「読解の授業とは何をするのか」
これがここ数年ボクの頭にずっとある問題意識です。
もっと簡単に言うと、「読めるようになる」(好きになることも含めて」とはどういうことか、そのために学校ができることは何か、ということでもあります。
かつて読んだ本で、アメリカの小学校で、あるクラスは伝統的な読解の授業を続け、あるクラスは自由読書を継続していき、その後の読解のテスト結果を比べたということが載っていました。
どちらがよかったと思いますか?
そう、後者なのです。
学校の伝統的な読解授業とは、何を育てているのでしょうか。
ボクは数年前母校の大学に戻って学び直す機会に恵まれました。その際、高木光太郎先生の授業をとったのですが、このときのテキスト、Y・エンゲストロームの『拡張する学習』は、文字も読める、単語の意味もわかる、文法もわかる。文字面はわかるのに、意味がわからないのです。
でも、一緒に授業をうけていた方々とディスカッションしているうちに、ちょっとずつわかりはじめたという経験をしました。
読むということは、どういうことなのか、深く考えるきっかけになった出来事でした。
読むというプロセスは、外からは見えにくいものです。
さてどうするのがよいのか。
その探求の途上が、リテラチャーサークルであり、今読み始めた本、『ひとりで読むことからピア・リーディングへ』(館岡洋子著 東海大学出版会)です。
何か大きなヒントが得られるとよいのですが。
ひとりで読むことからピア・リーディングへ―日本語学習者の読解過程と対話的協働学習
- 作者: 舘岡洋子
- 出版社/メーカー: 東海大学出版会
- 発売日: 2005/03/01
- メディア: 単行本
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みなさんはどう考えますか?