埼玉は今日終業式。いよいよ夏休みです!
大学はあと2週間だけど……
この時期になると思い出す、息子が小学生の時のエピソード。終業式2日前の我が家での出来事です。
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「やべー!計算ドリル終わってね-」
と息子。
あといくつ残ってるの?
「32ページ」
32ページって、ほとんど全部じゃん・・・・・・
「いやー、去年とシステムが違ってさあ。去年は宿題で出てたからその通りやってれば終わったんだけど、今年は,自分でやるシステムだから,気づかなかったんだよねえ−。システムの問題だよ、これは。」
っていうか、どうするの?
「一気に終わらす!終わらないと終業式のあと学校でやるんだって。それだけは阻止!遊びたいし!」
と、頭にタオルを巻いて気合いを入れてやり出す息子。往年のビックダディみたいなスタイルだな。
「よし今日は10個終わったからあとは明日!」
見通しの計算できてないじゃん。明日22個もできるのかよ・・・
そして翌日、また頭にタオル巻いて、
「終わらすぞ-!」「よおし、2個終わった−!」
と妙にハイテンションで楽しそう。
「やるしかないんだよ!どうせなら楽しくやるんだよ」
まあ、そりゃそうか。なんとか夜には全部終わったようでした。だがしかし。終業式の朝には今度は、
「やったノートが見当たらない!」と一騒動。おい。マンガかおまえは・・・・・
「オレさあ、夏はこうならないように、初日に宿題一気に進めるよ」
お、ついに体験から学んだか。そして夏休み初日。
「遊びに行ってきまあーす!」
おーい、宿題終わらすという作戦は???
「あーーそっかあ。。。。まあ、一応持って行くか。。。。じゃあ遊びに行ってきまあす!!」もちろん何もやらずに帰ってきました。
結論。
罰ゲーム的にたまった宿題をやらされても,何の成長にもつながらず、むしろ、「まあ、なんとかなるさ!」ということを体験的に学ぶ(笑)。
というわけで今日も水鉄砲持って遊びに行っております。正しい子どもだ。
わかっていても、先生目線ではついついこうやってしまう……ボクもそうでした。なぜ教師はそうしがちなのかは、自分を題材に丁寧に振り返る必要がありそう。つい自分を正当化するストーリーを描いているんですよね。そもそもから考えなくちゃだよなあ……