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いわせんの仕事部屋

Mailは「naoki.iwase★gmail.com」です。(★を@に変えてください。スパム対策です)

リテラチャーサークル 十数年前の原稿。

十数年前に、読書指導法の1つである「リテラチャーサークル」について実践記録の原稿を書きました。

今では広く知られるようになったリテラチャーサークルですが、十数年前の日本では、新潟大学(当時山形大学)の足立幸子さんの論文での紹介があるだけでした。

リテラチャー・サークル--アメリカの公立学校のディスカッション・グループによる読書指導方法 足立 幸子 山形大学教育実践研究 (13), 9-18, 2004-03

 

 

この論文を頼りに初めてリテラチャーサークルを実践した時の記録です。

本に載る予定もあったのですが、諸事情により幻の原稿となってしまいました。

その後、リーディング・ワークショップに出会い、ボクはリテラチャーサークルから離れていくのですが、ボクの原点となった実践でした。

 

最近リテラチャーサークルを実践される方も増えてきていて、

「初めてやるんですけれど」という問い合わせもちょくちょくいただきます。

となると、ボクが初めてやったときの記録もそれなりに役立つかなと思い、ここで共有することにします。教育リソースはオープンソースであるべきだ!が小さい持論なので。

 

初めての緊張感や興奮が行間から伝わってきてちょっと恥ずかしい。

実践自体も荒くて恥ずかしい。

だって当時30代前半だものね(言い訳)。

もしこれから実践される方は、よろしければ参考程度に眺めてみてください。

 

★ファイルダウンロード

   ↓

リテラチャーサークル原稿

 

なお、リテラチャーサークルの実践は以下にまとまっています。

iwasen.hatenablog.com

 

今はこんな文献も出ています。便利な時代です。実践を考えている方はぜひ手に取ってみてください。

本を読んで語り合うリテラチャー・サークル実践入門

本を読んで語り合うリテラチャー・サークル実践入門

  • 作者: ジェニ・ポラックデイ,ジャネットマクレラン,ヴァレリー・B.ブラウン,ディキシー・リーシュピーゲル,Jeni Pollack Day,Valerie B. Brown,Janet McLellan,Dixie Lee Spiegel,山元隆春
  • 出版社/メーカー: 溪水社
  • 発売日: 2013/11
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

   

ボクにとってはリテラチャーサークルは読書教育の「入り口」でした。もし関心を持たれた方は、ぜひリーディングワークショップを学んでみてください。 

読書家の時間: 自立した読み手を育てる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

読書家の時間: 自立した読み手を育てる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

 

 

【メモ】最近読んでおもしろかった本

 

読書と言語能力: 言葉の「用法」がもたらす学習効果 (プリミエ・コレクション)

読書と言語能力: 言葉の「用法」がもたらす学習効果 (プリミエ・コレクション)

 

★★★★

あすこまさんのブログに詳しいです。

askoma.info

読書教育に関心がある人必読ですよ。読書に関わる最新の知見が整理されています。

実践を経験知だけで語らずに済むようになります。

 

イギリス教育の未来を拓く小学校 「限界なき学びの創造」プロジェクト

イギリス教育の未来を拓く小学校 「限界なき学びの創造」プロジェクト

  • 作者: マンディスワン,アリソンピーコック,スーザンハート,メリージェーンドラモンド,藤森裕治,新井浅浩,藤森千尋
  • 出版社/メーカー: 大修館書店
  • 発売日: 2015/07/01
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

★★★★★!

この数年でナンバー1。今3周目。

学校づくり・学級づくりに関心がある人、学習者中心の学びに関心のある人、職員室の学びに関心がある人、必ず読みましょう。組織開発の好例です。

日本でこういう学校を創りたい。

なお、この本は質的研究の参考としても。

 

公教育をイチから考えよう

公教育をイチから考えよう

 

★★★★

リヒテルズさん、苫野さんの新刊。今までの総集編とも言える本。これまでのお二人の本を読んでいる人は復習を兼ねて。すぐ読めます。

 

 

質的心理学ハンドブック

質的心理学ハンドブック

  • 作者: やまだようこ,サトウタツヤ,能智正博,麻生武,矢守克也,秋田喜代美
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 2013/09/05
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

★★★

読み応えありすぎ。難しすぎ。でも超えなきゃいけない本。これが辛い時は入門本として以下を先に読むことをオススメ。

 

質的心理学―創造的に活用するコツ (ワードマップ)

質的心理学―創造的に活用するコツ (ワードマップ)

  • 作者: 無藤隆,南博文,麻生武,やまだようこ,サトウタツヤ
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 2004/09/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 1人 クリック: 1回
  • この商品を含むブログ (10件) を見る
 

 

なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか

なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか

 

 ★★★★

1時間ぐらいでさらっと読める。アクティブラーニングに関心がある人は目を通しておいて損なし。著者の学校、両国高校へ授業参観に行きたいなあ。

 

 

 ★★★★★

ブックレットながら、最新の知見がコンパクトにまとめられている。薄いのに濃密。お腹いっぱいになある。ブックレットなんて信じられない。著者は同僚、渡辺さんの同級生。怖い研究室だ(意味深)。

 

 

教員のためのリフレクション・ワークブック―往還する理論と実践

教員のためのリフレクション・ワークブック―往還する理論と実践

  • 作者: 武田信子,金井香里,横須賀聡子
  • 出版社/メーカー: 学事出版
  • 発売日: 2016/04/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 ★★★★★

リフレクションに興味のある方は手元に。

読みやすく、教員も学生も日常的に「使える」本です。

難しいことをわかりやすく、やさしく書いている好例。難しいことを難しく書くのは誰でもできる。しかしそれでは、伝えたい人に伝わらない。

背景の知見は重厚です。 知りたい方は『教師教育学』を。 

 

崩壊するアメリカの公教育――日本への警告

崩壊するアメリカの公教育――日本への警告

 

★★★★

今読んでいるところ。

今のアクティブ・ラーニングへの流れ、OECD主導の国際基準に警報を鳴らす。

ボクらが目指す教育を考え直す視座を得られる。アクティブラーニング祭りの今こそ読むべき。

 

学校建築ルネサンス

学校建築ルネサンス

 

 ★★★★★

学習環境としての学校建築。特徴的な学校建築の例が多数紹介されている。

個人的に、最近建築に興味あり。教室リフォームプロジェクトの価値を再検討しているからです。この本の例に比べると、教室に畳をおくなんて、まったくもってかわいいもんですよ、はい。

 

 

 

よつばと! コミック 1-13巻セット (電撃コミックス)

よつばと! コミック 1-13巻セット (電撃コミックス)

 

 寝る前のボクの癒しの本(笑)。

 

 

学校と社会 (岩波文庫)

学校と社会 (岩波文庫)

 

 まったくもってデューイには叶わない・・・・今の教育は一歩も超えられていない。

諦めて『経験と教育』も再読しよう。

 

 

自分のメモとして。

 

合意形成ってまわりくどい。だからこそ体験すべきこと。

 これからのプロジェクトにむけて、過去の記録を整理しています。合意形成って大変。時間がかかる。非効率的。だからこそ体験すべきだとも思うわけです。ではもうずいぶん前の記録。昔の名前ででています。

 

             *     *     *

 

ある日の朝のサークルでの子どもたちの話し合い、です。ボクはちょっと離れたところから記録していました。レクをやりたい子達からの、「週2回レクやりたい!」の声。ボクはここ最近、「全員でレク」ってあまり好んでいません。参加するしない、の自由がないから、です。

でも。子どもたちからは、今までの経験から、けっこう提案される年が多い。さあ、今年度はどんな結論になるか。ボクも楽しみに聞いていました。

 

クラスのレク会社の子達から
「月と金、週2回レクやりたい」と提案がありました。早速朝のサークルの議題です。

レク会社からの提案
「思い出つくりたいし、私たちはスライドショーをつくる計画でレクの写真も撮りたいんだよねー」

ファシリテーターはTくん。(以下 ※)

※何か質問ある?
「それは全員参加?」
「レクなんで全員参加です。」
「委員会とか仕事あるときはどうするの?」
「それも含めてみんなで話し合ってください」
「業間休み?昼休み?両方?」
「それもみんなで決めてほしい」


※他に質問ない?じゃあそれについて近くの人と話し合ってください。
(ここでボクはホワイトボードを用意して,「誰か書いておくといいんじゃない?」とアドバイス。)

「全員強制じゃなくて,委員会とか仕事もあるから自由参加がいいんじゃない?」
「2日じゃなくて1日でいいんじゃない?」
「長い休み時間は、好きなことしたい・・・」
「賛成でなぜかっていうと、小学校生活最後で,みんなで遊んだりしたいなあって思うから。
だからといって強制参加だと無理矢理って感じで、いい気がしないから,自由参加で賛成。」

この「いい気がしない」っていうことが言えるのっていいなって思う。

「今休み時間、いつも仲いい子とかといることが多いから、週に1回ぐらいはレクやってやればいいんじゃないかな。」
「この前鬼ごっこ、みんなでやって楽しかったから、みんなであつまってやることはいいことだからやりたい。」
「楽しいことで思い出づくりしたい。2日だとやる時間が多くなっちゃうから,用事と重なることもあるし、自由参加でいいと思う。」
「うん、こないだの鬼ごっこ楽しかった。みんなで遊んだ方が楽しいこともあるから、やりたい。」
「ただ強制参加、とか何回もやる、ってよりかは、少ない数だけど、あんまり強制的じゃなくて,やって楽しいって思えるぐらいがいい。
楽しいって人増えたらやる回数ふやしていいけばいいと思う。」


ここでOくん、ちょっと方向を変える意見を出しました。
「授業をテキパキやって、ういた時間でレクやればいいんじゃない?休み時間じゃなくて。」


※今のOの意見どう思いますか?近くの人と話し合ってください。
.

.

「とはいっても、やることはたくさんあるから。例えば算数は今の単元終わっても次の単元があるし、余裕があるのかわからない。学期の最後にそれはやったらいいと思う」
「レクだから、休み時間にやるものだから、授業を進めてその時間を使うよりかは、休み時間に自然に集まってやるのがいい」
「算数ゆっくりやりたい人もいるし、あわてて時間浮かすのもよくないなっておもう。レクは休み時間にできるんだから。」
「空いた時間そんなにとれるかわからないし、安定してできないから休み時間にやろうよ」
「じゃあ、授業でもし余裕出たらハロウィンとか,なんか大きなイベントやるといいよね」
「授業をテキパキで時間作る、っていうのもいい意見だから、月に1回でもいいからやりたいね。レクでもいいし、なんかの計画でもいいからやろうよ」

 

※じゃあ、時間作ってやる、っていうのは別でやるってことでいい?

Tくん、なかなかのファシリテーターぶりです。

※レクは休み時間にやるってことで他に意見ある?
.

.

「毎週2回は多いかなって気もする。」
「レクの日を月曜日にして、業間全員参加、昼自由参加、っていうのは?」
「週2という提案でやってみて、それで多かったり少なかったりしたらまたみんなで考えればいいんじゃないかな」
「じゃあ、この話したのはとっておいて、やってみるでいい?」
「やってみるにしても、いつやるかと自由参加かみんな参加かは決めないと試せないよ」

※今のことで近くの人と話し合ってください。

「業間は学校のルールででなきゃ行けないってあるから、業間でいいんじゃないかな。昼は自由で。」
「昼は委員会の仕事もおおいし」
「まずは、レクの人の提案通りにやってみては?」
「金は放送委員の人が仕事だから自由参加で、月の業間休みだけみんな参加で〜」

※レク会社の人どう?

「どっちかを自由参加にして,もう一つは全員参加で、もちろん仕事の人はしょうがないので、できるだけくる、でどうかな」

※じゃあ、まずそれはいい? それじゃ、後は曜日を決めよう。意見ある?じゃあ、これは試しにやってみるってことなので曜日は多数決でいい?(ここで月曜日と金曜日に決まりました)

 
※金と月どっち自由参加にしますか?
「月がみんなで、金が自由でいいんじゃない?金曜は放送委員が当番だから。」

※じゃあ、月がみんなで、金が自由参加でやってみましょう

「業間と昼はどうする?」
「業間でいいんじゃない? 昼は委員会の仕事も多いし」

※じゃあ、みんなこれでいい?反対とかない?じゃあ決定にしていいかな?

            *  *  *

というわけで、
①レクをまずは提案通りにやってみる。
②曜日は月と金。時間は業間。
③月はみんな参加。金は自由参加。
④やってみてまた考える。

ということに決まりました。この後、ボクから「話し合いどうだった?ちょっと振り返ってみよう」と話しました。

 

<話し合いの振り返り>

・近くの人と話し合ったのを、「○○が言っていたけど」、って代わりに伝えるのっていいなあって思う。
・発言する人も増えた。
・司会のTが上手だった。
・言いやすい人に「言って」って伝えるのいい方法だった。
・(司会のTくん)自分のテンションって大事だなーって思う。もっと明るく進めなきゃって。
・いい話し合いだったと思う。時間長かったけど。

 

かかった時間は35分。あっちへよたよた、こっちへよたよたしながら、貴重な時間だと思うし、こういう時間をちゃんと確保するのって本当に大事だと思う。
このように「自分たちのルールを自分たちで決めていく」プロセスは、じっくり時間をかけて,何回も何回も体験すること。ここに腹を決めて時間を取れるかどうか、なんだよなあって思います。
.

といいつつ、ボクも「ああ、1時間目つぶれる〜。どうしようかなあ。」と悩んだ。

途中で切って、
「じゃあ、まず試しでやってみて話すでいいよね?」なんて勝手にまとめて済ませちゃうこともできる。そうしてしまったときに失われるもの、そうしないことの価値、みたいなことは,じっくり考えていいテーマだと思う。

明日はその1回目のレクです。いきなり自由参加スタート。どうなるかなあ。全員参加してなかったら、なんだかステキだなあとも思うわけです。プレッシャーがかかっていない、ってことですから。

秋かな?

なんだか網戸から、
おもいっきり秋の気配が入ってくるんですけど、
信じていいのでしょうか。
もう一回暑くなる!
とかやだよ、おれ。
信じて、心身共に秋モードにしちゃうよ、
大丈夫なのね?
いいのね?

いや、個人的な話でごめんなさい。
季節と脳内対話してました。

秋の気配といや、オフコースですね。
秋、ウェルカムです。
一年首を長くして待ってましたよ。

一年前のメモ。学び続ける教員とは?

【メモ:学び続ける教員とは?①】

「学び続ける教員像」みたいなことが言われています。
教員は学び続ける存在。
それ自体はよく分かります。
ではどうやって?
こういう話は、一人ひとりの教員個人の取り組みに還元されがちですが、けっこうそうではないとボクは思っています。
それって危ない。いわゆる「自己責任論」ですね。

学んでないのはおまえのせいな。
うまくいかないのはおまえのせいな。
これって本当でしょうか?

本来、誰しも教員として成長したいとは思っている。
そういうボクたちに、
「学び続けたいと思える環境が保障されているか」どうか。
ここが決定的に大事だと思うのです。
これを抜きにした「学び続ける教員像」の議論は危ない。

教室も同じです。

 

 

【メモ:学び続ける教員とは?②】

学校の中にいかに「学び続ける場」をつくるかは、
年齢構成が大きく変わりつつある学校現場にとってはより重要です。
かつては、教員になれば、その現場で「先輩から学ぶ」がある程度機能してきました。
私事で恐縮ですが、かく言うボクも、1校目でも2校目でも3校目でも、思いっきり厳しいフィードバックをくれつつも、いろいろ教えてくれたり、協働できたりした先輩がいました。狭山市駅前で夜中の2時まで酔っ払って説教されたことも。「おまえみたいに自分のことしか考えてない研究主任に誰もついていくわけねーだろ!!」。泣きながら聴いていたことを覚えています。話がそれました。
職員室での学びなくして今のボクはないなあ、と思うわけです。

しかしそれが難しくなってきている。
どうすればよいでしょうか。
「教員が学び続ける環境」として、メンター制やOJTが取り入れられていたりもします。なんとか構成的に同僚性をつくろうというわけです。
このような営みはこれからますます重要になってくるでしょう。

まずは職員室自体が
「学習する組織」になっていく、ということです。
この職員室で大切にされることは、教室で大切にされることと入れ子です。

職員室自体が、ケアし合い、学び合い、成長しあえる組織になること。
これにつきます。

 

 

 

【メモ:学び続ける教員とは?③】

だがしかし。
メンター制やOJTの最大(? 当社比)の欠点。
それは、中原さんが以下の記事で喝破していますが、

・OJTの学習効果は「師」に依存する
・師の能力を超えることは、学べない
んですよね。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaharajun/20131216-00030679/

変化が求められる学校教育。
自分が学校で体験していない、教わっていない方法で授業をすることが求められています。アクティブラーニングとかいって。

その点、メンター制やOJTだけでは限界がある。
退職校長が初任者指導に当たる、というシステムもいいところもありますが、上記のような欠点もあるわけです。

ワンセンテンスで言うと、
イノベーションがおきない、のです。

どんどん「小さく」なっていってしまう。

 

 

 

【メモ:学び続ける教員とは?④】

まずは、先生がエンパワーしあえる環境を学校内につくること。
これにつきます。
教委の仕事はこの支援です。

だがしかし。メンター制やOJT、その他の様々な仕掛けにより同僚性が築かれたとしても、それだけではだめなわけです。

ではどうすればよいか。
うむむ。知恵を求む。ない知恵をしぼると、

一つは外にある民間の教育団体やサークルへのアクセスをもっと公的に支援してはどうでしょう?
そこで学んだことをそれぞれが現場に持ち帰り、学び合うことを支援する。中と外がつながる仕組みが必要です。
外にはたくさんの知恵があります。それを活用しない手はない。「中と外をつなぐ仕組み」。

二つ目は、「想定外の未知のものにであう」体験。
ボクたちが学校の中にいただけでは思いつかないような学びのあり方が社会にはたくさんある。
そういう場に積極的に出かけていく。出かけていくことを支援する。「民間企業への派遣」というのではなくてね。
見なくてはわからない。見ることで改めて自分の学校を見直すことができます。
そういう意味では、学芸大の教職大学院の授業での夏の課題、「大人のワークショップに参加してくる」は、手前味噌ですがなかなかいけてます。

もう一つ。
ボクはこの4月に大学に来て一番実感したことなのですが、
教員としての力量を高めるための専門知、みたいなものは確かにあります。
問題は、普通の先生がそのような知恵にアクセスできる環境がない、ということです。

同僚性の中でエンパワーされ「学びたい!」と思った教員がアクセスできるようなコミュニティが用意されている必要があります。学会ではハードルが高い。
もう少し気楽にアクセスできるコミュニティ。
そういう意味で、研究者はもっと「現場で協働する」にシフトする必要があります。
研究と実践に上下はありません。
上下の方向性の研修や場が多すぎます。

同じ場で学び合う、参加のハードルの低いコミュニティ。中から外へだけではなく、外から中へも。
夢物語のような感じもしますが、でも大事だと思うのです。
「中と外がつながれる仕組み」をもっと検討するといいなあと思います。

ここまで書いてきたことがつながっていくと、
ゆくゆくは、ハーグリーブスのいう「専門職の学び合うコミュニティ」が生まれていくのではないかと、思うわけです。

この夏、いくつもの学校で校内研修、教委主催の研修に参加してきました。とても熱心に参加してくださり、ボクは確信しました。なんとかしたい、学びたい、とほとんどの人が思っている。

でもチャンスがなかった。チャンスを待っている。環境を待っている。
今までの研修のあり方自体を見直す時期です。
スペシャルにやる気のある先生、だけではなく、普通の先生が学び続けたい、と思え、それを支える仕組み。
その視点を大切にしたい。

 

        *  *  *

 

というわけで、「学び続ける教員とは」で考えたことを一気にはき出してみました。是非いろいろご意見ください−!!
取り敢えずノーミソの中を吐き出してみました。まだ生煮え。
改めて後から眺めてみよう。

 

 

 

 

あれこれと「方法」を試してみることで起きること。

新しい実践方法を講座で体験したり、本を読んだりしたとき。
「これだ!よしやってみよう!」
教室に持ち込んでみるわけです。

持ち込んだ本人はもちろん「やる気十分!」ですし、

子どもたちにとっても「目新しい」。
しかも先生の目がランランと輝いていて、なんだか影響受けちゃう。
そして盛り上がるわけです。両者のやる気が相互作用して。

持ち込んだ人も、「おお、これはいける!」と思う。

 

しかし、1週間経ち、2週間経ち・・・・と時間が経つと、なんだか最初の頃の盛り上がりがない。あれ?最初はあんなに盛り上がっていい感じだったのになあ。
誰より先生が焦るわけです。
「えーまたやるの?」
声をあげているのはほんの1人かもしれないのに、
それが全員の声に聞こえてしまう。
やり方が悪いのかなあ。
あんまり価値のある方法じゃなかったのかなあ。
いや、そもそもこれって自分に合ってなかったのかな・・・・

 

その頃、また新たなBという方法を講座で体験したり、本で読んだり。
「ああ、これだ!これだったんだ!」
こないだやり始めたAという方法。
子どもたちもなんだかやる気がなくなってきたみたいだし、力になってる気がしない。やっぱりAじゃなくてBだったんだ。
で、Bを教室に持ち込んでみるわけです。
持ち込んだ本人はもちろん「やる気十分!」ですし、
子どもたちにとっても「目新しい」。
しかも先生の目がランランと輝いていて、なんだか影響受けちゃう。
そして盛り上がるわけです。両者のやる気が相互作用して。
持ち込んだ人も、
「おお、これはいける!」
と思う。
しかし、1週間経ち、2週間経ち・・・・と時間が経つと、なんだか最初の頃の盛り上がりがない。
あれ?最初はあんなに盛り上がっていい感じだったのになあ。
誰より先生が焦るわけです。
あんまり力がついている気がしないしなあ・・・
やっぱり違ったのかなあ。

 

その頃、また新たなCという方法を・・・・また盛り上がり・・・・
(以下永遠に続く)

 

そうして実践は柄のバラバラなパッチワークのようになり。
全部ちょっとずつだから、子どもの力にも、先生の力にもあんまりなっていない。
それぞれの方法は共通の「教育観」というわけでもなく、同じ「目的」というわけでもなく、まさにパッチワーク。
同じ環境では両立しないかもしれない実践が、隣同士に並んでいたりする。

うまくいかなかった理由はどこにあるのだろう?
そもそも「うまくいかなかった」のだろうか?
そもそもなぜその「方法」を選んだのだろう?

そもそも「目的」はなんだったっけ?

 

そして。

変化はそんなすぐにはやってこない。
半年後に、じわー、かもしれないし。
もっと先かも。
続けることの価値を改めて見直したい。
次々にいろいろやってみることを「勉強熱心」と思っちゃいけないんだなあと思う。


信じたことを、丁寧に丁寧に続けよう。
すぐに結果がでることなんて、しょせんそれくらいなんだ。

 

環境が変わって、焦って、あれこれ手を出してしまう自分へ。

運動会だ リレーだ 自主練習だー。

もう10年も前の出来事。この頃担任していた方々はもうすっかり大人です。

この時期、多くの学校で運動会に向けて動き出していることでしょう。うちの娘も「あー、今日も体育だー!」とちょっと嬉しそう、でも行進の練習はかんべんかんべんという感じで出かけていました。

当時のボクが担任していた学級でも運動会に向けて動き出していました。その学校では、学年の種目で「全員リレー」というのがありました。クラスを4チームに分けてリレーチームを作り、各色対抗でリレーをするのです。その頃のボク、そういう行事に燃えていました。

当時の振り返りの記録からちょっとタイムスリップ。

                 *  *  *

練習は結構いい感じ。
チームの雰囲気もなかなかステキ。
ボクはこの取り組みをとても大切にしています。
結果よりもプロセス。チームで協力してリレーに取り組む過程で、たくさんのことを感じ、学んでほしい。
そう思っています。

しかし普段の体育の時間は、組み体操の練習に時間がとられてしまい、一番燃えているリレーの練習がなかなかできません。
そこで放課後、帰りの会を早めに終わりにして、自主的に練習ができる時間を確保しています。

 

必ずしも走るのが得意!!というわけではない子が、

「バトン練習しに行こう!」

と友達を誘って、ランドセルを背負って弾むように教室を飛び出していく姿や、
校庭から、3階のボクらの教室に向かって、

「いわせーん!来てタイム計って−!」

とニコニコ叫んでいる姿を見ると何だか嬉しくなります。

 

朝や20分休みに、密かに走り込みをしている子もいるみたい。
汗をふきふき、朝自習の時間に、
「今日も走ってきたんだ−」
なんて話しかけてくれると、じーんとします。
一生懸命っていいなあ、かっこいいなあって。

リレーの様子を見ても、本当にうまくなったし、いいチームワーク。

 

 

そして今日の放課後。
いよいよ運動会まで残り日数もわずかです。
大型連休があるので、放課後練習できるのはあと今日を入れて3回だけ。
そこで今日は、帰りの「振り返りジャーナル」を書く時間はなしにして、下校にしました。
それでリレーの練習ができるだろう、と思って。

いつものように、
「1回走って帰ろう!」
と声をかける子がいて、どやどやと校庭に向かっていきます。

 

でも中には、
「今日は家で自主練習っていうことで!」
といって、さっさと帰って行く子もいます。
早く帰って遊びたいのかな?

そういえば、一昨日も給食の時間に放課後遊ぶ約束をしていて、帰りになると、
「今日は自主練にしよう!」
と早々に帰っていった一群がいました。
今日も同じパターン??
逃げるように帰って行くようにも見えてきた。
なんだよ、せっかくわざわざリレーの練習ができるように早めの下校にしたのに。

 

正直に告白します。
一瞬、
「100%全力で運動会に向かうんじゃなかったのかよー」
「そもそもみんなで練習しないと意味がないだろう。長い時間やる訳じゃないんだから!」
「何でやろうという声を無視して帰るの?それでベストを尽くしているって言えるの?」

 

なんていう声が、自分の頭の中に浮かんできて口からついて出てきそうになりました。
帰ろうとしている人に嫌みを言ってしまいそう・・
もう少しで口にしそう・・・








とそのときに、Aさんが、

「イワセンも時間あったら来てね!」

と笑顔で声をかけてくれました。
そっか、やりたい人が集まってやっている練習なんだよね。
ふと我に返りました。
あぶないところでした。

 

校庭に出ると、抜けるような青空の下、残った10数人が楽しそうに、でも真剣にバトンの練習に取り組んでました。
「今うまくいった!!」
「もう一回やろう!」
「イワセン、見ててね!」

何だかとても楽しそうではじけてます。

 

帰ろうとしていた数人の男子が、
「○○〜、1回だけ一緒にやろうよ−」
と女子に声をかけられ、

ある人は、「じゃ、1回やっていくか!!」と急にやる気を出し、
またある人は、「捕まったぁ。。。」という感じで「わかったあ〜・・・」と元気なく加わり。

 

20分ぐらい、あーでもない、こーでもないと相談しながらバトンパスの練習をしたり、100mの走り込みをしたり。

「今のいい感じだよね」

「もう少し、距離を近づけてみようか」

「オッケー!決まったぁ!!」

「みんなそろそろ終わりにしない?」とボク。

「じゃ、ラスト1回だけ!」







その時に思ったのです。
やりたい人が集まって練習している。
それってとてもステキなことです。
もちろん、その日にはやりたくない人もいるだろうし、用事がある人もいるし、その気になれない人もいる。
放課後は遊びたい!っていう人もいる。
それってすごく当たり前のことなんじゃないか。

 

ボクが子どもでこのクラスにいてもきっとそう。
「今日は早く帰って遊びたいんだよ〜正直。その代わり体育のときチョー真剣にやるからさ」
なんて思うこともありそう。
「帰りぐらいは自由にしたっていいじゃん」
なんて思うだろうな。



改めて思い出してみると、クラスの子達、体育のときの練習、すごい真剣にやっているんです。
それも全力を尽くしている!って胸を張って自慢できること。
むしろ、
「やるときはやって、遊ぶときは遊ぶ!」
とメリハリがついている、なんて見方もできます。
帰るという選択肢も当然ありなわけです。



「○○帰っちゃったのかぁ。それじゃあバトンパスの練習できないなあ。じゃあ今日は走り込むか!」
そんな当たり前を、当たり前に受け止めて、楽しそうに練習している子ども達を見ていると、
何だか自分が恥ずかしくなってしまいました。



「全力を尽くす=全員が残って自主的に練習をする」

なんて勝手な思い込みのメガネで、クラスを見てしまっていた。
これって改めて考えるとすごいこわいことだし、ボクはやってしまいがちです。
それもよく考えたら全員残ったら自主練じゃないや。

 

「これはこうなんだから、子ども達はこう行動するはず(行動するべき)」
という価値のものさしで子ども達を見てしまう。
普段ボクがよくやってしまう悪い習慣です。

自分のチャレンジを自分で選べる。
それを当たり前にやっている子ども達に、大きな大きなことを学んだ20分間でした。

 

「じゃーまた明日ーー!!」
「バイバイイワセーン!」

元気に帰って行く子ども達。
みんなが帰った校庭を見たら、透き通った青空に向かって伸びるクスノキが、いつもよりもきれいで、そして偉大に見えました。

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             *   *   *

 

今読むと、自分の未熟さに赤面ものですね・・

ああ、たぶん。

このころようやく「学級はチームか?」という問いにじんわり疑問を持ち始め、学級の凝集性の怖さに気付きはじめた頃なのだなあと今、改めて思います。

 

学校や学級を覆う「かくあるべし」というもの。

運動会で凝集性が高まるときだからこそ、ちょっと考えてみたいです。