動している人は目に余ったんだろうな。
Kさんもまた、諦めずにずっと説いてくれた。
ぼくもずいぶん歳をとり、50歳の足音がもうすぐそこに。ひえー。
ようやくSさんやKさんのみていた視座はこの辺だったのかーと、おぼろげながらわかってきた。
なのに、そうなるとずっと自分は見えていたような気になってしまって、コミュニケーションが雑になってしまう。
今こそきくこと、なのにね。
お互いの見えている世界が違うということ。
違うからこそ、新たな可能性が開けるにちがいないということ。
だからきくこと。
視座が上がると見える世界が広がるって思っていたけど、それで見えなくなることってたくさんあるんだな。
「見える」ようになって見えなくなること。
最近はそんなことばかりに直面している。
視点と視野と視座はこちら。iwasen.hatenablog.com