いわせんの仕事部屋

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情景を描く。

今年度もいよいよ終わり。学校や学級の一区切りです。ちょっと余韻にひたり、新年度の準備に入ります。ボクが研究主任、学級担任をしているときに、新年度の準備で一番最初にしたこと、それは「情景を描く」ということです。

学級の場合。最も理想的に進んだとしたら、1年後どんな学級になっているとうれしいかを頭の中で「動画モード」で見られるレベルまで具体的にイメージするんです。 とある1日を思い浮かべて、理想的な教室の様子を映画のように思い浮かべます。

・教室はどんな環境だろうか?

・どんな声が聞こえるだろうか?

・何が見えるだろうか?

・どんな学び方をしているだろうか?

・どんなふうに関わっているだろうか?

・先生であるボクはどんなことをしているだろうか?  

・ボクと子どもの関係は?

・子どもと子どもの関係は?

・保護者とボクの関係は?

・同僚とボクの関係は? 等々。

自分に問いかけながら想像していきます。 ありたい未来像を情景として丁寧に描く。言い換えるとビジョンを描くということをします。描いた情景に自分自身がワクワクできたらOK。まだあまりロジカルに考える必要はないとボクは考えています。現実的な制約(制度、学校の文化、規則等々)を考慮に入れて考えるとどうしても描く情景が陳腐になりがち。 まずは徹底的に理想を考えるのが大事です

以下は、ある年にボクが情景を描くときにメモしたものです。 (『せんせいのつくり方』に載せました。)

自分のやりたいことがあること。自分のペースを大事にできること。たとえば休み時間。サッカーに興じている男女もいれば、教室でおしゃべりしている人もいる。歴史で学んだ人物でカードゲームをつくって遊んでいる人がいる。それをニコニコみている人もいる。「一緒にやる?」なんて声をかけている。理科で使った電磁石で実験している人もいる。そのメンバーの組み合わせは日によって違う。自分で選べるんだ。好きなことが違って、得意なことが違って、いろいろな人がいるからおもしろい。そんな開放性とゆるやかさがクラスのベースとしてある。空気圧がゆるいんだ。「だれと」よりも「何を」が優先されている感じ。

困ったら、困ったって言えるクラス。みんなのことをみんなで考えるクラス。うまくいかなかったり、対立が起きたり、そんなことは30人が一緒に暮らしていれば起きてあたりまえだ。そんなとき、一人で困らずに、「しゅうちゃんとケンカしちゃってるんだよね」と友だちに気楽に言える。「じゃあ、間に入って話を聴こうか?」って、友だちがサッと手助けしてくれる。お互いがお互いのファシリテーターな感じ。助けてもらった人も助けた人もうれしい。

 

 クラスに問題が起きることもある。 「最近給食の配膳が遅くてさ、食べる時間が短くなっているんだよね」 「じゃあ、解決策をみんなで考えよう」 自分たちで考えて解決に向かっていく。時には、「両手で食器を運べば速く配れるかも!」なんて、ボクが横で聞いていて「おいおい!」なんて思う解決策が出ることもある。ボクも意見を言ったけど却下。でも大丈夫なんだ。何回か試したら「手がすべてこぼした−!これはダメだ。ほかの方法考えよう!」となった。先生もメンバーの一人だから解決策を子どもたいと一緒に考えていけばいい。失敗してもいいんだ。トライアルアンドエラーで自分たちで解決していくということを大切にしていきたい。

 

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「頭の中で動画モードで再生できるか?」が圧倒的に重要です。どうしてもボクらは「協力できる」みたいな抽象的な言葉に逃げてしまいがち。「それって具体的にはどんなシーンなの?」まで想像することが大切だと考えています。これは大人も子どもも関係なく大事ですね。次に、この情景を元にもう少し抽象的な言葉にしてみます。 こんな感じです。

・人間関係の流動性。困ったときに「困った」と外に表明でき、それをクラスが、「関係の濃さ薄さ」を超えて受け止めてサポートする。それ以外の時は緩やかにつながっている。

・教室の中に複数のネットワークがある。そのときそのときに応じて関係が変わっていく。 複数の回路があれば、必然的にゆるやかな「つながり」となる。

・いろんな人がいてもよい、ではなく、「いろんな人がいるほうがよい」ということを実感するためにクラスで様々な形の実践がある。

・例えば。ブッククラブで「ああ、こんな考え方があるのかあ。社会には自分とは違う考えの人もいるんだなあ」と思うこと。

・算数の時、 「ああ、この人の説明だとわからないのに、この人の説明だとよくわかるなあ。試してみないとわからないものだなあ」と実感すること。 様々な時間に、自分の強みが発揮できること。他者の強みを見て 「へー、自分が苦手なことでも得意な人がいるんだなあ。逆に自分が得意なことでも人には苦手 のこともあるんだなあ」 「自分が役に立てたり、得意なのはここだなあ」 と思えること

・多様な中で、学校は人工的な空間ではあるけれど、 出来る限り自然で自分らしくいられること。 やりたいことがそこにあること。 科学だったり、読書だったり、裁縫だったり、作家だったり、人によっては掃除だったり。ダンスや歌もステキだ。

・たとえば給食の時間にやる算数寺子屋。 「やりたい人はやればいいし、そうじゃないひとは別にやらなくていい」 という緩やかな自己選択があること。 やらなくても不利益にならない開放性。 やっているからえらいとか、やっていないからだめとか、そんなのはない。 どっちもあり。個人の自己選択・自己決定が保証されている。

・学習の個別化の時間にいやそれ以外でも、 「サポートして」と援助を求めることができる。 それが幅広く受け止められる。 受け止められて解決したり、進んだりできる。 その成功体験が、より「サポートして」を言いやすくし、コ ミュニティの問題が早めに可視化されるようになり、健全性が保たれる。

・起きている時間のほとんどを過ごす学校。 今は下校時刻が4;00で、外で遊んでいい時間が4:30まで。 実質かえって友達と遊ぶ時間はない。 子どもたちにとって、学校での時間が友 達と過ごす唯一の場なのだ。 その学校にとって、教室にとって、「居心地がいい」「やりたいことがある」「自 分らしくいられる」というのは以前にも増して重要だ。

・だた、それだけではやはり学びの場ではない。 自分の成長を実感できること。自分の変化、をちゃんと自分でわかっていること。 変わってきているから、これからも変わっていけるだろうという自分へのポジティブな期待。 ただ「居心地がよい」だけではなく、その中での成長実感。 やればできるようになる、というマインドセット。 周りの人や大人がモデルとなり、自分が「伸びようとする高さ」が見えてくること。自分の位置が自分で測れること。

・時間軸が長いこと。 すぐに成果が出たり、変わったりしないこともある。 いつでも長い時間軸を意識して焦らないこと。待つこと。 1年単位での実践ではここへの意識がよわくなる。 気をつけよう。 ボクがグッと伸びたのは、教員になってからだぞ。子ども時代は遊んでばかりだ。

・他のクラスや学年との「バリア」ができるだけないこと。 そのためには。一緒にやれることを増やすこと。子どもが行き来するしかけをつくること。 例えば本を借りに行ったり。クラスを混ぜた授業をしたり。担任が授業を交換したり。 ここはまだあまりやれていないから、これから意識していこう。 ああ、そのバリアは、学校の中と外、にもあるんだよな。 そのバリアをなくしていきたい。

・クラスというコミュニティを居心地よく、よりよいものにしていくのは、わたしの手の中、にあること。 わたしの一歩がそのきっかけになる、ということが実感できること。

・違いを前提に、共創的な対話を重ねられること。 対話をあきらめないこと。

 

この作業、実はとっても楽しいです。 だって「最も理想的でワクワクする状態」をイメージするのですから。こうやってメモがき増やしていくうちに、コンセプトが見えてきます。(この年は、「適度な一体感とバラバラ感。空気圧の低いコミュニティ」という言葉にまとまりました。)

ここまで描いてから、「では現実的な制約の中、できればそれらを味方につけつつ、具体的にどう進めていこうか?」と具体的な実践レベルの作戦を考えていきます。 ボクはつい「よし!今年はサークル対話をやるぞ!」みたいに方法から発想してしまいがち。これをやりすぎて、「方法のパッチワークのような実践」になってしまったこともあります。まずは具体的な情景を描き、そこから大切にしたいコンセプトを探究していく。

これは校内研究の研究主任をやったときも同じでした。 最初の研修で皆さんと考える問い、それは、 「1年後、この会議室での研修がどうなっていたら、『あー!この1年の研修やってよかったなー!楽しかったな−!自分たちの力になったな−!』って思えるでしょうか。ちょっと映画みたいに想像してみましょう。」 です。はじめから情景を共有することは難しいけれど、日々の研修の中で、「ああ、これっていいなあ」というシーンを情景に足していく。そうやって情景をみんなで豊かにしていくプロセスこそが大事だと思います。

学校レベルでも実はこの情景の共有が行われていないのではないでしょうか?学校経営方針や学校教育目標。その言葉から、一人ひとりのノーミソに描かれている情景は全然違うかも知れない。だから共通目的を目指しているはずなのに、どこかずれていってしまう。 まずは一人ひとりの頭の中にある情景を言葉にし合う。共有する。にお互いが共感できる「共有ビジョン」を築いていく(センゲ2014)。このプロセスを全員で行うことがとても重要だと考えています。

残念ながら今の多くの学校は、4月になると怒濤のように新学期準備に追われてしまい、この時間がとれません。立ち止まる暇もなく事務作業に追われます。始まりのワクワクを耕す前に疲労困憊します。だがしかし。スタートだからこそ丸1日間取って、じっくり学級、学校の情景を描き、共有しあう時間が必要じゃないかなあと思うわけです。

 

蛇足ですが、よりよい情景を描き、そして実践していけるようになるために、ボクらはだから学び続けるのだと思います。自分の知っていること、経験したことの範囲はたかがしれています。そこからだけの出発にならないためにも、ボクらは本を読み、学び、見る。自分の「そもそも」を問い直し続ける。それは実は楽しいことだと実感しています。あらたな「情景」を描けるようになるのですから。

 

 

最後に軽井沢風越学園。 本城さんとボクは、最初に学校のコンセプトを話し合うことからスタートしませんでした。それぞれがノーミソの中で描いている情景、学校の姿、子どもの姿、大人の姿を描いていっていきました。お互いが描いた情景を思い浮かべつつ、自分の情景と合わせて共有できる情景へと描き直していく。まず2人でこの作業をまるで文通のようにはじめました(メールだけど)。

そこに苫野さんが加わり、小川さんが加わり、初期メンバーで描き合いました。その中からコンセプトが少しずつ見えてきたのです。

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それがホームページにある設立メッセージです。 情景は、これから増えていくメンバーとさらに情景を色鮮やかに描いていくつもりです。 開校までにどんどん変わっていくでしょう。

開校してからもどんどんかわっていくはず。