新井紀子さんのブログに
「どうして微積分を学ぶのか」
というエントリーがあります。
これはこのまま、
「どうして私たちは学ぶのか」
につながるなあと考えています。
ちょっと長いですが引用します。
子どもたちと考えたいテーマです。
最近、「なぜ微積分まで勉強しないといけないのですか?」と聞かれて、こんな風に答えました。
昨年の3月11日以降、私たちの世界は変わりました。
それまで私たちはうすぼんやりと、こんな風に考えていたんじゃないでしょうか。
「高邁な精神の科学者」なるものが世の中に存在して、専門性に応じて、正しい科学的判断をしてくれるはず。
ただし、科学者の意見は時にバランスにかけるので、「それをコントロールする能力がある官僚」なるものがいるはず。
さらに法律を通す場合には、専門家による委員会の公平かつ科学的意見を参考に市民の代表である国会議員が十分に検討してくれるはず。
それでも不公平だと感じたときには、裁判所に駆け込めば、どんなことに関しても法と論理に基づいて、公平かつ科学的にきちんと判断してくれるはず。
でも、そんなことはありませんでした。
薄々わかってましたけど。
それなのに、みんな自分の人生に忙しくて、「誰かちゃんとした人が考えてくれるはず」と思って任せてきたんですね。でも、この事実が白日の下に晒されて、本当に困りました。あなただって、そうでしょう?
だって、近代の民主主義国家とは、国民が最終判断ができる、国民が付託した国会議員が合理的な判断ができる、あるいは、裁判官が公平で合理的な判断ができる、という前提の下ですっかり構築されちゃっているんですから。その出発点となる前提そのものが間違っていたら、今のこの社会、どうすりゃいいの。民主主義に代わるよさそうなものなんて、今のところ見つかりそうに、ないし。
科学の発達は、つまり良き時代の民主主義の基盤を揺るがしているんだろうと思います。
しかも、悪いことに、社会を取り巻くテクノロジーはますます高度化しているわけで。
ということは、私たちが「民主主義」を維持しようと思うのならば、「必要があれば」それらに関して、検討し、反対したり賛成したりしなければならない、ということになります。たぶん、ロックはそのように想定していたと思う。
だとすれば、理論上、やっぱり微積分は、市民のリテラシーとして不可欠なんだろうなぁ、とそう思うのです。
大変ですけど、がんばって微分方程式の最初くらいまでは、勉強しましょうよ、市民として。
私も微積分は苦手ですけど(苦笑)、いっしょに勉強したいと思います。
全文はこちらへ。
http://researchmap.jp/jou9bra97-78/#_78
私たちはなぜ学ぶのか。考えたいです。
正解なんてないのですよね。回答あるのみ、です。
以下の本を読んで、またじっくり考えて見たいと思います。
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