いわせんの仕事部屋

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子どもからの痛烈なフィードバック

今から8年前。ボクが36歳の時。学級の子どもたちに「岩瀬の改善点」をフィードバックしてもらったことがあります。その時の痛烈なフィードバック。

 

・全員を見るってことかな。静かな人も、楽しい人も、悩んでる人も、うるさい人も、みんな平等に。たぶんまだ先生の力が必要な人がいると思うから。

これ、いちばんこたえました。ボクは公平に関われていなかったのだということを突きつけられた。このフィードバックがなければ、ボクの教師としての成長はずいぶん遅れていただろうなあと思うし、そもそも成長できていたかなあと不安になります。本当によく言葉にしてくれたなあ。生涯忘れられない言葉。

41歳の時。クラスのYさんに「イワセンってさ、ほんとみんなと仲いいよね」って休み時間の会話の中で言われたときに、ああようやく乗り越えはじめたって思えました。風景まで覚えてます、この瞬間。

 

・顔がいつも笑っていられるようになるとクラスのふんいきがよくなると思う。

真顔が怖い、とよく言われました。素に戻ると表情が怖いと。言われるまで自覚O。

意識しているときは大丈夫なのだけれど。お恥ずかしい話、笑顔になる練習をしました。下記の本を思わず買って、マジメに読んで通勤の車の中で割り箸を加えて口角を鍛えたり。これ、まじめに3ヶ月やりました。おかげで口角に力が入って笑顔でいる状態が自分で意識化できるように。数年後、「イワセンっていつも笑顔だよね-!」って学級の子が言ってくれたとき、ようやくここ乗り越えたなあって思えました。

「頭のいい人」より「感じのいい人」―人から好かれる「笑顔の技術」

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・クラスの一員なんだから、話し合いとかに入った方が上目線じゃなくていいと思うよ。

本当に核心を突くフィードバックをくれるものです。子どもって、大人の本気を見抜いているなあと。任せるといいながら、どこかコントロールしたい「わたし」みたいなのがばれていたんですね。これ、最後まで課題だったなあ。自分も学級の一員であるということ。コミュニティを創る一員であること。

 

・言っていることは正しいけど、だから反論できなくなる。我慢できないときはダメなところをびしっと指摘するだけでいい。

正論ほど人を追いつめるものはない。これは実は我が子に言われたこともあります。反論できずに心臓にぐうーっとくると。ホントダメだなあ・・・・・・・・・・

 

8年経った今、これをクリアできたかと言われると正直心許ない。

ただ1つ確かに言えることは、学習者はシビアにボクらのことを見ているということ。ストレートにフィードバックしてくれた子どもたちに感謝。それがボクを成長させてくれました。その当時は心拍数がハンパなく上がっただろうけれど・・・・経験を積めば積むほど、今までの自分のある部分が否定されることは、西條さんのいう「埋没コスト」になるために難しさが増します。 

チームの力: 構造構成主義による”新”組織論 (ちくま新書)

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でもそれを乗り越えていくことが、ボクらの成長なんだろうな。

手前味噌ながら、このようなストレートなフィードバックをもらえる関係だったことにどこかホッとしています。あまりはっきり覚えていないけれど、「ボクはこのクラスでこうありたい。こんな先生になりたい」と言うことを話していたからこその、その理想とのギャップのフィードバックだったんじゃないかな。とはいえ、ズキンときたし、簡単には超えられなかったのだけれど・・・

自分の姿は自分で見えない。見えてる気になるけれど。だから、見えていないところを映し出す鏡が必要なんですよね。

退職の年まで。子ども達からこんなフィードバックをもらい、そして今もなおがんばっております。