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いわせんの仕事部屋

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【たまった計算ドリルや漢字を罰ゲーム的にやらされると何を学ぶか】

埼玉は今日終業式。いよいよ夏休みです!

大学はあと2週間だけど……

この時期になると思い出す、息子が小学生の時のエピソード。終業式2日前の我が家での出来事です。

 

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「やべー!計算ドリル終わってね-」
と息子。
あといくつ残ってるの?
「32ページ」
32ページって、ほとんど全部じゃん・・・・・・
「いやー、去年とシステムが違ってさあ。去年は宿題で出てたからその通りやってれば終わったんだけど、今年は,自分でやるシステムだから,気づかなかったんだよねえ−。システムの問題だよ、これは。」
っていうか、どうするの?

「一気に終わらす!終わらないと終業式のあと学校でやるんだって。それだけは阻止!遊びたいし!」
と、頭にタオルを巻いて気合いを入れてやり出す息子。往年のビックダディみたいなスタイルだな。

「よし今日は10個終わったからあとは明日!」
見通しの計算できてないじゃん。明日22個もできるのかよ・・・
そして翌日、また頭にタオル巻いて、
「終わらすぞ-!」「よおし、2個終わった−!」
と妙にハイテンションで楽しそう。
「やるしかないんだよ!どうせなら楽しくやるんだよ」
まあ、そりゃそうか。なんとか夜には全部終わったようでした。だがしかし。終業式の朝には今度は、
「やったノートが見当たらない!」と一騒動。おい。マンガかおまえは・・・・・

 

 

 

「オレさあ、夏はこうならないように、初日に宿題一気に進めるよ」
お、ついに体験から学んだか。そして夏休み初日。
「遊びに行ってきまあーす!」
おーい、宿題終わらすという作戦は???
「あーーそっかあ。。。。まあ、一応持って行くか。。。。じゃあ遊びに行ってきまあす!!」もちろん何もやらずに帰ってきました。

結論。
罰ゲーム的にたまった宿題をやらされても,何の成長にもつながらず、むしろ、「まあ、なんとかなるさ!」ということを体験的に学ぶ(笑)。

というわけで今日も水鉄砲持って遊びに行っております。正しい子どもだ。

 

わかっていても、先生目線ではついついこうやってしまう……ボクもそうでした。なぜ教師はそうしがちなのかは、自分を題材に丁寧に振り返る必要がありそう。つい自分を正当化するストーリーを描いているんですよね。そもそもから考えなくちゃだよなあ……

「きのくに子どもの村」の凄み。

今日は隙間時間を使ってもう1冊読了。

きのくに子どもの村の教育―体験学習中心の自由学校の20年

きのくに子どもの村の教育―体験学習中心の自由学校の20年

 

この本は、元大阪市立大学、堀真一郎さんの学校づくりの記録だ。きのくにの取り組みはずいぶん以前から知っていて本も読んでいた。

 

ニイルと自由な子どもたち―サマーヒルの理論と実際

ニイルと自由な子どもたち―サマーヒルの理論と実際

 

 

ニイルと自由の子どもたち―サマーヒルの理論と実際

ニイルと自由の子どもたち―サマーヒルの理論と実際

 

堀さんが大学教員のまま学校づくりに取り組みはじめたのが1984年。ボクが中学生の頃だ。8年後の1992年。ボクが大学3年の時に「きのくに子どもの村学園小学校」を開校している。

この本は、学校づくりから現在に至るまでの貴重な記録だ。

改めて読むと、ボクが実践してきたことなど、所詮きのくにでの実践の公立での縮小版ではないかという気持ちになる。それくらいチャレンジングで質の高い実践の積み重ねだ。北海道の中学教師、石川晋さんがよく言っているが、ボクらが思いつく実践はたいてい先人がとっくに実践しているのだ。

学校づくりでの苦労も真摯に語ってくれている本書は、読みながら背筋が伸びてくる。

 

ボクらはこの提案を受けて、これから何をしていくのか。これからの大きな問いをもらった本だ。実現したいという想いって本当に大事だ。

 

ニイルの言葉、

まず子どもを幸福にしよう。すべてはそのあとにつづく。

その通りだと思う。

何度も戻ってくる本になりそうだ。この学校で大切にされていることの本質は、公教育でも大切にしたいことだ。言い換えれば、子どもの教育ではどこでも大切にすべきことだと思う。では、より多くの子どもたちに届けるには?ボクにできること、いやボクがしたいことはなんだろうか?公教育に届けるにはどうしたらよいだろうか?苫野さんのいう「学びの個別化・協同化・プロジェクト化」はサマーヒルがひとつのモデルになっているのだろうな。

 

今年、見に行こう。

 

 

 

 

一気に読んでしまった。『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』。

久々に一気読みしてしまった。
精神科医の著者が、「自殺希少地域」をフィールドワークすることを通して「人の生きやすさ」について探究した記録。

その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――

その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――

 

「はじめに」を読むと、以下の本に影響を受けたそう。

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

 

 未読だった!!早速注文。ポチ。

「はじめに」にある、人の生きやすさを考えるためのこの言葉にまずはグッと来る。

社会は今とても複雑である。それゆえに当たり前だと思うことに気付きにくくなっているように思う。シンプルなことに気付くことができたならば、それは当たり前なことだと思うのであるけれども、それに気付くまではわからないものであると思っている。だから私は、ここにどうどうと当たり前のことを書いた。ひとの生きること、その営みにおいて難しい理論はいらないと思う。とてもシンプルだと思う。

 

ではそのシンプルな原則とは?

必ずしも「自殺希少地域」=生きやすい、ではないだろうが、ひとつの視点ではあると思う。著者の探究は『生き心地のよい町』で取り上げられていたという旧海部町(市町村合併により今はない)のフィールドワークから本はスタートする。自殺希少地域である旧海部町。ボクは、さぞ人間関係が濃いのではないか(良くも悪くも)と漠然と思っていた。しかし、岡さんの調査では、希少地域では以下の通りだったという。

近所との付き合い方は「立ち話程度」「あいさつ程度」と回答する人たちが8割を超えていて、「緊密(日常的に生活面で協力)」だと回答するひとたちは16%程度だった。一方で、自殺でなくなるひとの多い地域は「緊密」と回答する人が約4割だった。(『生き心地のよい町』より)

この結果を岡さんはこのように解釈したそうだ(早く読まなくちゃ)。

「人間関係は、疎で多。緊密だと人間関係は少なくなる」
「人間関係は、ゆるやかな紐帯」

緊密ではないが、コミュニケーションの量は多い。凝集的なコミュニティではないということだ。ここは本当におもしろいポイントだと思う。それはどんなコミュニティなのだろうか。そこを考えるヒントとして、第1章「助かるまで助ける」でのいくつか印象的なエピソードを。

旧海部町では、家の鍵が基本的にあいているらしい。

「外泊するときは鍵を閉めた方がいい〜」

ここまでは「まあ確かにその通り」と思う。その理由がすごい。

「〜数日後に帰ってきたら、部屋の中に腐った魚があって、においがとれなくて大変なことになったなんてことがある」

釣れた魚をお裾分けし合う習慣がこの町にはある。「あげたい」と思った人があげたい人に勝手に届けるので、家を不在にしているとこんなことになってしまうらしい。

「近所であいさつ程度の付き合いだったとしても、突然の雨で洗濯物が外にほしてある状況だったら選択を取り込むんだ」と旅館のおやじさんは言っていた。

ゆるやかなつながりでありながらお節介なまでの関わり。このエピソードには続きがある。この町で育った人が、都会に出て近所の洗濯物を取り込んであげたら、ひどく怒られたそうだ。しかしその人は、

「都会にはいろいろな人がいるんやね」

と素直に受け止めたらしい。これらのエピソードをどう読み解くか。それは是非本を手にとってほしい。

 

 

この町では「病、市に出せ」という原則がある。
少しでも困ったらすぐそれを自分のいる空間に出しなさいという教訓。すぐに出し合えるコミュニティは問題が小さいうちに解決に向かうことができる。そう考えると非常に合理的だ。

また相手が困っているのを発見した人は、相手のニーズを感じながら解決のために「自分で」行動する。「困っているひとがいたら、できることはする。できないことは相談する」のだ。

著者がフィールドワーク中に突然の歯痛で苦しんでいるときにも、近くの病院が閉まっているとわかるや、宿の人が、82キロ先に歯医者があるから車に載せていくよ、と平然と言うエピソードも印象的だ。解決するまで付き合うのが当然という自然さ。「疎」でありつつも「多」であるからこそ、相手の困りごとや問題も見つけやすい。この「疎で多」であるゆるやかなつながりは、お互いのセーフティ−ネットとして働く。そして困りごとを見つけたらその場で「自分はどうしたいのか」を原則として行動する。著者がいうように、人助け慣れ、助けられ慣れていくことでその加減が絶妙になっていく。だからこそ安心してひとりでいられる。

森山さんはこう言う。

たくさんのひとが出会い、たくさんのひとと話すことで、ひとはコミュニケーションに慣れていく。自分の考えに会うひとたちだけでコミュニティを作ってしまうと、知り合いはいたとしても世間は狭くなる。世間の狭さは変化や異なることへの対応の弱さとなり、それは生きづらさと関係する。コミュニティはより緊密になるから排他性が生まれる。

ボクが『せんせいのつくり方』の中で書いた、「適度に一体感があり適度にバラバラ」「ゆるやかな協同」の場は、もしかしたらこんな形なのかも知れない。この本を読みながら、ボクはついつい学校組織にひきつけて考えてしまう。学校は制度的実践だから、単純にコミュニティとは比べられないとは自覚している。しかし共通点もあるはずだ。学校での生きやすい関係を考えるときの大きなヒントになる本だと思う。

この本の最終章「対話する力」ではオープンダイアログの7つの原則が紹介されている。

オープンダイアログは以下を参照。ボクもまだ本をパラパラと読んだだけだから、改めて学び直さなくちゃ。

オープンダイアローグとは何か

オープンダイアローグとは何か

 

 

www.youtube.com

 

この本でのフィールドワークで見出したことは、オープンダイアログの原則が機能している場であるとつながっていることを見出したのだ。
ここでは目次だけあげておきます。是非本で読んでみてください。

①「困っている人がいたら、今、即、助けなさい」(即時に助ける)
②ひととひとの関係は疎で多(ソーシャルネットワークの見方)
③意志決定は現場で行う(柔軟かつ機動的に)
④「この地域のひとたちは、見て見ぬふりができないひとたちなんですよ」(責任の所在の明確化)
⑤解決するまでかかわり続ける(心理的なつながりの連続性)
⑥「なるようになる。なるようにしかならない」(不確かさに耐える/寛容)
⑦相手は帰られない。変えられるのは自分(対話主義)

 

 

エピソードとそこから見出される「生きやすさの仮説」にはやや飛躍があるなあと感じるところも多々あったが、それを差し引いてもとてもおもしろい本だった。

改めてこの本のタイトル、

『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』を読むと、非常に深い意味があるなあとしびれる。

 

さ、届いた岡さんの本を読むとしよう。

言いたくないことはいわなくていい。

五年前の記録。

書き残しておくことは大切だ。

すっかり忘れていた。

「実践を記述すること」は、とてもとても大切だ。

成長の未来を分ける。

 

*  *  *

 

先日のサークルタイムで、あるトラブルがわかったとき。
ある子がこう言いました。

「かくしごとはしないでほしい!」

それに対しての,別の子の一言。

「正直はいいことだとおもうけど、言いたくないことは、言わなくていいと思う。
 それをさぐるのはおかしい。
 でも、ちょっと相手のことも考えて,自分のこととして考えてみてほしい」

「ヒミツはだれでもあるから、それを掘りだそうとしないで、気にしないっていう方法もあると思う。ただ、みんなを不安にさせるそぶりのヒミツはやめてほしい。なんか自分のこと言われてるんじゃないかって思うような」

「言いたくないことは言わなくていいけど、困っているときは言ってほしい」

そういう対話を通して、「人に言いたくないこと」「ヒミツ」をどう扱うか、を考え続けているボク達です。

教室。

教室。

 

拙著『せんせいのつくり方』より。
ちょっと長いけれど、自分のために書き出してみます。
数年後、ボクの描いているビジョンは変化しているだろうか。
なんにせよ、一生懸命コトバにしてみることだ。

 

せんせいのつくり方 “これでいいのかな

せんせいのつくり方 “これでいいのかな"と考えはじめた“わたし"へ

  • 作者: 岩瀬直樹,寺中祥吾,プロジェクトアドベンチャージャパン(PAJ)
  • 出版社/メーカー: 旬報社
  • 発売日: 2014/09/25
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簡単に実現はしないけれど、あきらめずに学習者とともに目指していきたい。

それは未来の社会を創ることにほかならない。

 

 

 

人間関係の流動性。
困ったときに「困った」と外に表明でき、それをクラスが、「関係の濃さ薄さ」を超えて受け止めてサポートする。
それ以外の時は緩やかにつながっている。

教室の中に複数のネットワークがある。そのときそのときに応じて関係が変わっていく。
複数の回路があれば、必然的にゆるやかな「つながり」となる。

いろんな人がいてもよい、ではなく、「いろんな人がいるほうがよい」ということを実感するためにクラスで様々な形の実践がある。

例えば。ブッククラブで「ああ、こんな考え方があるのかあ。社会には自分とは違う考えの人もいるんだなあ」と思うこと。

算数の時、 「ああ、この人の説明だとわからないのに、この人の説明だとよくわかるなあ。試してみないとわからないものだなあ」と実感すること。
様々な時間に、自分の強みが発揮できること。他者の強みを見て、

「へー、自分が苦手なことでも得意な人がいるんだなあ。逆に自分が得意なことでも人には苦手 のこともあるんだなあ」

「自分が役に立てたり、得意なのはここだなあ」

と思えること。

多様な中で、学校は人工的な空間ではあるけれど、 出来る限り自然で自分らしくいられること。 やりたいことがそこにあること。 科学だったり、読書だったり、裁縫だったり、作家だったり、人によっては掃除だったり。ダンスや歌もステキだ。

たとえば給食の時間にやっている算数寺子屋。
「やりたい人はやればいいし、そうじゃないひとは別にやらなくていい」
という緩やかな自己選択があること。
やら なても不利益にならない開放性。
やっているからえらいとか、やっていないからだめとか、そんなのはない。 どっちもあり。個人の自己選択・自己決定が保証されている。

寺子屋や算数の時みたいに、 「サポートして」と援助を求めることができる。 それが幅広く受け止められる。 受け止められて解決したり、進んだりできる。
その成功体験が、より「サポー トして」を言いやすくし、コ ミュニティの問題が早めに可視化されるようになり、健全性が保たれる。

起きている時間のほとんどを過ごす学校。

今は下校時刻が4;00で、外で遊んでいい時間が4:30まで。 実質かえって友達と遊ぶ時間はない。 子どもたちにとって、学校での時間が友 達と過ごす唯一の場なのだ。 その学校にとって、教室にとって、「居心地がいい」「やりたいことがある」「自 分らしくいられる」というのは以前にも 増して重要だ。

だた、それだけではやはり学びの場ではない。 自分の成長を実感できること。自分の変化、をちゃんと自分でわかっていること。 変わってきているから、これからも変わっていけるだろうという自分へのポジティブな期待。 ただ「居心地がよい」だけではなく、その中での成長実感。 やればできるようになる、というマインドセット。 周りの人や大人がモデルとなり、自分が「伸びようとする高さ」が見えてくること。
自分の位置が自分で測れること。

時間軸が長いこと。 すぐに成果が出たり、変わったりしないこともある。 いつでも長い時間軸を意識して焦らないこと。待つこと。 1年単位での実践ではここへの意識がよわくなる。 気をつけよう。
ボクがグッと伸びたのは、教員になってからだぞ。子ども時代は遊んでばかりだ。

他のクラスや学年との「バリア」ができるだけないこと。 そのためには。一緒にやれることを増やすこと。子どもが行き来するしかけをつくること。 例えば本を借りに行ったり。クラスを混ぜた授業をしたり。担任が授業を交換したり。 ここはまだあまりやれていないから、これから意識していこう。
ああ、そのバリアは、学校の中と外、にもあるんだよな。
そのバリアをなくしていきたい。

クラスというコミュニティを居心地よく、よりよいものにしていくのは、わたしの手の中、にあること。
わたしの一歩がそのきっかけになる、ということが実感できること。
違いを前提に、共創的な対話を重ねられること。
対話をあきらめないこと。

これからの学校教育を考える時に。

これからの学校教育を考える時に。

 学校は制度的な実践なので、制度の中で何ができるかという小さな改善はとてもとても重要。でもその限界が来ているのも確かだと思うのです。

今回のアクティブ・ラーニングへのフォーカスは、教授主義から学習主義へのパラダイム転換と考えたい。

小さな改善は「中からの視点」です。

パラダイムが変わるときは「外からの視点」が重要になってきます。

 

そもそもこれから目指すべき学校とは?

子どもは、子ども時代に何を体験し学んでおくべきなのか。

そのために社会は、学校は何を準備していくのか。

 

学校という場で「今まで学びから排除されてきたこと」から見直してみたい。高尾さん、中原さんの本は示唆に富みます。こんなすごい方が本学にいるとは。

学校教育は大きい視点でデザインし直す必要がありそうです。もちろん小さな改善を続けつつ、です。言うは易く行うは難しですが、少しずつ少しずつ。

 

「学びの限界を打ち破るためには、今まで学びから排除されていたさまざまなものを見つけ出し、その側からもう一度学びを検証し直す必要があるかもしれません。学びから排除されたものは、有利な立場に立っていた人が、これらのことが学びに入っていると自分たちを守っている既存のルールが脅かされ都合が悪い、と考えて排除した可能性があるからです。
 例えば、学校を考えてみると、多くのことが排除され、禁止されています。自分の好きな格好をすること、自分のペースで時間を過ごすこと、好きなときに友だちと話すこと、先生に言いたいことを言うこと、言いたくないときは黙っていること、遊ぶこと、歌うこと、食べたり飲んだりすることなどたくさんあります。しかし、これらの中には、時と場合によっては、変えるための学びを促進するものがあるのではないでしょうか?」

 

 

『インプロする組織』(高尾隆 中原淳 三省堂)より。

Learning × Performance インプロする組織  予定調和を超え、日常をゆさぶる

Learning × Performance インプロする組織  予定調和を超え、日常をゆさぶる

 

 

 

「作家の時間」というアクティブ・ラーニング。

「作家の時間」という作文の学習があります。

 

作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

 

裏表紙にボク、写ってます。若い!

 

ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

  • 作者: ラルフ・フレッチャー,ジョアン・ポータルピ,小坂敦子,吉田新一郎
  • 出版社/メーカー: 新評論
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この時間では、子どもたち一人一人が「本物の作家」となります。

自分でかきたいことを決め、書きたいテーマを決め、書く場所(仕事場)や書き方も自分で選びます。自分のペースで作品を書いて出版します。下書きに時間をかける子もいれば、どんどん作品を仕上げる子もいる、本当にひとり一人の「作家」の仕事場になる時間です。(詳しくはぜひ本を!)大人がビックリするぐらい書くことに夢中になります。本当にそのような学びは公立校で可能なのでしょうか?それが可能なのです。

「あんなに人気のない作文を、意欲的に書くようになるなんてあるの?」子どもたちはそんな心配を余所に書き始めます。休み時間も、家でも書き続ける子どもたちまで現れます。まさに「主体的に」学び。自分の学習を自分で創っていくのです。自身の学習にオーナーシップを持ち、アクティブに学ぶパワフルさを子どもの姿から学ぶことができます。ひとり一人の学習者自身が、それぞれの仕方で学びに「アクティブ」になる。言葉にしてみれば当たり前ですが、いかにそういう時間が学校にないか、という何とも皮肉めいた現実があります。

アクティブ・ラーニングがもてはやされる昨今、何も身体的に「活動」しているから「アクティブ」なわけではないのです。他者と関わっているから「アクティブ」なわけではないのです。

ちなみに、作家の時間では子どもたちは、下書きを読み合ってアドバイスし合う等、必要に応じて学び合いはじめます。学習の中に結果として協同のアクティブ・ラーニングとなるのではないでしょうか。苫野さんのいう「学習の個別化と協同化の融合」です。  

 

ボクがかつて担任した「作家」の作品。今はもう高校生。サイトへの掲載許可を得ている作品なので紹介しますね。なお、今「作家の時間」で日本で屈指の実践者は、甲斐﨑博史です。今は小2で実践中。今月末、参観に行くのが楽しみです!

 

             *  *  *

 

その日は、友達のなっぺと一緒に私の家にで遊んでいた。はじめは楽しくDSなどをして遊んでいたが、やる遊びがなくなり、とうとうネタ切れした。私とななっぺは、
「何して遊ぶ?」
「例えば何がいい?」
と言葉のかけ合いをしていた。二人で暇にしていたときに、私のお母さんが、
「この紙切ってくれない?」と行った。私たち二人は暇だったので、「いいよー!」
と言い、早速切り始めた。その紙を切るはさみは2種類ある。一つはみんなが普段使う普通のはさみだった。もう一つはちょっと違う、刃が5枚刃のはさみだ。そのはさみはシュレッダーのように細かく切れるのでシュレッダーばさみという名だ。そのはさみは持つと重く、見ているだけで恐ろしいし、鳥肌が立ちそうなはさみだ。そのシュレッダーばさみは私が使い、普通のはさみはななっぺが使うことになった。ななっぺ自身は、自分がそのはさみ使ってもいいと気軽に行ってくれていたが、私は、
「危ないからいいよ。」
と一言言った。その一言にはいろんな意味があった。
 
 一、なっぺにけがを負わせてはいけない。
 二、泣かれてしまっては困る。
 三、けがを負わせてしまったら、責任がある。

 このようなことがあっては嫌だと思い、私はそう言った。初めは二人とも楽しく、そして慎重に切っていった。途中に五分ぐらいの休けいを入れながらやった。でもだんだんとはさみの扱いにも慣れてきた。そして、切り終わった後の紙の大きさや一回に切る量が増えてきたので、私はなっぺに確認した。
「なっぺ!やってて楽しい?」               

するとなっぺは、
「楽しいよ。大丈夫!」と言ってくれた。私は良かったと思った。つまらないと言われたらどんな遊びをすればいいかわからなかったからだ。
 ちなみに私の使っているシュレッダーばさみの音は、
「パチン、パチン。」
まるで爪を切っている音のようだった。その音は悪魔の音だと言える。ちなみに私の紙の持ち方はこうだ。紙の上に親指があり、残りの四本の指は紙の下にあった。その時、悲劇は起きた。シュレッダーばさみが小指に当たる。その瞬間、私の小指の先がほんの少しだけ切れた。皮だけでなく、肉も切れた。約一ミリぐらいだろうか。でもその一ミリが相当やばかった。血が出る。血の量も異常だ。大量出血で死んでしまうのではないか?と思ってしまったほどの血の量だった。以前にもななっぺの前で一回泣いたことがあったから、今回またななっぺの前で泣くのは屈辱的であり、私自身のプライドがゆるさなかった。私は姉と自分の部屋でワンワン泣いた。涙はどんどんあふれてきた。目が赤かった。その時の私には、不安とパニックが積み重なっていた。パニックと不安の原因は、その時通っていたスイミングスクールのことだった。指先を切ってしまったからといって、休むわけにはいかなかった。なぜかって?そう、私はこれまで一度もスイミングスクールを休んだことがなかった。たとえ運動会の日でも。皆勤賞をねらっていた。バンドエイドを五枚以上貼ってもすまなかったので、薬局に行き、テーピングの透明バージョンっていう感じの物を買ってきて、包帯のようにぐるぐる巻きにして、スイミングスクールへ行った。それでも血はにじんでいた。 しみたらどうしよう…。不安があった。でも実際泳いでみてもしみることはなかった。でもジンジンズキズキという痛みは強烈だった。その傷を見ていると、やる気がゼロ状態になり、何もしたくなくなった。
 当たり前のことだが、そのテーピングやバンドエイドを取り替えなければならない。傷口とバンドエイドのガーゼの部分が接触しているので、外すのには超勇気が必要だった。外す度に、ワンワンと大声で泣いた。約五ヶ月の間はそんなことが毎日続いた。  

しばらくするとバンドエイドを貼らなくてもいい状態になってきた。そこからの治りは早かったが、ジンジンズキズキという痛みはまだあった。また少したち、だんだんとジンジンズキズキという痛みもなくなってきた。不安とパニックもどこかへ飛んでいった。
 そして五ヶ月後、完全に治ったがきずあとがある。そのきずあとの形は何形だと思う?三角形のような形が残っているのだ。
 今でもその左手の小指にしょうげきがあると少し痛いが、その痛みにもだんだん慣れてきた。 今でもなっぺは、シュレッダーばさみと自分が使っていたはさみを交かんしていたら、と思ってくれているらしい。その気持ちはとてもうれしく思った。
 
 時々私は、左手小指と右手小指を比べてみる。
 明らかに左手小指の法が右手小指より小さかった。あれはきっと人生で一番痛かったと思う。私の知っている限り。
 あれ以来私ははさみ恐怖症になっている。はさみを持つと手がふるえてしまうのだ。