いわせんの仕事部屋

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意欲格差。

先日の新聞には、全国学力状況調査の問題が載っていた。
まだざっとしか見ていないが、国語に関しては国語教育の潮流の変化を実感する問題群だった。端的に言えば実用主義。それにしても悉皆の意味はあるのだろうか。悉皆の結果起きていることに目を向けたい。

 

さてさて。
教育社会学が明らかにしたことによれば(今更ながら)、子どもの社会経済文化的背景と学力には高い相関関係がある。学力だけではなく、学習の意欲の格差にもつながっている。苅谷は『階層化日本と教育危機ー不平等再生産から意欲格差社会へー』のなかで、子どもたちの学習に先立って既に「インセンティブ・ディバイド(意欲格差)」があるという。

 

「インセンティヴへの反応において、社会階層による差異が拡大しているのである。インセンティヴへの反応の違いが教育における不平等、さらにはその帰結としての社会における不平等を拡大するしくみ-インセンティヴ・ディバイドの作動である。」

 

子どもの学力(ここではテストで測っているもの)を、ボクら教員はつい個人のがんばり、自己責任に帰してしまいがち。一人一人の子どもの努力次第なのだと。しかし、学校に来る前の時点で既に差があるのだ。

 

ではどうすればよいのだろうか?学校でできることはなんだろうか?
例えば、家庭学習(自主学習)を考えてみる。ただ「やってきなさい」では格差を再生産することになりかねない。「やりたくてもやれない」経済的文化的背景がある子たちは?そもそも意欲格差がある中、個人の意欲に還元される学習はさらなる格差を生む。教師がよかれと思ってやっている実践が、逆の結果を招くことになりかねないのだ。

この問題を考える時の補助線の一つに「一般福祉の原理」がある。苫野は『教育の力』の中で、「一般福祉の原理」についてこう述べる。

「教育政策は、ある一部の人(子ども)たちだけの<自由>を促進し、そのことで他の人(子ども)たちの<自由>を侵害するものであってはならず、すべての人の<自由>を促進しているときにのみ「正当」といえる」

 

 

この原理で考えた場合、家庭学習はどうすればよいか。

すべての子どもの<自由>を促進→すべての子どもに「学力」がつくためには?
一律一斉に「これをやってきなさい」では、格差を助長する可能性が高い。必要なことが人によって違うからだ。かといって「自由に選んでいいよ」も同様だ。意欲格差の前では適切に選べない子がいるだろう。
「両極端は一致する」。

 

キーワードとしては、「多様な足場かけ」「学習の個別化」「学校での学習とのリンク(探究、学習方略、メタ認知)」かな。家庭学習のあり方って、実は教師の教育観・学習観がにじみ出ている。

パートナーにできないことは、学校でやっちゃいけません。

「会社の偉い人で、『若手を鍛える』という人がいますよね。
でもね、それは会社でやる前に家でできることなのかどうか、って思うんですよ。
パートナーにできないことは、会社でやっちゃいけません。」
ライフネット生命CEO、出口治明さんの言葉。(アエラ1487号より)
ボクはこの感覚が好きだし、共感する。自分と同じようなことを考えている人がいるんだなあと、時々戻ってくる言葉だ。
学校や教室も同じだと思うわけだ。 だから、例えば
「おはよーございます!!!!」

みたいな必要以上に大きな声の挨拶ってボクはしない。やりたい人はやればいいけれど、人に強制するものではないと思う。「自主的」にやらざるを得ない場というのもまた強制だ。
朝の挨拶、「おはよー!」でも、「風邪なおった?」でも、「おっす!」でも、「今日寒いねー」ってことだってある。それは関係性の上に立ち上がってくることだからだ。
あなたとここで今日も出会ったことを確認しあう柔らかい言葉を交わしあいたい。
そんな小さなところから、お互いを承認しあう感度が育まれていくのだと思う。

ボクが子どもの頃には、「椅子に座るときに椅子の後ろで腕を組む(手悪さ(?)をしないように)」ルールがあるクラスがあった。家でそんな座り方してたんだろうか、あの先生。
 
今でも、全員「さん付け」で呼び合うことが学校のルールになっているところもあるみたい。
ナンセンスだと思う。呼び名もお互いの関係性の中で立ちあがってくることだからだ。
もちろんそれは、相手をどう呼んでもいい、ということではない。どう呼ばれたいか、を丁寧に確認することからはじめる。それが「承認しあう」第一歩だ。

形式化することで、違うことが学ばれていることに敏感でありたい。
表(先生の前)では「〜さん」と呼び、裏では、「ぶた」と呼んでいる可能性だってあるのだ。
よかれと思ってやっていることが結果として何を学ぶ契機になってしまっているか。
隠れたカリキュラムに敏感でありたい。

 みんなで大切にするルールやマナーは、「降ってくるもの」ではなくて、その意味や価値を丁寧に確認しあうことからはじめたいと思う。それが民主主義に出会う学校、学級の大きな役目の一つだと思う。


熊本地震では、芸能人が励ましのコメントをしたり、寄付した金額を公表したこと等に対して、ネットで猛烈なバッシングが行われている。正直なんだかなあと思う。
それ、身近な人にもやるのだろうか。近所の人にやるだろうか?自分が大切にしている相手にもやるのだろうか?
過剰に誰かを責めるのが多くなっているのって、リアルな関係性の中で承認し合う感度が鈍っていることと、どこかでつながっているのではないかな。

とは言いつつ、かなり若い頃、人権教育のかなり大きな研修会で手を挙げて、「さんづけを全員に強要するのは人権侵害だ。みなさんは家庭でも、自分のパートナーや子供にさんづけで呼んでいるのか?」と吠えて、大ひんしゅくを買ったことを思いだした・・・・
同じようなことやっていたんだな、自分の24年前を思い出して恥ずかしくなる・・・・
こういうことを書くと、
「朝のあいさつをちゃんとしなくていいと発信してる!クラスを壊す気か!」という批判がくるかもだけれど、ボクが書きたいことはそういうことじゃないんだよな。
みんなで「おはよーございます!」と気持ちよく言葉を交わし合えてるならそれでいい。

みんなで大切にするルールやマナーは、「降ってくるもの」ではなくて、その意味や価値を丁寧に確認しあうことからはじめたい。当たり前を問い直すことを大切にしたい、ということなんだけどな。
 
 

不安とエンドユーザーと自分。

人は不安が高まると、エンドユーザーが自分になってしまう。
なぜか。
「自分の不安を取り除きたい」
と、自分の優先順位が一番になるから。
他者に攻撃的になったり、
自分を卑下したり、
逃げ出したくなったり、
言い訳したくなったり。


そして真のエンドユーザーを見失ってしまう。
ボクたち教員はそういう失敗を
きわめてしやすいと思う。


エンドユーザーはだれか。
エンドユーザーのために自分が今できることは何か。

不安を抱えつつ、
その上で軽やかに踊るぐらいの強さを持ちたいなあ。
なかなか難しいけど。
エンドユーザーを取り違えてうまくいくことないものね。


と同時に。
自分の声を聴くこと。
自分を整え、自分を満たすこともとてもとても大切。
きっとまずはそこがスタートであり、すべてなのだろう。

忙しいからこそ「まじめに対話」。

学年での対話を増やす。

学年スタート。
この時期はどうしても事務的な会話が多くなります。新学期の準備、教材選び、校務分掌……
それも大事大事。
でも。
学年が一つのチームとしてスタートした今だからこそ、お互いのことを知り合う時間をとりたい。
たとえば遠足の下見の時。
職場のチームのメンバーで車での道中。

ぼくは例えばこんな風に使ってました。

道中往復3時間はとっても貴重な時間。
他に仕事もできないし、やれることは「話す」ことだけです。

そこでこの道中を、大切な対話の時間にしました。
雑談は職員室でいろいろしてきたので、今日は
「まじめに対話する時間」
にあえて設定。


ルールは
「言いたいことだけ言う。いいたくないことは言わない」。
「一生懸命聴く。聴き終わったら質問してよい」

問いは以下の通り。

・自分はどんな人か? 自由に自己紹介。

・私の子ども時代、先生になる前はどんな人だった?どんなことがあった?

・先生になったきっかけは?

・今までで「先生になってよかったなー」と思うエピソードは?

・教科や授業でのこだわりは?得意は?

・ぼくたちがいいチームになるために
  「こうしてほしい」「こうしたい」 ことは?
  「こうしてほしくない」「阻害要因となる」こと?

3時間じっくり対話を重ねました。
みなさん心の壁を下げて語ってくれ、お互いのことを聴き合う貴重な時間となりました。

こんな風に、「まじめ」に語り合うコトって実は少ないものです。
でもちょっと時間をとって聴き合うことで、普段話さない、いろいろなことについてちょっと深く知り合うことができます。お互いのこだわりや強みを知り合うことができます。
そう思うと、ぼくたちはお互いを知らないまま一緒に仕事をしてることがあまりにも多い。

飲み会もすてき。
でもこの時期だからこそ、意識して「まじめに対話する」時間をとりたいです。
無理してでもまとまった時間をとれれば、その価値はプライスレス。

さらに「学年として大事にすること」をビーイングにするのもおすすめ。
大人だって大切にしたいことの可視化です。
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マインドセット眼鏡

キャロル・S・ドゥエックのベストセラーの新訳版がでました。

早速購入。新訳読みやすいです。

 

マインドセット「やればできる! 」の研究

マインドセット「やればできる! 」の研究

  • 作者: キャロル・S・ドゥエック,今西康子
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2016/01/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

「人間の能力は学習や経験によって伸ばせるものなのか、それとも、石版に刻まれたように変化しないものなのか」(P9)。

 

ドゥエックは、人のマインドセット(知能観)には大きく2つあると言っています。

 

①「硬直マインドセット=fixed mindset」 自分の能力は石版に刻まれたように固定的で変わらないという信念。自分の能力を繰り返し証明せずにはいられない。

(固定的知能観)

 

②「しなやかマインドセット=growth mindset」 人間の基本的資質は努力次第で伸ばすことができるという信念。持って生まれた才能、適性、興味、気質は一人ひとり異なるが、努力と経験を重ねることでみな大きく伸びていけるという信念。

(拡張的知能観)

 

①の人は、「自分が他人からどう評価されるかを気にするのに対し」、②の人は、「自分を向上させることに関心を向ける」そうです。

ふむふむ。

どちらのマインドセットを持っているかで、その後の学習、人生のあり方を決めてしまうとドゥエックは言います。

 

おもしろいのが理想のパートナーというところ。

 

硬直マインドセットの若者が理想のパートナーと考える相手

・自分をあがめてくれる人

・自分は完璧だと感じさせてくれる人

・自分を尊敬してくれる人

 

 

言い換えると、「自分の資質をそのまま温存してくれる人」が理想の相手なんだそうです。う、ちょっと胸が痛む。

 

しなやかマインドセットの若者が理想のパートナーと考える相手

・こちらの欠点をよくわかっていて、その克服に取り組む手助けをしてくれる人

・もっと優れた人間になろうとする意欲をかきたててくれる人

・新しいことを学ぶように励ましてくれる人

 

 

言い換えると「自分の成長を促してくれる人」。

なるほどなるほど。

iwasen.hatenablog.com

以前にこんな記事を書きましたが、ようは成長に関心があるか、評価に関心があるか、の違いなんですね。

 

もちろんシンプルにどちらか、と二分法で選べるわけではなく、おそらくどちらの要素も人にはあるのでしょう。その時々によっても違うかもしれないし。

ボクも余裕がなくなると、「硬直マインドセット」になっちゃうし。

 

さてこのドゥエックの理論。

ボクが素晴らしいと思える理由は、日々の実践の見え方が違ってくること。、

 

この「マインドセット眼鏡」をかけて日々の実践を検証すると、

自身がどのようなマインドセットで実践していたり、

子どもに声かけしているか、

が浮かび上がってくるからなんですね。

日々の実践の今までと違う面が見える。

さらに実践の改善点も見えてくる。

 

理論って、こんなふうに考えると実践を前に進めてくれるものになりそうです。

この眼鏡のメタファーは、

東大の中原淳さんが以下のブログで書かれていたものです。

 

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 実務家が必要としている「理論」とは何か?: 「実践」と「理論」のあいだの「死の谷」を超えて!?

 

中原さんのブログは本当に勉強になります。

実務家が必要としている「理論」、教員養成でもとてもとても重要な考え方ですね

 

それにしても。

学校の先生を目指している人、学校の先生をやっている人、つまり「教育に携わる人」は自身がどのマインドセットを持っているかに自覚的になることがとても大切だなあと思います。

自身のマインドセットがベースとなった関わりをしてしまいますから。

 

ボクらは思った以上に「固定的」に見ていること多いですよ。

いやいや、そんなことはない!という反論が聞こえてきそうですが、

 

拡張的知能観を持っている!と思いつつ「でもある面では固定的だよな」と留保をつけていることが多い気がします

だから、授業で余計なことしちゃうんですよね。

余計なワークシートとか、

余計な説明とか、

余計なグループ分けとか、

余計な・・・・・・・・(以下永遠につづく)

 

あの子はああだとか、

この子はこうだとか、

あの人はああだとか、

この人はこうだとか・・・・・(以下永遠につづく)

 

 

希望はマインドセットは変えることができます!

しなやかマインドセットでいきたいぞ、オレ。

 

読みやすくおすすめの本です。

「マインドセット眼鏡」をゲットしましょう。

 

振り返りジャーナルを深めるには。

ボクはちょんせいこさんと提案をはじめた「信頼ベースの学級ファシリテーション」の中で、「振り返りジャーナル」を提案しています。

 

 

よくわかる学級ファシリテーション?―かかわりスキル編― (信頼ベースのクラスをつくる)

よくわかる学級ファシリテーション?―かかわりスキル編― (信頼ベースのクラスをつくる)

 

 

学習者の成長にとっても、学級経営にとっても「振り返りジャーナル」は欠かせないツールです。

おそらくボクらが提案してきた様々なものの中で、

いちばん実践者が多いのが、この振り返りジャーナル、だと思います。

 

「振り返りジャーナルに救われた」という声を聞くこともありますが、

 

「振り返りジャーナルがマンネリ化している」

「深まらない」

「イヤイヤ書かされているになっている」

という声もよく聞きます。

 

なぜそうなってしまうのか?

いくつか原因が考えられると思いますが、細かい技術の問題ではなく、

「振り返り」自体が機能していない可能性が考えられます。つまり

 

学習者が振り返りの意味や価値を実感していない。

 

ということがありそうです。

振り返ったことで気づきが生まれたり、自身が変わった経験があれば、ジャーナルに向かう姿勢も変わる可能性があります。そういう意味では、日々の教室で振り返りが機能しているかどうか、が問われそうです。ジャーナルだけの問題じゃないんですね。

 

 

つぎに、振り返りのための「問い」が考えられます。

例えば「今日1日どうだった?」

と聞かれても、

「別にふつう」

「楽しかった」

ぐらいになってしまいがち。それはそうですよね。

ボクらは、どう問われれば通り過ぎてしまいがちな体験をグッと見直してみることができるでしょう?その時にその教室で「刺さる問い」はなんでしょう?

今日1日のどこがフォーカスすべきポイントでしょうか?

高学年なら、

 

今日のプロジェクトの成功の理由を一言で表すと?

なぜその一言を選んだの?

 

とか、

 

(中学の制服の採寸があった日に)

制服ってなんのためにあるのだろう?

あることのメリットとデメリットってなに?

 

とか、

 

(「今日の音楽楽しかった−!」と教室に帰ってきた日に) 

なんだか今日の音楽の授業楽しかったんだってね−。

ボクもどんなことがあったのか知りたいなあ。なので今日は、

「今日の音楽の授業実況中継!イワセン、今日の音楽が楽しかった秘密を詳しく教えてあげよう!」

でお願いします!

 

とか。

 

ちなみに、

 

「今日、ボクが怒ってしまったじゃない?

 さっきそのことについてお詫びしたけれど、

 あれ今思っても自分でも『失敗だったなあ』って思うんだ。

 あのときどんなこと考えてた?今はどう考えてる?遠慮なくどうぞ・・」

 

この問いの時は筆が止まりませんでした(苦笑)。

 

プロジェクトアドベンチャーの振り返りの時に、

ジャーナルで一人ずつじっくり振り返るのもいいです。

このときの問いは、

「チームが成功するために必要なことは?」

でした。体育館の好きな場所で30分考え考えじっくり。

書き終わった後、小グループで集まってシェアしました。

 

 

★1人だけで何かやろうとしたり、意見を言ってもダメ。客観的に見てくれる周りの人たち、チームのみんながいないと。自分の強みって,意外とわからないけれど、友達の強みってよくわかる。だから○○はどう思う?とか振ったりして、その子の強みが活きるように引き出せばいいと思う。そうやってみんなが話し合いに参加する。自分も言う。そうすれば例えば、会社でその意見によって商品が変わってよくなったりするかもしれないから意見を言おう。言わないとなにも変わらない。

 

★みんなが参加して意見を出して,その中からwin-winになるようなやり方を探していくといい。そうしたらもっといいマシンができたと思います。今日のはじめの時は、同じチームの○○があまり参加できないでいて、ぼくはその時はなにもしてあげられずに過ごしていた。そして作るときになって初めて「そこ切って!」と言えてすごくよかったと思います。でもこうやって書いてみて、なぜはじめの頃から気づけなかったのかなと思います。なので、次からの目標は「周りを見る」ということです。周りを見たらあの人が困っているとか、あの人はうまくいっているとか、教えてもらおうとかわかると思うからです。

 

★まず自分が今思っている気持ちを相手に伝えることがすごくすごく大事なんだなーって思いました。強みが活きるチームって、1人1人が参加するチームです。強みってみんな同じじゃなくて、それぞれ違うから、みんなが100%で強みを出すことができれば成功につながると思います。100%の力を出すためには,自分が工作とか得意だったら物を作ったり、意見を言うのが強みの人はどんどん意見を出すという風に、自分が好きなこと、得意なことをやればすごくいいな。自分が得意なことはどんどん活かして、苦手なことはだれかがサポートして,という感じで自分も困っている人がいたらサポートしたい。失敗しちゃったのはすごく悔しいけど,作っているときは話とかもしてすごく楽しかったです。他の班のもいろいろ考えて作っていて、はんごとにちがってすごかった!またやりたいです。すごいたのしかったー!!

 

 

3つめは、授業とのつながりです。

学校の日々は授業なわけなので、

その時に教室で展開されている学びを振り返る問いが振り返りジャーナルの記述を深めます。

 

ボクがリーディング・ワークショップを実践してきて、子どもたちの読書がグッと変わったとアセスメントしたときに、振り返りジャーナルで聞いた問いは、

「私の1冊って?」でした。5年生。

 

 


私の1冊は『西の魔女が死んだ』かな。私も、まいのおばあちゃん、つまり「西の魔女」にあってみたいって思うし、何より最後の終わり方がいいなって思う。まいが、最後に『おばあちゃん、大好き」って言うと、「アイ・ノウ」と返ってきた。あそこは本当に何回読んでも泣ける。去年の夏休みに映画のロケ地に行っていたので(その頃はまだ本のこと知らなかったけど)場面がすごい想像できた。
あとはやっぱり「ハリーポッター」かな。あれは本当に時間を忘れて読んだ。前に『秘密の部屋」の途中まで読んで、そこで映画見ちゃったから読む気なくしてたんだけど、2学期ぐらいに、○○が読んでいて、「じゃあ・・」と思って読み始めたら今度こそ止まらなくなった!特に『死の秘宝』は自立学習で他にやらなきゃいけないことがあるのにとまらなくなって、ずっと読んでたなあ。
私は○○と競争しているような気にちょっとなってて・・・(笑)たぶん○○はそうは思ってなかったと思うけど、それで『どこまで読んだ?」とか聞いてたなあ。
最後読み終わったときは気が抜けちゃったし、あまりに読んでたもんだから、終わりが近づいてきたときは「終わらないでー!」って心の中ですごい思ってたなあ。なんかハリーポッターのお話が終わってしまうことがさみしくて・・・そのときはハリーポッター抜きの生活が考えられないくらい。また読みたくなってきた・・・・

 


ぼくにとっての1冊か。それだったら『十五少年漂流記』かな。5年の時にイワセンのクラスになって、そのときは読書なんてかったるくて、その間他の子としてたり、マンガ読んでる方がマシと思っていたけど、そんなとき、畳コーナーでくつろいでたら、たまたますぐそこの本棚にあったのが『十五少年漂流記』。最初はほとんど読む気などなく、ちょっと目を通すくらしでいいかなと思っていたけど、読んだらいつの間にか本の世界に入り込んでいて、そのまま借りて、夜も勉強もゲームも忘れて読んで、親にもストーリーしゃべってて、とにかく本にはまって読み続けて3日くらいで読んだ。
それで本にはまったのかな。その後のことはすごくて、ダレンシャンにはまり、獣の奏者にはまり、エンデにはまり、とにかくいろいろありすぎてもうダメです。
今は『ゲド戦記』を読んでいて、本当に面白い。
本とイワセンに感謝してるって感じです。

 


自分の1冊・・・・『二分間の冒険』。ブッククラブで読んだらすごくおもしろくて、読み終わったときは、
「読書ってすごくいいなあ」って思った。すっごくおもしろくて、ママにも姉にもすすめている。でも、ママは読むひまがなくて脱落した・・・。絶対に読んでほしいのに・・・
今、自分で読書は、私は生きるため、世界を知るために必要だって思ってる。読書してから、どんどん読書したいとおもうようになって、国語とかも好きになった。
読んでるときは、すごくおもしろいのだと時間を忘れてすいすい読んじゃう。ちょっとつまんないのだとなかなか進まなくて、つまんないからやめちゃう。自分が本の世界とか主人公になってる感じ。自立学習の時に一緒に読んだり、夜、ひまがあるときに読んでる。ソファーやカーペットに寝っ転がって読んだり、筋トレしながら読むときもある。たまにだけど・・、
一番のお気に入りの一冊は、やっぱり『二分間の冒険』。それから岡田淳の本にはまって、ほとんど全部読んだ。でも国語の教科書にほかの岡田淳の本がのっていたから、この本絶対に読む!心に残っている2冊目は、岡田淳の『選ばれなかった冒険』です。すごくおもしろかった。なんかゲームの中に入り込んで冒険して、現実の世界に戻ったり、ゲームの世界に入ったり・・・・。おもしろくてすぐによんちゃった。オススメなのは『モモ』。先生に勧められて読んだらすごく面白くて、ママに『この本おもしろいよ」って何回言ったか・・・
ママ、ちょっと読む暇がなくて長くかかったけど、脱落しなかった。すごく面白かったからだと思う。

 

 

というわけで振り返りジャーナルを深める3つのポイントについて考えてみました。

 

1,日々の教室で「振り返り」からの学びが大切にされているか

2,振り返りたくなる「問い」は何か

3,授業での成果で深めたいポイントはどこか

 

だがしかし。

なにより「振り返りジャーナルの価値」を知るには、

ボクら自身が書き続けてみることです。

振り返りを記述することに価値をボクら自身が実感することが、

いちばんの近道だと思います。

 

以下の本はボクの「振り返りジャーナル」です。

最後は宣伝というのがいけませんね・・・・・・

 

 

みんなのきょうしつ

みんなのきょうしつ