いわせんの仕事部屋

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視点と視野と視座のお話。

過去のメモを整理していたら、3年前に大学院を退職すると決めたときに、院生の皆さんに授業で話したことが出てきた。

ブログの下書きにメモしたまま放置してあったのを発見。

今とは考えも違ってきているけど、せっかく見つけたので載せておきます。

 

           *  *  *

 

ぼくは小学校の教員を22年間務めた後、東京学芸大学教職大学院で実務家教員として働くことになりました。3年間,教員養成にどっぷり関わり、教員養成で起きていることがずいぶんわかってきました。中に入ってみなくてはわからないことばかりでした。

 

「せんせいになっていくこと」。

簡単なようで本当に難しい。日本ではようやく教師教育学に関心が集まってきているところ。まだまだ発展途上なのが現状です。

 

先日、6人の教員で担当している「カリキュラムデザイン・授業研究演習」の授業で、学卒1年生の皆さんに、一人ずつお話ししたこと。それは「視点・視野・視座を意識して残り1年を過ごしてほしい」ということでした。

 

まずは視点。ついぼくたちは授業参観に行くと先生にフォーカスしてしまいます。
どんな授業展開を準備したのか、どんな教材なのか、先生が何を話すのか,どんな発問か、どんな振る舞いか,どう子どもの意見をつなぐのか,板書は・・・等々。
教室の後ろに貼り付いて、学習者の後頭部を見ながら,つい先生にフォーカスする。この参観の仕方に表れています。

 これまでの日本の授業は、京都大学の石井英真さんのいう、教師に導かれた創造的な一斉授業(練り上げ型授業)による知識発見学習、に価値が置かれてきたので、ついぼくたちはその授業の主たる先生に視点を置いてしまいがちです。
その場合、30人の学習者を「この学級」「子どもたち」「みんな」とあたかも1つの固まりとしてみてしまいがちでもあります。一人の発表を板書して「みんなが言ってくれたように」と先生が受けて授業を続けていくのはその典型です(本当によく出合います)。

 

本来学習者は多様です。
「子どもたち」ではなく、ひとり一人全く違うのです。
前時までのことが全員わかっているという前提で本時が組み立てられますが、これは多くの人が気づいているようにフィクションにすぎません。

前時までのことがとっくにわかっている人、今日の内容がピッタリの人、とっくにわかっていて「またかよ」と思っている人、30人30様なのです。さらにいえば、先生に説明されるとわかりやすい人、一人でウンウン考えたい人、他の人と話したり学び合うことで理解が進む人、何度も説明を聞きたい人、読んだ方がわかりやすい人、手を動かして考えたい人等々、自分にピッタリな学び方も多様です。
さらにさらにいえば、わかるペースも人によって違う。
考えて見れば当たり前のことばかりです。

学習者ひとり一人を見る「視点」を磨きましょう。

その授業の中でひとり一人の中に何が起こっているでしょうか。その子は何を感じ、何を考えているでしょうか。その子のニーズ、したいことはなんでしょうか。
一人にグッとよっていく視点を持ちたい、磨いていきたい、そう思います。
学習者理解こそが、この仕事の第一歩だと思うのです。それなくして,発問も板書もヘチマもないと思うのです。対話型模擬授業検討会でトレーニングしてきたことの中の大きな一つは、個の「学習者視点を磨く」に他なりません。

ci.nii.ac.jp

さらに言えば、「学習者になってみる」ことで、この視点は磨かれていくと思います。

大学院の授業で,新しい学習理論や学び方に出合ったと思いますが、頭ではわかってもなかなか腹落ちしにくい。これは現場の教員も同様です。なぜか。

それは、ぼくらには、1万数千時間に及ぶ「被学習者体験」があるからです。多くの人は、「座って聞く」「ノートに写す」という一斉授業を受け続けてきています。言わば徒弟として個の学び方に弟子入りし続けてきているのです。自分でも気づかないほど、この授業観が身体化している可能性が高い。

ですから、「せんせい」として前に立つと、学んできたことが吹っ飛んで「自分が受けてきた授業」を再現しがちです。

「頭ではわかっているけれどハラオチしてない」というのはなかなかやっかいです。

どうすればよいか。

学習者として体験し直すことです。状況に学び手として飛び込んでみることです。自身がプロジェクトベースで学んでみる。学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合で学んでみる。さまざまな学びの場(学校外の学びの場を強くお薦めします)に足を運び、学び手としての自分の変化を味わってみる(省察)。

学び手としての自分の変化に敏感になることで、学習者を理解する視点が少しずつ磨かれていくのではないでしょうか。

ぼくもまだ途上。たくさんの学びの場に足を運びたいと思います。

 

 

次に視座。

これは理論です。

これは端的に中原淳さんがまとめてくださっています。

 

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 実務家が必要としている「理論」とは何か?: 「実践」と「理論」のあいだの「死の谷」を超えて!?

「理論にインスパイアされた眼鏡」は、実務家の方々が、おかけになると、Real Worldにある現象A、現象Bが、さらによく見えるのです。

 

理論を学ぶと,自分の中にメガネができます。

中にいるだけでは見えなかったこと、理解できなかった現象がよくみえるようになってきます。視座があがるわけです。

そのために理論を学ぶこと、これは必須です。

iwasen.hatenablog.com

 ぼくはコルトハーヘンの『教師教育学』に出合って、見え方がずいぶん変わりました。3年かかってようやくですし、まだわかってないことも多々ありますが…

 

「経験オールオッケー!」

「現場はそんなにあまかねーんだよ!」

などとならないために、自己強化にはまらないために、視座をあげるために理論を学びましょう。今ならじっくり本が読めるでしょう。他の院生と議論、対話ができます。

これ以上ない貴重な時間です。

徹底的に歯ごたえのある本に挑んでほしいと思います。経験だけでやれるほど,実は現場はあまかねーわけです。

このメガネを獲得して、現場に戻ってぐわーーっと実践を進化させていく現職院生の方々がいるのは本当に心強い限りです。今でも繋がって自主ゼミが続いていたり、校内研究のお手伝いをさせていただいたり,学びの場でご一緒したりと嬉しいつながりが続いています。視座をあげる体験。実務家ほど大事。

 

とはいえ、理論ファースト、エビデンスファーストになりすぎないように。理論から,エビデンスから実践を組み立てるを繰り返していくと,いつの間にか実践は,学習者から乖離したしょうもないものになります。

新しい理論やエビデンスは,新しい実践から生まれてきます。実践者を目指すならその志を持ち続けましょう。

 

 

最後に視野。

たくさんの場に足を運びましょう。見てみなくてはわかりません。そこに行かなくては感じられないことが確かにあります。ぼくは学生時代に恩師、平野朝久先生が主催してくださっていたバスツアーで、長野県伊那市立伊那小学校、長野県諏訪市立高島小学校、奈良女子大学附属小学校、神戸大学附属明石小学校等々、当時の先進的な実践に触れることができました。「学校でこんなことができるのか!」という驚きは,今も自分を支えてくれている体験です。

愛知県東浦町立緒川小学校の当時の実践は衝撃的でした。1980年代に学習の個別化に挑んでいたのですから!子どもが好きな場所で自分のペースで学んでいました。

31才の時に長期研修で東京学芸大に戻って来たときには、学校外の大人の学びの場に足を運び続けました。中野民夫さんの『ワークショップ』が発刊され,ワークショップ黎明期で熱を帯びていた時代です(2002年頃)。中野さんのワークに出たり、演劇のワークショップ、まちづくりのワークショップ、国際理解のワークショップ、紛争解決のワークショップ等々、ほんとうにいろいろなワークショップに参加しました。PAにであったのもその頃。

そこでのぼくの学習者体験で、

「学校教育のことを考える時に,学校教育のことだけ見ていては見えなくなる。広く社会で行われている学びを視野に入れよう」

という核心にいたりました。

「よい学びは年齢を問わない」というコンセプトが自分の中に立ったのもこの頃です。

さまざまな場にいき、視野を広げて、あらためて学校教育を眺めてみると、いろんなものが見えてくるはずです。ぼくらが「知っている」学校教育は、ほんのほんの一部です。視野が狭いと、自身の体験や実践を絶対視しすぎてしまいます。

 

今、院生の皆さんが、全国あちこちに参観に行ったり、ワークショップに参加したり、参観先で「対話型授業検討会」で授業者と対話を深めたり、読書会をしたり、放課後(?)に長々と議論をしたり、研究室に押しかけてくれて対話したりしていることは、視野が広がり,視座があがり、視点ができているからこそ起きている学びの姿だと感じています。

実践コミュニティが立ちあがってきているのですよね。

この姿が,この現象が、あちこちの小学校、中学校、高校の学習者の中に、職員室の中に起きてきたら、この国の教育はぐぐっと前に進むのではないか、そんな気がします。

よい学びは年齢を問わないと思うんです。

 

今、学校教育は変化の時です。

「視点×視座×視野」になることを目指したいなあとおもいます。かけ算だから、どれか一つが0だと答えも0。

なぜこの3つが大切なのか。

それは、これから先生になるにあたって、最も重要なことの一つは、「今の学校教育における前提の問い直し」だからです。現状の縮小再生産にならないためにも、前提にとらわれることなく、これからの教育を描いていく人になってほしい。心から願っています。

そのためにも学びましょう。本を嫌になるくらい読みましょう。たくさん場に出ましょう。人に出会いましょう。多様な人と対話を重ねましょう。

 

 そして最後に。

なにより、ぼくら自身が学ぶこと,変化することを楽しむこと。

これにつきます。

これからも、ともにおもしろがっていきましょう!

楽しくない学びなんて学びじゃないもの。

 

よく考えたら、ぼく自身がこの3年間、教員養成・教師教育学という場に立つことで視野が広がり、視座が上がり、視点が磨かれたのだなあ。現場の感覚はものすごく鈍ったたなあと思いますが・・・・・・さて、新たな現場で新たな実践を紡いでいきます。