一気に読んでしまった。『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』。
久々に一気読みしてしまった。
精神科医の著者が、「自殺希少地域」をフィールドワークすることを通して「人の生きやすさ」について探究した記録。
その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――
- 作者: 森川すいめい
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2016/06/24
- メディア: 単行本
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「はじめに」を読むと、以下の本に影響を受けたそう。
未読だった!!早速注文。ポチ。
「はじめに」にある、人の生きやすさを考えるためのこの言葉にまずはグッと来る。
社会は今とても複雑である。それゆえに当たり前だと思うことに気付きにくくなっているように思う。シンプルなことに気付くことができたならば、それは当たり前なことだと思うのであるけれども、それに気付くまではわからないものであると思っている。だから私は、ここにどうどうと当たり前のことを書いた。ひとの生きること、その営みにおいて難しい理論はいらないと思う。とてもシンプルだと思う。
ではそのシンプルな原則とは?
必ずしも「自殺希少地域」=生きやすい、ではないだろうが、ひとつの視点ではあると思う。著者の探究は『生き心地のよい町』で取り上げられていたという旧海部町(市町村合併により今はない)のフィールドワークから本はスタートする。自殺希少地域である旧海部町。ボクは、さぞ人間関係が濃いのではないか(良くも悪くも)と漠然と思っていた。しかし、岡さんの調査では、希少地域では以下の通りだったという。
近所との付き合い方は「立ち話程度」「あいさつ程度」と回答する人たちが8割を超えていて、「緊密(日常的に生活面で協力)」だと回答するひとたちは16%程度だった。一方で、自殺でなくなるひとの多い地域は「緊密」と回答する人が約4割だった。(『生き心地のよい町』より)
この結果を岡さんはこのように解釈したそうだ(早く読まなくちゃ)。
「人間関係は、疎で多。緊密だと人間関係は少なくなる」
「人間関係は、ゆるやかな紐帯」
緊密ではないが、コミュニケーションの量は多い。凝集的なコミュニティではないということだ。ここは本当におもしろいポイントだと思う。それはどんなコミュニティなのだろうか。そこを考えるヒントとして、第1章「助かるまで助ける」でのいくつか印象的なエピソードを。
旧海部町では、家の鍵が基本的にあいているらしい。
「外泊するときは鍵を閉めた方がいい〜」
ここまでは「まあ確かにその通り」と思う。その理由がすごい。
「〜数日後に帰ってきたら、部屋の中に腐った魚があって、においがとれなくて大変なことになったなんてことがある」
釣れた魚をお裾分けし合う習慣がこの町にはある。「あげたい」と思った人があげたい人に勝手に届けるので、家を不在にしているとこんなことになってしまうらしい。
「近所であいさつ程度の付き合いだったとしても、突然の雨で洗濯物が外にほしてある状況だったら選択を取り込むんだ」と旅館のおやじさんは言っていた。
ゆるやかなつながりでありながらお節介なまでの関わり。このエピソードには続きがある。この町で育った人が、都会に出て近所の洗濯物を取り込んであげたら、ひどく怒られたそうだ。しかしその人は、
「都会にはいろいろな人がいるんやね」
と素直に受け止めたらしい。これらのエピソードをどう読み解くか。それは是非本を手にとってほしい。
この町では「病、市に出せ」という原則がある。
少しでも困ったらすぐそれを自分のいる空間に出しなさいという教訓。すぐに出し合えるコミュニティは問題が小さいうちに解決に向かうことができる。そう考えると非常に合理的だ。
また相手が困っているのを発見した人は、相手のニーズを感じながら解決のために「自分で」行動する。「困っているひとがいたら、できることはする。できないことは相談する」のだ。
著者がフィールドワーク中に突然の歯痛で苦しんでいるときにも、近くの病院が閉まっているとわかるや、宿の人が、82キロ先に歯医者があるから車に載せていくよ、と平然と言うエピソードも印象的だ。解決するまで付き合うのが当然という自然さ。「疎」でありつつも「多」であるからこそ、相手の困りごとや問題も見つけやすい。この「疎で多」であるゆるやかなつながりは、お互いのセーフティ−ネットとして働く。そして困りごとを見つけたらその場で「自分はどうしたいのか」を原則として行動する。著者がいうように、人助け慣れ、助けられ慣れていくことでその加減が絶妙になっていく。だからこそ安心してひとりでいられる。
森山さんはこう言う。
たくさんのひとが出会い、たくさんのひとと話すことで、ひとはコミュニケーションに慣れていく。自分の考えに会うひとたちだけでコミュニティを作ってしまうと、知り合いはいたとしても世間は狭くなる。世間の狭さは変化や異なることへの対応の弱さとなり、それは生きづらさと関係する。コミュニティはより緊密になるから排他性が生まれる。
ボクが『せんせいのつくり方』の中で書いた、「適度に一体感があり適度にバラバラ」「ゆるやかな協同」の場は、もしかしたらこんな形なのかも知れない。この本を読みながら、ボクはついつい学校組織にひきつけて考えてしまう。学校は制度的実践だから、単純にコミュニティとは比べられないとは自覚している。しかし共通点もあるはずだ。学校での生きやすい関係を考えるときの大きなヒントになる本だと思う。
この本の最終章「対話する力」ではオープンダイアログの7つの原則が紹介されている。
オープンダイアログは以下を参照。ボクもまだ本をパラパラと読んだだけだから、改めて学び直さなくちゃ。
この本でのフィールドワークで見出したことは、オープンダイアログの原則が機能している場であるとつながっていることを見出したのだ。
ここでは目次だけあげておきます。是非本で読んでみてください。
①「困っている人がいたら、今、即、助けなさい」(即時に助ける)
②ひととひとの関係は疎で多(ソーシャルネットワークの見方)
③意志決定は現場で行う(柔軟かつ機動的に)
④「この地域のひとたちは、見て見ぬふりができないひとたちなんですよ」(責任の所在の明確化)
⑤解決するまでかかわり続ける(心理的なつながりの連続性)
⑥「なるようになる。なるようにしかならない」(不確かさに耐える/寛容)
⑦相手は帰られない。変えられるのは自分(対話主義)
エピソードとそこから見出される「生きやすさの仮説」にはやや飛躍があるなあと感じるところも多々あったが、それを差し引いてもとてもおもしろい本だった。
改めてこの本のタイトル、
『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』を読むと、非常に深い意味があるなあとしびれる。
さ、届いた岡さんの本を読むとしよう。
「きのくに子どもの村」の凄み。
今日は隙間時間を使ってもう1冊読了。
この本は、元大阪市立大学、堀真一郎さんの学校づくりの記録だ。きのくにの取り組みはずいぶん以前から知っていて本も読んでいた。
堀さんが大学教員のまま学校づくりに取り組みはじめたのが1984年。ボクが中学生の頃だ。8年後の1992年。ボクが大学3年の時に「きのくに子どもの村学園小学校」を開校している。
この本は、学校づくりから現在に至るまでの貴重な記録だ。
改めて読むと、ボクが実践してきたことなど、所詮きのくにでの実践の公立での縮小版ではないかという気持ちになる。それくらいチャレンジングで質の高い実践の積み重ねだ。北海道の中学教師、石川晋さんがよく言っているが、ボクらが思いつく実践はたいてい先人がとっくに実践しているのだ。
学校づくりでの苦労も真摯に語ってくれている本書は、読みながら背筋が伸びてくる。
ボクらはこの提案を受けて、これから何をしていくのか。これからの大きな問いをもらった本だ。実現したいという想いって本当に大事だ。
ニイルの言葉、
まず子どもを幸福にしよう。すべてはそのあとにつづく。
その通りだと思う。
何度も戻ってくる本になりそうだ。この学校で大切にされていることの本質は、公教育でも大切にしたいことだ。言い換えれば、子どもの教育ではどこでも大切にすべきことだと思う。では、より多くの子どもたちに届けるには?ボクにできること、いやボクがしたいことはなんだろうか?公教育に届けるにはどうしたらよいだろうか?苫野さんのいう「学びの個別化・協同化・プロジェクト化」はサマーヒルがひとつのモデルになっているのだろうな。
今年、見に行こう。