今日の大学院の授業での小講義(ミニレッスン)で話そうと思っていたこと(≠話したこと)を転記しておきます。
教員が学校内で学び、成長する機会をどうデザインするか、ということは重要なテーマです。校内研究がその大きな役割を果たす「はず」なのですが、「校内研究」『校内研修」と聞くだけで「ああ…」とため息が出る人も多いはず(若い頃のぼく)。
木原(2010)は、校内研修には企画・運営に関わる 5つの問題点があると指摘しています。
1.機会が限定されている
2.個々の教師の問題意識を反映させがたい
3.型はめに陥りやすい
4.閉鎖性・保守性が強い
5.適切なリーダーシップが発揮されない
ひとつひとつの項目をみると、思い当たることも多いのではないでしょうか。研究の成果を「型」の創出に求める考え方が強く、また「仮説検証型」という名の、最初から落としどころが決まっているものもよく見受けられます。
(「子どもの主体性が発揮される授業が展開されれば学習意欲は高まるだろう」的な・・・そりゃそうでしょ的な・・・・ほんと多い。)
また、日本の主に公立校における校内研究は、その「内容」、つまりどの教科領域を対象にするか、どのような授業を目指すかなどに終始してしまいがちでした。
体育の得意な方が校長になると「校内研究は体育でいくぞ!」というわけです……
その一方、研究組織はどのように組織すべきか、研究はどう進めていくのがよいのか等、組織の形態やプロセスのデザインへの意識は弱かったといえるでしょう。
今津(2001)は、学校研究における「組織の形態」への意識の弱さを指摘した上で、
日本では教師相互の関係性が緊密であることが前提とされていたために、「形態」へと研究関心が向かわなかったせいであろうと述べています。
かつての学校では、同僚性がある程度機能していたので、若手教師は学校文化に参入することで同僚との関係性の中で学ぶことができていたと言えそうです。ぼくの若い頃はギリギリそうだったなあ。教育実習の時は職員室でお酒を飲むがまだ許されていた時代。
しかし、年齢構成の変化、多忙化の中で、その同僚性も機能しにくくなってきています。 また今津は、今までの日本の一般的な教師集団を「共同文化」すなわち、同質同調性が原則であり、個々の自己主張や競争よりも、組織メンバー全員の強調や同調を重視してきたといいます。つまり、まずはじめに「共同」ありきで画一性へと拘束し、各教師の個性や自律性の優先順位が低かったということです。この文化が木原の指摘している問題点とつながっていそうです。
教師が勤務時間内に学び合う時間はほとんど取れていないのが現状です。その限られた時間を従来の授業研究だけでは、とってももったいない!、とぼくは思います。「研究授業」という言葉を聞くだけで「ああ…」と気持ちが沈む人が少なからずいる現状。研究授業や授業研究自体が悪いのではなく、そこへ至るプロセス設計のミス、組織における学びの場としてのデザインの失敗があるとぼくは考えています。
ではこれからの校内研究はどこへ向かっていけばいいのでしょうか?
一つのアイデアとして、内容ではなく形態に焦点を当てる、つまり学校に「協働文化」を構築するための時間にするのはどうでしょうか。
今津によれば、協働文化とは、
「各教師のユニークなアイディアや実践を尊重しつつも、相互の連携を深めて、各教師が成長発達して学校全体の教育実践の質を高め、生徒の学習を促進させる文化」であり、教師一人ひとりを尊重した相互連携を目指すべきだと主張しています。そうすると子どもたちや教師の利益となり、さらにその学校が持つ組織文化が専門的に高められるだろうというわけです。
学校に協働文化を創出しようという試み、教師を同質同調性から解き放ち、自律した専門家への道を歩むための素地を組織的につくっていく。その上で相互に連携し個人も組織も高まっていく、そしてそれが子どもの利益となる。そのような協働文化が生まれれば、教師同士は互いにサポートしあい、同僚同士で学び合い、教え合う活動が生まれやすくなるのではないでしょうか。
そう考えると、端的には、対話型組織開発に向かっていくべきと考えます。
- 作者: ジャルヴァース・R・ブッシュ,ロバート・J・マーシャク,エドガー・H・シャイン,中村和彦
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2018/07/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (2件) を見る
職員室のチームビルディング、様々な対話をベースとした組織開発の手法(アプリシエイティブ・インクワイアリー、OST、フューチャーサーチ、ワールドカフェ等)などいろんなアプローチがありそうです。
対話型模擬授業検討会も、学校の中に対話の文化の構築という側面もあります。
そもそもぼくが2002年頃からワークショップやファシリテーションに関心を持ち始めたのは上記のような問題関心でした。
形態(組織デザイン)が変わってくれば、研究授業も価値ある学びの場として再機能してくるかもしれません。もちろん研究授業のあり方の変革から組織自体を変えていくというアプローチもあります。これは対立関係ではなく、両方あり、です。
とはいえ「校内研修」、「学校研究」という言葉に囚われてしまって、限られまくっている学校関係者全員が関われる貴重な時間を、慣習的に「研究授業」にしてしまうことで、今学校がしなくてはいけないこと、したほうがいいこと、したいことが見えなくなってきているんじゃないかなあと思ったりするわけです。
少なくとも「えー・・・研究授業だれやる?・・」という時点で、その組織は、その前にやるべきことがあるはずです。研究授業アプローチを一度手放してみるといいと思うなあ。
参考・引用文献
・木原俊行「教師の職能成長と校内研修」北神正行、木原俊行、佐野享子『学校改善と校内研修の設計(講座現代学校教育の高度化第 24巻)』2010,学文社
・今津孝次郎 「学校の協働文化」 『変動社会の中の教育・知識・権力」藤田英典、清水宏吉編 新曜社 2001