いわせんの仕事部屋

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風越コラボ、はじまります。

4月28日にキックオフイベントを行った風越コラボ。

いよいよ動き出します。

 

2018年度第1期「風越コラボ」で、ともに探究しあう仲間を募集します。

私たちは、すべての子どもの<自由>に生きるための力を育むと同時に、<自由の相互承認>の感度を育むための学校をつくりたいと考えています。より多くの人が「自由だ、幸せだ」という実感をもって生きられる社会が私たちの理想です。しかし、そうした社会は私たちの学校づくりだけでは実現しがたく、多様な人たちとの連携やコラボレーションが必要だと感じています。

「風越コラボ」は、【一人ひとりが「自由だ、幸せだ」という実感を持つ社会のために、どんな学校や教育がありえるのか、多様な人たちが集まって試行錯誤しながら実験する場(Collaboration Laboratory)】です。

岩瀬が苫野の唱える公教育の原理に出会い、その「原理のメガネ」をかけて自身の現場や実践をながめなおしたとき、「これは原理に繋がる種として育てていけそうだ」、「このうまくいかなさは捉え直しができるかもしれない」など、目の前の実践の見え方や価値が変わる経験をしました。原理と実践、どちらか一方だけでなく、両方を往還をすることで、どちらも深まる手応えがあります。風越コラボでは、まず原理を自身のものにするために、公教育の原理、〈自由〉と〈自由の相互承認〉について、じっくり向き合い、深めます。個々人にとっての納得解なのかを吟味したうえで、毎回ゲストの研究や実践のお話を聞いたり、実践を持ち寄ったり、仲間の探究したいテーマや問いについて考えを交わし合ったりすることを通じて、自身と、取り組む実践の場の変化を共に探る場とします。

 

一言で言えば、探究のコミュニティです。

学校教育の人だけではなく、さまざまな「子どもや教育に関わる働きをしている方」と一緒に、あれこれ試行錯誤できるといいなあと思っています。

ずいぶん以前から「創りたい」と思っていた場がようやく動き出します。なによりぼくがワクワクしています。

 

第1回は苫野さんと原理をどっぷり深めます。

第2回は赤木さんと<同じ>から<違う>、<分ける>から<混ぜる>とはどういうことか、じっくり考えます。

第3回からは、仲間の皆さんとどんな場がいいか一緒に考えていきます。

 

今回は、古瀬正也さん、寺中祥吾さんのコ・ファシリテータ-。なんとも贅沢。

これもまた楽しみ。

毎回、苫野のぼくも参加します。繰り返しになるけれどワクワクするなー!

 

研究者と実践者とファシリテーター。どんな実験場になるでしょうか。

いよいよ、申し込み受け付け開始です。

 

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5/19(土)「風越コラボ」申込受付開始 – 軽井沢風越学園設立準備財団

 

第1回のファシリテーターをしてくれた古瀬さんのブログはこちら。

furuse.ws

 

学校づくり途中経過報告会を開催します。

怒濤のように4月5月が過ぎようとしています。このままいくとあと2年はあっという間だ・・・・

というわけで、軽井沢風越学園設立準備財団、「学校づくり途中経過報告会」を5月25、26日に軽井沢で開催します。
現在全国から300名ほどお申し込みいただいています。

ありがとうございます。

 

今、学校づくりはどんな感じで進んでいるのか。

何が決まっていて、何が決まっていないのか。どんなことを考え、どんなことに迷っているのか。途中経過を丁寧にお伝えしたいと思います。
入園・入学を検討されている方々はもちろん、学校づくりに関心がある方、ぜひお待ちしています。

この時期の軽井沢、気持ちいいですよ!ぜひドライブがてらお越しください。

お会いできるのを楽しみに楽しみにしています。

 

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一斉授業か学習者中心か。

教育社会学の本を読み直しているんだけれど、バーンステインの研究がおもしろい。
ざっくりぼくなりに説明してみます。

 

バーンステインは、幼児教育には2つのタイプの教育方法があることを指摘しました。


①いわゆる古典的な教育モデル。一斉指導の厳格なモデル。
②子どもの主体性が重視される教育方法。

 

そして①を目に見える教育方法、②を目に見えない教育方法としました。
そりゃー②がいいよね。アクティブ・ラーニングの時代だし、ってぼくたちは思ってしまいがちです。

 

ここからが社会学のおもしろいところで、
実は②の教育方法は中産階級の子どもたちは適応しやすく結果として成功しやすいが、一方労働者階級の子どもたちは、仕事と遊びが厳格に区別されない学び方には前者ほど適応できずに、結果として格差を開く、というのです。

 

これが直ちに今の日本の状況に当てはめられるかどうかは、慎重であるべきですが、持っていてよい視点であると考えています。

この結果は②の学び方を大切に実践してきた人にとってはザワザワしますよね。ぼくもその一人です。
しかし、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップ、単元ない自由震度学習、学びの個別化等を長年実践してきたぼくとしては、実感としてバーンステインの指摘に納得できます。

雑なアプローチでは間違いなく差が開く。任せるという名の丸投げや、サポート不足、そしてその結果を学習者のせいにする、みたいなことって実は散見されます。

 

かつて、愛知県の緒川小学校は、学習の個別化・個性化で一世を風靡しました。ぼくも大学時代に緒川小に触れ、感動した。しかし後年、緒川小にも同じような批判があったようです。結果として格差が広がったのではないかと。
緒川小のようなオープン教育はいまやずいぶん下火になってしまいました。

 

ほら、やはりビシビシと一斉授業で鍛えた方が良いのだ。そんな声も聞こえてきそうです。
ではやはり①がよいでしょうか。

いや、これは実は、苫野一徳のいう、問い方のマジックです。

どちらが良いのか、という問いを立てると、ぼくたちはつい「どっちか」と考えてしまいます。これは問いが良くないのです。
①か②かではない。

「子どもの主体性を重視した教育法で、なおかつ格差を縮小していいくには?」

ぼくはこういう問いを立てたい。

なぜか。

公教育とは、各人の「自由」および社会における「自由の相互承認」の力能を通した実質化であり、すべての子どもに「自由の相互承認」の感度を育むことを土台に「自由」に生きるための力を育むことを目指すからです。

教育方法において、なぜ子どもの主体性が大事か。「自由に生きるための力」を育むには、安心・安全が守られている環境で、自由を使ってみること、試行錯誤してみることが重要だからです。かといって、その結果として格差が生まれてしまうのであれば、これは一般福祉の原理に反します(一般福祉の原理=自由の相互承認の原理に基づく限り、教育政策は、一部の人だけの自由の実質化ではなく、すべての人の自由の実質化に寄与する限りにおいて正当性を持つ)。

もちろん力能を育むために、一斉授業が有用な場面もあるでしょう。公教育の原理に照らしてそう考えられる場面では、そうすべきです。どちらか、という問題ではないのです。

実は先に挙げた、ライティング・ワークショップ、リーディング・ワークショップは、学習者主体でありながら、先生がひとり一人の学びに寄り添い、ひとり一人の成長に責任を持つアプローチです。先生の専門性も問われますし、先生自身が学び続けることが重要です。「学習者には力がある」という前提にたった素晴らしいアプローチだからこそ、その学び方を生かすために実践者自身が学び続け、磨き続ける必要があります。

 

ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

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  • 作者: ラルフ・フレッチャー,ジョアン・ポータルピ,小坂敦子,吉田新一郎
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リーディング・ワークショップ?「読む」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ《ワークショップで学ぶ》)

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作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

 

 

だがしかし、PBLや、協同学習、アクティブ・ラーニングという言葉に、なんとなく踊って、活動していればオールオッケーみたいな状況が広がってしまったら、バーンステインの指摘通りのことが今の日本にも起きる可能性はあると思います。

新しい指導要領はそのあたりも視野に入れて書かれているんですよね。

 

ヒドゥン・カリキュラム

アメリカの教育学者、P・W・ジャクソンは、学校には意図されたカリキュラムの他に、無意識に伝わる隠れたカリキュラム=ヒドゥン・カリキュラムがあることを明らかにしました。
その上で、葛上は「教室の権力性、すなわち、大人が子どもを支配する中での学びの危険性」を指摘しています。

教育社会学への招待

教育社会学への招待

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 葛上秀文(2010)「教師が子どもを『教える』ということ」『教育社会学への招待』大阪大学出版会

 

教室の中では必ずしも明示されていないが、教師に代表される管理者に服従したり、意図を先読みして行動することを結果として学んでいる、ということです。

学級制は、効率と規律の歴史であることは柳(2005)が指摘していますが、今もなお、ヒドゥン・カリキュラムとして「効率と規律」は綿々と受け継がれているのが現状です。

<学級>の歴史学 (講談社選書メチエ)

<学級>の歴史学 (講談社選書メチエ)

 


その視点で学級や学校をあらためて見直してみると、数々のヒドゥン・カリキュラムに気づきます。号令、朝の会、45分という授業時間、行進、机の並べ方の形態、年齢別の学び、等々。これらは結果として何を教えてしまっているのでしょうか。

 

ヒドゥン・カリキュラムの存在を知った私たちにはどんな選択肢があるでしょうか。
その一つは「潜在的に教えてしまっていること」を意識化、言語化して、前提を問い直してみること、です。

 

例えば、前向きに机を並べていることで、教えてしまっていることはなにか。

「対話的に学ぼう」と言いつつ、「先生に向かって発表する」という構造にある教室環境の矛盾が何を引き起こしているか。

例えば選挙への関心の低さも、明示的な「主権者教育」を実施する前に、ヒドゥン・カリキュラムが引き起こしていることの検討が必要ではないか。「黒染め強要問題」をみるにつけ、そもそもルールを作り合う体験、ルールを変える体験ができない学校時代を過ごした人が主権者意識を持つだろうか?選挙に関心を持つだろうか?そんな疑問も湧いてきます。

 

 

これからの学校・学級はいかにあるべきかを共有した上で、ヒドゥン・カリキュラムがそのビジョンの逆に作用していないかを、学習者も含めた関係者で丁寧に点検し続けていくこと。潜在を顕在化して再検討していくことを通して学校をリデザインしていくこと。新学習指導要領の実施に向けて、今こそ重要であると考えています。

 

情報時代の学校をデザインする: 学習者中心の教育に変える6つのアイデア

情報時代の学校をデザインする: 学習者中心の教育に変える6つのアイデア

  • 作者: C.M.ライゲルース,J.R.カノップ,Charles M. Reigeluth,Jennifer R. Karnopp,稲垣忠,中嶌康二,野田啓子,細井洋実,林向達
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2018/02/21
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それを考える上でこの本は必読。徹底的に問い直す視点を提供してくれます。★★★★★ 

 

こんな危惧もあります。

ヒドゥン・カリキュラムを教師「だけ」が意識化し、さらに強化して使っていくという選択肢です。学習者が知らず知らずのうちに「学んでしまっている」状態を「意識的」に作っていくことができてしまうのではないか。これ、あぶない。隠された権力の暴力性については改めて書きたいと思います。

 

そういえば、「LINE利用禁止」等々、児童・生徒のスマホ利用への大人の慌てた対応ぶり。これらの方策から子どもたちは結果として何を学んでいるのか、も検討しなくては、です。だなあ。残念なことを学んでいるに違いない。

我が子で考えてもとても難しいところ。少なくとも禁止や罰、脅しは効果がないというのは身を持って感じています…

また自身の学級経営を思い返すと、自身が埋め込んでいたヒドゥン・カリキュラムにも思い当たります。そこも批判的に検討しなくちゃならない...

 

GW最終日。

今日は原稿に追われてます・・・・涙

 

家庭学習を考える。

今年も全国学力状況調査があり、新聞にも問題が載っていた。
国語に関しては近年、国語教育の潮流の変化を実感する問題群。それにしても悉皆の意味はあるのだろうか。悉皆の結果起きていることに目を向けたい。

 

さて。
教育社会学が明らかにしたことによれば(今更ながら)、子どもの社会経済文化的背景と学力には高い相関関係がある。学力だけではなく、学習の意欲の格差にもつながっている。苅谷は『階層化日本と教育危機ー不平等再生産から意欲格差社会へー』のなかで、子どもたちの学習に先立って既に「インセンティブ・ディバイド(意欲格差)」があるという。

インセンティヴへの反応において、社会階層による差異が拡大しているのである。インセンティヴへの反応の違いが教育における不平等、さらにはその帰結としての社会における不平等を拡大するしくみ-インセンティヴ・ディバイドの作動である。

 

階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ

階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ

 

 

子どもの学力(ここではテストで測っているもの)を、ぼくらはつい個人のがんばり、自己責任に帰してしまいがち。一人一人の子どもの努力次第なのだと。しかし、学校に来る前の時点で既に差があるのだ。

 

ではどうすればよいのだろうか?学校でできることはなんだろうか?
例えば、家庭学習(自主学習)を考えてみる。ただ「やってきなさい」では格差を再生産することになりかねない。「やりたくてもやれない」経済的文化的背景がある子たちは?そもそも意欲格差がある中、個人の意欲に還元される学習はさらなる格差を生む。教師がよかれと思ってやっている実践が、逆の結果を招くことになりかねないのだ。

 

この問題を考える時の補助線の一つに「一般福祉の原理」がある。苫野は『教育の力』の中で、「一般福祉の原理」についてこう述べる。


教育政策は、ある一部の人(子ども)たちだけの<自由>を促進し、そのことで他の人(子ども)たちの<自由>を侵害するものであってはならず、すべての人の<自由>を促進しているときにのみ「正当」といえる

教育の力 (講談社現代新書)

教育の力 (講談社現代新書)

 

 ↑

軽井沢風越学園設立準備財団の土台となる本。

 

この原理で考えた場合、家庭学習はどうすればよいか。
すべての子どもの<自由>を促進→すべての子どもに「学力」がつくためには?
一律一斉に「これをやってきなさい」では、格差を助長する可能性が高い。必要なことが人によって違うからだ。かといって「自由に選んでいいよ」も同様だ。意欲格差の前では適切に選べない子がいるだろう。「両極端は一致する」。

キーワードとしては、「多様な足場かけ」「学習の個別化」「学校での学習とのリンク(探究、学習方略、メタ認知)」。家庭学習のあり方って、実は教師、学校の教育観・学習観がにじみ出ている。

漢字の山のような書き取りとかほんと勘弁してほしい(遠い目)。

もっというと家庭学習を手放すところから議論をスタートするのがよいと考える。放課後学習も。すべては授業時間のリデザインからだ。

軽井沢風越学園設立準備財団のメルマガ最新号ができました!

メルマガ最新号ができました。

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かぜのーと第12号(2018年4月19日発行) – 軽井沢風越学園設立準備財団

 

今号は、

・5月25,26日(金・土)学校づくり途中経過報告会 申込受付
・子どもと一緒に読みたい本 vol.7 
・4月入社のスタッフ紹介

 

です。

本の紹介はぼくが書きました。

来月末、学校づくりの途中経過をご報告します。

既にたくさんの方に申し込んでいただいてます。

ぜひおいでくださいね。

 

あ、そうそう、ステキな本ができました。

一緒に冒険をする

一緒に冒険をする

 

 財団理事長、本城慎之介のインタビューものっています。

うん、とてもいいです。多くの人に読んでもらいたい。

残りも今夜じっくり読もう。

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校舎建設予定地、いよいよ造成工事が始まります。

いよいよだなあ。身が引き締まります。

 

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教室情景の見える化

若くして学級担任を任されて、日々がんばってる方々へ。

 

 

【教室情景の見える化】

 

 

学級担任スタート。最初の懇談会も近く、保護者と良好な関係を作りたいと考える時期です。

そんな状況である4月はじめ。しかし、
保護者と直接会ったり話したりする機会も時間は極めて少ない。
その結果共有できている情報や情景は、我が子から漏れてくる断片のみ。ごくわずかになります。
この情報の共有の少なさが「不信」を招きやすい。
つまり、

 

・保護者にとっては学校での子どもや学級の様子がわからない(関心が高いにもかかわらず)。
・教員にとっては家庭での生活や、保護者の願いを知るチャンスが少ない。
・直接コミュニケーションをとる機会と時間が極端に限られている。
・連絡を取り合うのはトラブルが起きた時(マイナス状況)が多くなる。

 

 

「幸せになってほしい。そのための力を身につけてほしい。成長してほしい」。
実は保護者と教員の願いは大きな方向で一致しています。場所は違えど同じ子の成長に関わっているからです。にもかかわらず、保護者と教員はコミュニケーションをとる機会がほとんどありません。
お互いのことを知らないまま進んでいく学級。
保護者は、子どもからの断片的な話や噂(LINE等々・・)、かつての評判などの少ない情報から学級で起きていることを推測するほかありません。保護者も我が子のクラスへの関心は高い。少ない情報を何とか集めて全体像を想像しようとするのはある意味当たり前のことです。

一方教員にとっても保護者と関係を築く機会がほとんどなく、連絡を取り合うのはトラブルがあったときばかり・・・

これではいい関係を築けるはずもありません。
お互い違う情景をみながらの断片的なコミュニケーション。
同じ子を見ているのに、全く情景を共有していないのが現状です。

 

そこで、
【まずは学級でのポジティブな情報を保護者に伝えるチャンネルを複数持ちましょう。】
例えば、
・写真や学級通信で様子を伝える
・教室のエピソードを電話や手紙、連絡帳等で伝える
・会って話す機会を設ける
・参観や懇談会で子どもの普段のステキな姿を共有したり、保護者の願いや感想を知る機会を作ったりする。
・授業参加の機会をつくる、一緒に授業を創る    等々。

目的や状況、関心に応じて方法は山ほどあります。

.

教員は毎日子どもたちを見ていますから、一人一人の成長やかかわり、エピソードを見つけられる立場にいます。
それを様々な方法で保護者に伝えるチャンネルを持ちましょう。
例えば学級通信。授業の様子や子どもたちのエピソードを伝えることで、情景を共有でき「子どもを大切にしてくれている」ということが伝わります。
また個人的に電話や手紙、一筆箋などで、その子のポジティブな情報を伝える等々、方法はほんとうにいろいろ考えられます。

複数持つというのがポイント。一つのチャンネルだけでは共有できない可能性もあります。どのチャンネルが自分や保護者とマッチするかもわかりません。いくつかプロトタイプを試してみましょう。

 

その結果・・・
子どもや学級の様子が保護者に伝わり、一緒に成長を喜んだり、保護者と担任が子どものことで対話できるようになっていったりして、良好な関係が少しずつ築かれていくはずです。
保護者にとっては、他の誰でもない我が子のことを知りたい!!(親として切実)。

【教室情景の見える化】で保護者とコミュニケーションをとるよいきっかけができるかもしれません。
今の学校では保護者がやれることが少ない。動くならまず学校、教員がきっかけ作りをすることが必要です。

何もせずにいい関係が作れる、なんてことはないのです。
実践やエピソードの発信の先の優先順位圧倒的1位は外部やネットではなく、まずは最も身近で「知りたい!」と思っている保護者です。「保護者対応」なんて失礼な言葉を使ってる場合ではないとぼくは思います。