いわせんの仕事部屋

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教員として30歳になるまでに。

教員になって30歳になるまでの8年間(人による)をどう過ごすかは本当に大事だと思う(サンプル数1)。
ぼくは、これまでの本に書いてきたことでもあるけれど、戦後の民間教育運動の残り香の中 の中で過ごした。


学生時代に野外教育と総合学習に出会い、伊那小に何度も何度も通った。高島小、奈良女、神戸大附属明石、緒川小、いいものにたくさんふれ、たくさんの実践記録、ビデオを見る機会に恵まれた。キャンプリーダーをやり、環境教育に出会い、野外教育に没頭した。
教員になって「クラスで牛を飼えない!」ことに気づき、気がつくと手元に何もなく。クラスがガチャガチャになり、救いを求めて毎週のように通った。
法則化にも手を出し「何!本当にこの指示で子どもがゴミをたくさん拾うぞ!うひひ」と悦に入ったりしていた。


なんか違うと思いつつ、偶然紀伊國屋書店で出会ったのが『たのしい授業』という一風変わった小さな雑誌。仮説実験授業だった。雑誌にあったサークル紹介を頼りに3つのサークルに押しかけ、毎回資料を持って行って学ぶこと5年(月3回ペースで資料を持って行っていた)。


この5年で、先人や先行実践から学ぶこと、先輩から学ぶこと、本を読むこと、子どもにきくこと、実践記録を書くこと、をたっぷり体験的に学んだ。
全20時間の授業を全てカセットテープ(時代・・・)にとり、全部テープ起こしをして「授業通信」として子どもに配り、サークルにも持っていった。とにかく記録を全て取ること、それをそのまま共有してまな板の鯉になることを学んだ。
仮説実験授業からは死ぬほど学んだああと、緩やかに離れたけれど、この経験は自分の核になっている。


初任の時、今は亡き大阪よみかたの会の山本正次さんに国語の相談をしているときに、「岩瀬さんなりの読み方のプランをつくればいいんですよ。楽しみにしていますよ」と懇親会で言われたことが、RW、WWに向かっていくときの原点になった。本当は答えが欲しくて聞いた。なのにその答えだったところがありがたい。
その価値は35を過ぎてから実感できた。


山本さん、ぼくなりに実践して発信してみました。ぜひフィードバックいただきたかった。
水道方式、徳島の新居信正さんに「上を向いて歩くのは坂本九だけでいい。我々は子どもに向かって歩くのだ」と言われて痺れた体験。今もなお自分の芯になっている。
新居さん、風越で新たなチャレンジをします。見たら小言をたくさん言われそう。
板倉聖宣さんに「蓄積に学びなさい」と言われた。本当そう。自分がやりたいことなんて、大抵先人がやっている。どこまでぼくは学べただろうか。


自信満々に実践を持っていくと、
「で、一人ひとりの子どもはそれにどう言ってるの?」と仮説実験授業の実践家、田辺守男さんに突っ込まれた。盛った実践はすぐバレた。
「鹿の角折」を何度も何度もやられた。
幸せだったな。


そういえば教員初期は園田雅春実践にも大きな影響を受けた。明治図書、いい実践本出していたよなー。畳とかは彼の影響。


仮説実験授業から離れた後は、フレネ教育、木幡寛、斉藤孝、工藤順一との「BASIC」というサークルでこれまためちゃめちゃ鍛えられた。とにかく勉強し実践するを繰り返すしかなかった。
ぼくは、戦後の民間教育に鍛えられた最後の世代かもしれない。
何度も何度も、自分の角を折られる体験をした。
斉藤孝はその後、『声に出して読みたい日本語』がヒットした。
その後吉田新一郎に出会い世界がかわる。2人だけのメーリングリストは1000を超え、死ぬほど実践記録を書き、一緒に出版するようになった。


今思えば幸せだった。当時は辛かったけれど。先人に今もなおたどり着けていないなあと途方にくれる。でも追いかけたい背中があることは幸せなことだ。
今の民間の学びの場やSNSを中心とした教師の学びに、めちゃめちゃ危機を覚えるのは、すっかり自分がおじさんになったということなんだよな。
鍛えられるが死語になった。受け入れられるコミュニティを探し、なければ作る時代になった。ググれば出会える、Twitterやインスタに流れてくる。その質は問われない。
短くつぶやくその実践が、その言葉が、なんだか「優れた実践家」に見えるようになってきた。


その中でも自分を鍛えようとしている人たちがいる。
それにぼくらは応えられていない。
まずは死ぬほど先人に学ぶといいよと思うわけだ。
修行なくして先に行けないと思うわけだ。
対話すればオールOK、振り返ればオールOK、発信すればオールOK、ということはない。


教職大学院に来るというのは、ある意味、「鍛えられる」を実感できる、先人に学ぶということを体感できる場でああった。論文読むとか当たり前になるしね。とはいえ、現場との乖離は激しいし、授業や教員による質のばらつきは正直半端ない。それでもって僕としては、新しい学校づくりに全力を注ぎつつ、校長ビギナーを満喫しつつ。引き続き教師教育に関心を持ちつつ、小学校現場→大学教員→幼稚園・義務教育学校の校長、園長と、なんとも素敵な順番で経験していることを、どう還元していこうかと思ったり思わなかったり、ラジバンダリ。
もう50だしなと思いつつ、

 

とはいえもっとあたらしい世界も見たいし。
まだまだ先の世界はありそうだし。昨日また面白いこと着想しちゃったし。
遺言のつもりで書いたけど、やっぱりもっと進もう。

というわけでブログ復活。