『学び合い』入門セミナーに参加して
28日、東京で行われたセミナーに参加してきました。
『学び合い』、とても強い関心があり、自分なりに学んできました。
一昨年埼玉で行われた会にも参加しました。
大きな共感を持ちつつ、何か言葉にならない自分の中の「違和感」。
その正体を突き止めたいと思って参加してきました。
いやー、行ってよかったです。
かなりすっきりしました。
行きの電車で、友人のなべちゃんと、
「クラス作り」についていろいろ話していました。
そのときに「学級目標」の作り方とその運用について話していたのですが、それとほとんど同じ話が講師の水落さんから話され、2人でびっくり!
いやーこんなシンクロ、あるものですね。
以下は自分のメモです。
自分用なのでわかりにくいですがごめんなさい。
●『学び合い』がすごいのではない。一斉授業が悲惨すぎる(by西川純さん)
本当にその通りだと思う。
一斉授業の中で一人一人の中に学びが起きているというのはあまりにも素朴な信念過ぎる。
自分に置き換えたらわかりやすい。動員された講演会や研修会で、どれくらい聞いていて、どれくらい学んでいるだろうか?
だが一斉の講演会や研修会でも自分の中の「学びスイッチ」が入るときがある。それはたとえば以下の時。
1,そのテーマに強い関心がある。
2,自分で選んで参加した
3,講師(先生)のことを信頼している。興味を持っている。先生が好きだ。
(そこまで行かなくても嫌いじゃない)。この人の話を聞くと自分が伸びそう
な予感がする。
2は普段の公立の授業ではあまりない。
となると、1か3。
となると、一斉授業では、教材研究をがんばって1を指向するか、3しかな
い。(だが1では圧倒的に時間が足りない。)
3を満たしている人は、学び合いにスムーズに移行できる。
●『学び合い』と、ボクが目指している「ワークショップの学び」は根っこの考え方が同じ。
学習者を信頼する、がベースにある。学習者が自ら活動する時間をたくさん保証する。回答は学習者の中に生まれることを信じている。だから共感しているんだな。
●「知の呪縛』の問題。
すでに知っている状態にあると、知らない状態がどんなものか、うまく想像できなくなる状態が「知の呪縛」。
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知識に呪いをかけられている状態。だから教師自身の知識を子どもと共有するのが難しい。子どもの気持ちがわからないからである。
この悲劇は、日本中(いや世界中?)で毎日繰り返されている。それを超えるのが、学習者同士の相互作用。
ヴィゴツキーの「最近接発達領域」で足場の役割を教師が担うのではなく、相互に担い合う。
このあたりもボクの実践とシンクロする。
●学び合いが成立するには、ベースが必要。
それはボクの場合は「クラス作り」。
子ども同士のいい人間関係作りであり、クラスのチームビルディングであり、教師と子どもの関係作りである。
人によっては教師の権威かもしれない。先生の魅力かもしれない。クラスのルールかもしれない。
学び合いがうまくいっているクラスは、語られていないがそれらがベースとして機能しているのでは?
言い換えれば、「クラスを作る力」がどのような形であれ必要では?いや、それがあれば、ずっとうまくいく。
学び合いと両輪で回れば、加速するのでは?
●学び合いの3つの考え方を体現するのは、思っているよりずっと難しいはず。
ボクの師匠で友人の長尾彰さんは、
「やりかた」より「ありかた」
と言っているがそれと同じ。
ちなみに「やりかた」と「ありかた」の比は3:7。
水落さんのプレゼンを聞いたとき、この比がすとんと落ちた。
「あり方を体現するやり方」=「考え方を体現する方法」はあり得る。
●西川さんの以下の話。納得。
「多くの素晴らしい教師が、素晴らしいクラスと授業を実現したのは、玄人うけする内容、当意即妙の発問、ゲーム性の高い課題ではない。
本当の原因は、そのような研鑽を続けた熱意、学校教育の意味や子どもをどのようにとらえているか、という考え方。
『学び合い』の教材研究はプラスするのではなく、極限までそぎ落とす。
そぎ落とした課題でも全員達成できるクラスづくりを可能とする教師の心を大事にします。」
●自然発生か、ワークショップのようにある意図を持ち込むか。
たとえばグルーピング。
たとえば振り返り。
●PBLは、学び合いの概念に含まれる?
LCは?WWは?
続く。