いわせんの仕事部屋

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ピンチはチャンス。

教員の世代交代が急速に進んでいます。

団塊世代の大量定年退職によって、都市部を中心に若い先生がすごい勢いで増えています。横浜市では毎年1000人規模で初任者が増えています。

学校を支えるミドル層(30,40代)が極端に少なく、大量の20代と50代といういびつな年齢構成になっている学校も少なくありません。

今は都市部ですが、これから地方にも同じ波がやってくるでしょう。

 

新任3年で異動した方が、異動先で学年主任+研究主任なんてことも起きています(ボクのかつての同僚)。ひえー!ですよね。

ボクが研究主任や学年主任になったのは、30前半から半ばですから・・・

東京、大阪、横浜等の大都市では既に担任の半分が20代なんていうことも珍しくありません。

 

ミドルリーダーがほとんどいない職員室で、どうやって若手教員を育成していくかは、これからの学校教育の未来を左右する喫緊の課題です。
脇本さんらも書かれていますが、年齢構成の変化、教師の多忙化、子どもとの保護者の変化等、若手教員の育成には負の要素が増えてきています。

教師の学びを科学する: データから見える若手の育成と熟達のモデル

教師の学びを科学する: データから見える若手の育成と熟達のモデル

 

 

ボクがまだ若い頃(遠い目)、職員室内にはまだ学び合う同僚性が残っていました。

職員室では先輩から授業や生徒指導の話を聞く機会も多く、相談によく乗ってもらっていました。よく飲みに連れて行ってもらって、教育談義に花を咲かせたり、いつのまにか夜通し説教されたり。

職員のレクリエーションなんていうものよくありました。放課後バレーしたり、テニスをしたり。幸せな時代だったな、と思います。

戦後の民間教育運動の流れを組む学校外の学習サークルに参加している人も何人か職場にいて、外の学びの場に連れて行ってくれたりもしました。

 

その頃からは考えられないような、多忙を極める学校現場。

かつての同僚性は学校から消えつつあります。

若い先生がすごい勢いで増え、まだまだ自分が学びたい!という数年目の時点で、自分より若い先生と学年を組んで「育てなくてはならない」。

ゆっくり「先生になっていく」時間が保障されていない。

 

これから先生になっていく人にとっては厳しい現状であると言えるでしょう。

これについては、以前のエントリーに書きました。

iwasen.hatenablog.com

 

でもね。

ボクはこれはチャンスだと考えています。

ピンチはチャンスなのです。

 

          *  *  *

 

極端なことをいえば、教員総取っ替え期ともいえます。

若い先生たちが新たな学校モデルを創っていくチャンスだと考えることはできないでしょうか?

その意味でボクは、若い先生、これから先生になっていく方々に期待しています。

 

だからこそ。

学校や教育を「視野の狭いメガネ」でみないでほしい。

そもそも教育って?学校って?

から考えてほしい。

 

学校の先生になったボクたち、これからなろうとしている方々は、

小学校から大学まで、1万時間を超える膨大な時間を学校に「弟子入り」して、

 

学校とはこういうもの

教員とはこういうもの

 

という、体験を通した強烈な学びを積み重ねてきています。

知らず知らずのうちに無意識の信念や価値観になってしまっているかもしれません。

頭では「新たな教育を!」と思っていても、気がつくと無意識の前提の戻ってしまう。

でもそれって、これからの学校を考える時の前提にしてよいものなのでしょうか?

 

 

 

 

ボクの子どもは、小学校の一時期「学校に行きたくない期」がありました。

つまらない、と。

ボクにとっては、自分の仕事のアイデンティティを揺るがされるような出来事でした。

その時考えたんです。

 

「もしこの子がもう学校行かない!と決めて、仮にボクが、『よし、ボクがこの子のために学校を創ろう』と覚悟を決めたら、どんな学校をつくるだろうか」

 

今から10年近く前のことです。

そもそも、から考えるきっかけとなりました。

朝マラソンってする?いやあ、しないなあ。

朝の会って?1日のチェックインの時間はとるけれど、あんな不自然なプログラムにはしないなあ。

授業はどうするだろう?読書は大事にするなあ。国語の教科書1冊を1年間かけてるんじゃ圧倒的に量が少ないものなあ。

もっと本人の「やってみたいこと」からカリキュラムを考えるなあ。

社会との繋がりはどうしよう。魅力的なオモシロイ大人に出会う機会は必要。

一人一人今必要なことは違うから、もっと学習を個別化していく必要があるな。

そもそも、ずっと「教室で学ぶ」は不自然だ。

等々。

 

相当真面目に考えました。

世界にはどんな学校があるんだろう。学生時代、オルタナティブ教育の本をたくさん読んでいましたが、現場に出てからは現実の壁に負けて読む量が減っていました。

子どもの「つまらない」をきっかけに、たくさんの本を再読したり、読んだりしました。

例えば、

 

手仕事を学校へ

手仕事を学校へ

 

 

ニイルと自由な子どもたち―サマーヒルの理論と実際

ニイルと自由な子どもたち―サマーヒルの理論と実際

 

 

自由教育(フリースクール)をとらえ直す―ニイルの学園=サマーヒルの実際から

自由教育(フリースクール)をとらえ直す―ニイルの学園=サマーヒルの実際から

 

 

オランダの個別教育はなぜ成功したのか

オランダの個別教育はなぜ成功したのか

 

 

 ああ、学校や教育には様々な「カタチ」がある。

現状の「当たり前」と思ってはいけないなあ。改めて思ったわけです。

 

だからオルタナティブがいい!とは単純に思っていません。

いろいろな人が集う公立校だからこそ、

「どんな学校だと子どもも大人も幸せになれるんだろう?」

を考えたい。

現状を否定するなんて簡単だけど無責任。

今の学校の良さを引き継ぎつつ、よりよくしてくには?

そう考え、実践をさらに変えていくきっかけとなりました。

 

 

話がそれました。

繰り返しになりますが、今の学校の現状を前提にせず、

教員としてスタートするとき(したばかり)だからこそ、

 

「私たちはどんな学校を目指すのか?それはなぜなのか?」

 

からスタートしてほしいなあと思います。

それは「私たちはどんな社会を目指すのか?」に他なりません。

 

 いつの時代も、社会を変革していくのは若者です。

「近頃の若者は」なんてよく言いますが、そんなことは紀元前からいわれていること。

 常に若者は、新たな感性で社会を変えていくのです。

おぢさんたちに理解されないのなんて当たり前。いや、理解できないのです。

 

 

確かに学校現場は大変。

申し訳ないぐらいに多忙。

朝令暮改で変わっていく仕組みや制度に右往左往。

 

でも。

いつの時代も「現実的な制約」はあります。

現状の中でも、その制約をずらしながら、しなやかに実践できることがあります。

若い人が増えているからこそ、ネットでのコミュニケーションがこれだけ当たり前になった今だからこそ、狭い教員コミュニティを超えて、

 

「教員が育つ新しい仕組み」

 

が考えられるはずですし、現に生まれてきています。

 

とはいえ、

現場に出てしまうと、または現場が近くなるとついつい

「明日役に立つもの」にフォーカスしてしまう。

(それはそれでとても大切なことです)

 

だがしかし。

今、教育が大きく変わる転換期に差しかかっています。

だからこそ、より大きく教育を捉えるために、

「そもそも学校って?」

「そもそも教育って?」

「そもそも教員って?」

と根っこから考える時間をたくさん持ってほしいと思っています。

 

世界の教育や日本のこれまでの教育ではどんなことが蓄積されてきているのか?

そこから未来の教育を考えるのにヒントはないだろうか?

学校外の社会では、どのように「学び」を捉えているのだろうか?

未来はどうなっていくと予測されているのだろうか?

そこで必要にされることってなんだろうか?

幅広い視野を持って、おぢさんたちを軽々と超えていってほしい

と思うわけです。

 

 

これからの若い人たちがのびのび実践できる環境をつくるために、

ボクらはもうひとがんばりしなくてはならない。

このまま引き継ぐのでは申し訳なさ過ぎる。