子どもで居続けること。
先生であることの専門性。
それは「ワクワクする学び手」であり続けること。
探究者のモデルであること。
いや違うな。結果として、周りにいる人が感染しちゃうような探究者でありつづけること。
きみはいつおとなになったんだろう。
きみはいまおとなで、
子どもじゃない。
子どもじゃないけれども、
きみだって、
もとは一人のこどもだったのだ。
子どものころのことを、
きみはよくおぼえている。
水溜まり。
川の光り。
カゲロウの道。
なわとび。
老いたサクランボの木。
学校の白いチョーク。
はじめて乗った自転車。
はじめての海。
きみはみんなおぼえている。
しかし、そのとき汗つぶをとばして走っていた子どものきみが、
いったいいつおとなになったのか、
きみはどうしてもうまくおもいだせない。
世界への驚きを忘れてしまった瞬間に、子どもたちとの協同探究者でいられないのだろうな。「おとな」にならず、「こども」で居続けること。
それなくしてファシリテーションなんて、ちゃんちゃらおかしいよね。
あ、ちなみにぼくは今、ボルダリングに夢中です。
自分のからだっておもしろい。
仕事の面では大人になるの大事だけどね。