不安定な状態は、大きく飛び立つためのジャンプ台に立っているとき。
不安定な状態にいると不安になるので、
なんとかその状態を解消したくなる。
安定した状態にしたくなるので、
そのためにいくつかの妥協をしたり、
言い訳したくなったり、
誰かのせいにもしたくなる。
でも不安定な状態って、思っているより悪い状態ではなくて、
先に進むための足場をつくっているところだったり、
「このままじゃいけないぞ」という信号だったりもする。
不安定さに丁寧に付き合うことで、
しっかりとした土台ができるんじゃないかな。
今のぼくはまことに不安定な状態なのですが、
不安定への耐性をもっていたいな。
本当はその不安定な状態を楽しむくらいの気持ち、その上で軽やかに踊るぐらいの気持ちでいたい。
不安になるけどね。
ふと、この本を思い出した。
小学6年生で実践したブッククラブのときに,子どもと一緒に読んだ本。
読み終えたとき,ある子はこんな感想を書いていた。
一度は座り込んで立ち方がわからなかった2人。でも立てた今、ずっとくっついているわけにはいかない。手を離して今度こそ自分にならなければ・・・
私もいつ座り込んでしまうかわからない。座り込む回数は1回かもしれないし、15回かも知れない。
座りこんでも、すぐ立てるかも知れないし、立ち方がわからなくなるかもしれない。
でも生きている限り、悩むし苦しむ。
でもそんな時どうすればいいの?
一人で立ちあがらなきゃいけないときもある。
でも時には、声を上げることも大切。
その時の練習をこのクラスはしてたんだ。
タイトルの『非バランス』。
「バランス感覚のすぐれたひと」とか「バランスのとれた人格」というのは上級に属するほめことば。でもどうしてもバランスを取れないときがだれにでもある。深い穴に落ち込んだように感じ、もしかすると一生その穴から抜け出せないんじゃないかと苦しむけれど、実はその時、ジャンプ台に立っている。これから大きく飛び立つためのジャンプ台。魚住さんが伝えたいことは、バランスが取れないとき、失敗した時に大きく成長できる。
だからバランスを取れてない時を大切にしてほしいってことかな。
うん、そうだなあと思う。
不安定である時って、ジャンプ台に立っているときなんだな。
しかしまあ、つくづく「子どもだ」と侮ってはいけないなあと。
おとなと同じくらい考え、悩み、学び、成長している。