いわせんの仕事部屋

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学びのコントローラー

学びのコントローラーということば。

「学びのコントローラーを子ども自身がもつ、自分で操作する」。これは、ぼくが公立小学校での担任時に、自己主導で学んでいくことを子どもに伝えるためのアナロジーとしての造語でした。「ぼく(教師)が、あれやれ、これやれと決めていく(≒操作される)のではなくて、自分で自分のコントローラーを操作して学んでいこう」。ゲーム世代の子どもたちにとってこの例えはわかりやすかったようです。

もう少し「学びのコントーラー」の内実を言葉にしてみると・・・大きく2つの要素がありそうです

第1に能動的学習者観としての子ども観です。平野朝久は、能動的学習者観を「子どもには、学ぶ意欲と自ら追究し、学び、育つ力がある」と定義しています。例えば、風越では探究の学びを、「『〜したい』、気になってしかたがないというような自分事のテーマ・問い、もの・こと・ひとに出会い、子ども自身が深め、切り拓いていく学び」と定義していますが、「子ども自身」と書かれているように、能動的学習者として学びのコントローラーを自分で操作していく学びといえそうです。受動的学習者観から能動的学習者観への転換。これは、大人がこの前提に立って授業づくりをしていこうということでもあるし、学習者自身にも、「私は主体的な学び手であると矜持を持ち続けてほしい」、そういう願いが込められていることばです。

第2に、学びのコントローラーで「何を操作しているのか」という視点です。
一つ目は「身体」です。
例えば、幼児期、低学年期は好奇心のおもむくままに自然(対象)を探索します。関心ある対象に出会って、「いいもの見つけたよ。みてみて。」「ふしぎだな、これなんだろう?」と、身体を介して真っ直ぐ向かっていきます。森に秘密基地をつくりたい、蝶や虫をつかまえたい、お店やさんをしたいなど、自分の「~したい」や、まわりの人の「~したい」に刺激されて身体を介してあそんでいきます。

内なる興味関心をエネルギーとして、行為主体として身体で問いかけていく。本物に触れ、自分の身体と心をつかって感じること。学びのコントローラーは真っ直ぐ身体とつながり、「〜したい」という情熱で遊び、学んでいく段階です。

それをベースに2つ目の視点は、探究をより深めていくために自己調整的なスキルやメタ認知、探究スキルのような「学び方」を、自分の学びに主体的につかっていく段階です。学びのコントローラーにはそのような「学び方」がつながっていて、それを操作しながら学んでいきます。

1つ目と2つ目に共通しているのは、学びへの当事者性です。
「〜したい」という情熱をベースにした自分ごとのあそび・学びだからこそ、学びのコントローラーを操作する主体になっていくのです。
自分が操作主体になり続けるからこそ、「自分の〜したいを実現しようとする力」が育まれていきます。

この経験の連続性のなかで、自分の学びのつくり手であるという実感を育んでいきます。それがひいては、自分たちの社会を自分たちでつくる、わたしも他者も社会もよりよく変化し続けるのだという手応えを持った「つくり手」になっていくのです。

学びのコントローラーを持つ子どもたちを支えるのは「コミュニティ」です。安心してチャレンジできるコミュニティの中で、他者とかかわり、お互いの良さを認めあい、刺激し合い、学び合う。
それによって一人では辿り着けないところにいくことができるでしょう。よりよい学び手になっていくには、豊かなコミュニティが不可欠です。

と、えいやと無理やり言葉にしてみました。
どうかなー。

 

 

追記。

この書き込みを掘り下げ,ブラッシュアップした原稿がこの本に載ってます。

手に取ってみてください。損はさせません!

軽井沢風越学園の動画特典付きです。

https://www.valuebooks.jp/bp/VS0058752973

プロジェクトの学びでわたしをつくる