ボクが愛読している内田樹さんの今日の今日のエントリーは必読です。
「人生はミスマッチ」
http://blog.tatsuru.com/2007/11/06_1021.php
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現場の教師の士気を低下させることで、子どもたちの学力や道徳心が向上するということはありえないからである。
現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。
人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。
だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。
それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。
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教師は、「やり方」だけではなく、(むしろ)「あり方」が問われているのだなあと改めて思います。
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教育の本義は「子どもの欲望」を起動させることである。
今の子どもたちが劇的に学びの意欲を失っているのは、教育する側の大人たちが「欲望」の語義を読み違えているからである。
現代の大人たちのほとんどは「子どもの欲望」もまた収入や地位や威信や情報や文化資本という外形的なものでしか起動しないと思っている。
だから、「勉強すればいい学校に入れる」とか「練習すれば県大会に出られる」というような近視眼的な目標設定にすがりつく。
だが、本来の教育の目的は勉強すること自体が快楽であること、知識や技能を身に付けること自体が快楽であること、心身の潜在能力が開花すること自体が快楽であることを子どもたちに実感させることである。
「いわゆる目標」なるものは、そのような本源的快楽を上積みするための「スパイス」にすぎない。
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うーん、なるほど。
内田さんの文章はいつも考えさせられます。
「機嫌良く笑っていること」もしかしたら、ボクに一番欠けていることかもしれない。。
肝に銘じよう。
やはり問われるのは、ボク自身の「あり方」であり、「生き方」なのですね。