いわせんの仕事部屋

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ストレッチゾーン(知的な負荷)

このブログは、軽井沢風越学園のことからはちょっと離れたことを書いていく予定です。風越のことはホームページに書いているので読んでくださいね。

kazakoshi.ed.jp

 

さてさて。

ぼくの公立時代の実践群は全体像としては、

「のんびりしていて自由そう」と伝わることが多い。

楽しそう、は合っていると思う。でも少なくとも「のんびりしていそう」は違う。


例えば「教室リフォームプロジェクト」だけを見ると楽しそうだし、のんびりしてそう。しかしそれは「自分たちの環境をよりよくしていく責任を自分たちで負う」とイコールなので、維持、改善にも自分たちで取り組まなくてはならない。授業参観前になると、いそいそと掃除を始めるのは子どもたち。使いにくかったら変えるのは自分たち。給食便りが貼っていなくて今日の給食を確認できない責任も自分たち。

 

リーディングワークショップにおいても、例えば6年生では大きなゴールを「好きかどうかは別として、卒業までに『モモ』が読めるようになる」と設定していた。(蛇足だが「大きなゴール」
なので全員に適用しているわけではない)。

モモ (岩波少年文庫)

モモ (岩波少年文庫)

 

『モモ』をよんだことのある人は想像つくと思うが、これはなかなかハードだ。そのためには1年間で相当の量読む必要があるし、実践も相当工夫する必要があるし。なにより伴走者であるぼくもなかなか大変だ。でもたいていはなんとかなるもんだ。


算数においても自由進度の学びの中で、得意な人も苦手な人ものんびりしている暇はなかった。それぞれ「自分のチャレンジ」に向けて常にストレッチゾーンの中にいたと思う。授業は30分過ぎたあたりから集中力がグッと高まっていった。45分ではおさまらない。タイムマネジメントも自分でする。見通しを持ちながら調整していくのは大人だって難しい。「やらされる」ではなく「自分でやる」のだ。

 

振り返りジャーナルは毎日2ページ書くのは当たり前。毎日さまざまな問いで深めていく。自分をメタに眺める。


楽しいぶん大変。大変なぶん楽しい。

教科融合のプロジェクトにおいても、やりがいがあるぶん、(知的な)負荷もけっこうかかっていたと思う。

「〜したい」という情熱から出発するということは、ややもすると、その人自身が安心できる、手持ちの経験や力でそれなりにできるものを選ぶことにもなりかねない。伴走者である大人は、手持ちの力を超えるチャレンジになるようなサポートが必要だ。それは足場を作ることだし、時には刺激の場面をつくることだし、提案することだし、高い壁になることだし、本物につなぐことだ。

「ヒー、大変だー!」と大変そうに楽しそうに探究する。

ストレートに言えば、Hard funになっていない限り、それは「ゆるい学びごっこ」にすぎない。

本人の成長実感こそが次の「〜したい」を生む。自分への信頼、自分の可能性への信頼を育てる。そのためには大変だけど楽しい!となっているかどうかは鍵だ。

「居心地がいい」だけではあっという間に陳腐化していく。


プロジェクトの学びでここ数年話題のHigh Tech High。

ここで描かれている生徒たちのプロジェクトの学びの様子は、圧倒的にハードであり、ハードであるからこそ楽しく、そして本人が成長実感を感じている。

そこには「なぜ学ばなくちゃいけないの?」という問いは生まれない(生まれにくい)。実感しているからね。このドキュメンタリー、レンタルで見られるのでぜひ見てほしい。学ぶとはどういうことか考えますよ。

vimeo.com

この映画を見てハマった人は、この本をどうぞ。

 

「探究」する学びをつくる

「探究」する学びをつくる

  • 作者:藤原 さと
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: Kindle版
 

 PBL の本の決定版ですね。

 

「イワセンのクラスは自由で楽でいいなーとかいうやついるんだよ!わたしらこんなに苦労してるのに!だれより勉強してるっちゅうの!」

と吠えていたクラスの子を思い出すな。