いわせんの仕事部屋

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【更新】軽井沢風越学園準備財団・設立スタッフ追加募集

軽井沢風越学園設立プロジェクト、少しずつ少しずつ、でも着実に進んでいます。

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校舎建築予定地の空。

 

先日、ある知り合いから聴いた話で、
「自分の周りでは軽井沢風越学園は野外教育の学校と思われているみたいですよ」。

そうなのかあ。発信ってなかなか難しい。

もちろんぼくらは「あそび」と「まなび」は分けて考えていない。
野外でたっぷりあそぶのも、没頭して学ぶのも,同じ地平にある。

だからこそ、カリキュラムって大事。

カリキュラムづくりのフェーズに入り始め、逆説的だけれど、改めて教科の専門性って大事だなあと痛感している。
次期指導要領の「見方・考え方」にあたるところ。

 

コンテンツとプロセスって両輪だから、

当然だけれど場づくりだけでは本質的にいい学びにはならない。

例えば、数学の美しさを知っている人には、ぼくには見えていない世界がある。
文学を愛していない人に,読みの学びはデザインできないだろう。

専門性って、「その世界に没頭している」ということなんだろうな。

 

先の話に戻ると、学問の専門性、教科の専門性を大事にしている方々にあんまり発信が届いていないんだなあと感じる今日この頃。その方々にも届いてほしい。

どんどんその人たちとつながって、

魅力的な自己主導のカリキュラムにバージョンアップしていきたい。

 

というわけで、一般社団法人 軽井沢風越学園設立準備財団では、

設立スタッフの追加募集を開始しました。
http://kazakoshi.jp/recruit/
詳しくはぜひ上記のリンクをご覧ください。

算数数学では自由進度の学びの個別化カリキュラムを実現させたいし、その中で協同的な探究も大事にしたい。

社会は教科横断的な探究カリキュラムの核の一つにしたい。

専門性を最大限大事にしつつ、その枠にとらわれない新しいチャレンジをしたい。

数学だって、教科の枠を当然超えていくはず。

それを一緒に楽しんで、子どもと共につくっていきたいです。

 

 

養護教諭って学校の要。

ぼくがこれまで教員として勤めてきた学校で、ステキな養護教諭に出会ってきました。

子どものケアはもちろん、ぼくもよく話に行ったなあ。

子どものこと、学校のこと、いろいろ相談に乗ってもらっていました。

今でもたまに一緒に飲むくらい仲良くもなりました。彼女がいるだけでなんだか場が安心になる、そこにいくだけでなんだかホッとできる、そんな保健室でした。

 

幼稚園、軽井沢風越学園の土台はここ。

ここがすべてのスタート。小中にもがんがん関わってほしい。

そして、小とのつながりをデザインすることも大きなチャレンジです。

 

というわけで、

みなさまどうぞよろしくお願いします。



義務教育学校 数学 1名
・中学校数学の教諭免許を所持しているか2019年3月までに取得見込みである。
・教科の専門性を持っている。
・算数・数学の個別化(自由進度学習を含む)のカリキュラム作成・実践に関心がある。
・修士・博士あるいはこれと同等の教育研究業績を持つ方歓迎。
 

 

義務教育学校 社会 1名
・中学校社会の教諭免許を所持しているか2019年3月までに取得見込みである。
・教科の専門性を持っている。
・小1から中3までの教科横断的な探究学習のカリキュラムに関心がある。
・修士・博士あるいはこれと同等の教育研究業績を持つ方歓迎。

 

義務教育学校及び幼稚園   養護教諭 1名
・養護教諭免許状を所持している。
・教職員や保護者と連携をとりながら、子どものからだと心の健やかな成長を支えられること。

・看護師免許を併有している方歓迎。
・年齢・性別は問いません。

 

幼稚園 幼稚園教諭 1名程度
・幼稚園教諭免許状を所持しているか2019年3月までに取得見込みである。

・保育士資格を併有している方歓迎。
・年齢・性別は問いません。

 

 

今年は幼稚園・保育園をたくさん見にいこう。

 今年もよろしくお願いします。

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ジョギング再開。

 

さて。

幼稚園・保育園から小学校へ入学するときその文化の違いに戸惑う、

いわゆる「小1プロブレム」がある。

 

昨日まで、園で頼れる存在だった年長さん。
年下の子のケアも、園の仕事も自分たちでこなしてきた。
ほとんどなんでも自分たちでやれる、ちょっとかっこいい存在だったりする。

 

それがある日を境に、急に「なにもできない、かわいらしい1年生」となる。入学式の入場も6年生と手をつないで。ちょっと前まで年少さんの手を引いていたというのに。6年生から逆算した存在として「面倒を見られる」存在となる。
昨日まで「面倒を見る」頼れる存在だったかもしれないのに。

 

ぼくが初めて1年生を担任したとき、やはり「なにもできないんじゃないか」と正直不安になり、友人の幼稚園の先生に相談した。
「あのねー、年長さんとして園で『番を張っていた』んだから、何でも自分たちでできるの。朝の会だって司会も自分たちでやるし、給食の配膳だって、ケンカの仲裁だって、下の子の世話だってやってきてるの。なんでも任せてみてよ。失敗したっていいじゃない。そこから学ぶ力だってあるんだよ」
本当にありがたい助言だった。

 

そして1年生はまことに頼もしい存在だった。
給食の食缶を運ぶとき、Mくんが倒してしまって廊下がカレーだらけになった。廊下中に広がったカレーから湯気が上がっているのを見て目眩がしたぼくはつい「なんで倒したの!」と言ってしまった。するとKちゃんが、「先生、そんなことより片付けることが先でしょ」とぼくを諭した。本当にその通り。みんなでカレーを拭く作業は、不謹慎だけれど、なんだかお祭りのようで楽しかった。その間に給食当番の子は食缶を持って他のクラスに、
「カレーこぼしちゃったんで少し分けてくださーい」と集めて歩いてくれた。

 

 

どんな存在としてみるかで、アプローチはかわる。

 

小1プロブレムとはなんだろう?
その内実は、小学校が、自分たちの文化に疑いを持たず、教員の「教えやすさ」を優先させて、「学校のお作法」を教えることの優先順位を上げてしまっているからではないか?

我が家の次女は、遊ぶことを大切にする保育園を卒園し、小学校に入学したとき、
「学校ってずっと座ってるんだよ」
「手は膝の上に置かなくちゃいけないんだって」
「どんなに晴れていても、教室の中にいるんだよ」
「遊ぶ時間は20分しかないんだよ」
と不思議そうに報告してくれた。

 

ある日を境に、文化が180度変わる。
ある日を境に、「動き回る」から「座り続ける」に。
ある日を境に、「あそぶ」から「勉強する」に。
ギャップを感じる方が自然だ。

 

小1プロブレムとは、子どもの問題ではなく大人の問題。
この段差は大人が作った段差で、子どもの育ちの段差ではない。

 

子どもの育ちから、低学年期のあり方を1から考えてみよう。
幼小のつながりを1からデザインしてみよう。

遊びと学びに本当に境目はあるのか?
学ぶということは座るということと同義なのか?
幼と小の文化が「まざる」ことでどんなことが起こるのか?

 

当事者である子どもがワクワクするような「幼小のつながり」があるはず。
特に小学校低学年期は、もっともっとあり方を変えていっていいはず。
小中一貫、中高一貫が盛んだが、これからは幼小一貫のデザインが重要になる。
小学校は、幼稚園・保育園の実践から学ぶべきことが山のようにある。

 

というわけで、今年はたくさんの幼稚園・保育園に参観に行きたいと思います。

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

大掃除していたら20台半ばの実践が出てきた! 

大掃除していたら初任の学校での実践がでてきました。

                        

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この頃「詩を書く」という実践を毎年やっていたなあ、そういえば。

それにしても、工藤直子さんの詩集の名前をそのまま使っている・・・・・

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いやあ、情景が浮かぶ詩だ。

その頃所属していた学習サークルに持っていった資料も出てきたので、ちょっと載せてみます。ノートパソコンはじめて買ったときだ。まだMS-DOSで、たしかPC9821noteとかそんな感じのパソコンだった。フロッピーだった。

文章が若々しい!20台半ばだものなー(遠い目)。

 

 *  *  *


 小学校の国語の教科書には「詩を書く」という単元があります。でも、詩を書くのって子どもたちにとっては、難しいのではないでしょうか。ボクだって、「詩を書け」といわれると困っちゃいます。この単元は簡単に済ましてしまう・・・という人も多いのではないでしょうか。でも、ボクのクラスの子どもたちは以前担任した3年生も、4年生も、1年生も、詩を書くのがだい好きでした。休み時間まで、詩を書いたりするほどです。 
 では、詩のたのしい授業ってどんな授業でしょうか。 
 
たのしい詩を読もう (第1段階) 
 
 まずは、詩に対してよい先入観を持ってもらうことが第一とボクは 考えました。そこで書くより先に、子どもたちとたのしい詩をたくさん読みました。 
 
     
ウソの詩を書こう (第2段階) 
 
 子どもたちが詩が好きになったらもうしめたもの。次は、詩を書く授業です。たのしく詩を書く授業は、『仮説実験授業研究第9集』にのっていた、堀江晴美さん(千葉)の「詩は友だち」という論文(35ページ)をもとにやりました。 
 授業はこんな風に進めました。 
 
 
 ボク 「今日から詩を書くよ。詩ってどう書くか知ってる? 
     詩はねこんな事を書くんだよ。」 
  
と言って黒板にこう書いて、みんなで読みました。 
 

詩を書く    

好きなことを   
好きなように    
好きなだけ    
書こう!    

 

ボク
「でも、これじゃあ、よくわからないね。もっと簡単にいうと詩は、ウソを書いていいということだよ!」 
 

詩を書く (黒板)

好きなことを    
好きなように   →ウソの詩を書こう!
好きなだけ     
書こう!  

 

      
 この時点で、「おもしろそー!」「ウソ作文みたいなもの?」なんてつぶやいている子がいます。 
 この「ウソの詩を書こう!」がこの授業の最大かつ唯一のポイントです。ほんとのことを書こうとすると苦しくなる時もありますが、ウソなら気楽に書けますものね。 
子どもたちはウソ作文が大好きだと、『たのしい授業』誌上ではよく話題になっていたようですが、詩でも同じことが言えるみたいです。 
「ウソの詩」のイメージがもっと広がるように、ボクは、いくつかの作品を紹介しています。 
 
 


 <紹介している詩(堀江さんの論文から)> 
 
りんご   岡田佳代 
 
りんごをたべようとしたら、 
りんごは足をだしてにげていった。 
 
 
夜のこくばんの中のゆめ   橋場奈々子 
  
夜のこくばんの中には、こくばんがいっぱい。 
そのこくばんの中は、ゆめだらけ 
そのゆめは、ありのハートがおどる。 
朝になった。 
ありのハートは、 
まぶしそうににげていった。 
あとには、しあわせな、ふたりの、 
小さなハートが 
ひとつ、 
ぽつんと、 
おいてあった。 
 
 
セミ   加藤彰男  
 
セミは 
1分を食べて生きている 
 
 
下には      元川由以  
   
つくえの下には  
ゆきがふっていた。  
いすの下には 
たいようが4つもあった。   
きみのつくえといすも 
そうなっているかもしれないよ  
 


 紹介している途中から、「先生早く書きたい!」と言う子が出てきました。そこで、一度書いてみることにしました。 
そうしたら、すごい勢いで書いていきます!!30分で9つも書いた子までいました。子どもが書いた詩を紹介していくと、その詩からヒントを得たり、影響されたりして、また鉛筆が進む子もいるようなので、ボクは、どんどん紹介するようにしています。 
また、書くことが思いつかない時のために、ヒントになるテーマの例を模造紙に書いて教室にはっておきました。 

 

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(堀江論文より)


 
生まれた子どもの作品より 
 
199○年度  小学校3年生 
 
         
 
 青い空
 黒い空
 赤い空  
 白い空  
 水色の空  
 いろんな色の空  
 鳥が飛ぶ空  
 クモがひとりじめしている空  
 雨がふる空 
 木がのびようをしている空 
 かみなりをおとす空 
 月やほしをかがやかす空 
 風をふかす空 
 ブランコがとぼうとする空 
 


まほうの月

ひるまの月は にじいろ  
わたしにしか みえない  
ふしぎな月
夜の月は 金色
十五夜はみんなにあえる
まほうの月
それをくりかえす
わたしの月

 

 

199○年度     4年生 
 
もしも おふろに さかながいたら  
 
  もしも おふろに さかながいたら 
  ぼくは さかなに えさをやる 
  そして いっしょに およいだら 
  どやどや はねて あそぶのさ 
  もしも おへやに おさるがいたら 
  いっしょに バナナを たべるのさ 
  そして いっしょに おどったら 
  つるつる きのぼり していける 
 
 
本の中  
 
 人間は 本をよむ 
 よむと 本の中に すいこまれる 
 本はこわい だれもよまない 
 本の中は まっくらだ 
 なにもみえない 本の中・・・・ 
 
 
誰もいない世界     
 
わたしは 朝おきて 階段を下りた 
「おはようございます!」 
返事が返ってこない 
いつもは 「おはよう!」とかえってくるが 
今日 この日だけは 返事がない 
(出かけたのかな?) 
そう思って 1人で朝ごはんを食べる 
自分で かみのけを ゆわき  
まどを しっかりしめて 学校へ・・・ 
教室に来て  「おはよう」 
ドアを開けた  
だれもいない 
(おー今日は わたしがいちばんか!) 
と思って かばんをおろす 
10分たっても来ない 
(まっそのうち来るな) 
そう思って 1時間目をすごした 
先生も 
友だちも 
1年も 2年も 3年も 
4年のわたし以外も 
5年も 6年も だーれもいない 
わたしは こわくなり 
家にもどり 友達に電話をしても いない 
わたしは 
今 気がついた 
この世界は だれもいない 
 
 
 
199○年度 1年生 
 
バナナに はながさく    
 
このまえ おうちで 
てれびを みながら 
バナナのかわを むいたら 
むきすぎて 
なかから 
お花がさいてたよ 
わたしは きぜつしちゃったよ 
 
 
おつきさま   

きょうのよるは おそろしい 
いつおこるか わからない 
おしえてあげる 
きょうのよるかは わからないけど 
 おつきさまが 
どろぼうするそうだ 
 

 

いのち
きょう
いのちをみていたら
いのちが
めいろになったぞ

 


てがみ   
わたしは 
がっこうから かえったら 
てがみが おどっていた 
わたしは 
しずかにして といったら 
うるさいな 
と てがみがいった 

 

 

 

子どもの評価は
 
書き始めて2週間ぐらいたったところで、評価を聞きました。

1995、11月 1年2組
 
5、とてもたのしかった   24人
4、たのしかった 0人
3、どちらともいえない 3人
2、つまらなかった 1人
1、とてもつまらなかった  0人

A君 (5)  うそのところがたのしかった。たのしい。もっとやる。たのしい。うそのしはたのしすぎるから、うそのしは2ねんになってもやりたい。
たのしいから、かんたんだから、たのしすぎてたまらない。

 

Bさん(5)  しはたのしい。だって、みんなは、たのしいこといっぱいかいてくれるんだもん。

 

Cさん(5)  いろいろなしがかけた。またかくよー。
        まえ、しを、おうちでかいたよ。がっこうでも、またかきたいな。
        いい、おもしろいしを、いっぱいかいたんだよ。

 

Dさん(5)  しは、うそをかくからたのしいよー

 

Eくん(2)  つまらなかった。でもちょっとたのしかった。

 

 

終わりに

子どもたちに大人気のウソの詩の授業。
ぼくは、毎年詩集を作って子どもたちにプレゼントするのですが、それを読んだ保護者からも、「子どもってすごいですね!」なんて話を聞かせてもらったりもしました。
今年の1年生の詩集もなかなかステキなものができました。
去年担任した子どもたちが教室に遊びに来たときに見せると、「1年生の詩ってかわいくていいね!」「いのち っていう詩なんかすごいね。」なんていいながらワイワイ読んでくれました。
楽しく詩を読む授業と、ウソの詩を書く授業の2つがあれば、子どもたちはきっと詩を大好きになってくれるはずです。ボクも、教科書の詩の単元が来るのが毎年毎年、楽しみで楽しみで仕方がありません!!
皆さんもぜひ試してみて下さい。


補足

・この実践のもとは堀江さんの論文ですが、もともとは1960年代に起きた新しい児童詩の運動の中の松本利明さんの理論が根底にあるようです。

 

今年も1年お世話になりました。

2017年、大変お世話になりました。
年賀状を出すことをやめるようになって8年目になりました。
今年は身内の不幸もあり、この個人的なつぶやきを持って今年1年お世話になったお礼とさせてください。


東京学芸大学教職大学院で勤めるようになって、おおよそ3年が経ちました。教師教育に関わることの大切さと楽しさを実感できた1年でした。学級経営、カリキュラムデザイン、学校教育ファシリテーターの養成等の授業を担当させていただいています。

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最近本当に授業が楽しいったらありゃしない。

小学校現場を離れるとき、「ああ、ついに現場を離れるのか」と思いましたが、ここ教職大学院も間違いなく大切な現場です。院生の皆さんとの日々は、日本の教育の未来を感じる大切な時間です。人の力ってすごい。それは大人も子どもも変わりません。その力が発揮される場を創る。ぼくの大切な仕事だなあと改めて思います。大学院に来てよかった。チャレンジしてよかった。


今年は2つの論文も。

・渡辺貴裕,岩瀬直樹「より深い省察の促進を目指す対話型模擬授業検討会を軸とした教師教育の取り組み」『日本教師教育学会年報』第26号。

・岩瀬直樹「教室内外の言説や経験を自分の力にしてきた教員の、学級経営における『実践知』とはなにか」『学校教育研究No32』,74-89頁。

前者は査読付き。今書いている論文はなんとか冬休みで終えるぞ−。が、がんばれおれ。今までにないものが書けている気がする(希望的観測)。

本は共著の2冊のみでした。

「振り返りジャーナル」で子どもとつながるクラス運営 (ナツメ社教育書ブックス)

「振り返りジャーナル」で子どもとつながるクラス運営 (ナツメ社教育書ブックス)

 
クラスがワクワク楽しくなる!  子どもとつくる教室リフォーム

クラスがワクワク楽しくなる! 子どもとつくる教室リフォーム

 

 来年はもう少し頑張ろう。最低3冊!(希望的観測)。久々に単著も書きたい。

アカデミックも実践も両方アウトプットできたのはうれしい。

 

今年なんと言っても大きかったのは、軽井沢風越学園設立のプロジェクトがスタートしたこと。

軽井沢風越学園設立準備財団 – 幼稚園・小学校・中学校、2020年4月の開校を目指しています

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3人というのは本当にいい。それぞれの強みや得意が違っていいバランスなんだよなあ。三角形・トラス構造はやっぱり強いね。

2月のプレスリリースから、地域での説明会、準備財団のスタート、学校づくりに向けての様々な活動。怒濤の日々でした。プレスリリースは遙か昔のような気がする…たった1年とは思えないくらいの充実した時間でもありました。ここまでも大事でしたが、ここからも大事。ていねいにていねいに進めていきます。新しい「普通」の学校とはどんなかたちか、という問いに常に戻りながら。一言で言うと「楽しみすぎる」。

iwasen.hatenablog.com

 

 

 

今年もたくさんの場に立たせていただきました。

全国各地の学校、教育委員会等での研修も、せいいっぱい務めました。自分を必要としてくれる場があるというのはありがたいかぎり。その先の子どもの幸せにつながるといいなあと思いながら充実した時間を過ごせました。そこで感じたことは、公教育の可能性。学校はまだまだ変われる。そのための仕事をしていきたいです。

来年度は、久しぶりに継続的な学びの場をつくる予定。こうご期待。

 

我が家の子どもはでかくなりました。

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中3息子についに背を抜かされそう。年をとるわけだ。

 

それにしてもあっという間の1年だったなあ。

日常って大変なことも多いし、ついつい「たいへんだー」「たいくつだー」ってなってしまいがち。忙しさに巻き込まれてしまいがち・・・

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「たいくつだー…たいへんだー…」(サマースクール「たいくつ王」より)

 

でもね。日常の中におもしろいことっていっぱいある。日常は自分から変えていける。

例えばこんな社会をつくっていける力が、ぼくらにはある。

一人一人が自分が生きたいように生きていられる社会。

違いが大事にされてして、ゆるやかにつながっていられる社会。

ひとりでいることも大事にされる社会。

「助けて」と気楽にいえる社会。

自分の力が発揮できる社会。

問題や課題はみんなで相談して解決に向かえる社会。

 

「自分の手元から、自分や社会はよりよく変えていける」と確信して、あれやこれや試行錯誤していくと、そこにはいろんな楽しさが生まれてくるはず。

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軽薄な写真で恐縮です。

来年も楽しい時間を創っていきましょ−!

みなさん、1年間本当にありがとうございました。よいお年をお迎えください。

そして、新年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

正月は仕事を忘れてミステリーでものんびり読みながらビール飲もっと。

 

岩瀬直樹

 

 

 

 

学習者中心の学び実践編の決定版

小学生の娘が熱を出し、予定をキャンセルして看病。

時間ができたのでメモをとりながら熟読しました。

「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる

「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる

  • 作者: ダグラスフィッシャー,ナンシーフレイ,Douglas B. Fisher,Nancy E. Frey,吉田新一郎
  • 出版社/メーカー: 新評論
  • 発売日: 2017/11/17
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

 吉田新一郎さん翻訳の新刊。

 

吉田新一郎さんと知り合ったのはずいぶん前になります。

2002年、ぼくは教員10年目(32才)で埼玉県の長期研修派遣の試験を受けて奇跡的に合格。東京学芸大学の平野朝久先生の研究室に派遣していただきました。

総合的な学習の研究での派遣だったのですが、いろいろな学校に参観に行っているうちに、「新潟県上越市立高志小学校」に出会います。当時注目を浴びはじめていたワークショップという言葉。校内研究にはじめて持ち込んだ学校ではないかと思います。この学校に惚れ10回以上通うこととなりました。そして勝手にレポートを書きました。

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http://www1.s-cat.ne.jp/iwase/upfile/kyoudoubunka.pdf

 

勝手に書いたレポートだったので読み手は誰もいなく・・・・・寂しいので、ウェブダイアリー(懐かしい響き。ブログができる前ね)にアップしておいたのでした。

ある日一通のメールが。「とてもおもしろかった 吉田新」と。ちょうどそのとき、

会議の技法―チームワークがひらく発想の新次元 (中公新書)

会議の技法―チームワークがひらく発想の新次元 (中公新書)

 

 を読んでいた時。「吉田新」という文字に見覚えが。

「もしかして、この本を書いた??」とお思いお返事したのがやりとりのきっかけとなりました。信じられないようなシンクロ

(昨日も信じられないようなシンクロがあり1月にお会いすることに。アウトプットしてみるものです。)

それが2004年です。「このレポートはおもしろいから出版のプロジェクトを立ち上げよう」と吉田さんから提案を受け、2人で企画書をつくり、10社以上の出版社に連絡しましたがほとんど門前払い。全くの無名だったのでやむを得ません…。

半年近くアプローチし続け、ようやくPHP新書からOKをもらって執筆開始。吉田さんと、ものすごい数のメールのやりとり(2人メーリングリスト。最終的には1000を越えました)を経て、『効果10倍の学びの技法』を2007年に出版しました。

効果10倍の(学び)の技法 シンプルな方法で学校が変わる! (PHP新書)

効果10倍の(学び)の技法 シンプルな方法で学校が変わる! (PHP新書)

 

(↑絶版で、いまやAmazonで5000円…再版したいな−)

 

その頃に並行して取り組んでいたのがライティング・ワークショップのプロジェクト。これも2006年スタートで、何人かの仲間と実践研究を始めました。2年間のプロジェクトを経て、2008年に本を出版。すごい大変だった…(2年間のプロジェクト、メーリングリストは2000を越えました…思い出すだけで苦しくなる…我が家で合宿したことも今ではよい思い出。甲斐﨑と盟友になったのもこのプロジェクトのおかげ)。

作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

 

 吉田さんから学び、彼とのプロジェクトで実践してきた中から学んだことが今の自分の核になっています。

ライティング・ワークショップ、リーディング・ワークショップをはじめ、『一人ひとりをいかす教え方』『PBL』と経て、これらの学びに通底する実践的な指南としての今回の本。 学習者中心の学びの実践における決定版ともいえる本です。

久々にノートにまとめながら丁寧に読みました。

 

4段階の「責任の移行モデル」がこの本の核心です。

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この4段階は順番があるのではないというのがポイント。この4段階は同時に起きるのです。先生の役割が明確に示されています。何より一番大事なことは、

効果的な教え方は、教師が段階的に自分のすることを減らし、生徒たちが学習の責任をより多く担うように移行することである。生徒たちが段階的に寄り多くの責任を担うこのプロセスによって、有能で自立した学習者になっていくのである(p5) 

端的に言えば、 自立的な学び手になること、です。

 

ついつい学習者中心の学びとなるとこうなりがち。↓

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教師は何もせず丸投げというやつ。あるあるー。宿題なんてまさにこれ。

 

こういうのも考えられます。

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「ワークショップ型の学びしてます!」「作家の時間やってます!」というとき、実はこういうのが多かったりします。最初にミニレッスンはするけど後は丸投げ…楽しそうだけど成長しない…個別学習のところが「協同学習」になっても同じです。

 

筆者はこれもダメと言っています。

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子ども同士の「協働」がデザインされていない。『学び合い』に精通している方はこれは納得できるのではないでしょうか。

 

この本の特徴と言えば「教師のガイドする指導」です。

学習者中心の学びを目指している実践者にとって、教師はどのような役割を果たすのかは悩みどころ。この本では教師の役割を示しています。詳しくは本書を!ここだけでも買う価値あり。これからぼくらが身につけていく専門性はこれが大きな柱の一つだと思うわけです。

 

協働学習の項では、協同学習の「基本的なグループワーク」と区別して、建設的なグループワーク」を提案しています。協同学習は社会的なプロセスに焦点が当たっていますが、それだけでは不十分。協同学習では認知的な側面、メタ認知的な側面が弱いと喝破し、教科の専門性の重要性に言及しています(直接的にそういう言い方はしていませんが)。基本的なグループワークで満足してしまうことけっこう多いなあ。

しかし、学ぶことに没頭するって、プロセスだけじゃなくてコンテンツ(学びの対象)そのものの魅力が圧倒的に重要。前者でオールオッケーと考えないようにしたい。先生の大切な役割の一つはここにあると思います。プロセスのデザインだけを学んでいるだけではやっぱり残念。

 

個別学習では、メタ認知と自己調整に言及されています。

「すべての子どもは学ぶことができる」という言い回しを、私たちは何千回も聞いたことがあります。実のところ、この格言は個別学習を推し進めるための部分的な説明でしかありません。もちろん、すべての生徒は潜在的に学ぶ力をもっています。でも、学ぶ能力についてはどうでしょうか?能力はスキルの上に築かれるものです。生徒は自分自身の思考をどのように考えたらいいのか(メタ認知)や、学んだことについてどのように行動したらいいのか(自己調整)についても教えられる必要があります。(pp178-179)

これ、本当に重要な指摘。持っている潜在的な力を発揮するには、スキルとそれを伸ばすサポートが必要なのですよね。これがない丸投げは、成長のチャンスを失うことになっているということは声を大きくして言っておきたいなあ。

 

この本を教師のガイドとすれば、ライティング・ワークショップ、リーディング・ワークショップ、PBL、Differentiated instruction等々、ワークショップの学び、学習者中心の学びにおける先生の役割が整理されるのではないでしょうか。

個人的には宿題についての論考もおもしろかったなー。

ちなみに、盟友、甲斐﨑博史の実践もどこかに隠されています。甲斐﨑を捜せ。

 

と言うわけでオススメです。「吉田新一郎訳の本にはずれなし!」という伝説は今回も裏切りませんでした。

冬休みのお供に是非。この本で「ブッククラブ」だけではなく、この本をガイドに「実際のプラン」を協同でつくって、実践→持ち寄り、というのがオススメの使い方です。

この本、「理屈としてはわかる」。でも実践するのが難しい。即興性が求められるので身体に落とし込むことが大事になります。ということは、自身の実践を繰り返し協同で省察することが大事だなあと思うわけです。 

 

蛇足ですが冬休みに入って読んだ本。

ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた (集英社新書)

ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた (集英社新書)

 

★★★★

『君たちはどう生きるか』の現代版と言うべき本。おもしろかった。1日で読み終えました。

身体知性 医師が見つけた身体と感情の深いつながり (朝日選書)

身体知性 医師が見つけた身体と感情の深いつながり (朝日選書)

 

★★★★★

これは絶対読んだ方がいいです。

西洋医学は,分析に基づく論理的推論に最も価値をおいています。しかし、臨床現場はそれだけで太刀打ちできるものではなく、医師の身体感覚的判断(近道思考)に頼らざるを得ないところがあります。近道思考は、論理的に組み立てられたものではないので、若い医師に対して体系的に教えることができません。また、生身の人間としての医師のの身体(医師個人の、職業上、生活上の歴史、さらに身体経由で形成される感情)を通して生み出される意志決定プロセスなので、いくつかの要素ー肉体的・精神的疲労や、感情の揺れ動きーによってバイアスがかかる可能性があります。西洋医学の医師は科学的分析に基づく整合性の隙間を、自分の生身の身体という不安定なもので埋めています。 p71

しかし、

 

医師は、不確定要素の多い問題に対して、西洋医学の基盤である分析的知識と過去の経験をベースにして、即座には論理的に説明できないような臨床判断を、自分の身体を介して行います。これは知識や経験をもとに、「帰納的な身体感覚」とでも呼べるようなものを用いて行われるものです。医療において近道思考を取り巻く問題は、医師が行う判断までの過程や精度に個人差が大きくなりすぎていることです。p72

 と言う指摘は教師にもそのまま当てはまる。ではどうすればよいか?ぜひ読んでみてください。

セトウツミ 1 (少年チャンピオン・コミックス)

セトウツミ 1 (少年チャンピオン・コミックス)

 

 同僚渡辺さんに紹介されて全8巻を読了。これはすごい。今年ナンバー1。特に7,8巻はやばい(語彙が不足)。

 

ナラティヴ・アプローチ

ナラティヴ・アプローチ

 
物語としてのケア―ナラティヴ・アプローチの世界へ (シリーズ ケアをひらく)

物語としてのケア―ナラティヴ・アプローチの世界へ (シリーズ ケアをひらく)

 

 研究用に。分かりやすかった。教師教育ではこれから大事になってくる。

 

というわけでよい冬休みを!

 

 

 

 

 

新しいメールマガジンが発刊になりました。

週の後半から体調を崩し、今日も1日ベッドの中で寝たり起きたりしながら書き仕事です。

さて、軽井沢風越学園設立準備財団の新しいメールマガジンが発刊になりました。

 

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かぜのーと第8号(2017年12月17日発行) – 軽井沢風越学園設立準備財団

 

手前味噌ながら今回のメルマガもいい感じです。

新しいメンバーのインタビューもあります。是非お読みください。

 

インフルエンザも流行ってきています。

忙しくなる年末。お互い体調には気をつけましょう!

というわけで、また寝ます・・・

 

 

学びのコントローラー

軽井沢風越学園での重要なキーワードは「学びのコントローラー」。

 

ぼくは、自分を動かすコントローラーを自分で持っていたい。

他人に自分のコントローラーを渡したくない。

ぼくを動かすのはぼくだ。

 

子どもたちにも、自分のコントローラーを自分で持ってほしい。
他人に渡してほしくない。

 

だから、子どもの学びのコントローラーをぼくらが持ってちゃいけない。

ちゃんと持ち主に渡さなくちゃ。

最初は慣れないのだから、
ぶつかったり、逆に進んだりしてもいいじゃないか。
そのうち、うまくなってくるさ。

周りの人が操作方法のお手本を見せてくれるかもしれないし。
マネしてるうちにうまくなることもあるよ。

自分で操作しなきゃ、うまく操作できるようにならない。

 

学びのコントローラーを自分で持つ。

 

これがすべての出発点だ。

 

なぜ学校では、子どもたちの学びのコントローラ-を回収してまとめて操作しようとしてしまうんだろう。

「最初にAのボタン押して!次にBボタン。コントローラー前に倒して。ほら○○ちゃん、コントローラー前でしょ!」

なんて言ってしまうんだろう。

「いつかは自分で」との善意から、先生が張り切って子どもの学びのコントローラーを操作する。

そのうち子どもは「コントローラー置いておけば、誰かが操作してくれる」「このコントローラーは他の人が操作するものだ」ということを体験的に学び、

「この先生はコントローラーの操作がうまい!」と依存し、

最後にはその学びのコントローラーが自分のものであることを忘れる。

先生はずっと子どものコントローラーを操作し続けることになる。そして高揚し、ときに疲弊する。

 

でもそれが仕事だと思っている節があるし、

なにより人の学びのコントローラーを動かすのは気持ちよかったりもする。

先生の「コントロール欲求」は、なかなかやっかいだ。

 

にもかかわらず、

「最近の若者は自主性がない」なんていう……

 

大丈夫。ちゃんと持ち主に返そう。

人は自分で自分の学びのコントローラーを持つ力がある。

一人ひとりが学びのコントローラーを持って操作してみよう。

誰かとぶつかったら、何かとぶつかったら、うまく進まなくなったら、

そこで考えればいい。

 

先生だって、その方が結果としていい意味で「ラク」になる。

だって、みんなそれぞれが自分で動いているんだもの。

  

学びのコントローラーを自分で持つ。自分で操作する。

それが学校での小さな民主主義の第一歩であるし、

それなくして「学びの場」ではないのだと思う。

自分で操作することをたくさん体験した人は、「自分の手元から社会は変わる」という原体験を手に入れるのだろう。

 

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浅間山は雪が積もってきれいだ。

この麓で、子どもも大人も、学びのコントローラーを自分で持つ学校が2020年に開校する予定。

軽井沢風越学園の学校づくりのプロセスでも、本城や苫野、ぼくだけがコントローラーを持つのではなく、関わる全ての人がコントローラーを持って自由に試行錯誤できるようにしたいなあ。

だってその方が絶対にいい学校になるもんな。

リーダーシップからオーナーシップ。何度もここに戻りたいなあ。