人が学んだり育ったりする場ってどんな場所なんだろう。
今日は、軽井沢風越学園設立準備財団の放課後の学び場「風越こらぼ」の隅っこでお仕事。ライティング・ワークショップをやっている人、フェルトで筆箱をつくっている人、木工をやっている人、ドールハウスを作っている人等々、それぞれ忙しそう。
そんな「〜たい!」の熱を背中で感じながら仕事するのは心地いい。ぼくがパソコンを打っているのも誰も気にしない。
この本のこんな一節を思い出す。
あなたの地域で子どもたちが集まってきて(もちろん、大人も可!)、遊び、探究し、新しい友達をつくり、学べるようなコミュニティー・センターを想像してみてください。そこには、コンピューター、芸術をする道具、スポーツをする道具、科学をするための道具などが、遊ぶために用意されています。同じところには公共図書館も併設されています。地元の人がたくさんのクラスの教師をして講座を開いています。音楽、芸術、スポーツ、数学、外国語、料理、ビジネス、小切手帳の収支の合わせ方や、他に地域の人が勉強したり、練習したりするのが面白い、楽しい、大切だと思うものは何でもです。そこには、講座を取るための要件も、成績も、人のランク付けも比較もありません。地域の劇団や音楽グループがそこで発表もします。自分たちの興味関心に合わせて、すべての年齢の人が新しいグループを起こすことができます。そこには、室内で遊べるように体育館もあります。可能なら、外で遊んだり探索したりできるように野外の運動スペースや林まであればいうことありません。子どもたちもセンターにやってきます。来なければならないからではなくて、友だちがそこにいて、たくさんやることがそこにあるからです。日中働かなければならないので、保育サービスが必要な親にとっては、センターがそれを提供しているかもしれません。そこに集っている年長の子どもたちの楽しみと実益を兼ねて、年少の子たちのケアを手伝える仕組みがあれば、誰にとってもいいこと尽くめです。
人が育っていく場ってどんな場なんだろう。
「学校」という枠組みを外して考えたとき,どんな場が立ちあがってくるんだろうか。
あ、子どもに「宝石探しに行こう!」と誘われたので,ちょっと外に行ってきます。
真っ暗だけど・・・・・
これは、顕微鏡が必要になるな−。いろんな岩石の特徴に進むかもなー。
とはいえ、欲張ると本人の探究にならないし。
今日も協同探究者の修行は続く。
もうすぐ第2期はじまりまーす。