さて冬休み。
この冬は講座やワークショップも全てお断りしてしまい、結果何の予定もない。
悲しいくらいない。来年はゴジラ松井、55歳になる。
冬休みって今回を入れてあと6回しかない。もう冬休み仕舞いも近いというわけだ。老いがすごい勢いで追いかけてきて焦る。
何もないとグズグスしていると、心身グズグスしてくるので,今日から10日間、朝活をすることにした。
大きな柱は、「生成AIを全力で学んでみる」。10日後にある程度使いこなせるようになれるのを目指して、何とほぼ0からスタート。どうなりますかね。一気にマスターするぞ。
二つ目は「学校の未来を眺める」。指導要領の諮問やいろんな本を読み深めながら,公教育の未来を、これまでの経験と重ねながら(現実的に)ぐっと考えてみる。
というわけでカフェand本屋に向かってます。生成AIの本ごそっと買ってくるぞー。いただいたお手紙の返事も丁寧に書こう。
写真は、冬休み初日、風越のカリキュラムディレクターがすすめている研修。もう僕が進めなくて大丈夫。壁打ち役で十分。
全体を考えてグッと責任を握るメンバーが組織に増えていて心強し。学校をつくるって、そういう人が増えていくことを後押しすることだなと思います。その下支え。
来年は講座やワークショップやっていこうと思います。いろんな教室も見にいこう。
とここまでフェイスブックで書いたところ。
* * *
本屋さんでchatGPTの本を3冊ゲットして読み始めたけれど、なんかピンと来ない。これは使いながらわかっていくしかないのでは?と思い、いじり始める。
初心者の試行錯誤を載せていこう。
私は義務教育学校の教員です。
業務を効率化したり、授業づくり、授業改善にchatGPTを使いたいです。
まだ初心者なので、自宅で学習できる7日間プログラムを作成してください。
条件は以下の通りです。
・一人でできるプログラムを作成してください。
・具体的にやること、プロンプトを示してください。・1日あたり2時間を想定しています。
・一通りの機能が試せるものにしてください。
われながらビギナー感がすごい。
ここから、いろいろ追加の指示を出していったのだが、どんどん精密になってく。いやはや本がいらんではないか。
他にも、あるインタビューの文字起こしをもとに「高校入試の志願理由文のたたき台を1000文字でつくってください。」で、おそるべしクオリティで作ってくる。
うわ、こんな使い方もできるのか。
これを最近使い倒しているんだけど、これに自分のアイデアや考えていることを、わーっとしゃべって、それを企画や記事にまとめてもらうっていうことができるんだな。いろいろやってみよう。
行き帰りの車でも、chatGPTを話し相手にしていろいろ指示してみる。まあよくしゃべるしゃべる。こうやって使いながら覚えていくのがよさそうだ。
文科省の時期学習指導要領の諮問、アップロードして「要約して」だけで概略わかるんだものな。初日の試行錯誤にしては上出来でしょう。
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仕事に疲れると、古本屋に行って気分転換。200円で買ったのはこれ。
日帰り湯によって、お風呂で読み終える。タイムリーでおもしろかった。
それにしてもぼくはもう20年来、日帰り湯に本を持ち込んで読書をしている。もちろん湯気でシワシワになりがちなので、シワシワ推奨の本を持ち込むわけだ。古本屋さんで安く買った本は適任なのである。これまで20年間読み続けてきたが、注意されたことは1度もない。
それどころか「お風呂でも読書するなんてよっぽど本がすきなんだねえ」とおじいさんと話が弾んだりする。
自分以外に読書している人には10人くらい会ったことがある(2年に1人のペース)。その姿は端的にかっこいい。そこまで読書を愛しているのか、と抱きしめたい気持ちになる。自分もそう見えていると思うとまことに気分が良い。
僕は読書をしながら、そこに書かれていることと、今考えていることがつながって新たな着想が生まれる、みたいなことが多い。だから自分の仕事に読書は欠かせないし、できるだけ違う分野の方が着想が生まれやすい。今号は「移住×仕事」。社会的共通資本としての農業、里山の話が面白かった。
この本を読んで得た着想の問い、それは「地方の小さな自治体、小さな学校がおもしろくかわっていくにはどんなアプローチがあるか」だ。
公立の学校は教員異動があるので、継続的な学校づくりが難しい。広域で人が入れ替わってしまうからだ。小さな自治体の小さな学校はポテンシャルとしては変化可能性に満ちているが、その継続性がネックとなって、どうしてもハコモノへの投資で終わってしまいがちだ。
さらにいうと、学校規模が小さくなると、端的に「今までのやり方が通用してしまう」。何も変えなくても人数が少ないので成立してしまうのだ。その結果、地方の小さな学校ほど、今までのやり方を踏襲してしまうということに陥りやすい。そのポテンシャルと逆に向かってしまう。
学校とは「社会的共通資本」の中でも「制度資本」。
社会的共通資本をchatGPTに聞いてみると(もうとにかくつかってみるのだ)、
さて、「継続性の難しさ」をどう超えていくか。
これにはいくつかのアイデアがある。
その一つはその自治体に「ラーニング・コミュティ」をつくり、育てていくことだ。「ラーニング・コミュニティ」とは、「教職員が、学校間、学校種を超えて継続的かつ持続可能な教職員の学び合いのための実践コミュニティ」だ。
このプロジェクトの中核は「自主的」であり「日常的」であることだ。この指とまれ方式でスタートして徐々に広げていく。
日本にはかつて戦後の民間教育の隆興とともにこのような自主的な学びの場が全国津々浦々に生まれていた。この文化を新たな動きとしてつくっていく。
これを自治体が「まず」主導するというのがポイント。とはいえ中身に口を出すというより、「金は出すが口は出さない」。
自主的な学びのコミュニティを育成していくソフトにお金をかけていく。トップダウンでボトムアップをつくるわけです。
その地域にそのようなコミュニティが生まれて、理想的に進めば、人が異動しても学びや文化はその場に積み重ねられていき、またその地域に行けば学べる!という意欲的な教員が集まってくる可能性がある。これが実現するには学校教育外の、コミュニティづくりのノウハウが必要だ。
一時期某自治体で動き出そうとしていたが、実現間際でさまざまなことがあって流れてしまった(今考えてももったいない。おもしろいことが起きていたはずなのになあ)。でもその後のさまざまな動きの中で、このプロジェクトがうまく機能していくためのポイントは、観察や実践を通していくつか見えてきている。その運営のアイデアは見えつつある。ポイントは物理的な場と人。
それにしてもこのときにつくった提案スライドは、結局日の目を見ていないけど、今日読み直してあらためて素晴らしいと自画自賛したくなる。あらためてこの企画の精度をあげていくとしよう。死ぬまでに実践したいね。
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ちなみに、先の『ちゃぶ台』で印象的だった文章はこちら。
「若い人たちにアドバイスを」ってきかれたときは、「自分が心惹かれる大人に1ミリでも近づいて、同じ場所に1秒でも長く一緒にいるほうがいいよ」って答えるんです。なぜかっていうと、その人の物事への姿勢、態度ってのは近くにいないとわからないんですよね。だからもし自分の周りに「光を感じないなあ」っていう大人たちが多かったら、全力で逃げるべきだと思うんですよね。
また明日。
少し早いけどビール飲んじゃおう。冬休みだもの。