ある年、高学年の1学期に「対立解決ファシリテータープロジェクト」に学年で取り組んだ。
学校生活、いや学校生活に限らず人々が生活していると必ず起きる「対立」。
世界にも「対立」は溢れている。
対立は必ずしも悪いことではなく、
対立から何かが生まれることもある。
対立を力に。
まずは自分たちの身近に起きる対立に向き合い、
解決に向かって行動できるファシリテーターをめざそう!
とプロジェクトをスタート。
大まかに扱った内容は以下の通り。
傾聴
オープンクエスチョンで起きたことの理解を深める方法
聴いて書く(ホワイトボード・ミーティングで対立の可視化)
Win−Winの対立解決
様々な解決法
対立のエスカレーター
ロールプレイ場面で解決策を考える
絵本で対立の分析
対立解決のロールプレイ
対立が起きたときにどうファシリテートするか?
実際の場面でファシリテートしてみよう!
あまり時数がとれなかったのでやや駆け足になってしまったが、
一通り体験したところで、
「では9月にこの学習が再開するまでの宿題。実際に対立場面にであったら、ぜひファシリテーターしてみてください。もし自分が対立の本人になったら、だれかにファシリテーターを頼んでみてください。どちらかを体験してみてね。ただし、わざわざ対立起こすことないよ 笑」
で実際の場面での活用へ。
1学期最後のころ。
通学班でのトラブル解決に、4人が乗り出した。
「ボク達で解決するからいいよ」
休み時間に1〜6年生の登校班の子達を集めて、ミーティング開始。
その通学班の担当の先生と一緒に見にいった。2人で「口を出さず最後まで見守ろう」と約束。30分を経て解決策の決定まで見事進んだ。
学級でも、
「他のクラスの○○とけんかみたいになっちゃって。
解決したいから、だれかファシリテーターやってくれない?」
と朝のサークルお願いがでた。
「あ、やるよやるよー!」
たくさんの希望者のなかから、本人が3人を選択。
さっそく休み時間にホワイトボードを囲んでミーティング開始。
「解決策まで出たので、○組に行って,担任の先生に事情話して、○○と話し合えるようにしてくるね」
と他クラスの担任のところへ。
後から聞くと何とか解決したようだ。
いつも全員で解決を目指す必要はない。インフォーマルにその場その場で対立に向き合う構えができていればいい。そのためのちょっとしたスキルを持っていればいい。何より「自分たちにはよりよくしていける力がある」という原体験を積み重ねられるといい。
もちろんうまくいったことばかりではないし、相変わらず、
「せんせー」なんて言いに来る人も学年ではけっこういたのだけれど、
こういう成功体験が一つのモデルになっていくといいなあと思っていた。
そして2学期。
子どもたちがファシリテーターになるのがあたりまえになってきた。
やればやるほど上手になる。
これは大人も子どもも同じこと。
機会が頻繁にあること。
失敗okなこと。
フィードバックがあること。
達成感があること。
成長している実感があること。
「自分も困ったときに周りが力になってくれる」
と確信できること。
これがコミュニティーのベースになる。
私の自由とあなたの自由がぶつかったときに、自分たちで「相互承認するためにはどうすればよいか」を考え続け、試行錯誤し続ける。
一人ひとりがファシリテーターになる意味だ。
先生だけがファシリテーターになっても仕方がない。それは結果として依存を生みかねない。学習者一人ひとりがファシリテーターになる。
それが、よりよい学級、一人ひとりが自分も他者も最大限に尊重するコミュニティーへの一歩。教員も協同探究者として悩みつつ進んでいく。