いわせんの仕事部屋

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「おなじ」から「ちがう」へ。

 

「教室前面は子どもの注意がそがれないように掲示物を最低限に抑えましょう。」

 


これがユニバーサルデザインか。うんうん。そうかそうか。・・・・・ん?

学校現場でこの言説があっという間に広がっていくなか、ボクはずっと違和感が残っていた。なんか違う気がすると。

それで軽やかに取り合わないでいた。

 

 


そもそもこの提案の前提はなにか?それは「全員前を向いて先生の話を聞いて学ぶのがデフォルト」ということだ。盟友、KAIの言葉で言えば「後頭部凝視型授業」。いや、「一斉授業が悪い」とかそういうことを言っているのではなく、これまでの一般的な授業形態、教室のあり方に、子どもたちが合わせていくという方向がおかしい。

あわせることへの「困難」を取り除く為の手立て。教育におけるユニバーサルデザインの提案は、ボクが知っている限りではそういう方向性のものも多い。

 

「同じ」にするための工夫や手立て。


しかしその「困難」は誰が作り出しているのか?その視点が欠如したユニバーサルデザインは、もしかしたら学校や教室が作り出しているかもしれない「困難」にどうやって付き合わせるかに終始してしまう。みんなが「参加」できる学びとは?学びの場とは?視点を変えて考えてみたい。アイランド形式の教室だったら?いや学ぶ場所を自分で選べたら?学びが自分のペースだったら?一人一人の「ちがい」に応じられる学びの場とは?それを支えるコミュニティとは?

そこから問いを立てて、そもそもから考えていく。

 

 「ちがう」からスタートしてみよう。

 
書くのは簡単。実現は難しい。おもいっきり自戒を込めて書くが、教室単位ではダメなんだ。それは次年度に、かえって「学びにくさ」を生み出しかねない。自身の関心である学級経営で考えると、学級単位での学級経営を考える時代はもう終わりに来ているのだと思う。そもそも毎年振り出しに戻っているようじゃだめなんだ。そこに歩み出さなければ。

子どもの育ちを単年で考えるなんて大人の都合に過ぎない。


大学に来て3年目。たくさんの教室や学校におじゃまし、先生方と話し、文献を読み、ようやくそこに腹を決めることができはじめた。そのためにボクは小学校現場を離れ、ここにいるのだと思う。自身がやってきたことも批判的に検討し直さなくてはならないのだと思う。


だからといって、ただ「学校全体であわせればよい」という話ではない。それではあっという間に管理的な形骸化が起きるし、現に多くの学校で起きていて、子どもたちは(先生も)窒息しそうになっている。教師・学校都合の「共通理解」という名の形式的な管理。

 

そもそもの学校のビジョン、学習者観、学習観からの丁寧なスタートが必要。

そして、自由な試行錯誤を大切にする。

なにがいいかは事前にはわからないからだ。

 

軽井沢風越学園設立のプロジェクトにじっくりじっくり取り組みながら、ぼくらは、「新しい『普通』の学校」の情景をていねいにていねいに描いていく。

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『学習原論』その①

今日より行き帰りの電車で『学習原論』を読み始めました。

 

学習原論 (1972年) (世界教育学選集〈64〉)

学習原論 (1972年) (世界教育学選集〈64〉)

 

 木下竹次。大正自由教育を代表する実践家であり研究者。

この本がでたのは大正12年。1923年です。ほぼ100年前です。

Amazonの中古87000円って・・・・・ 

 

自序からグイッと攻めてきます。

 

学習は学習者が生活から出発して生活によって生活の向上を図るものである。学習は自己の発展それ自身を目的とする。異なった遺伝と異なった環境とを持っているものが、機会均等に自己の発展を遂げ自己を社会化していくのが学習である。学級的画一教育法を打破した自律的学習法は、いずれの学習者も独自学習から始めて相互学習に進み、さらにいっそう進んだ独自学習に記入する組織方法であって、実に性質能力の異なったものは異なったように活動し、しかも、自由と協同とに富んだ社会化した自己を建設創造しようというのである。教師は学習の指導者でまた共学者である。環境に順応しさらにこれおを創造することは自己の創造発展と同一事実である。学習すれば師弟ともに全自己を活動させてともに伸び、ともに歓ぶことができる。

 

教師の役割を指導者であり「共学者」と位置づけ、「ともに伸び、ともに歓ぶ」というあり方は、苫野一徳さんのいう「協同探究者としての教師」と同じ。いきなりスタートからしびれます。

 

第1章、「序論」では、教師についてこう喝破しています。

 

教育本来の意義は引立てることと取り除くことだ。すなわち教育は外部からの憂患を除去し、児童固有の本性を発揚することである。かくのごとき作用をする主人公は元来児童自身であるべき筈だが、従来は教師が余りに深入りして自分が主人公になった。そのためにかえって教育の効果を十分に挙げることはできなんだ。

各児童は各自の個性を基礎とし、自分の環境に依拠して種々の経験を積み、工夫創作を為し、よかれ悪しかれ、自分でなくては辿ることのできない道を辿って、人間固有の本性を発揚し社会に貢献していく。

自律的学習法の真髄は児童が本来具有する所の創作性自律性を発揚することだ。児童には本来伸びる力がある。教師はあまりに自分の力を過信して余計な干渉をしてはならぬ。

 

身が引き締まります。

「取り除くこと」というのはその通りだなあと思います。

教師がよかれと思ってやっていることが、木下に言わせると「〜いたずらに外部の権威に服従して課業に努める知力的奴隷を作る」。

教師が学習者の学習を阻害しているというのは耳の痛い指摘です。

 

丁寧に読み進めていこうと思います。

 

 

ねっこ。

わけあって、自分の振り返りを読み直している。

自分で読んでいて、あらためて考えるきっかけになる文章に出会う(メタ省察?)。

その意味でも、振り返りを書くことって大事だなんだなって思う。

ついつい忙しさにかまけて、丁寧に考えることをおろそかにしてしまう。

忙しいときこそ、立ち止まること。

ていねいに生きていこうと思う。

  

*  *  *

 

先生にとって大切なことってなんだろう? 

「先生=ファシリテーターである」。

これはボクがここ数年言ってきたこと。

ファシリテーションは技術。 ここはボクのとりあえずの前提条件。 技術、としないと身につけることができないので まずはそう言い切ることにしてきた。

しかし、一番大事なことは技術や方法として切り出せるものではないんだとも思う。それは他ならぬ「わたし」が身につけるものだから。
誰が何を身につけたか、なんのために身につけたのか、っていうことがとても大事にな る。
ファシリテーションはややもすれば、大げさに言えば人を殺す道具にだってなる。

その昔。仮説実験授業にはまり、子どもたちが夢中になって科学の世界に浸っていくのを見て素晴らしいなあと思って続けてきたけど、あるときに危うさを感じたんだ。 そのときに感じた危うさ、20代半ばの当時に感じたのは「巧妙に 『原発は安全で世界最高の発電システムである!』という授業書を作って、巧みに問題を配列し、『ある事実』だけを伝えていけば、素直に『そうなんだー!』と信じる子どもたちを作ってしまっている」 ということ。原発はあくまでも例。20代前半の関心だったので。
仮説実験授業の先生の役割も、今思えばファシリテーター的。でも授業のデザイン次第で巧妙な誘導ができる。だから離れたんだよな。実は学習者の主体的な思考力が育っていないんじゃないかっ て。知識は空から降ってくる、事実は決まっている、という受け身の人を育ててはいけない、と。

ファシリテーションだって同じような危険性をはらんでいるとボクは思う。参加者主体であったらいい、というものではない。

どんな技術やスキルも「なんのために」がその価値を規定するし「だれがつかうか」もとても重要な要素だ。
となると、その先生の、 「わたしはだれか」 「わたしは何を大切にしているのか」 「わたしは何が好きか」 「わたしは何をしたいと思っているのか」、「わたしは幸せか。わたしは何が幸せと感じるか。」 「わたしは、どんなふうに暮らしているか」

みたいなことって、些細なようでとてもとても大事だ。

 

それはもはや先生として、というより一人の人として。一人の市民として。
「わたし」とは? という自分が大事なんだ。
それは素晴らしい人であらねば、ということではなく。
わたしはわたしを知っていて、そんなわたしを「なかなか悪くないな」って思えてるかってことなんだろうと思う。

 

一方。
そのまま素で先生として立つわけではない。

そこは、プロとしての「大切なこと」がある、と思う。

例えばなんだろう? 

「なんのために先生になったのか」

「先生としてのミッションは何か?」

「自分の理想の先生像をどう描いているか?」

「学習や、人の成長をどう考えているか」

 

「どう成長してきているのか。自分を磨いてきているのか。」

「めざす教育、めざす先生像は?」

「めざす社会は?」

仕事としてのねっこ。 わたしとしてのねっこと、プロとしてのねっこ。 これは全くのイコールではないけれど、それは積集合の ように共通しているところがあるはず。

その共通部分が大きければ大きいほど楽なのかな。 いや、共通部分が徐々に大きくなっていく、というイメージだろうか。
それとも 「わたし」のうえに「先生」が乗っかる感じ?

 

いずれにしても、この2つを丁寧に見つめてみること。そしてこの2つを磨きつづけることが、なんというか、先生としての「最低条件」なのではないだろうか。

その上で。 それを実現するために、勉強する。 練習する。 技術を身につける。 学び続ける。体験する。振り返る。 自分の強みや得意を生かす。 人に会う。 
ここにファシリテーションという技術が生きてくるはず。
それに魂を入れるのはやはり「わたし」なのだろう。

ある人の実践を見ていて感じたこと。技術は一生懸命練習して、ずいぶん身についてきている感じがする。インストラクションも上手になったし、ポジティブフィードバックの練習をしていたし。振り返りもよくやっている。 サークル対話をしてみたり、ホワイト・ボードミーティングをしたり、PAをやったりと「できる」 ことも、きっと同年代の先生たちより多いだろう。 アセスメントの練習もしているから、「みえる」ことも増えてきている、と思う。 でも。 ねっこが弱いんだ。ねっこが細い。
だからせっかく上に載せた技術が、ぽろぽろとこぼれ落ちてしまうんだ。 みえることも、できることも、機能しきれない。 がんばっているのに、成果につながっていく感じがない。 それはつらいだろうなあ、と思う。

じゃあ、そのねっこはどうやって育てていけばいいんだろう。

 

ボクの場合、まだまだ道半ばであり、まだまだまだまだなんだけれど、
一番は、ボク自身がおもしろがりで、楽しいってことをエネルギーになんでもやってみる、おもしろがってみる、っていうのが大きいと思う。実践してみて考えることが、自分のねっこを育てる根本になっているなあ。


自分が努力して、痛い思いも山のようにして「どんどん変わっていった」という自覚があるから、「人は変わっていく」ということを体験的に信じていること、は大きいなあと思う。その意味では先生になって、「がんばってきたこと」「学んできたこと」「練習したこと」「体験したこと」の積み重ねで今の自分があるという自負がある。

内省的な性格であることも「ねっこ」なんだろうなあ。 昔はそれはボクの「めんどくささ」だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。 それがある意味この仕事には向いているんだ。 その内省も、思考の深みにはまっていく感じではなくて、ポジティブに変換しやすいのは気質なのか練習の賜物なのか。

 

とはいえ、まだまだなことも山ほど。

 

 

 

ボクは、ちょんせいこさんと一緒に「標準化」を大切にしてきた。 それは大切なことだとと思う。 標準化しないと、人が使える「技術」にならない。それは例えば医療現場なんかは「技術」として 習得可能なものにする、というのは圧倒的に大事なはず。違うかな?

その上でその技術を使う「人」をどう育てていくか。
その技術を更新していく人、現場にあわせて アレンジしていく人、産みだしていく人をどう 育てていくか。 そこもかんがえて、やっていく時期に来たと考えた。技術をアウトプットしてきたボクの責任として。

「子どもが好きだから先生になりました」 ってよく聞く。 いいことだし、きらいじゃあ話にならないし、ボクも好きだけれど。 でもそれだけだと子どもを抱え込んじゃう。 一番は、人の成長に貢献することが好き。とか。 人の成長を見るのがすき。とか。 人はちからがある。人には可能性がある、みたいなことを信じていることが大事なんじゃないかな。何より学び続けること、自分を問い直し続けることができるか。そして、自分が「消える」ことを当たり前と思えるか。自分の承認欲求を満たすために子どもを「使う」ことをしてしまわないように。

 

そして、よいモデルに出会うことも、もしかしたら、重要な一つなのだと思う。 それがないと、がんばる方向、学ぶ方向が定まらない。 いい人だけれど、先生としては悪くないだろうけれど、でも成長が止まっている、変わらないと言う人がいる。

成長すべき方向性を失っているんだよな。 だから、よいモデルを知っていることはボクが考えている以上に大事なのだろうと思う。

モデルを知っていると、それが評価の指標にもなって、今の自分もメタに見えやすくなる。 ボクにとっては、例えばざっくりいうと仮説実験授業時代は先輩の実践だったし、 その次に出会ったステキな同僚、当時自由の森校長の木幡寛さん、明治大の齋藤孝さん、国語専科教室の工藤順一さんに出会う。 その後ワークショップに参加し、いろいろなファシリテーターをみてきた。その中にはPAの難波さんや林さん、そして長尾彰さんがいた。 そのように「人」に影響を受ける時代から、中川綾さんに出会い、フレネやイエナプランのような教育のかたちや「価値」にモデルが移行していった。福祉領域でも活躍していたちょんせいこさんにも出会い、社会 と学校のつながりをリアルに技術でつなげることを見ることができた。

 

常にボクにはめざすべき方向、みたいなものがあったし、そこに向けて、けっこう愚直にやってきたなあとも思う。実践を通して学びまくってきたなあと思う。 モデルに出会うこと。それはできるだけ「リアル」なほうがいい。その意味でオランダにいったのは大きかった。

 

あとはなんだろうな。 学校という一つのコミュニティだけに属していない。いくつかのコミュニティに所属している自分である、ということかな。 例えば職場。家族。サークル。趣味。地域。 研究会。NPO。いくつものコミュニティ に所属していて、それぞれいろんな「自分」 がある。その共通部分としての自分。

それによって自分にバランスが取れていく。学校外に出て行くことが「先生」には特に重要だ、と思う。

 

 

とはいえ、いくらいいモデルに出会っても、

私たちは「だれか」にはなれない。

「だれか」をめざしていてもしょうがないんだ。

わたしはわたしとして、どんな人になりたいのか。

わたしはわたしとして、なにをめざすのか。

わたしはわたしとして、どんな一歩を踏み出すのか。

 

 

 

     *  *  *

 

最後に戻るのは「わたし」だ。 

今やれていないことは弱みではなく、成長のポイント。

苦しくても向き合おう。痛さこそがぼくを成長させてくれた。

なのに今は痛みから逃げている自分を感じる。よく見せたい自分を感じる。

ボクも46才とまだまだ若い(当社比)。

これからもたくさん出会い、考え、対話し、体験し、振り返り、変わっていきたいなあ。

 

 

恐るべし女性専用車両。

今日は朝から神奈川出張。

 

最近仕事が立て込んでいて、ついつい寝不足気味。

電車に乗るとぐーっと寝ちゃう。

昨日に続いて今日も寝過ごしてしまい、

降りるべき駅から30分も遠くへ行ってしまった。

「やばい!待ち合わせに遅れる!」

と、電車を飛び降り、向かいのホームに来た電車に飛び乗った。

幸い、始発駅で電車は空き空き。

「ふう、なんとかギリギリ間に合いそうだ。早めに出発してよかったあ」

とベンチの真ん中に座る。

よかったよかったと、心拍数があがって目が冷めたところで、おもむろに本を取り出した。読みながら電車は進む。ちょっとずつ人が増えてきた。

ふと気づくと両隣女性。めずらしい。

前の座席を見ると女性が多い。

「やけに今日は女性が多いな−」

そんな日もあるんだな。まあおっさんばかりよりいいな。

と思って本に戻る。

待てよ。

電車の中を見回してみる。

女性しかいない。座っている人も立っている人も女性ばかり。あれ?男はどこだ?

あれ?・・・・・もしかして。

うむ。女性専用車両だった。

 

やばい。なぜ気づかなかったんだ、おれ。50対1じゃないか。焦る。でも焦っている感じを出すのはまずい。なぜまずいのかわからないがまずいと思う。

落ち着け、落ち着けおれ。まずは何事もない感じにしよう。いや、そのほうがあやしいのか。でもあたふたすると注目を集めすぎてしまう。じゃあどうすりゃいいんだ。両隣に座っている2人は勇者の扱いを受けているのではないか、もしかして。まず逃避だ。とりあえず本に戻ろう。

次の駅まで本を読み続け、駅に着いたところで、非常になにげないかんじで次の駅で電車をゆるりと降り、非常になにげない感じで隣の車両へ移動し、見えなくなったかな、と思ったところで、Bダッシュして隣の隣の車両へ駆け込んだ。汗がいっきに噴き出た。汗もよくなにげない感じで待っていてくれたと、汗腺に感謝。

 

どう思われていたんだろう、なんで誰も教えてくれなかったんだろう、といろいろな思いはうずまくが、おれはおれだ。

どんまい、おれ。

 

情景を描く。

今年度もいよいよ終わり。学校や学級の一区切りです。ちょっと余韻にひたり、新年度の準備に入ります。ボクが研究主任、学級担任をしているときに、新年度の準備で一番最初にしたこと、それは「情景を描く」ということです。

学級の場合。最も理想的に進んだとしたら、1年後どんな学級になっているとうれしいかを頭の中で「動画モード」で見られるレベルまで具体的にイメージするんです。 とある1日を思い浮かべて、理想的な教室の様子を映画のように思い浮かべます。

・教室はどんな環境だろうか?

・どんな声が聞こえるだろうか?

・何が見えるだろうか?

・どんな学び方をしているだろうか?

・どんなふうに関わっているだろうか?

・先生であるボクはどんなことをしているだろうか?  

・ボクと子どもの関係は?

・子どもと子どもの関係は?

・保護者とボクの関係は?

・同僚とボクの関係は? 等々。

自分に問いかけながら想像していきます。 ありたい未来像を情景として丁寧に描く。言い換えるとビジョンを描くということをします。描いた情景に自分自身がワクワクできたらOK。まだあまりロジカルに考える必要はないとボクは考えています。現実的な制約(制度、学校の文化、規則等々)を考慮に入れて考えるとどうしても描く情景が陳腐になりがち。 まずは徹底的に理想を考えるのが大事です

以下は、ある年にボクが情景を描くときにメモしたものです。 (『せんせいのつくり方』に載せました。)

自分のやりたいことがあること。自分のペースを大事にできること。たとえば休み時間。サッカーに興じている男女もいれば、教室でおしゃべりしている人もいる。歴史で学んだ人物でカードゲームをつくって遊んでいる人がいる。それをニコニコみている人もいる。「一緒にやる?」なんて声をかけている。理科で使った電磁石で実験している人もいる。そのメンバーの組み合わせは日によって違う。自分で選べるんだ。好きなことが違って、得意なことが違って、いろいろな人がいるからおもしろい。そんな開放性とゆるやかさがクラスのベースとしてある。空気圧がゆるいんだ。「だれと」よりも「何を」が優先されている感じ。

困ったら、困ったって言えるクラス。みんなのことをみんなで考えるクラス。うまくいかなかったり、対立が起きたり、そんなことは30人が一緒に暮らしていれば起きてあたりまえだ。そんなとき、一人で困らずに、「しゅうちゃんとケンカしちゃってるんだよね」と友だちに気楽に言える。「じゃあ、間に入って話を聴こうか?」って、友だちがサッと手助けしてくれる。お互いがお互いのファシリテーターな感じ。助けてもらった人も助けた人もうれしい。

 

 クラスに問題が起きることもある。 「最近給食の配膳が遅くてさ、食べる時間が短くなっているんだよね」 「じゃあ、解決策をみんなで考えよう」 自分たちで考えて解決に向かっていく。時には、「両手で食器を運べば速く配れるかも!」なんて、ボクが横で聞いていて「おいおい!」なんて思う解決策が出ることもある。ボクも意見を言ったけど却下。でも大丈夫なんだ。何回か試したら「手がすべてこぼした−!これはダメだ。ほかの方法考えよう!」となった。先生もメンバーの一人だから解決策を子どもたいと一緒に考えていけばいい。失敗してもいいんだ。トライアルアンドエラーで自分たちで解決していくということを大切にしていきたい。

 

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「頭の中で動画モードで再生できるか?」が圧倒的に重要です。どうしてもボクらは「協力できる」みたいな抽象的な言葉に逃げてしまいがち。「それって具体的にはどんなシーンなの?」まで想像することが大切だと考えています。これは大人も子どもも関係なく大事ですね。次に、この情景を元にもう少し抽象的な言葉にしてみます。 こんな感じです。

・人間関係の流動性。困ったときに「困った」と外に表明でき、それをクラスが、「関係の濃さ薄さ」を超えて受け止めてサポートする。それ以外の時は緩やかにつながっている。

・教室の中に複数のネットワークがある。そのときそのときに応じて関係が変わっていく。 複数の回路があれば、必然的にゆるやかな「つながり」となる。

・いろんな人がいてもよい、ではなく、「いろんな人がいるほうがよい」ということを実感するためにクラスで様々な形の実践がある。

・例えば。ブッククラブで「ああ、こんな考え方があるのかあ。社会には自分とは違う考えの人もいるんだなあ」と思うこと。

・算数の時、 「ああ、この人の説明だとわからないのに、この人の説明だとよくわかるなあ。試してみないとわからないものだなあ」と実感すること。 様々な時間に、自分の強みが発揮できること。他者の強みを見て 「へー、自分が苦手なことでも得意な人がいるんだなあ。逆に自分が得意なことでも人には苦手 のこともあるんだなあ」 「自分が役に立てたり、得意なのはここだなあ」 と思えること

・多様な中で、学校は人工的な空間ではあるけれど、 出来る限り自然で自分らしくいられること。 やりたいことがそこにあること。 科学だったり、読書だったり、裁縫だったり、作家だったり、人によっては掃除だったり。ダンスや歌もステキだ。

・たとえば給食の時間にやる算数寺子屋。 「やりたい人はやればいいし、そうじゃないひとは別にやらなくていい」 という緩やかな自己選択があること。 やらなくても不利益にならない開放性。 やっているからえらいとか、やっていないからだめとか、そんなのはない。 どっちもあり。個人の自己選択・自己決定が保証されている。

・学習の個別化の時間にいやそれ以外でも、 「サポートして」と援助を求めることができる。 それが幅広く受け止められる。 受け止められて解決したり、進んだりできる。 その成功体験が、より「サポートして」を言いやすくし、コ ミュニティの問題が早めに可視化されるようになり、健全性が保たれる。

・起きている時間のほとんどを過ごす学校。 今は下校時刻が4;00で、外で遊んでいい時間が4:30まで。 実質かえって友達と遊ぶ時間はない。 子どもたちにとって、学校での時間が友 達と過ごす唯一の場なのだ。 その学校にとって、教室にとって、「居心地がいい」「やりたいことがある」「自 分らしくいられる」というのは以前にも増して重要だ。

・だた、それだけではやはり学びの場ではない。 自分の成長を実感できること。自分の変化、をちゃんと自分でわかっていること。 変わってきているから、これからも変わっていけるだろうという自分へのポジティブな期待。 ただ「居心地がよい」だけではなく、その中での成長実感。 やればできるようになる、というマインドセット。 周りの人や大人がモデルとなり、自分が「伸びようとする高さ」が見えてくること。自分の位置が自分で測れること。

・時間軸が長いこと。 すぐに成果が出たり、変わったりしないこともある。 いつでも長い時間軸を意識して焦らないこと。待つこと。 1年単位での実践ではここへの意識がよわくなる。 気をつけよう。 ボクがグッと伸びたのは、教員になってからだぞ。子ども時代は遊んでばかりだ。

・他のクラスや学年との「バリア」ができるだけないこと。 そのためには。一緒にやれることを増やすこと。子どもが行き来するしかけをつくること。 例えば本を借りに行ったり。クラスを混ぜた授業をしたり。担任が授業を交換したり。 ここはまだあまりやれていないから、これから意識していこう。 ああ、そのバリアは、学校の中と外、にもあるんだよな。 そのバリアをなくしていきたい。

・クラスというコミュニティを居心地よく、よりよいものにしていくのは、わたしの手の中、にあること。 わたしの一歩がそのきっかけになる、ということが実感できること。

・違いを前提に、共創的な対話を重ねられること。 対話をあきらめないこと。

 

この作業、実はとっても楽しいです。 だって「最も理想的でワクワクする状態」をイメージするのですから。こうやってメモがき増やしていくうちに、コンセプトが見えてきます。(この年は、「適度な一体感とバラバラ感。空気圧の低いコミュニティ」という言葉にまとまりました。)

ここまで描いてから、「では現実的な制約の中、できればそれらを味方につけつつ、具体的にどう進めていこうか?」と具体的な実践レベルの作戦を考えていきます。 ボクはつい「よし!今年はサークル対話をやるぞ!」みたいに方法から発想してしまいがち。これをやりすぎて、「方法のパッチワークのような実践」になってしまったこともあります。まずは具体的な情景を描き、そこから大切にしたいコンセプトを探究していく。

これは校内研究の研究主任をやったときも同じでした。 最初の研修で皆さんと考える問い、それは、 「1年後、この会議室での研修がどうなっていたら、『あー!この1年の研修やってよかったなー!楽しかったな−!自分たちの力になったな−!』って思えるでしょうか。ちょっと映画みたいに想像してみましょう。」 です。はじめから情景を共有することは難しいけれど、日々の研修の中で、「ああ、これっていいなあ」というシーンを情景に足していく。そうやって情景をみんなで豊かにしていくプロセスこそが大事だと思います。

学校レベルでも実はこの情景の共有が行われていないのではないでしょうか?学校経営方針や学校教育目標。その言葉から、一人ひとりのノーミソに描かれている情景は全然違うかも知れない。だから共通目的を目指しているはずなのに、どこかずれていってしまう。 まずは一人ひとりの頭の中にある情景を言葉にし合う。共有する。にお互いが共感できる「共有ビジョン」を築いていく(センゲ2014)。このプロセスを全員で行うことがとても重要だと考えています。

残念ながら今の多くの学校は、4月になると怒濤のように新学期準備に追われてしまい、この時間がとれません。立ち止まる暇もなく事務作業に追われます。始まりのワクワクを耕す前に疲労困憊します。だがしかし。スタートだからこそ丸1日間取って、じっくり学級、学校の情景を描き、共有しあう時間が必要じゃないかなあと思うわけです。

 

蛇足ですが、よりよい情景を描き、そして実践していけるようになるために、ボクらはだから学び続けるのだと思います。自分の知っていること、経験したことの範囲はたかがしれています。そこからだけの出発にならないためにも、ボクらは本を読み、学び、見る。自分の「そもそも」を問い直し続ける。それは実は楽しいことだと実感しています。あらたな「情景」を描けるようになるのですから。

 

 

最後に軽井沢風越学園。 本城さんとボクは、最初に学校のコンセプトを話し合うことからスタートしませんでした。それぞれがノーミソの中で描いている情景、学校の姿、子どもの姿、大人の姿を描いていっていきました。お互いが描いた情景を思い浮かべつつ、自分の情景と合わせて共有できる情景へと描き直していく。まず2人でこの作業をまるで文通のようにはじめました(メールだけど)。

そこに苫野さんが加わり、小川さんが加わり、初期メンバーで描き合いました。その中からコンセプトが少しずつ見えてきたのです。

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それがホームページにある設立メッセージです。 情景は、これから増えていくメンバーとさらに情景を色鮮やかに描いていくつもりです。 開校までにどんどん変わっていくでしょう。

開校してからもどんどんかわっていくはず。

  

卒業おめでとう。

 

大学院の修了式が終わりました。

言いそびれてしまった言葉を。

 

創り出すことを楽しんでほしい。


楽しいということはものすごく大事です。


教員になっていく中で、

楽しいことは

「置いておいて」といわれるかも。

でも。

 

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おもしろくないことを、
「どうやっておもしろくするか!」
ということを、全力で考えながら生きていってほしい。ボクらの手の中にコントローラーはあります。

 

 

制度の縛りは、創造力の源です。

制限があるからこそ、ボクらは工夫し、新たなものを生み出せます。

制限を楽しみましょう。


ゆかいな大人で居続けましょう。

 

修了、おめでとうございます。

ここからは同志です。

多くの子どもに届けましょう。

大人であるボクらが楽しんで学び続けている姿を。