業間休み。
いつもの「サッカー大好き隊」は外に飛び出していきます。
窓から眺めると楽しそうにサッカーをやっている光景。
あと5分で3時間目の授業が始まる時間となりました。
低学年の子たちは先生に言われているのか、早々に教室に戻っていきます。
ボクのクラスの「サッカー大好き隊」は、ぎりぎりまで遊んでいる。
さあ、残り2分。間に合うのか?
いつまでも見ているわけにいかないので、ボクも授業の準備。
いつもぎりぎりに飛び込んでくる大好き隊の面々が戻ってきません。
やがてチャイムが鳴りました。
まだ戻ってこない。
おいおい。
ちょっといらっとするボク。
なんと5分遅れで入ってきました。
「おくれてすいませーーーん!」
なんと悪びれもなく。
こんな時。
「時間は守れって言ってるでしょ!もう教室入ってこなくいていい!」
なって言っちゃいがち。
「低学年だってちゃんと5分前に行動してるよ!」
なんて皮肉の一つも混ぜちゃいがち。
ボクもそういう失敗を幾度となくしてきました。
で。
「なんかあったの?」
とオープンに聴いてみました。
このとき、(きっと事情があったんだよな。どうしたんだろう?)って素直に思えたんです。
そうしたら、
「途中で1年生泣いていて−、どうしたの?って聴いたら先生に怒られたって。そのままにしておくのもかわいそうだから、事情聴いて一緒に謝りに行ってあげたんだー。でもぎりぎりに帰ってきているから遅れたのも事実なんで、ごめんなさい」
と。
ああ、そうだったんだー。
サッカー大好き隊の面々、かっちょいいなあーって思いました。
ルールを守ることよりも大切なことがあるってわかっている。
すぐに注意したりしないで、興味を持って聴いてみてよかったなあと。
あー危なかった。
もしあそこで注意していたら、彼らはその出来事から何を学んでいただろうか。
そう思うと怖くなります。そしてそういう失敗を山ほど積み重ねてきたなあと。
だからできるだけ、まず聴く。
エドガー・シャインは、それを「謙虚な問いかけ」と概念化していますが、
自分は基本的に相手のことを知らないんだということを前提にして、まずは聴く。
興味と関心を持って聴く。
一気に解決しようとせず、スローダウンする。
それがきっと、子どもに関わる大人の必要な構えなんだと思います。
権力関係にある相手にはなおさらその構えが問われる。
「謙虚に問いかける」は、相手の警戒心を解くことができる手法であり、自分では答えが見出せないことについて質問する技術であり、その人のことを理解したいという純粋な気持ちをもって関係を築いていくための流儀である。(P17)
あり方を内包したやり方ってあるんですよね。