秋かな?
なんだか網戸から、
おもいっきり秋の気配が入ってくるんですけど、
信じていいのでしょうか。
もう一回暑くなる!
とかやだよ、おれ。
信じて、心身共に秋モードにしちゃうよ、
大丈夫なのね?
いいのね?
いや、個人的な話でごめんなさい。
季節と脳内対話してました。
秋の気配といや、オフコースですね。
秋、ウェルカムです。
一年首を長くして待ってましたよ。
あれこれと「方法」を試してみることで起きること。
新しい実践方法を講座で体験したり、本を読んだりしたとき。
「これだ!よしやってみよう!」
教室に持ち込んでみるわけです。
持ち込んだ本人はもちろん「やる気十分!」ですし、
子どもたちにとっても「目新しい」。
しかも先生の目がランランと輝いていて、なんだか影響受けちゃう。
そして盛り上がるわけです。両者のやる気が相互作用して。
持ち込んだ人も、「おお、これはいける!」と思う。
しかし、1週間経ち、2週間経ち・・・・と時間が経つと、なんだか最初の頃の盛り上がりがない。あれ?最初はあんなに盛り上がっていい感じだったのになあ。
誰より先生が焦るわけです。
「えーまたやるの?」
声をあげているのはほんの1人かもしれないのに、
それが全員の声に聞こえてしまう。
やり方が悪いのかなあ。
あんまり価値のある方法じゃなかったのかなあ。
いや、そもそもこれって自分に合ってなかったのかな・・・・
その頃、また新たなBという方法を講座で体験したり、本で読んだり。
「ああ、これだ!これだったんだ!」
こないだやり始めたAという方法。
子どもたちもなんだかやる気がなくなってきたみたいだし、力になってる気がしない。やっぱりAじゃなくてBだったんだ。
で、Bを教室に持ち込んでみるわけです。
持ち込んだ本人はもちろん「やる気十分!」ですし、
子どもたちにとっても「目新しい」。
しかも先生の目がランランと輝いていて、なんだか影響受けちゃう。
そして盛り上がるわけです。両者のやる気が相互作用して。
持ち込んだ人も、
「おお、これはいける!」
と思う。
しかし、1週間経ち、2週間経ち・・・・と時間が経つと、なんだか最初の頃の盛り上がりがない。
あれ?最初はあんなに盛り上がっていい感じだったのになあ。
誰より先生が焦るわけです。
あんまり力がついている気がしないしなあ・・・
やっぱり違ったのかなあ。
その頃、また新たなCという方法を・・・・また盛り上がり・・・・
(以下永遠に続く)
そうして実践は柄のバラバラなパッチワークのようになり。
全部ちょっとずつだから、子どもの力にも、先生の力にもあんまりなっていない。
それぞれの方法は共通の「教育観」というわけでもなく、同じ「目的」というわけでもなく、まさにパッチワーク。
同じ環境では両立しないかもしれない実践が、隣同士に並んでいたりする。
うまくいかなかった理由はどこにあるのだろう?
そもそも「うまくいかなかった」のだろうか?
そもそもなぜその「方法」を選んだのだろう?
そもそも「目的」はなんだったっけ?
そして。
変化はそんなすぐにはやってこない。
半年後に、じわー、かもしれないし。
もっと先かも。
続けることの価値を改めて見直したい。
次々にいろいろやってみることを「勉強熱心」と思っちゃいけないんだなあと思う。
信じたことを、丁寧に丁寧に続けよう。
すぐに結果がでることなんて、しょせんそれくらいなんだ。
環境が変わって、焦って、あれこれ手を出してしまう自分へ。
運動会だ リレーだ 自主練習だー。
もう10年も前の出来事。この頃担任していた方々はもうすっかり大人です。
この時期、多くの学校で運動会に向けて動き出していることでしょう。うちの娘も「あー、今日も体育だー!」とちょっと嬉しそう、でも行進の練習はかんべんかんべんという感じで出かけていました。
当時のボクが担任していた学級でも運動会に向けて動き出していました。その学校では、学年の種目で「全員リレー」というのがありました。クラスを4チームに分けてリレーチームを作り、各色対抗でリレーをするのです。その頃のボク、そういう行事に燃えていました。
当時の振り返りの記録からちょっとタイムスリップ。
* * *
練習は結構いい感じ。
チームの雰囲気もなかなかステキ。
ボクはこの取り組みをとても大切にしています。
結果よりもプロセス。チームで協力してリレーに取り組む過程で、たくさんのことを感じ、学んでほしい。
そう思っています。
しかし普段の体育の時間は、組み体操の練習に時間がとられてしまい、一番燃えているリレーの練習がなかなかできません。
そこで放課後、帰りの会を早めに終わりにして、自主的に練習ができる時間を確保しています。
必ずしも走るのが得意!!というわけではない子が、
「バトン練習しに行こう!」
と友達を誘って、ランドセルを背負って弾むように教室を飛び出していく姿や、
校庭から、3階のボクらの教室に向かって、
「いわせーん!来てタイム計って−!」
とニコニコ叫んでいる姿を見ると何だか嬉しくなります。
朝や20分休みに、密かに走り込みをしている子もいるみたい。
汗をふきふき、朝自習の時間に、
「今日も走ってきたんだ−」
なんて話しかけてくれると、じーんとします。
一生懸命っていいなあ、かっこいいなあって。
リレーの様子を見ても、本当にうまくなったし、いいチームワーク。
そして今日の放課後。
いよいよ運動会まで残り日数もわずかです。
大型連休があるので、放課後練習できるのはあと今日を入れて3回だけ。
そこで今日は、帰りの「振り返りジャーナル」を書く時間はなしにして、下校にしました。
それでリレーの練習ができるだろう、と思って。
いつものように、
「1回走って帰ろう!」
と声をかける子がいて、どやどやと校庭に向かっていきます。
でも中には、
「今日は家で自主練習っていうことで!」
といって、さっさと帰って行く子もいます。
早く帰って遊びたいのかな?
そういえば、一昨日も給食の時間に放課後遊ぶ約束をしていて、帰りになると、
「今日は自主練にしよう!」
と早々に帰っていった一群がいました。
今日も同じパターン??
逃げるように帰って行くようにも見えてきた。
なんだよ、せっかくわざわざリレーの練習ができるように早めの下校にしたのに。
正直に告白します。
一瞬、
「100%全力で運動会に向かうんじゃなかったのかよー」
「そもそもみんなで練習しないと意味がないだろう。長い時間やる訳じゃないんだから!」
「何でやろうという声を無視して帰るの?それでベストを尽くしているって言えるの?」
なんていう声が、自分の頭の中に浮かんできて口からついて出てきそうになりました。
帰ろうとしている人に嫌みを言ってしまいそう・・
もう少しで口にしそう・・・
とそのときに、Aさんが、
「イワセンも時間あったら来てね!」
と笑顔で声をかけてくれました。
そっか、やりたい人が集まってやっている練習なんだよね。
ふと我に返りました。
あぶないところでした。
校庭に出ると、抜けるような青空の下、残った10数人が楽しそうに、でも真剣にバトンの練習に取り組んでました。
「今うまくいった!!」
「もう一回やろう!」
「イワセン、見ててね!」
何だかとても楽しそうではじけてます。
帰ろうとしていた数人の男子が、
「○○〜、1回だけ一緒にやろうよ−」
と女子に声をかけられ、
ある人は、「じゃ、1回やっていくか!!」と急にやる気を出し、
またある人は、「捕まったぁ。。。」という感じで「わかったあ〜・・・」と元気なく加わり。
20分ぐらい、あーでもない、こーでもないと相談しながらバトンパスの練習をしたり、100mの走り込みをしたり。
「今のいい感じだよね」
「もう少し、距離を近づけてみようか」
「オッケー!決まったぁ!!」
「みんなそろそろ終わりにしない?」とボク。
「じゃ、ラスト1回だけ!」
その時に思ったのです。
やりたい人が集まって練習している。
それってとてもステキなことです。
もちろん、その日にはやりたくない人もいるだろうし、用事がある人もいるし、その気になれない人もいる。
放課後は遊びたい!っていう人もいる。
それってすごく当たり前のことなんじゃないか。
ボクが子どもでこのクラスにいてもきっとそう。
「今日は早く帰って遊びたいんだよ〜正直。その代わり体育のときチョー真剣にやるからさ」
なんて思うこともありそう。
「帰りぐらいは自由にしたっていいじゃん」
なんて思うだろうな。
改めて思い出してみると、クラスの子達、体育のときの練習、すごい真剣にやっているんです。
それも全力を尽くしている!って胸を張って自慢できること。
むしろ、
「やるときはやって、遊ぶときは遊ぶ!」
とメリハリがついている、なんて見方もできます。
帰るという選択肢も当然ありなわけです。
「○○帰っちゃったのかぁ。それじゃあバトンパスの練習できないなあ。じゃあ今日は走り込むか!」
そんな当たり前を、当たり前に受け止めて、楽しそうに練習している子ども達を見ていると、
何だか自分が恥ずかしくなってしまいました。
「全力を尽くす=全員が残って自主的に練習をする」
なんて勝手な思い込みのメガネで、クラスを見てしまっていた。
これって改めて考えるとすごいこわいことだし、ボクはやってしまいがちです。
それもよく考えたら全員残ったら自主練じゃないや。
「これはこうなんだから、子ども達はこう行動するはず(行動するべき)」
という価値のものさしで子ども達を見てしまう。
普段ボクがよくやってしまう悪い習慣です。
自分のチャレンジを自分で選べる。
それを当たり前にやっている子ども達に、大きな大きなことを学んだ20分間でした。
「じゃーまた明日ーー!!」
「バイバイイワセーン!」
元気に帰って行く子ども達。
みんなが帰った校庭を見たら、透き通った青空に向かって伸びるクスノキが、いつもよりもきれいで、そして偉大に見えました。
* * *
今読むと、自分の未熟さに赤面ものですね・・
ああ、たぶん。
このころようやく「学級はチームか?」という問いにじんわり疑問を持ち始め、学級の凝集性の怖さに気付きはじめた頃なのだなあと今、改めて思います。
学校や学級を覆う「かくあるべし」というもの。
運動会で凝集性が高まるときだからこそ、ちょっと考えてみたいです。
校内研修で学校が変わるかも。
2006,7,8年度と、ボクは小学校で初めての研究主任をしていました。
研究テーマは2つ。「読書教育」と「月曜日に行きたくなる職員室」でした。今思うと斬新なテーマ。外部の力も借りながらの試行錯誤の日々でした。研究主任や推進委員がひっぱるのではなくて、「みんなでつくる」を徹底しました。ひとりひとりの「やりたいこと」から出発し、それをつなぎ合わせていきました。職員室から学校が変わる可能性を感じた3年間でした。9月に某所で行われる読書教育の講演の準備のためにいろいろ読み直していたら、当時の職員のみなさんの振り返り発見。
当時の研究の進め方をまとめつつ、今から振り返って、当時のことをどう考えているかインタビューしてみようかな。
人には力がある。それは子どもも大人もですね。子どもの学習どうこうの前に、先ずは職員室の学び方の変革から。そんなことを読み直していて感じました。これを「あのときのあの学校だけ」に終わらせちゃいけないな。
* * *
★研修の進め方についての固定概念が変化した。研究推進委員や研究主任がレールをひいておいて、そのレールに職員を乗せて進めていく研修から、自分自身、一人ひとりが他の職員と協力してレールをひいていく研修へと変化できた。今ではそのやり方が当たり前だと思うようになった。一人でできること考えることは限られたもので、推進委員とか主任の知恵は狭い。それを他の人との協同で、全員でアイデアを出し合うと、できることは無限大に広がっていくことを実感できた。職員室で変わったことは、やらされるのではなく自分達の意志でやっているという雰囲気になってきた。日々の実践が、日常的に全校でおこなわれている。一人ひとりが建設的にものを言ったり、考えたりするようになった。本校の研修のスタイルというのが確立するまでに3年かかった。今は当たり前のようにやっているけど、3年かかってようやく確立した。他のテーマになっても、この堀兼のスタイルでやっていけるんじゃないか。
★私は「研修」についてマイナスイメージを持っていました。それは今まで経験した多くが上からふってきたようなものであったり、押しつけられたものであったりしたからです。今回取り組んでいるのは自分たちで進めている感が強いです。その点でこんな研修もできる、おもしろいというイメージに変わりました、それが一番大きいです。職員室の仲間作りというのは「それを目指す」ことが必要だと痛感します。これは学級も同じです。
人が集まってもバラバラならそれは個人の足し算にしかならないでしょう。逆に足を引っ張り合ってマイナスになる職場も経験してきました。職員室の仲間作りができて、いろいろなことをみんなでやれるようになれば、その力は何倍にもなります。堀小は確実にチーム力をつけてきていると思います。
さらにステップアップするには、個々の自分がもっと強みを生かせる職員室にしていきたい。
★先生方の積極的な研修への取り組みから自分自身を振り返ることが多く、私も前向きに取り組もうとする気持ちが出てきたことが嬉しい。わからないこと、新しいこと、結果の見えないことだったにもかかわらず、みんなで一緒に活動することの楽しさを何度も感じることができた。答えは子ども達自身がみつけることができる。それが本当の力になるという確証のない自信のようなものが出てきた。確実に力がついてきているように思う。改善点は、もっと時間がほしい。
★最初正直「こんな研修でいいのか」「こんな遊びみたいなことやって何の役に立つの?」「2月6日発表できるの?」と思っていた。何か一つのことをみんなでやることでより、いろんな話をして他のことに波及して、あーでもないこーでもないと言い合える人間関係を作れ、変わっていった。自分の強みを知ることによって、それを生かしていこうという気になった。まわりの人の強みも活かして意見を聞こうと思ったりするし、相談したいと思うようになった。みんないいところがそれぞれあると思うことによって相手を認めたり、尊敬したりするので職員全体を高めていこうという気持ちになった。
★本の話や授業の話、お互いの授業を見たことなどを学年を超えて話をするようになった。
職員、クラスとも、目的に向かって進もうとするには、チームビルディングが大切でそのためには自分の考えていること、思っていることを相手に伝えながらチーム作りをしていかなくてはならない。目的に到達するにはより具体的に何をしたいか、どうしたいのか、全員がはっきり持って行かないと進めないことが大切。何十年やってきたのとは違う、こういうのもあるんだなあ、という体験ができた。
★先生方の積極的な研修への取り組みから自分自身を振り返ることが多く、私も前向きに取り組もうとする気持ちが出てきたことが嬉しい。わからないこと、新しいこと、結果の見えないことだったにもかかわらず、みんなで一緒に活動することの楽しさを何度も感じることができた。答えは子ども達自身がみつけることができる。それが本当の力になるという確証のない自信のようなものが出てきた。確実に力がついてきているように思う。改善点は、もっと時間がほしい。
★ 3 年間一緒にできて良かった。最後まで自分たちの研修として意識を持って取り組めているところが個人的に良かった。自分から関わっていきたいと思えたのが良かった。
この学校に来て良かった、いられて良かった。前の学校では職員室内外で不満を言って満足していたけど、今は「どうしたらいいだろう」と改善したい、変えたいと前向きにとらえるようになった。学校全体で子ども達を変えていこうという意識をもてるようになった。子どもの話題が出ると自然に職員室全体に広がる。本の話も広がっていく。みんなで関わっていくという雰囲気がいいなあって思いました。
改善点はもっともっと時間がほしい。もっともっと語り合いたい。
★研修で学んだことがクラスで生きている。今まで20 年やっていた研修よりも学ぶことがいっぱいあった。
「〜したい」という気持ちを一歩踏み出せるようになった。実行に移して、できることからやってみよう、という一歩踏み出す力がでてきた。
その話を職員室のみんなとするようになり、話すとアイデアをもらえ、刺激し合い、そしてまたやってみて、という「できることをせいいっぱいやる」という自分の誓いを実行して自分が高まっていくのが感じられた。自分自身が変われた。
★今まで校内で何かやろうと思っても、反対されたり、時間がかかったりでなかなか実現できない。朝読書をやりたいけど、それひとつでもなかなか実現できない。この学校ではできることをどんどんやってみよう!という空気がある。堀兼小って幸せだね、子どもって幸せだねって他の学校の先生に言われた。
今までも提案してもダメだろうな、って思っていたけど、提案してみようかな、みたいな安心感が出てきた。みんなの前に出せる、っていう気になれた。
【たまった計算ドリルや漢字を罰ゲーム的にやらされると何を学ぶか】
埼玉は今日終業式。いよいよ夏休みです!
大学はあと2週間だけど……
この時期になると思い出す、息子が小学生の時のエピソード。終業式2日前の我が家での出来事です。
.
.
.
「やべー!計算ドリル終わってね-」
と息子。
あといくつ残ってるの?
「32ページ」
32ページって、ほとんど全部じゃん・・・・・・
「いやー、去年とシステムが違ってさあ。去年は宿題で出てたからその通りやってれば終わったんだけど、今年は,自分でやるシステムだから,気づかなかったんだよねえ−。システムの問題だよ、これは。」
っていうか、どうするの?
「一気に終わらす!終わらないと終業式のあと学校でやるんだって。それだけは阻止!遊びたいし!」
と、頭にタオルを巻いて気合いを入れてやり出す息子。往年のビックダディみたいなスタイルだな。
「よし今日は10個終わったからあとは明日!」
見通しの計算できてないじゃん。明日22個もできるのかよ・・・
そして翌日、また頭にタオル巻いて、
「終わらすぞ-!」「よおし、2個終わった−!」
と妙にハイテンションで楽しそう。
「やるしかないんだよ!どうせなら楽しくやるんだよ」
まあ、そりゃそうか。なんとか夜には全部終わったようでした。だがしかし。終業式の朝には今度は、
「やったノートが見当たらない!」と一騒動。おい。マンガかおまえは・・・・・
「オレさあ、夏はこうならないように、初日に宿題一気に進めるよ」
お、ついに体験から学んだか。そして夏休み初日。
「遊びに行ってきまあーす!」
おーい、宿題終わらすという作戦は???
「あーーそっかあ。。。。まあ、一応持って行くか。。。。じゃあ遊びに行ってきまあす!!」もちろん何もやらずに帰ってきました。
結論。
罰ゲーム的にたまった宿題をやらされても,何の成長にもつながらず、むしろ、「まあ、なんとかなるさ!」ということを体験的に学ぶ(笑)。
というわけで今日も水鉄砲持って遊びに行っております。正しい子どもだ。
わかっていても、先生目線ではついついこうやってしまう……ボクもそうでした。なぜ教師はそうしがちなのかは、自分を題材に丁寧に振り返る必要がありそう。つい自分を正当化するストーリーを描いているんですよね。そもそもから考えなくちゃだよなあ……
「きのくに子どもの村」の凄み。
今日は隙間時間を使ってもう1冊読了。
この本は、元大阪市立大学、堀真一郎さんの学校づくりの記録だ。きのくにの取り組みはずいぶん以前から知っていて本も読んでいた。
堀さんが大学教員のまま学校づくりに取り組みはじめたのが1984年。ボクが中学生の頃だ。8年後の1992年。ボクが大学3年の時に「きのくに子どもの村学園小学校」を開校している。
この本は、学校づくりから現在に至るまでの貴重な記録だ。
改めて読むと、ボクが実践してきたことなど、所詮きのくにでの実践の公立での縮小版ではないかという気持ちになる。それくらいチャレンジングで質の高い実践の積み重ねだ。北海道の中学教師、石川晋さんがよく言っているが、ボクらが思いつく実践はたいてい先人がとっくに実践しているのだ。
学校づくりでの苦労も真摯に語ってくれている本書は、読みながら背筋が伸びてくる。
ボクらはこの提案を受けて、これから何をしていくのか。これからの大きな問いをもらった本だ。実現したいという想いって本当に大事だ。
ニイルの言葉、
まず子どもを幸福にしよう。すべてはそのあとにつづく。
その通りだと思う。
何度も戻ってくる本になりそうだ。この学校で大切にされていることの本質は、公教育でも大切にしたいことだ。言い換えれば、子どもの教育ではどこでも大切にすべきことだと思う。では、より多くの子どもたちに届けるには?ボクにできること、いやボクがしたいことはなんだろうか?公教育に届けるにはどうしたらよいだろうか?苫野さんのいう「学びの個別化・協同化・プロジェクト化」はサマーヒルがひとつのモデルになっているのだろうな。
今年、見に行こう。
一気に読んでしまった。『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』。
久々に一気読みしてしまった。
精神科医の著者が、「自殺希少地域」をフィールドワークすることを通して「人の生きやすさ」について探究した記録。
その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――
- 作者: 森川すいめい
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2016/06/24
- メディア: 単行本
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「はじめに」を読むと、以下の本に影響を受けたそう。
未読だった!!早速注文。ポチ。
「はじめに」にある、人の生きやすさを考えるためのこの言葉にまずはグッと来る。
社会は今とても複雑である。それゆえに当たり前だと思うことに気付きにくくなっているように思う。シンプルなことに気付くことができたならば、それは当たり前なことだと思うのであるけれども、それに気付くまではわからないものであると思っている。だから私は、ここにどうどうと当たり前のことを書いた。ひとの生きること、その営みにおいて難しい理論はいらないと思う。とてもシンプルだと思う。
ではそのシンプルな原則とは?
必ずしも「自殺希少地域」=生きやすい、ではないだろうが、ひとつの視点ではあると思う。著者の探究は『生き心地のよい町』で取り上げられていたという旧海部町(市町村合併により今はない)のフィールドワークから本はスタートする。自殺希少地域である旧海部町。ボクは、さぞ人間関係が濃いのではないか(良くも悪くも)と漠然と思っていた。しかし、岡さんの調査では、希少地域では以下の通りだったという。
近所との付き合い方は「立ち話程度」「あいさつ程度」と回答する人たちが8割を超えていて、「緊密(日常的に生活面で協力)」だと回答するひとたちは16%程度だった。一方で、自殺でなくなるひとの多い地域は「緊密」と回答する人が約4割だった。(『生き心地のよい町』より)
この結果を岡さんはこのように解釈したそうだ(早く読まなくちゃ)。
「人間関係は、疎で多。緊密だと人間関係は少なくなる」
「人間関係は、ゆるやかな紐帯」
緊密ではないが、コミュニケーションの量は多い。凝集的なコミュニティではないということだ。ここは本当におもしろいポイントだと思う。それはどんなコミュニティなのだろうか。そこを考えるヒントとして、第1章「助かるまで助ける」でのいくつか印象的なエピソードを。
旧海部町では、家の鍵が基本的にあいているらしい。
「外泊するときは鍵を閉めた方がいい〜」
ここまでは「まあ確かにその通り」と思う。その理由がすごい。
「〜数日後に帰ってきたら、部屋の中に腐った魚があって、においがとれなくて大変なことになったなんてことがある」
釣れた魚をお裾分けし合う習慣がこの町にはある。「あげたい」と思った人があげたい人に勝手に届けるので、家を不在にしているとこんなことになってしまうらしい。
「近所であいさつ程度の付き合いだったとしても、突然の雨で洗濯物が外にほしてある状況だったら選択を取り込むんだ」と旅館のおやじさんは言っていた。
ゆるやかなつながりでありながらお節介なまでの関わり。このエピソードには続きがある。この町で育った人が、都会に出て近所の洗濯物を取り込んであげたら、ひどく怒られたそうだ。しかしその人は、
「都会にはいろいろな人がいるんやね」
と素直に受け止めたらしい。これらのエピソードをどう読み解くか。それは是非本を手にとってほしい。
この町では「病、市に出せ」という原則がある。
少しでも困ったらすぐそれを自分のいる空間に出しなさいという教訓。すぐに出し合えるコミュニティは問題が小さいうちに解決に向かうことができる。そう考えると非常に合理的だ。
また相手が困っているのを発見した人は、相手のニーズを感じながら解決のために「自分で」行動する。「困っているひとがいたら、できることはする。できないことは相談する」のだ。
著者がフィールドワーク中に突然の歯痛で苦しんでいるときにも、近くの病院が閉まっているとわかるや、宿の人が、82キロ先に歯医者があるから車に載せていくよ、と平然と言うエピソードも印象的だ。解決するまで付き合うのが当然という自然さ。「疎」でありつつも「多」であるからこそ、相手の困りごとや問題も見つけやすい。この「疎で多」であるゆるやかなつながりは、お互いのセーフティ−ネットとして働く。そして困りごとを見つけたらその場で「自分はどうしたいのか」を原則として行動する。著者がいうように、人助け慣れ、助けられ慣れていくことでその加減が絶妙になっていく。だからこそ安心してひとりでいられる。
森山さんはこう言う。
たくさんのひとが出会い、たくさんのひとと話すことで、ひとはコミュニケーションに慣れていく。自分の考えに会うひとたちだけでコミュニティを作ってしまうと、知り合いはいたとしても世間は狭くなる。世間の狭さは変化や異なることへの対応の弱さとなり、それは生きづらさと関係する。コミュニティはより緊密になるから排他性が生まれる。
ボクが『せんせいのつくり方』の中で書いた、「適度に一体感があり適度にバラバラ」「ゆるやかな協同」の場は、もしかしたらこんな形なのかも知れない。この本を読みながら、ボクはついつい学校組織にひきつけて考えてしまう。学校は制度的実践だから、単純にコミュニティとは比べられないとは自覚している。しかし共通点もあるはずだ。学校での生きやすい関係を考えるときの大きなヒントになる本だと思う。
この本の最終章「対話する力」ではオープンダイアログの7つの原則が紹介されている。
オープンダイアログは以下を参照。ボクもまだ本をパラパラと読んだだけだから、改めて学び直さなくちゃ。
この本でのフィールドワークで見出したことは、オープンダイアログの原則が機能している場であるとつながっていることを見出したのだ。
ここでは目次だけあげておきます。是非本で読んでみてください。
①「困っている人がいたら、今、即、助けなさい」(即時に助ける)
②ひととひとの関係は疎で多(ソーシャルネットワークの見方)
③意志決定は現場で行う(柔軟かつ機動的に)
④「この地域のひとたちは、見て見ぬふりができないひとたちなんですよ」(責任の所在の明確化)
⑤解決するまでかかわり続ける(心理的なつながりの連続性)
⑥「なるようになる。なるようにしかならない」(不確かさに耐える/寛容)
⑦相手は帰られない。変えられるのは自分(対話主義)
エピソードとそこから見出される「生きやすさの仮説」にはやや飛躍があるなあと感じるところも多々あったが、それを差し引いてもとてもおもしろい本だった。
改めてこの本のタイトル、
『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』を読むと、非常に深い意味があるなあとしびれる。
さ、届いた岡さんの本を読むとしよう。