よい学びは、大人も子どもも変わらない。
「質の高い学び」は大人も子どもも変わらない。
これはぼくの根本となる原理だ。
大人にとって「これは価値ある学びだ」「これはいい学び方だ!」と思えることは、
子どもにとっても当然そうで、
子どもにとって「これは価値ある学びだ」「これはいい学び方だ!」と思えることは、
大人にとっても当然そう。
だから、子どもだから無理とか、「子ども用のやり方」とか、
やっぱりどこか間違えているんだと思う。
「会社の偉い人で、『若手を鍛える』という人がいますよね。
でもね、それは会社でやる前に家でできることなのかどうか、って思うんですよ。
パートナーにできないことは、会社でやっちゃいけません。」ライフネット生命CEO、出口治明さんの言葉。(アエラ1487号より)
ボクはこの感覚が好きだし、共感する。
自分と同じようなことを言っている人を見つけて、なんだかうれしい。
ぼくは学校や教室も同じだと思うわけです。
だから、例えば必要以上に大きな声の挨拶ってぼくはしない。
朝の挨拶も極端なことを言えば、
「おはよー!」でも、
「風邪なおった?」でも、
「おっす!」でも、
「今日寒いネー」でもOKだ。
それは関係性の上に立ち上がってくることだからだ。
大人がやれていないことを、子どもに強要するのも本当に変なことだ。
「教育とは」を論じる前に、ぼくら大人がどうしているか、その矢印を自分に向けたい。
それなくして、教育も道徳もヘチマもないと思う。
写真は、以前の職場で放課後行われていた「まじめな雑談の時間」の写真。
お菓子とお茶をいただきながら、授業のことを対話してました。
こういう豊かな学びの時間は大人にも子どもにもあるといいよなあ。