読みたい本が増えた!「これからの教育を考える20冊」が広がってきた。
一昨日のエントリー、2日間で約1万というびっくりするほどのアクセスありました。
独断と偏見なので、そんなに広がるとちょっと焦りますが、でも自分がいいなと思う本で人とのつながりができるのはうれしいなあとも思います。
この記事に呼応する形で、静岡大学の亘理さんが「独断と偏見による、これからの教育を考える20冊」を挙げてくださいました。
教育社会学的・行政学的視点で現状を見つめ歩きまわるところから入って、教育方法学的考察へ。そのためには知識(を得る意味)とは何か、学びとは何かを問い直したいし、教育に携わる者自身が学びを楽しんでいるかが問われると考えている。
に共感。
そこが出発点だと思います。
14,15,18,19,20が未読。
早速ポチってしまいました。新しい本との出会いはうれしい。
『センスは知識からはじまる』なんて気になるタイトル。
このようなリストの共有は、自身の視野を広げてくれるのでありがたいなあと思います。
デボラ・マイヤー、鈴木大裕の本はぼくも入れようか迷いました。
板倉の本があるのもグッと来るし(ぼくは若い頃仮説実験授業に傾倒していたので)、拙著もあげてくださり、うれしいやらうれしいやら。
亘理さん、来年度、静岡に伺います!
本のことであれやこれやお話ししたいですし、英語のカリキュラムについてもお聞きしたいことが山のようにあります。
刺激的なリストをありがとうございました。
では今日もよい1日を!
独断と偏見による、これからの教育を考える20冊。
今日は雑誌の原稿を2本何とか書き終えました。やれやれ。
今、軽井沢風越学園準備財団では学校準備を進めています。新しい「普通」の学校、新しい「普通」の教育ってどんなカタチだろう、と日々考え、悩み、対話しています。
そのプロセスはメルマガで配信しています。ぜひ読んでみてください。
お読みいただいて「情景」についていろいろ話したいです。
かぜのーと 第7号(2017年11月15日発行) – 一般財団法人軽井沢風越学園設立準備財団
さて、これからの教育のカタチを考えていくときに、
「ここを出発点にしたいなあ」
「この本は読んでおきたいなあ」
「この本をベースに議論・対話したいなあ」
という本があります。
今日は、ぼくの独断と偏見で「これはいいなあ」と思った本を紹介します。
名著は古典にもたくさんあるので、今回選んだ条件としては以下の三点です。
①わりと最近出た本
②わりと読みやすい本(専門書をのぞきました)
③自著はのぞく(自制心)
まずはここを出発点にしたい。
0(大前提)
①
すべてはここから始まります。何度読み返しても発見があります。さらっと読み流していたところが、読み返すと「がつん」と入ってくることがあります。
ちなみにぼくの『教育の力』はもう3代目。1代目には2014年に苫野さんにもらったサインが入っているんですよね。なんだか感慨深い。
②
あそびとまなびを分けて考えるところから、ぼくらはいろいろ間違えているんだと思います。あそびはまなびでまなびはあそび。教育を考えるならここもまず出発点。学校は今ここに向き合わなくてはだと思う。子どもの育ち、ぼくらはどんな社会をつくりたいのかから考えたいです。
★自己主導の学びや学びの個別化を考えるときに。
③
ようこそ,一人ひとりをいかす教室へ: 「違い」を力に変える学び方・教え方
- 作者: キャロル・アントムリンソン,Carol Ann Tomlinson,山崎敬人,山元隆春,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2017/03/17
- メディア: 単行本
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これは書評を書いています。
④
オランダの個別教育はなぜ成功したのか イエナプラン教育に学ぶ
- 作者: リヒテルズ直子
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2006/09/07
- メディア: 単行本
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今はもはやキンドルでしかないみたい・・・イエナプランは必ず触れておきたいコンセプトですね。
⑤
ブレンディッド・ラーニングの衝撃 「個別カリキュラム×生徒主導×達成度基準」を実現したアメリカの教育革命
- 作者: マイケル・B・ホーン,ヘザー・ステイカー,小松健司
- 出版社/メーカー: 教育開発研究所
- 発売日: 2017/04/06
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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これも書評あります。これからの教育を考える上では必読です。
★ワークショップの学び
ワークショップの学び。ぼくの実践の核の1つでした。
訳本を読んだ上で実践編の『作家の時間』を手にとってほしいなあと思います。
国語教育を見直す契機になるはずです。
⑥
ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)
- 作者: ラルフ・フレッチャー,ジョアン・ポータルピ,小坂敦子,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2007/03/01
- メディア: 単行本
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⑦
リーディング・ワークショップ?「読む」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ《ワークショップで学ぶ》)
- 作者: ルーシー・カルキンズ,吉田新一郎・小坂敦子
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2010/07/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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⑧
作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)
- 作者: プロジェクトワークショップ
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2008/04/01
- メディア: 単行本
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なお、リーディング・ワークショップ、ライティング・ワークショップを本格的に学んでみたい方は、あすこまさんのブログがオススメです。
ぼくの実践は、このブログの検索欄に「ライティング ワークショップ」と入れていただくといろいろ出てきます。
⑨
- 作者: リンダダーリング‐ハモンド,Linda Darling‐Hammond,深見俊崇
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2017/05/26
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ワークショップの学び、 協同の学びについての理論的背景を知りたい方はこちら。
訳本が出て嬉しい限り。
★探究
⑩
いやあ、これは必読。結局ぼくら自身が<探究人>になることがスタートです。
この本を読んだら以下の本も。
⑪
- 作者: キャシー・ハーシュ=パセック,ロバータ・ミシュニック・ゴリンコフ,今井むつみ,市川力
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2017/08/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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これは必読中の必読。新指導要領でも「資質・能力」に焦点が当てられていますが、非認知能力への注目度が高いです。
この本で挙げられている6つのC。
コラボレーション
コミュニケーション
コンテント
クリティカルシンキング
クリエイティブイノベーション
コンフィデンス
この6つのCは、子どもの発達についての研究にもとづいた何十年にもわたる学習科学の成果から生まれているのがポイントです。ただの直感とか経験知じゃないのよね。
このスキルはm持って生まれたものではなく「学ぶことで伸ばすことができる」スキル。これすごく大事。もう一つのポイントは、これは教えるためのスキルではなく、学習者自身に焦点をおいた「子どもがどう学ぶか」であること。この6つはカリキュラムの視点にもなるし、なによりプレイフルに学ぶことの価値を再認識させてくれます。
いやあすごい本です。翻訳もすごく読みやすく(さすが市川さん!)、これからの教育には必読書です。タイトルがキャッチーですが骨太です。
⑫
現場にいたら必ず実践していたなあと思います。
イーガンの本はどれもいいけれど、まずはこれをオススメします。
⑬
たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」
- 作者: ダンロスステイン,ルースサンタナ,Dan Rothstein,Luz Santana,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2015/09/04
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考え方を「やり方」として昇華した本。やり方の中に考え方が内包されています。
誰でも実践できるけれど、奥深い。
プロジェクトベースの学びに関心がある方は、ここからスタートしてはどうでしょうか。
⑭
作ることで学ぶ ―Makerを育てる新しい教育のメソッド (Make:Japan Books)
- 作者: Sylvia Libow Martinez,Gary Stager,阿部和広,酒匂寛
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2015/03/25
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「作ることで学ぶ」。シンプルな言葉ですが、人が学ぶってそういうことだなあとしみじみ。学びの真正性は「つくりたいものをつくる」が スタートだなあ。
この本に載っている教員研修は、ぜひ実現させたい。
★学校づくり
⑮
アメリカの教室に入ってみた: 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで
- 作者: 赤木和重
- 出版社/メーカー: ひとなる書房
- 発売日: 2017/01/16
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アメリカの貧困地区の公立学校のルポもさることながら、新しいインクルーシブ教育を展開している私立小学校の紹介を通じて、「インクルーシブ教育の新しいかたち」が提案されている本。 ボクは特に第3部にしびれました。
第3部 インクルーシブ教育の新しいかたち
第1章 小さな私立学校とインクルーシブ教育
第2章 New Schoolの概要
第3章 流動的異年齢教育
第4章 流動的異年齢教育を可能にするもの─個別化・協同化・プロジェクト化
第5章 流動的異年齢教育の意義
第6章 インクルーシブ教育の新しいかたち─違いを大事にしながらつながる
ぼくらが軽井沢風越学園で実現しようとしていることとの共通点の多さにも驚きました。現地の情景が浮かぶ読みやすい文体。一見軽いタッチの文章の中に、本質的な問いが浮かび上がってくる。現在の日本のUDへの批判も柔らかく、でも鋭く練り込まれている。いやあ、すごい本だ。
⑯
イギリス教育の未来を拓く小学校 「限界なき学びの創造」プロジェクト
- 作者: マンディスワン,アリソンピーコック,スーザンハート,メリージェーンドラモンド,藤森裕治,新井浅浩,藤森千尋
- 出版社/メーカー: 大修館書店
- 発売日: 2015/07/01
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学校づくりを質的に研究した本。学校組織マネジメントやリーダーシップに関心がある人はぜひ。こんな学校、こんな校長先生は本当にすてき。
⑰
学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する
- 作者: ピーター M センゲ,ネルダキャンブロン=マッケイブ,ティモシールカス,ブライアンスミス,ジャニスダットン,アートクライナー,リヒテルズ直子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2014/01/30
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17番目に書いているけれど、本当は1番(いや『教育の力』が1番だから2番だ)。
もう全員に読んでほしい!辞書並みに分厚くてまず見た目に圧倒されますが、中は極めて読みやすいです。事例も多いので興味あるところから自由に読めます。
私たちは自らにこう問わねばならない。
「私のものの考え方が、子どもの学習を妨げているのではないか」
「私のしていることは、子どもを今の状態にとどめているだけではないか」
こうした厳しい問いかけがなければ、本書における「学習する組織」の考え方は、学校での仕事に表面的な変化をもたらすだけに終わるだろう。 (『学習する学校』496ページ)
この本を出発点にして学校や教育を考え合いたいなあ。
★あり方を考える
⑱
かかわり方のまなび方: ワークショップとファシリテーションの現場から (ちくま文庫)
- 作者: 西村佳哲
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2014/10/08
- メディア: 文庫
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⑲
技法以前―べてるの家のつくりかた (シリーズ ケアをひらく)
- 作者: 向谷地生良
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2009/10/01
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教育って結局、ぼくら自身の「あり方」がスタートなんだと思います。
本を読んだからどうにかなるという問題ではないけれど、でも読んで考えるのって大事。
ちなみに、大学院での「学校教育ファシリテーターの養成」の授業では一番人気の本が「かかわり方の学び方」でした。
⑳
あなたのオススメの本を教えてください!
おまけ
今一番気になってる本。注文済み。
「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる
- 作者: ダグラス・フィッシャー,ナンシー・フレイ,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2017/11/17
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学生を自己調整学習者に育てる:アクティブラー二ングのその先へ
- 作者: L.B.ニルソン,Linda B. Nilson,美馬のゆり,伊藤崇達,深谷達史,岡田涼,梅本貴豊,渡辺雄貴,市川尚,畑野快
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2017/07/14
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番外編 :この本も気になる1冊。子育て世代の方はぜひ。
私たちは子どもに何ができるのか――非認知能力を育み、格差に挑む
- 作者: ポール・タフ,駒崎弘樹,高山真由美
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2017/09/06
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「豊かさのなかで育った子供にあって、貧しさのなかで育った子供にないものはなんなのか?」というストレートな問いに答える本。この本もまた非認知能力に焦点を当てています。
「非認知能力は教えることのできるスキルである」と考えるよりも、「非認知能力は子供をとりまく環境の産物である」と考えた方がより正確であり、有益でもある。
〜子供たちのやり抜く力やレジリエンスや自制心を高めたいと思うなら、最初に働きかけるべき場所は、子供自身ではない。環境なのである。(p27)
非認知能力が注目されると、それにすぐにストレートにアプローチする=教えるということをしがち。でもこれは間違い。
ということは、学校にできることがある、ということ。
その環境作りの視点として、デシ&ライアンの自己決定理論を論拠に具体的な提案がなされています。ぼくも学級経営の授業ではこの自己決定理論を紹介しているので、その点ではちょっとうれしかった。なにより非認知能力を個別の技能ではなく、「子供たちが学習をしている現場の状況に大きく左右される習慣や態度、ものの見方である」としている点が興味深い。学校でどのような継続的な体験の積み重ねができるかが決定的に重要ということです。
後半で紹介されている学校もチェケラ!です。サイトは英語だけど・・・・・・・
ああ、この本入れるの忘れてた。これもいれる!
『学び合い』の本も1冊入れたいのだが、多すぎてどれがいいのか・・・・
ちなみにぼくが一番影響を受けたのはこの本。
単元内自由進度算数の子どもの評価。
この本が好きです。
子どものことを子どもに聞く。当たり前のことだけれど、ぼくらはなかなかできていなかったりします。特に学校教育において生徒が参画できる場面は少ないでしょう。
『学習する学校』でピーター・センゲはこう喝破しています。
産業化時代の学校には、現代社会にある他のどんな制度にも見当たらない1つの構造上の盲点がある。この盲点は、学校システム全体がどう機能しているか、振り返って意見を言える唯一の存在が発言権を持たず、変革を導く意味あるフィードバックを与える権力を持たないことから生じている。この存在とは生徒だ。生徒こそ、クラス全体、家庭でのストレス、メディアが発するいくつもの対立するメッセージ、そして環境全体を見ている唯一の存在だ。
顧客は会社が作ったものを受け身で買うが、生徒は顧客と異なり、学校は達成すべき成果を一緒に作る人だ。生徒が自ら関わらないところに学習はありえない。私は学校における深くて持続的な進化発展のプロセスへの真の希望は生徒にある、と信じている。
学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する
- 作者: ピーター M センゲ,ネルダキャンブロン=マッケイブ,ティモシールカス,ブライアンスミス,ジャニスダットン,アートクライナー,リヒテルズ直子
- 出版社/メーカー: 英治出版
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例えば、ある年に聞いた、算数の単元内自由進度学習(1つの単元内で自分のペース、学び方で学ぶ学習の個別化)の評価。振り返りジャーナルで聞きました。
①今の算数の進め方のメリット
②今の算数の進め方のデメリット
③意見、感想、評価
まずは①の今の算数の進め方のメリット。
・一人で集中することができたり、みんなでやりながら教えあえることです。一人でどんどん進めていってわからないところがあったら人に聴きにいけます。
・自分のペースで進められて難しい問題とかにも挑戦できてうれしい。他の子がわからなくて、私が教えてその子がわかるようになると私が役に立てたみたいでうれしい。
・どこが間違ったのか、探究できるし、詳しくわかるようになった。一人でわからない問題も協力して何人かでやってもいいというのもメリット。
・自分の説明力みたいなものが自分の力になるのがメリットだと思います。
・この進め方のメリットは,まずわからないことを人に聴くことができることです。これはみんなで一斉に同じことをするのでできないことだと思います。人に聴けば質問した人もわかるようになるし、教えた人もかしこくなるから。
・私の進め方は、わからないことがあったらすぐに聴くのではなく、よーく考えて,それでもわからなかったら友達や先生に聞くようにしています。
・教えたり聞いたりできるところです。わかっていても教えるのはすごく難しかったりして,すごく勉強になります。聴きに行くことで関係も広がります。
・友達を見ていて「わたしもだれかに教えてあげられるような人になりたいなあ」って思います。
・自分のペースでチャレンジゾーンにはいれること。
・わからなかったときにすぐに聞けるのがいいです。わかっている人はいろいろな人に教えたり、いろんな人同士で難しい問題の解き方を言い合えて考えが深まったり広くなったりできると思うので良いところだと思います、
・分かりやすい友達の所に行ってわかるまで聞けること。そして自分も教えられるってところ。いろいろな人に聞けるから、いろんな人の考え方が聞ける。このやり方でテストもよくできるようになった。普通の進め方の時は、先生に聞いても1回聞いてわからなかったらもう1回聞けない。聞きにくい。
・みんな一斉じゃないのがいい。
・みんなが公平に参加できるのがいいと思う。
・ゴールが書いてありはっきりしていてわかりやすいし、手順もわかっていい。
・今までわからなくても進んでいくことが多かったけど、今は自分で粘れるし、教えてって言えます。あとは教科書よりももっと難しい問題にチャレンジできることです。もっと上へチャレンジできるのがいいことだと思います
・このやり方で私は算数の成績があがりました。それはいつでも友達に聞けるし、わからないままにしないでしっかり理解するまでやるからだと思う。デメリットは私的には特にありません。友達関係もよくなるしね。
・苦手な単元はゆっくりあせらずやれるし、得意な単元ならばどんどん進めていけるし,ハイクラス問題まであるから。
・予定表を見ながら進められるし、どこが終わったのか予定表を見るとわかるからいい。何時間までに終わらせられるかもわかって、その時間まで順調に進んでいるかわかるのがいいなと思う。
・好きなときに,好きな人に聞けるし、予習ができるのがいいです。
・いつのまにか他の人と話せるようになりました。
②この進め方のデメリット
・自分は少し教えてもらう回数が多いかなあと思っています。だから聞かなくても,逆に教えられるよ、というぐらいがんばりたいです。いつか恩返しができる位、予習復習をします。
・あまりないなかなと思います。
・気軽に聞けすぎるところかな。だから始めに集中タイム、あとから学び合いとかそういうのもいいなあと思います。
・あまりないけど、一緒に学ぶ人を決める時に仲がいい人とかで失敗してしまったり、ハイクラス問題行く人はどんどん進められるけれど、教科書を粘っている人とかは、テストの裏の応用問題が苦手になるかも、というところが少しデメリットかなと思います。
・もし仲良しと固まってふざけたりしたら、そこはデメリットだと思う。普通の授業なら話すことはあまりないから。
・ちょい不安なときもあります。「本当にこうなのかなあ」とか思うと気があります。そういうときはやり方だけでも先生にしっかり教えてもらいたいなと思ってます。
・仲良しで集まって違う話をするってことはあると思います。
・気づくと声が大きくなってうるさくなるときがあること。
・自分に集中してしまうことかな。
・少しは教えてほしいです。
・疲れているときは他のことをしゃべったり、時間を無駄に使っちゃうことがある。
・他人に集中しすぎて,自分が進まないってことがたまにあります。
③、意見、感想、評価
・このままでいいと思います。教えあったり,一人で集中したり,自分の力になることがあるからです。
・今のところ順調です。わからなかったらちゃんと聞くので大丈夫。
・すごくこのやり方はいいと思います。こっちの方が勉強が進むし、知識も増える。終わった後にハイクラス問題ができるのもすごくいいです。
・私は初めてこんなに成長したと思います。自分で言うのもだけど…このままのやり方がいい。成長できる。
・自然に男女のかんけいが広がるのがいいと思う。
・ものすごく自分のためになっていることはわかるんだけど、さっき書いたように基礎や難しい問題はしっかり教えてもらいたいです。ご検討くださいませ!
・人間関係も良くなっていいと思う。
* * *
「教科書を粘っている人とかは、テストの裏の応用問題が苦手になるかも」等々、単元内自由進度の限界も指摘されていて、改善のための視点として考えさせられます。
ゆるゆかな協同性の意義も語られています。教師の役割への注文も。
「学習者に聴く」ということは新任の頃から仮説実験授業に鍛えられました(授業の評価は学習者がするという原則)。聞いてみなくちゃわからない。それは大人も子どもも同様です。
振り返りジャーナルはフィードバックの機能もあるのです。(自分の足りなさをなんど突きつけられたことだろう………)子どものことを子どもにきく。学習者からフィードバックをもらって改善する。大事にしたい原則です。
というわけで、教職大学院での授業でも振り返りジャーナルを書いてもらっています。同じ内容の授業のはずなのに、一人一人の学びも気づきも全然違う、という当たり前の学びの原則に気づかされる毎回です。
毎回文字数が増えていくことが嬉しいなあ。ジャーナルが短い日は、気づきの少なかった日・・授業の改善ポイントが見えてきます。しゃべり倒したときはたいていダメだな−・・・・
無事コメントを書き終えたのでおビールをいただきます。
草抜きを遊ぶ。
学校の校庭って、雑草がバンバン生えてきて大変。ぼくが勤務していた学校では、2学期の朝会ではよく「雑草抜きの時間」がありました。なかなか不評の時間です。まあそりゃそうですよね。
ある年の9月の「学年朝会」の話。
学年朝会は、学年で内容が決められる朝会です。前日の担任3人での話。
「なにやろうか?」「2学期の最初だしさあ、あそんじゃいたいなあー」
「あのー、雨上がりだし,雑草も抜きやすいから校庭の雑草ちょっと抜きたいんですけど・・・校庭雑草多いと困るし、体育的にもやってもらえると・・・・」←体育主任
雑草抜きかぁ・・・この暑いのに・・・正直思ったものの、彼の立場を考えるとこの意見は大切にした方がいいなあと思いました。ココで闘わない。
「じゃあ、そうしようか。話し聴いてるだけよりいいかもね」
「そうしましょう!」
「でも、子どもたちいやだろうなあ・・・・」
↑この感覚ってすごく大事だなって思います。これが出るのはいい学年チームだったなあ。
「確かにねえ。。。じゃあ、せっかくなので楽しんでやっちゃおうよ。クラス対抗で抜こうか。笑」←ぼく。
「あ、それいいですね! 笑」
「じゃあ、ぼく進めていいですか?」← ぼく
「お願いします−」 という会話で決まりました。
小さいこともでも必ず3人で話すということを大事にしつつ、全部を決めずに概略が決まったら担当が自由に進める、ということも大切にしていました。
たった2分のインフォーマルな会議。繰り返すと決めるのもスムーズになります。学校の会議って、少人数ベースのこういう形に変えていくのがいいと思ってます。それはまた別の話。
そして当日の朝。 子どもたちは校庭に集まっています。
ぼくはこんな話をしました。
「おはようー!学校始まっちゃったねえ−。夏休み終わって残念だ−って人?ああ、多いね 笑 ぼくも実はそう。7月18日に戻ってクレー!って感じだよね…」
「ちょっと校庭見回してみて。そう、雑草すごいよねえ−!草原みたいな校庭になりかけてるんだよ!このままじゃ体育とかしにくいし,体育大会の練習も大変だよね」
ザワザワ
「あ、気づいた?そう、今日はみんなで雑草抜きたいと思います 笑 6年がやらなくちゃならないみたいなので、申し訳ないけど手伝ってください。お願いします。」
エー!さいあくー!
「正直な反応ありがとうございます。
ただ抜くんじゃたしかにつまらない。そこで!!
第68回 クラス対抗雑草抜き合戦をやります! ルールは簡単!
①とにかく抜きまくります。
②抜いた雑草をクラスごとに山にします!
③制限時間は10分!
④勝敗は『山の高さ』です!工夫してビックマウンテンを作ってください。」
「どうせ抜くなら楽しんでやっちゃおうよ。 楽しんで,結果校庭がきれいになれば、一石二鳥。感謝もされるし楽しい! こうやって楽しみに変えていくワザってけっこう大事なんだよー。 というわけで、ばかばかしいと思いつつもお付き合いください!ではスタート!」
しょうがないなあと言う空気がありつつ、思ったよりも盛り上がりました。 すごい勢いで抜いていきます。 途中から体育主任のクラスは、1m近い長い雑草を真ん中に立てようとしています。
なんたるワル知恵!おもしろい! 「あーあれずるいー!」 「いや、かしこいんだよ 笑」とぼく。 「おれらは、正々堂々と山で抜いてやるぜ−!」と男子A。 10分後。生け花方式は強かったです。 体育主任のクラスの勝ち!
「では優勝賞品です。みなさん、抜いた雑草をゴミ袋に詰めて、『優勝おめでとう!賞品です!』と優勝チームの皆さんに渡してください。優勝チームの皆さん!雑草置き場まで運ぶのよろしくー!」
というわけで楽しく雑草抜きをしたのでした。 とはいっても、優勝チームが全部持って行くわけではなくて、そこもちょっとしたお遊び。
「まあ,そうはいっても重いだろうからみんな手伝ってね−」と声をかけ、けっこうな人数が手伝いに行ってくれていました。もちろん全員が行っていなくていい。 そのゆるさって大事です。まあ、なんということはないのですが、こうやって楽しんじゃうのっていいですよ。
「まんまとイワセンの罠にはまって盛り上がっちまった」とBくん。実践としては全く持ってなんてことないのですが、学校文化が持っている「表向きのストーリー」にはこんな向き合い方もある、ということを書いてみたくなりました。
ちなみに、ぼくは無言清掃って苦手です。ぼくは家で掃除するとき,音楽かけて歌いながらやっている。娘と「床ふき競争」とかして楽しみながら、「うわーみて!こんなにきれいになってる!」って一緒に喜ぶ。 そんな日常の楽しみ方、みたいなものって普段の生活の中にあっていい。日常と学校の乖離には敏感でありたい。
すべての場面を「指導」という言葉で埋めることはないんだよな、って思います。
環境をつくるのはだれか。
教室の中にはたくさんの掲示物がある。学校によっては統一した掲示物にしているところもあるだろう。新学期になると、先生が教室のロッカーに一人ひとりの「名前シール」を貼ったり、昇降口の下駄箱に名前シールを貼ったりする。放教室に季節の飾り付けをするのも先生。掃除当番表も、給食当番表も先生が美しく作って掲示する。そして教室は「先生が丁寧に創り上げた場所」となる。ここで学ばれていることはなんだろうか。
「自分がやらなくても自分の周りの環境は自動的に整っていく。」
「自分の周りを居心地よくするのは先生の仕事。」
よかれと思っていることが子どもたちの自主性を阻害し、「やってもらうが当たり前」という受け身にさせている。
自分の環境や未来に関与しなくてよい、という体験の積み重ねが生み出すことは何か。
学習環境も学習者であり、その場の主体である子どもたちと一緒に創っていけばよいのではないだろうか。
「教室のロッカーに一人ひとりの名前シールを貼る」には他の方法はないだろうか。「先生、ロッカーに名前シールが貼ってありません。」「ほんとだねー」「誰がどこに入れるかわかりません」「そっかー、それは困ったね。で、どうしたい?」「名前シール貼りたいです。」「お!いいアイデア。どうぞどうぞ。そこにシールもあるし、名前の印もあるよ。あっちのテプラもあるから使ってもいいよ。説明書も入ってるから読んで使ってみてねー」これで何の問題もなくスタートできるはずだ。
「先生、給食献立表ないと明日の給食が何かわからないです」「確かにそうだね」「貼っていいですか?」「いいも悪いも、みんなの教室なんだから、いいと思ったことは、ぼくに断らずにやるといいよ」
イラストが得意な子が手伝ってくれたりして、美しい「給食献立表コーナー」ができあがる。
困ったら、不都合を感じたら、自分たちでなんとかしていく。そうして、自分たちで教室をつくっていく。「〜したい」が大切にされる環境の中で、学習者の中に環境への当事者性が育つ。
小さなことだけれど、学校文化を変えていく確かな一歩のはず。
本番とお稽古
自分の関わる様々な場でファシリテートしてみること、例えファシリテーターはできなくても「ファシリテイティブにそこにかかわる」ことを意識してみることをオススメしています。
だって1学習者だった私たちが、まさに「自分で学び、成長できるように」なってきているし、「学習する内容を成熟するまで学び続け」ているわけだから。ファシリテーターは学習者がファシリテーターになれるようにすることだし、ファシリテーターを育てて行くことでもあるのかなーと思った。
席替えを完全くじ引きにすること。
ある年に原稿で書いたことをリライトして整理しました。
今はまた違うアプローチをするかなと思いますが、載せてみます。
うちの小学生も席替えに一喜一憂。席は先生が決めているみたいです。
・席替えは完全くじ引き制
ぼくが小学校の担任をしていた頃、学級での席替えは月に1度、完全くじ引き制でした。4人ずつのアイランド形式に並べられた席で、割り箸に数字が書かれたくじを引いてその席に座ります。毎回悲喜こもごも。そんな中、私は子どもたちにこんな感じの話をしていました。
ぼくたちはこれからの人生でたくさんの人と出会います。価値観が合う人もいれば、合わない人もいる。それは当たり前だよね。全員と親友になれる、友達になれるというのはどうやらウソらしいということに気づいてきたでしょ?(笑
でも自分の考えの違う人ともいい関係をつくる、せめて傷つけあわない関係をつくるってとても大切なことだと思うんだよね。そのことを難しい言葉で多様性っていいます。
『へえ、自分とは考えの違う人がいるんだなあ』という当たり前のことに気づいて、その人ともいい関係をつくる。せめて故意に傷つけ合わない関係をつくれるといいね。
お互いの『違い』を強みとして活かし合えるような関係になったら、もっとステキだよね。
・ランダムが生む新たな関係性
くじ引きですから、当然「ああ、あの2人が一緒になってしまった・・・」みたいなことも起こります。1ヶ月間、机の下でお互いのことを蹴り合っていたり(笑)。でも数ヶ月後、運命のいたずらでまた同じ席になった2人は、結果、自然にトラブルなく暮らすことができるようにになったこともあります。
「なんかオレたち成長したよね-」なんて言いながら。
こんなこともありました。
とてもおとなしい真奈美さん。教室ではほとんど話しません。そんな真奈美さん、なんという偶然かクラス一活発な(にぎやかな)浩一君とくじで隣になりました。どうなるかなあと、ちょっとひやひやしながら観察していました。
あまりにもズカズカとその女の子に踏み込んでいってコミュニケーションをとる浩一くん。なんと真奈美さんの心の壁はスッと下がっていったのです。1ヶ月後には2人で算数の時間に、
「こういちー、今日はどっちが早く解けるか勝負!」なんて教室で思わず言っちゃうように。それ以来真奈美さんはクラスでも自然に話すようになりました。浩一くんの遠慮なさがうまくいくこともある。もしかしたら「おとなしい子」というラベルが邪魔をしていたのかもしれません。ランダムによる偶然の出会いは、担任が想定していない、こんなステキな出来事を起こしてくれることがあります。
どうしてもぼくたちは、「この子はリーダー」とか、「この子はおとなしい」とか、「この子とこの子は相性が悪いから一緒にしない方がよい」などの先入観を持ってしまいがちです。それらの先入観にはある程度根拠らしきものがあるので、「だからリーダーを各班に分けよう」とやってしまいがち。しかしそれでは、いつも決まった子しかリーダーをする機会がありません。その先入観が成長のチャンスを阻害することもたくさんあるように思うのです。
ランダムに席を決めることにより、様々な可能性に開かれます。自分では選ばないような人との機会が生まれるのです。
・多様なメンバーと関わる機会は実はあまりない
教室という場は、実は多様な人と関わる機会があまりないのが現状です。一斉授業がメインだとすると、授業中は多様なメンバーと関わる機会はほとんどありません。休み時間はたいてい、いつも決まった数人のメンバーで過ごします。給食の時だけグループでおしゃべりしながら食べる。そんな感じです。実は教室の中でコミュニケーションを頻繁にとっている相手はごく少数なのです。そしてそのメンバーで固まり始めると、排他性を生み出していきます。流動的に多様な人たちと多様な人間関係を作っていくにはなんらかのきっかけが必要です。子どもたちが自分で突破していくのには限界があるのです。そこに教員の役割があります。学級の中で多様な人に出会う。対話を重ねる。年間11回、毎月席替えを繰り返すことで、多様なメンバーと関係性を構築する機会となりそうです。
(席替えは週1回でも、あるいはフリーアドレスでよいのかもしれませんね。)
人間関係の流動性を確保するには、席替えだけではもちろん不十分です。私は、
①自由に席を移動して学ぶ、ゆるやかな協同ベースの個別化の時間。
②班で行う協同的な学習、
③班とは別の新たなメンバーで行う協同的な学習
④会社活動(係活動)など、1日の授業の中で多様な人と関わりあう機会
等を頻繁に設けていました。
①がけっこう多かったので、実質、学ぶ場・座る場を自己決定できる時間が毎日ありました。これすごく大事ですが、またそれは別の話。
また朝の会は「朝のサークルタイム」として、全員で丸くなって進めますが、その際も、「毎日両隣を変えて座ろう」と提案していました。
特に初期は意識して「関係を混ぜ」(リワイヤリング)、コミュニケーションの量を貯める機会を増やす。担任の大事な仕事だと考えています。このような機会を作り続けることで、「だれとでもそこそこうまくやれる」という開放的な人間関係を築いていくチャンスがふえます。
ある年の新学期が始まって6日目。6年生の振り返りジャーナルにはこうありました。
クラスが始まって1週間たったけど、もう元1,2,3組が混じり合って、もう誰が何組だったかわからないくらい。いろんな人としゃべったり教え合ったりしています。男子とも普通にしゃべるようになっててびっくり。3組はすごく居心地がいいです
もちろん、いいことばかりがあるわけではありません。
多様なメンバーと関わる機会が増えれば増えるほど、当然対立やトラブルも起きます。でもそこにこそ学校の意味があると考えています。そもそも私たちが社会で生きていくとはそういうことなのです。その対立をどう超えていくか。その対立を自分やコミュニティの成長にどう変換していくか。その違いをどう承認しあうか。そのことを体験的に学ぶ場が学校ではないでしょうか。
「じゃあ、席替えを毎月くじ引きにすればいいのか!」という話ではありません。くじ引きの席替えはあくまで方法にすぎないのです。学級の状況ではそれがうまくいかないこともあるでしょう。目的と学級の状況に応じて、適した方法を選ぶこと。その見極めがぼくらには求められています。
・人間関係の流動性
苫野一徳さんは、『教育の力』(講談社現代新書)の中で、逃げ場のない教室空間が、今日のいじめや苛烈な人間関係の、もっとも大きな要因になっているとしたうえで、それを克服するために以下のような提案をしています。
〜それぞれの生徒が、自分なりの仕方で多様な人たちと多様な人間関係をできるだけ豊かにつくっていける環境を整備することです
人間関係の流動性をある程度担保し、同質性から離れられる機会を保障するのです。そのことによって、多様な生徒たちが、<自由>な存在同士として相互承認の関係を互いに築き合っていけるような機会を作り出す。そうした一定の流動性に開かれた学校空間の設計が、今日きわめて重要なのではないかと思います。
ぼくはこの論に同意しますそしてそのための方法の一つが「席替えのくじ引き制」だと考えています。
もちろんいつでも流動性があればいい、という単純な話でもありません。
かつての学級では、例えば「掃除」は、「お掃除プロ制度」として1学期間同じメンバーで同じ場所で行っていました。これは、清掃を「掃除プロをめざすプロジェクトチーム」と位置づけ、目標を達成するためのプロジェクトチームとして学び、対話を重ねてチームとしての成熟を大切にしていたからからです。学習の中でもプロジェクト学習の中では一定期間同じチームで学びます。このようなコミュニケーションを深めながら目標に向かっていく機会の場合は、その期間「替えない」ということを大切にします。しかしこれも解散→次のプロジェクトで新たなメンバーで再結成というプロセスを踏んでいました。
とはいえ。
今の学校はあまりにも流動性が低いのではないでしょうか。意識して流動性を高める方策が必要だと考えています。