『深い学びを促進するファシリテーションを学校に』は必読。
すごい雨ですね。
明日、明後日と予定されていた、
岩瀬直樹 × 青木将幸「学び」と「ファシリテーション」の2日間
も中止となってしまいました。皆様に被害が出ませんように。
またどこかで必ず。
岩瀬直樹 × 青木将幸「学び」と「ファシリテーション」の2日間
大学院の研究室にて。研究室が懐かしい。
さて、マーキーこと青木将幸さんの待望の新刊がでます。
これまでもマーキーのファシリテーションの本は何冊もありどれもお薦めですが、今回は学校教育にフォーカスした本。教職員必読ですね(実は、学びの場に関わっている人すべてにおすすめ。学校教育に閉じた本ではないです)。
ぼくとマーキーの出会いは、15年ほど前。
学校にお呼びして、学校のリアルな会議をファシリテートしてもらいました。あのときの会議での確かな手応えが、「公立の学校も変わる!」という原体験になり、今の学校づくりに繋がっています。それくらい強烈な体験でした。実はある論文にそのことを少し書きました。読みにくい文章だけど、ちょっと引用してみます。
2003年、小学校現場に戻った私は2年生を担任した。実践の中にワークショップの要素を入れ始めていたが、なかなか手応えを感じられずにいた。ただ自身が体験したアクティビティを学級でやってみるぐらいしかできていなかったからだ。
職員室もなかなか変わらなかった。いや変えられなかった。校内研修に前向きにならない同僚、旧態依然としたやり方を変えようとしない同僚に、私はいらだっていた。やはり制度としての学校はなかなか変わらない。学校とはかくあるものという「学校についてのストーリー」が、実は一人一人の「学校のストーリー」へと身体化してしまっている。この中にいる限りそれは変えられないのではないか。
いや、自分が体験したように、職場の同僚も体験が必要なのではないかとも考えた。言葉で伝えてもわからない、私だって体験することから変化しはじめている。別の場の体験が人の信念を変えるきっかけになるのかもしれない。
そこで「来年度の校内研究のテーマを何にするか」という職員の話し合いに青木将幸 さんというプロのファシリテーターを招く計画を立てた。学校外と学校内を直接つなごうとしたのだ。今思えば本当に大胆で、しかもよく管理職がOKしてくれたと思う。
先輩と何とか管理職を説得して実現の運びとなった。講師料は先輩と折半し、管理職には「ただで来てくれる」とうそをついた。
学校での会議、私が体験してきたほとんどすべては、机をロの字にならべる会議の形態。意見を言う人はいつも限られていた。内職をする人、いつも対立する人。生産的な場とはほど遠い場であった。 青木さんを招いた1時間半。同僚は「何をさせられるんだろう」という、引いている空気。外から人が来る事への抵抗感。私も正直心配でたまらなかった。
岩瀬:アイスブレイクから全員が口を開くみたいなことをやると、学校ではそれだけで当時、衝撃な文化。 いつもはお通夜より暗い話し合いをしているところを、やってみたいこと紙に書いて並べて、自分がこれだと思ったものをちょっとずつ動かしてみるみたいなことやり、でも2時間しかないから、このことについては誰提案してくれます?このことについては誰提案してくれます?って立候補を募って「では次回の研修で提案してくださいね」みたいなことが起きると、あれ?今までオレたちがやってきたことってなんだったんだろう?という揺らぎが起きる。 (20160307 桐田ー岩瀬の対話)
全員が参加し、意見を表明し、役割分担した。青木さんは淡々と進めていくのだが、場のメンバーの力を引き出していき、いつも話さない人が意見を言い、自然に対話が生まれていく様子に、私は興奮した。
終わった後誰からも文句は出なかった。むしろとても肯定的だった。「あっという間だったね」「おもしろかったね」という声が聞こえてきた。ああ、やっぱり職員室も変われるんだ。所与の集団、人間関係に関係なく、場はアプローチによって変わるんだと、そのときの私は感じていた。
学校外の文化を学校に持ち込むことで、変わらないと思い込んでいた職員会議の「支配的なストーリー」が、一時的ながら変化が生まれた。学校外と学校内は対立ではなく、新たなものを生み出すことがある。学校内と学校外が混じり合ったたった1回のこの経験が私にあらたな期待を生んだ。学校外と学校内は二項対立ではないのかも知れない。対立が起こすのは「恐れ」だが、学校外の文化と学校内の文化が可能な範囲でふれあうところで生まれたのは「期待」だった。オルタナティブな学習スタイルを、オーソドックスな学校環境へ持ち込むことで起こる、学校についてのストーリーが変わることへの「期待」が生まれ始めていた。私はこれを原動力に、学校外の学びの場へ出かけ、ファシリテーションを学ぶことに没頭し始めた。
われながら読みにくい。
大きな転機となった出会いでした。
それ以来、狭山にお呼びして2日間のワークショップを開催したり、自分たちの学習会のファシリテートをお願いしたり、大学院で授業をしてもらったり(お願いしてばかりだな…)。
最も尊敬するファシリテーターの1人です。今年2月の終わりの大学院での授業は、しびれました。師匠の仕事を間近で見て学ぶ弟子の気持ちになったものです。
前置きが長くなりました。そんな尊敬し,師匠でもあるマーキーの新刊です。
目次です。
プロローグ 学習者の興味・関心から学びをスタート
第1章 ファシリテーションの基本スキル
1 質問がたくさん出る状態をつくるには?
2 自分が答えられない質問が出たとき、どうするか?
3 「問い」を研ぎ澄ます
4 あいづちの研究 マンダラートを活用して
5 私たちは本当に聞けているのか?
6 後日談を歓迎する
第2章 〈対談〉ファシリテーションで学校教育をより豊かに!
岩瀬直樹&青木将幸
第3章 学校で活かすファシリテーション
1 こんなクラスになっていったらいいな
2 小学校でファシリテート 〈お困りごと解決会議〉
3 8分間読書法
4 積極性を生むもの
5 教員同士の学び合いの場をどうつくるか
6 将来、何になりたい?
第4章 ファシリテーターとしての成長のヒント
1 うまくいかなかったことから学ぶ 松木正さんの「火のワーク」
2 バランスをとろう
3 難から難へ
4 「書けません」にどう対応するか
5 〝無能な教師〟はよい教師?
6 師匠選びも芸の内
エピローグ よきファシリテーション、水の如し
おわりに
この本の魅力(その①)は,先ずなんと言っても読みやすい。文章のやわらかさと編集の見事さでスイスイ読めます。マーキーの話を聴いているみたいな気持ちになります。
第1章は、明日からチャレンジできる具体的なスキルの紹介です。
ワークがいくつか紹介されていますが,絶対の絶対にワークをやりながら読むことをおすすめします。ぼくは1人でワークをしながら読みましたが,これ、数人で一緒にやりながら読んでいくと、それ自体がファシリテータートレーニングになります。
読んでいくとわかりますが、この本の魅力(その②)は、「やり方」の中に、マーキーの「あり方」がにじみ出ていることです。人や場をどうとらえ、そこにどういるかが伝わってくるのです。
「何でも質問していいよ」という雰囲気をつくるときの安全弁は「答えたくないことは、答えなくてもよい」ということかもしれません。(28p)
私が人前に立つとき、特に注意しているのは「自分は、参加者の声を本当に聞けているだろうか?」という点です。「このことを伝えたい」「あのことも話しておきたい」というこちら側の都合が強いあまり、学習者自身の強い気持ちやニーズ、現状について聞けていないケースがときどきあり、よく反省しています。
少し逆説的な表現になりますが、こちら側の意図することがなかなか伝わらないと思うときは、たいていの場合、相手のことを「聞く」ことができていないことが多いのではないでしょうか。(45p)
心あたりがありすぎて、胸が苦しくなる・・・・
相手への徹底した関心。場と人への信頼。これがマーキーの核だなあとぼくは感じています。
第3章は具体的なプログラムを通してファシリテーションを学びます。授業でのいかし方、教職員の研修のデザイン。参考になる人は多いでしょう。その具体的なプログラムの中にも,マーキーのあり方がにじみ出てきます。
私の場合、先ほどの【待つ】時間やこのようなグループワークをやっている時間は、なるべく「話を聞いているよ」というのとは違う態度をとるようにします。手元の文具を整えたり、次の資料を準備するなどして、「皆さんが話し合う時間なので、おまかせしていますよ」という態度を示すことが多いです。
多くの先生達にとって、なかなか刺激的なあり方ではないでしょうか。
読んでザワザワした方は、なぜザワザワするのか、マーキーと自分の学習者観の違いは何か,場の捉え方の違いは何か,を考えてみると気づきがありそうです。
第4章は,いわば「ファシリテーター、マーキーのつくり方」 。
マーキーがどんなことに影響を受け、どんなふうに変わりつつあるのか、に触れることができます(魅力③)。
この章を読んでぼくが感じたこと。それは、「マーキーのようなファシリテーターになるにはどうしたらよいのか」という問いは、そもそもの問いが間違っていて(いや、初期の頃はそれでもいい気もしてきた)、「私はどんなファシリテーターになりたいのか」を探究し続けたいということ。
私は絶対に誰かにはなれない。私は、自分とどう対話し,他者にどんな関心を持ち、どんな場を創りたいと思っているのか。経験を通してその問いの暫定的なこたえを更新し続けること。そんなことを考えました。
ちなみに第2章では、お師匠さんと対談の機会をいただきました。多謝。
「剛と柔」の話がなかなかおもしろいです(魅力④)。読んでみてくださいね。
誤解を恐れずに書きますが、学校教育を,実践を変えていくとき、学校教育内には手掛かりは極めて少ない、とぼくは思っています。学校教育外にそのヒントがたくさんある。この本は学校現場の外の人が書いた本だからこそおもしろいし、価値が高い。この本の一番の魅力(その⑤)かもしれません。
この本、必読です。
井上ひさしの言葉、
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをおもしろく
おもしろいことをまじめに
まじめなことをゆかいに
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに
それってこういう本なんじゃないかな。マーキー、ステキな本をありがとう。ぼくも次、こんな本を書きたいな。
★★★★★
今日読了。これ必読。軽井沢風越学園スタッフも必読だなあ。この本をもとに評価をリデザインするワークショップをしたいし、設立予定の学校の評価も再設計したい。ぼくが現場で実践してきたこともいくつか載っていますが,その先をいっているなあ。こういう本を読むと、現場に本気で戻りたくなる。まだまだまだまだ実践は変えられるなあと実践者の血がうずく。
増補版 作家の時間: 「書く」ことが好きになる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ) | プロジェクト・ワークショップ |本 | 通販 | Amazon
★★★★★
2008年の拙著(共著)が増補版となって発刊されました。今回は中高の実践が追加され,小中高すべての実践が読めるようになりました。
今日あらためて再読しましたが,よい本(自画自賛)。
国語はもちろん、さまざまな学び方につながる良本だと思います。じっくり読み込んでみてください。きっと実践が変わります。
「岩瀬さんはどれくらい本を読むのですか?」
と最近よく聞かれます。最近は週3冊ぐらいです。つまらないと思ったら途中で止めて他の本を読むのがポイント。一生は短い。いい本だけ読みたいので!
今よりも小学校現場にいるときの方がよく読んでいました。
ぼくの場合、常に読んでいないと自分の経験を絶対化しすぎてしまうのですよね。読むことはぼくにとって、自分の実戦や経験、考え方を常に相対化する「メガネ」でした。教師にとって読むことは専門性を高めるもっとも基本的なことの1つだ、というと言い過ぎかなあ・・・・
今日はもう疲れたのでマンガにしよーっと。