「たのしくなくてわかる授業」って?
ボクは教員になって5年間、仮説実験授業の実践家でした。
今でも覚えている板倉聖宣の『たのしい授業の思想』(仮設社)での問い。
「たのしくてわかる」
「たのしいけどわからない」
「たのしくなくてわかる」
「たのしくなくてわからない」
どれが最悪の組み合わせか?
(ちょっとうろ覚え…)
という問いだった。
このブログを読んでくださっている皆さんはどれだと思いますか?
* * *
板倉聖宣はこう言っています。
「たのしくないがわかる授業が最も最悪だ」と。
ボクは当時すごく驚きました。
「たのしくてわからない授業の方が最悪だろう」って思いました。
板倉は、子どもたちの生きる喜びとは無縁の「教育内容」を「たのしくなくてもわからせてしまう授業」は人権侵害だと喝破。
すごいです、板倉聖宣。
仮説実験授業にとっては、楽しさそのものが目的。雑誌の名前も『たのしい授業』だしね。(蛇足ですが、ボクの原稿デビューは1993年の『たのしい授業』での国語のプランでした。懐かしい・・・)
楽しさが目的?
これにも随分批判がありそう。
当時も、ものすごく批判がありました。
でもそれは誤解なんですよね。板倉のいうたのしさは、科学者が研究している時に感じるたのしさ。つまり知的な好奇心のこと。
科学者の発見のプロセスを追体験する仮説実験授業にはその「たのしさ」が溢れていました。発見学習そのもの。
ボクはそこに魅力を感じました。
大人であるボクだっておもしろかった。子供も面白いに違いないと。
ブルーナーのいう、
どのような教科であっても、どの発達段階のどの子どもであっても、知的性格をそのままに保って、効果的に教えることができる(ブルーナー仮説)
そのままの授業でした。
戦後の民間教育運動は、このようなエネルギーとチャレンジに溢れていました。
その後ボクは、「授業書」が「縛り」に感じられて緩やかに離れることになりました。
「授業書絶対主義」だとボクは感じたのです。
子どもたちが夢中になればなるほど、
「巧妙に子どもを誘導するような授業書を作ったら洗脳のようなことができてしまう危険性があるのではないか」
ということに危惧を覚えたのです。当時ボクは若いエネルギーと正義感に溢れていました。20代半ばですから。
でもこれはファリシテーションでも同じような危険性を孕んでいると思います。
話がそれました。
ちなみに、仮説実験授業の「討論」は本当に面白かった。
2時間子どもたちの討論が止まらない!なんてこともしばしばでした。
この授業では教師は余計なコメントを一切入れない司会者。
揺さぶりもまとめも何もなし。もちろん誘導もしない。
子どもたちの討論を邪魔しない!が一番大切なことでした。
今思えば、これが実はファシリテーター修行になっていたんだなあと思います。
そして、「子どもって話したい時はいくらでも話しちゃう!」という原体験にもなりました。人には力があるという原体験。
それをカセットテープ(時代を感じる)にとり、夜な夜なテープ起こしをしては授業通信を作っていたなあ。
ボクにとってはそれが、授業をリフレクションするトレーニングになっていたのだと今になって思います。毎日テープを聴いていたのですから。
毎回授業感想をとっていたのも、
「授業の良し悪しは学習者が決める」という原体験と、「子どもに聞いてみなくちゃわからない」という当たり前のことを学ぶ機会でした。
この時の学びが、やがて「振り返りジャーナル」につながっていきました。
あの時討論で燃えていた人は、もう30歳を超えている(笑)。
その時そのときに全力で学んだことは、必ず何らかの形で今につながっているんだよなあ。
人生万事塞翁が馬。違うか。
アクティブラーニングだなんだと浮き出し立つ前に、立ち戻りたい日本の財産。