いわせんの仕事部屋

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『深い学びを促進するファシリテーションを学校に』は必読。

すごい雨ですね。

明日、明後日と予定されていた、

岩瀬直樹 × 青木将幸「学び」と「ファシリテーション」の2日間
も中止となってしまいました。皆様に被害が出ませんように。

またどこかで必ず。

岩瀬直樹 × 青木将幸「学び」と「ファシリテーション」の2日間

 

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大学院の研究室にて。研究室が懐かしい。

 

さて、マーキーこと青木将幸さんの待望の新刊がでます。

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『深い学びを促進する ファシリテーションを学校に』

 

これまでもマーキーのファシリテーションの本は何冊もありどれもお薦めですが、今回は学校教育にフォーカスした本。教職員必読ですね(実は、学びの場に関わっている人すべてにおすすめ。学校教育に閉じた本ではないです)。

 

ぼくとマーキーの出会いは、15年ほど前。
学校にお呼びして、学校のリアルな会議をファシリテートしてもらいました。あのときの会議での確かな手応えが、「公立の学校も変わる!」という原体験になり、今の学校づくりに繋がっています。それくらい強烈な体験でした。実はある論文にそのことを少し書きました。読みにくい文章だけど、ちょっと引用してみます。

2003年、小学校現場に戻った私は2年生を担任した。実践の中にワークショップの要素を入れ始めていたが、なかなか手応えを感じられずにいた。ただ自身が体験したアクティビティを学級でやってみるぐらいしかできていなかったからだ。
 職員室もなかなか変わらなかった。いや変えられなかった。校内研修に前向きにならない同僚、旧態依然としたやり方を変えようとしない同僚に、私はいらだっていた。やはり制度としての学校はなかなか変わらない。学校とはかくあるものという「学校についてのストーリー」が、実は一人一人の「学校のストーリー」へと身体化してしまっている。この中にいる限りそれは変えられないのではないか。
 いや、自分が体験したように、職場の同僚も体験が必要なのではないかとも考えた。言葉で伝えてもわからない、私だって体験することから変化しはじめている。別の場の体験が人の信念を変えるきっかけになるのかもしれない。
 そこで「来年度の校内研究のテーマを何にするか」という職員の話し合いに青木将幸 さんというプロのファシリテーターを招く計画を立てた。学校外と学校内を直接つなごうとしたのだ。今思えば本当に大胆で、しかもよく管理職がOKしてくれたと思う。
 先輩と何とか管理職を説得して実現の運びとなった。講師料は先輩と折半し、管理職には「ただで来てくれる」とうそをついた。
 学校での会議、私が体験してきたほとんどすべては、机をロの字にならべる会議の形態。意見を言う人はいつも限られていた。内職をする人、いつも対立する人。生産的な場とはほど遠い場であった。 青木さんを招いた1時間半。同僚は「何をさせられるんだろう」という、引いている空気。外から人が来る事への抵抗感。私も正直心配でたまらなかった。

 

岩瀬:アイスブレイクから全員が口を開くみたいなことをやると、学校ではそれだけで当時、衝撃な文化。 いつもはお通夜より暗い話し合いをしているところを、やってみたいこと紙に書いて並べて、自分がこれだと思ったものをちょっとずつ動かしてみるみたいなことやり、でも2時間しかないから、このことについては誰提案してくれます?このことについては誰提案してくれます?って立候補を募って「では次回の研修で提案してくださいね」みたいなことが起きると、あれ?今までオレたちがやってきたことってなんだったんだろう?という揺らぎが起きる。 (20160307 桐田ー岩瀬の対話)
 
 全員が参加し、意見を表明し、役割分担した。青木さんは淡々と進めていくのだが、場のメンバーの力を引き出していき、いつも話さない人が意見を言い、自然に対話が生まれていく様子に、私は興奮した。
 終わった後誰からも文句は出なかった。むしろとても肯定的だった。「あっという間だったね」「おもしろかったね」という声が聞こえてきた。ああ、やっぱり職員室も変われるんだ。所与の集団、人間関係に関係なく、場はアプローチによって変わるんだと、そのときの私は感じていた。
 学校外の文化を学校に持ち込むことで、変わらないと思い込んでいた職員会議の「支配的なストーリー」が、一時的ながら変化が生まれた。学校外と学校内は対立ではなく、新たなものを生み出すことがある。学校内と学校外が混じり合ったたった1回のこの経験が私にあらたな期待を生んだ。学校外と学校内は二項対立ではないのかも知れない。対立が起こすのは「恐れ」だが、学校外の文化と学校内の文化が可能な範囲でふれあうところで生まれたのは「期待」だった。オルタナティブな学習スタイルを、オーソドックスな学校環境へ持ち込むことで起こる、学校についてのストーリーが変わることへの「期待」が生まれ始めていた。私はこれを原動力に、学校外の学びの場へ出かけ、ファシリテーションを学ぶことに没頭し始めた。

われながら読みにくい。

大きな転機となった出会いでした。 

それ以来、狭山にお呼びして2日間のワークショップを開催したり、自分たちの学習会のファシリテートをお願いしたり、大学院で授業をしてもらったり(お願いしてばかりだな…)。
最も尊敬するファシリテーターの1人です。今年2月の終わりの大学院での授業は、しびれました。師匠の仕事を間近で見て学ぶ弟子の気持ちになったものです。

 

前置きが長くなりました。そんな尊敬し,師匠でもあるマーキーの新刊です。

目次です。

 

プロローグ 学習者の興味・関心から学びをスタート

 

第1章 ファシリテーションの基本スキル
1 質問がたくさん出る状態をつくるには?
2 自分が答えられない質問が出たとき、どうするか?
3 「問い」を研ぎ澄ます
4 あいづちの研究 マンダラートを活用して
5 私たちは本当に聞けているのか?
6 後日談を歓迎する

 

第2章 〈対談〉ファシリテーションで学校教育をより豊かに!
岩瀬直樹&青木将幸

 

第3章 学校で活かすファシリテーション
1 こんなクラスになっていったらいいな
2 小学校でファシリテート 〈お困りごと解決会議〉
3 8分間読書法
4 積極性を生むもの
5 教員同士の学び合いの場をどうつくるか
6 将来、何になりたい?

 

第4章 ファシリテーターとしての成長のヒント
1 うまくいかなかったことから学ぶ 松木正さんの「火のワーク」
2 バランスをとろう
3 難から難へ
4 「書けません」にどう対応するか
5 〝無能な教師〟はよい教師?
6 師匠選びも芸の内

 

エピローグ よきファシリテーション、水の如し
おわりに

 

この本の魅力(その①)は,先ずなんと言っても読みやすい。文章のやわらかさと編集の見事さでスイスイ読めます。マーキーの話を聴いているみたいな気持ちになります。

第1章は、明日からチャレンジできる具体的なスキルの紹介です。

ワークがいくつか紹介されていますが,絶対の絶対にワークをやりながら読むことをおすすめします。ぼくは1人でワークをしながら読みましたが,これ、数人で一緒にやりながら読んでいくと、それ自体がファシリテータートレーニングになります。

読んでいくとわかりますが、この本の魅力(その②)は、「やり方」の中に、マーキーの「あり方」がにじみ出ていることです。人や場をどうとらえ、そこにどういるかが伝わってくるのです。

 

「何でも質問していいよ」という雰囲気をつくるときの安全弁は「答えたくないことは、答えなくてもよい」ということかもしれません。(28p)

 

私が人前に立つとき、特に注意しているのは「自分は、参加者の声を本当に聞けているだろうか?」という点です。「このことを伝えたい」「あのことも話しておきたい」というこちら側の都合が強いあまり、学習者自身の強い気持ちやニーズ、現状について聞けていないケースがときどきあり、よく反省しています。

少し逆説的な表現になりますが、こちら側の意図することがなかなか伝わらないと思うときは、たいていの場合、相手のことを「聞く」ことができていないことが多いのではないでしょうか。(45p)

 心あたりがありすぎて、胸が苦しくなる・・・・

相手への徹底した関心。場と人への信頼。これがマーキーの核だなあとぼくは感じています。

 

第3章は具体的なプログラムを通してファシリテーションを学びます。授業でのいかし方、教職員の研修のデザイン。参考になる人は多いでしょう。その具体的なプログラムの中にも,マーキーのあり方がにじみ出てきます。

私の場合、先ほどの【待つ】時間やこのようなグループワークをやっている時間は、なるべく「話を聞いているよ」というのとは違う態度をとるようにします。手元の文具を整えたり、次の資料を準備するなどして、「皆さんが話し合う時間なので、おまかせしていますよ」という態度を示すことが多いです。

 

多くの先生達にとって、なかなか刺激的なあり方ではないでしょうか。

読んでザワザワした方は、なぜザワザワするのか、マーキーと自分の学習者観の違いは何か,場の捉え方の違いは何か,を考えてみると気づきがありそうです。

 

第4章は,いわば「ファシリテーター、マーキーのつくり方」 。

マーキーがどんなことに影響を受け、どんなふうに変わりつつあるのか、に触れることができます(魅力③)。

この章を読んでぼくが感じたこと。それは、「マーキーのようなファシリテーターになるにはどうしたらよいのか」という問いは、そもそもの問いが間違っていて(いや、初期の頃はそれでもいい気もしてきた)、「私はどんなファシリテーターになりたいのか」を探究し続けたいということ。

私は絶対に誰かにはなれない。私は、自分とどう対話し,他者にどんな関心を持ち、どんな場を創りたいと思っているのか。経験を通してその問いの暫定的なこたえを更新し続けること。そんなことを考えました。

 

ちなみに第2章では、お師匠さんと対談の機会をいただきました。多謝。

「剛と柔」の話がなかなかおもしろいです(魅力④)。読んでみてくださいね。

 

誤解を恐れずに書きますが、学校教育を,実践を変えていくとき、学校教育内には手掛かりは極めて少ない、とぼくは思っています。学校教育外にそのヒントがたくさんある。この本は学校現場の外の人が書いた本だからこそおもしろいし、価値が高い。この本の一番の魅力(その⑤)かもしれません。

この本、必読です。

井上ひさしの言葉、

むずかしいことをやさしく

やさしいことをふかく

ふかいことをおもしろく

おもしろいことをまじめに

まじめなことをゆかいに

そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

それってこういう本なんじゃないかな。マーキー、ステキな本をありがとう。ぼくも次、こんな本を書きたいな。

 

成績をハックする: 評価を学びにいかす10の方法

成績をハックする: 評価を学びにいかす10の方法

  • 作者: スターサックシュタイン,Starr Sackstein,高瀬裕人,吉田新一郎
  • 出版社/メーカー: 新評論
  • 発売日: 2018/06/28
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

 ★★★★★

今日読了。これ必読。軽井沢風越学園スタッフも必読だなあ。この本をもとに評価をリデザインするワークショップをしたいし、設立予定の学校の評価も再設計したい。ぼくが現場で実践してきたこともいくつか載っていますが,その先をいっているなあ。こういう本を読むと、現場に本気で戻りたくなる。まだまだまだまだ実践は変えられるなあと実践者の血がうずく。

 

 

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増補版 作家の時間: 「書く」ことが好きになる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ) | プロジェクト・ワークショップ |本 | 通販 | Amazon

★★★★★

2008年の拙著(共著)が増補版となって発刊されました。今回は中高の実践が追加され,小中高すべての実践が読めるようになりました。

今日あらためて再読しましたが,よい本(自画自賛)。

国語はもちろん、さまざまな学び方につながる良本だと思います。じっくり読み込んでみてください。きっと実践が変わります。

 

「岩瀬さんはどれくらい本を読むのですか?」

と最近よく聞かれます。最近は週3冊ぐらいです。つまらないと思ったら途中で止めて他の本を読むのがポイント。一生は短い。いい本だけ読みたいので!

今よりも小学校現場にいるときの方がよく読んでいました。

ぼくの場合、常に読んでいないと自分の経験を絶対化しすぎてしまうのですよね。読むことはぼくにとって、自分の実戦や経験、考え方を常に相対化する「メガネ」でした。教師にとって読むことは専門性を高めるもっとも基本的なことの1つだ、というと言い過ぎかなあ・・・・

今日はもう疲れたのでマンガにしよーっと。

 

学級づくりのためのメモ。

「学級」はゆくゆくはなくなっていくとよい、と考えているけれど、現実的にはしばらくなくならないので、ではその場をどう考えていくかは一方で大切。
というわけで、学級を考えるためのメモ。

フェイスブックに載せていた記事の転載です。

いずれ一つ一つを詳しく書きたい。

正確には段階はこの順序を辿るとは限らないです。第3段階がスタートで、その中に第1、第2が内包されている可能性大。

 

そして。
これを軽やかに超えていきたいなあ。

 

学級づくり=学びのコミュニティ(あるいはラボ)づくり=学校づくり=20年後の社会のプロトタイプ

 

学級づくりのプロセス Ver3

 

第1段階 知り合う
・コミュニケーションの量(会話)
・流動性を生むための関係のつなぎ直し
・安心安全の場づくり
・場づくりへのコミット。場づくりのオーナーシップ(ソフト、ハード)
・小さな成功体験
・学びのコミュニティのビジョン共有

 

 

第2段階 良質のチーム体験
・協同のよさを体感
・自分の特徴を知る、知り合う。
・援助希求しあえる関係
・コミュニケーションの質(対話)
・学びのコミュニティのビジョン更新

 

 

第3段階 個別化とゆるやかな協同
・ことがら(プロジェクト)を通した流動的な関係
・自分の学習、成長へのオーナーシップ(自己選択・自己決定)
・学びのコミュニティのビジョン更新
・学級の緩やかな解消

 

 

全体を支えるOS
・自由の相互承認の感度
・「人には力がある」の確信。

・協同しない自由の担保(相馬靖明さん)
・絶え間ない試行錯誤。リフレクション。
・ミクロ民主主義
・流動性
・外とのつながり(社会、情報、人)
・成長実感
・安定的に場にいるファシリテーター(徐々に「消えて」いく)

着想×読書

ぼくは基本的に「着想」が強み。

ストレングスファインダーによると、着想ってこんな感じ。

・複雑に見える物事の裏側に存在する、的確で簡潔な表現方法を発見すると嬉しくなる。
・見た目には共通点の存在しない現象に、なんらかの共通点を見出すと創造力をかき立てられる。
・多くの人が中々解決出来ない日常的な問題に対し、新たな視点をもたらす人物である。
・世の中の既知の事実をひっくり返すことに無上の喜びを感じる。
・目新しい考えや、逆説的な考え、奇抜な考えを好む傾向にある。
・新しい着想が生まれるたびに、エネルギーが電流のように身体を駆け巡る体験をすることが多い。
・他の人たちからは、「創造的」「独創的」などと評される傾向にある。
着想のある人生にスリルを感じ、そんな生活を送れていると幸福を感じる。

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0

 

 

ひょんなことから新しいアイデアや着想を得るのが好きだし,楽しい。

「教室リフォームプロジェクト」は、育休中にテレビで「リビングのプチリフォーム」を見て思いついたし、「お掃除プロ制」はドラッガーを読んでいるときにつながった。

2002年に、学校教育外のワークショップに参加しているうちに学校教育を変える知恵は学校外にあると確信を得て、たくさんの本に出会い、チームビルディングやワールドカフェ、AI等から組織開発にチャレンジしたりした。

編集者が書いた仕事の本を読んで、ファシリテーションを言語化しようと思った。

高橋源一郎の本を読んで,国語の授業が変わった。

あるコミュニティの本を読んで,学級経営を見直した。

小説を読んでいるうちに新しいことにアンテナが立つ、ということもよくある。

尊敬する人が「岩波新書の新刊は目を通すようにしている』と言っていて(驚)、そこまではできないけれど、月に2冊は新書に目を通すようにしている。 

娘と散歩してるときに降ってくることもある。

 

着想ってかけ算だ。

今課題と思っていることや,やりたいと思っていることに、思いもかけないものを「かけてみる」ことで新たなものが生まれる。

ではどうやって思いもかけないものを「かけてみる」ことができるのか。

 

ぼくの場合は95%読書だ。

それも教育書以外。

 

大学院を退職し、学校づくりに専念しているうちに、

大学院を退職して、専念しているからこそ、

「明日必要な本」「明日必要な書類」ばかり読むようになって、

自分の中にブレークスルーが起きなくなった。

発想が小さくなっていた。貧相になっていた。

もっともっともっと幅広く読まなくちゃ。

 

久々に直接関係ない本、

『サピエンス全史』や、

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

 映画化されたワンダーや、

ワンダー Wonder

ワンダー Wonder

 

 

ティール組織、

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

 

を読んでいるうちに、いろいろなアイデアが浮かんできた。

 

豊かな読書生活が、着想を支えるんだなあ。

いろんな本を読もう。

かけるものが豊かにならないと、やりたいことのブレイクスルーが起きない。

かけるものは、自分の専門や関心外のものがよい。そうじゃないと思いがけないものが生まれてこない。 

できるだけ意外なものをかけてみる。

 

教育書を書いていてなんですが、

教育書ばかり読んでいると,発想が貧相になりますよ(実感)。

もちろん専門書も読まなくてはですが、それはいわゆる教育実践本ではないなあ。

 

軽井沢風越学園のチームのいいところは、そもそもの専門性や得意が違って着想が生まれやすいところ。生まれてないときは、なんらかの阻害要因が働いてるということ。

 

 

 

 

 

校舎のパース公開!

軽井沢風越学園設立準備財団のメルマガの最新号が発刊となりました。

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かぜのーと第14号(2018年6月15日発行) – 軽井沢風越学園設立準備財団

 

今回は、

【1】幼児向け体験会「かぜあそびの日・秋」の申込み開始します
【2】サマースクールを開催します
【3】校舎と私たちの願い
【4】9/14,15(土・日)「風越コラボ in 熊本」を開催します

のお知らせです。

幼児向けの「かぜあそび」、そして小学生向けの「サマースクール」の申し込み開始です。

サマースクール、今回は4日間のプログラムを2回行います。

2回とも内容は違います。今回のテーマは

<本物>。
本物の何かを探究し、本物をつくり、本物の場で披露します。風越で目指している「Authenticな学び」を実現させたい。2回ともかなりおもしろいことになっていて、ぼく自身が一番ワクワクしています。ああ、詳しく話したくなるけどがまんがまん。

 

また9月には,熊本で苫野一徳さんとワークショップを行います。2日間濃密にやりたい!実は九州で講座やワークショップをするのは初めて(行政で研修をしたことは10年ほど前に1回だけ…)。楽しみです。

 

さらに今回は、校舎のパースをどーんと公開しています。

中庭から校舎を眺めるとこんな感じ。

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ぼくらが大切にしたいことが表れているパースだなあ。

メルマガでは校舎内の様子も含めて公開していますので、ぜひご覧ください。

どんな学びを目指しているのか、どんな学校を目指しているのかが、その設計に表れていると思います。ライブラリーやラボが真ん中にどどーんとあります。

 

学校と社会 (岩波文庫)

学校と社会 (岩波文庫)

 

デューイの実験学校に似てる?とこっそり思ったりしています。

 

夏に向けていろいろ忙しくなってきました。

 

 

 

風越コラボ、はじまります。

4月28日にキックオフイベントを行った風越コラボ。

いよいよ動き出します。

 

2018年度第1期「風越コラボ」で、ともに探究しあう仲間を募集します。

私たちは、すべての子どもの<自由>に生きるための力を育むと同時に、<自由の相互承認>の感度を育むための学校をつくりたいと考えています。より多くの人が「自由だ、幸せだ」という実感をもって生きられる社会が私たちの理想です。しかし、そうした社会は私たちの学校づくりだけでは実現しがたく、多様な人たちとの連携やコラボレーションが必要だと感じています。

「風越コラボ」は、【一人ひとりが「自由だ、幸せだ」という実感を持つ社会のために、どんな学校や教育がありえるのか、多様な人たちが集まって試行錯誤しながら実験する場(Collaboration Laboratory)】です。

岩瀬が苫野の唱える公教育の原理に出会い、その「原理のメガネ」をかけて自身の現場や実践をながめなおしたとき、「これは原理に繋がる種として育てていけそうだ」、「このうまくいかなさは捉え直しができるかもしれない」など、目の前の実践の見え方や価値が変わる経験をしました。原理と実践、どちらか一方だけでなく、両方を往還をすることで、どちらも深まる手応えがあります。風越コラボでは、まず原理を自身のものにするために、公教育の原理、〈自由〉と〈自由の相互承認〉について、じっくり向き合い、深めます。個々人にとっての納得解なのかを吟味したうえで、毎回ゲストの研究や実践のお話を聞いたり、実践を持ち寄ったり、仲間の探究したいテーマや問いについて考えを交わし合ったりすることを通じて、自身と、取り組む実践の場の変化を共に探る場とします。

 

一言で言えば、探究のコミュニティです。

学校教育の人だけではなく、さまざまな「子どもや教育に関わる働きをしている方」と一緒に、あれこれ試行錯誤できるといいなあと思っています。

ずいぶん以前から「創りたい」と思っていた場がようやく動き出します。なによりぼくがワクワクしています。

 

第1回は苫野さんと原理をどっぷり深めます。

第2回は赤木さんと<同じ>から<違う>、<分ける>から<混ぜる>とはどういうことか、じっくり考えます。

第3回からは、仲間の皆さんとどんな場がいいか一緒に考えていきます。

 

今回は、古瀬正也さん、寺中祥吾さんのコ・ファシリテータ-。なんとも贅沢。

これもまた楽しみ。

毎回、苫野のぼくも参加します。繰り返しになるけれどワクワクするなー!

 

研究者と実践者とファシリテーター。どんな実験場になるでしょうか。

いよいよ、申し込み受け付け開始です。

 

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5/19(土)「風越コラボ」申込受付開始 – 軽井沢風越学園設立準備財団

 

第1回のファシリテーターをしてくれた古瀬さんのブログはこちら。

furuse.ws

 

学校づくり途中経過報告会を開催します。

怒濤のように4月5月が過ぎようとしています。このままいくとあと2年はあっという間だ・・・・

というわけで、軽井沢風越学園設立準備財団、「学校づくり途中経過報告会」を5月25、26日に軽井沢で開催します。
現在全国から300名ほどお申し込みいただいています。

ありがとうございます。

 

今、学校づくりはどんな感じで進んでいるのか。

何が決まっていて、何が決まっていないのか。どんなことを考え、どんなことに迷っているのか。途中経過を丁寧にお伝えしたいと思います。
入園・入学を検討されている方々はもちろん、学校づくりに関心がある方、ぜひお待ちしています。

この時期の軽井沢、気持ちいいですよ!ぜひドライブがてらお越しください。

お会いできるのを楽しみに楽しみにしています。

 

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一斉授業か学習者中心か。

教育社会学の本を読み直しているんだけれど、バーンステインの研究がおもしろい。
ざっくりぼくなりに説明してみます。

 

バーンステインは、幼児教育には2つのタイプの教育方法があることを指摘しました。


①いわゆる古典的な教育モデル。一斉指導の厳格なモデル。
②子どもの主体性が重視される教育方法。

 

そして①を目に見える教育方法、②を目に見えない教育方法としました。
そりゃー②がいいよね。アクティブ・ラーニングの時代だし、ってぼくたちは思ってしまいがちです。

 

ここからが社会学のおもしろいところで、
実は②の教育方法は中産階級の子どもたちは適応しやすく結果として成功しやすいが、一方労働者階級の子どもたちは、仕事と遊びが厳格に区別されない学び方には前者ほど適応できずに、結果として格差を開く、というのです。

 

これが直ちに今の日本の状況に当てはめられるかどうかは、慎重であるべきですが、持っていてよい視点であると考えています。

この結果は②の学び方を大切に実践してきた人にとってはザワザワしますよね。ぼくもその一人です。
しかし、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップ、単元内自由進度学習、学びの個別化等を長年実践してきたぼくとしては、実感としてバーンステインの指摘に納得できます。

雑なアプローチでは間違いなく差が開く。任せるという名の丸投げや、サポート不足、そしてその結果を学習者のせいにする、みたいなことって実は散見されます。

 

かつて、愛知県の緒川小学校は、学習の個別化・個性化で一世を風靡しました。ぼくも大学時代に緒川小に触れ、感動した。しかし後年、緒川小にも同じような批判があったようです。結果として格差が広がったのではないかと。
緒川小のようなオープン教育はいまやずいぶん下火になってしまいました。

 

ほら、やはりビシビシと一斉授業で鍛えた方が良いのだ。そんな声も聞こえてきそうです。
ではやはり①がよいでしょうか。

いや、これは実は、苫野一徳のいう、問い方のマジックです。

どちらが良いのか、という問いを立てると、ぼくたちはつい「どっちか」と考えてしまいます。これは問いが良くないのです。
①か②かではない。

「子どもの主体性を重視した教育法で、なおかつ格差を縮小していいくには?」

ぼくはこういう問いを立てたい。

なぜか。

公教育とは、各人の「自由」および社会における「自由の相互承認」の力能を通した実質化であり、すべての子どもに「自由の相互承認」の感度を育むことを土台に「自由」に生きるための力を育むことを目指すからです。

教育方法において、なぜ子どもの主体性が大事か。「自由に生きるための力」を育むには、安心・安全が守られている環境で、自由を使ってみること、試行錯誤してみることが重要だからです。かといって、その結果として格差が生まれてしまうのであれば、これは一般福祉の原理に反します(一般福祉の原理=自由の相互承認の原理に基づく限り、教育政策は、一部の人だけの自由の実質化ではなく、すべての人の自由の実質化に寄与する限りにおいて正当性を持つ)。

もちろん力能を育むために、一斉授業が有用な場面もあるでしょう。公教育の原理に照らしてそう考えられる場面では、そうすべきです。どちらか、という問題ではないのです。

実は先に挙げた、ライティング・ワークショップ、リーディング・ワークショップは、学習者主体でありながら、先生がひとり一人の学びに寄り添い、ひとり一人の成長に責任を持つアプローチです。先生の専門性も問われますし、先生自身が学び続けることが重要です。「学習者には力がある」という前提にたった素晴らしいアプローチだからこそ、その学び方を生かすために実践者自身が学び続け、磨き続ける必要があります。

 

ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

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  • 作者: ラルフ・フレッチャー,ジョアン・ポータルピ,小坂敦子,吉田新一郎
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リーディング・ワークショップ?「読む」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ《ワークショップで学ぶ》)

リーディング・ワークショップ?「読む」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ《ワークショップで学ぶ》)

  • 作者: ルーシー・カルキンズ,吉田新一郎・小坂敦子
  • 出版社/メーカー: 新評論
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作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

 

 

だがしかし、PBLや、協同学習、アクティブ・ラーニングという言葉に、なんとなく踊って、活動していればオールオッケーみたいな状況が広がってしまったら、バーンステインの指摘通りのことが今の日本にも起きる可能性はあると思います。

新しい指導要領はそのあたりも視野に入れて書かれているんですよね。