いわせんの仕事部屋

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選択の余地のない選択肢で迫ってしまう…

ある日の小学校の教室での朝の会。
昨日、友だちとのトラブルから怒って教室から飛び出していったAさんが進行役。
ここんところ、感情が揺れて教室を飛び出していくことが多いので、今日の役割が成功体験になるといいなあと思いながら見ていた。

 

Aさん、出てきた課題をみんなの意見を拾いながら、いい感じでにこやかに司会していた。ああ、Aさんにとって自信になる場面だなと思って見ている。
15分が過ぎ、1時間目の始まりの時間が来てしまったので
「じゃあ、続きは明日やろうね。」と担任が打ち切り1時間目の算数を始めようとした。
するとAさんが怒り始めた。
「あと少し時間があったら決められたのに!」
「でも授業時間始まっているでしょう。」
「もう少しで決まるのに!」
「時間だって言ってるでしょ!やるなら一人でやりなさい!!」
Aさんは椅子をバーンと蹴った。
結局算数に参加せず、ずっと怒っていた・・・
なぜ切りかえられないのだろう。せっかくの成功体験をAさんが自分で台無しにした!

担任も怒りが収まらない。まったくAさんってそういうところがあるんだから!



         *  *  *

 


これをAさんの自分勝手と思うのか、担任の問題と思うのか。
すみません、これぼくの10年くらい前のエピソードを基にした事例です…

 

Aさんの中で何が起きていたのか、何を感じていたのかではなくて、

ぼくが進めたい方向で進めてしまう。
「やるなら一人でやりなさい!!」
と逃げ道のない、選択の余地のない選択肢を示して追い込む
このアプローチをなんとかしなくちゃいけないとわかっているのに、感情でつい反応してしまう・・・そんなことが何度もありました。情けない限り…
自分の中に暗黙の「こう動いてほしい」
がある。
「そうできるはずなのにしていない!」とイライラして、
「じゃあもういいよ」
的な言動で、相手の動きを誘発させようとする。

そういえば初任の頃、こんな残念なこともあった。
係活動で似たようなことがあった。
「一生懸命にやらないなら、もうやらなくていい!」
子どもたちが「ごめんなさい!」と謝りに来たのを「いいぞいいぞ」とほくそ笑み、その顛末を学級通信に書いたりしていた。
冷や汗が出る。

学級での話し合いの時も。任せていると口で言いながら、
「もっと意見言ってもいいんじゃない?」
「もっと真剣でもいいんじゃない?」
と思っているのが顔に出る。毛穴からでる。時には口にしてしまう。
うまくいかなさは、たいていぼくが環境設定をしくじっているのに、勝手なぼくの思い込みなのに、そんな雰囲気をつくることにぼく自身が影響しているのに、そもそもうまくいかなくていいのに、参加者のせいにしているのだ。
大人の場ではありえないのに、子どもにやってしまう残念さと横暴さ。

先生(大人)の「イライラ」は、このような「勝手な期待」に起因することがある。
勝手に欲張って「ここまでいける」を設定し、それにいかないとイライラする。
そもそもの心の置き位置を間違えてしまう。

子どもの側からそこで起きてることを見直してみる。

体験してみる。

その場で何が起きて何を感じているのか。
大人がしたいこと、してほしいことではなく、

相手はどうしたいと思っているのか。
そこが出発点。

大人であるぼくが不安定だから、子どもは仲良しに固まっていくのだ。不安な環境を先生がつくっているのだから。

頭でわかっていても、日々体現していくのって本当に難しい。
自分の感情とどうつきあっていくか。とてもとても大切なテーマ。

常に理想的な教育とか、理想的な関わり、というものは本当はなくて、失敗したり、なやんだりの繰り返しの中で、少しずつ創り上げていくものなんだと思う。