いわせんの仕事部屋

Mailは「naoki.iwase★gmail.com」です。(★を@に変えてください。スパム対策です)

「本を読む」ことと、「自分で考える」ことはつながっていると思います。

体調がすぐれず、ベッドでグズグズ。

目がさめるとちょこっと読書。今日は安野光雅『かんがえる子ども』を再読しました。

 

本を読まないでも、生きていけます。でも、本を読んで生きた人は、同じ十年生きていても、二十年も三十年も生きたことになります。

「本を読む」ことと、「自分で考える」ことはつながっていると思います。「本を読むことは、自分の考えかたを育てること」です。とにかく、子どもたちには、自分で考えるくせをつけてほしいと思います。だれか偉い人がいっていたからとか、テレビでいっていたからとか、判断を他人に任せるようではつまらないではありませんか。でも、自分で考えるためには、日頃の訓練が必要です。頭がやわらかいうちに、たくさん本を読んで、世の中にはいろんな考えかたがあることを知りたいものです。

 

かんがえる子ども (福音館の単行本)

かんがえる子ども (福音館の単行本)

 


軽井沢風越学園の真ん中にライブラリーを置いた理由の一つのは、ぼく自身、学ぶこと、世界を知ることの大きな核の一つは「読むこと」であると思っているから。

公立小にいたときも教室に大量の本を置いていた。本が身近にあること、これは家庭環境に左右される。だからこそ学校こそが本を身近な存在に感じる環境であるべきだと思う。

 

せっかく本があっても、本の世界とつなぐ大人の存在はとても大切。

そのためにはぼくら自身が、子どもの本をどれくらい読んでいるかが決定的に大事で、それなくして子どもと本をつなぐことはできない。

たくさん読んで、知っている本が増えると、ある子に出会った時に、

「ああ、○○には、あの本が今ぴったりだな」とわかるようになってくる。

他ならぬあなたのために選んだ本を手渡すと、けっこうな割合で大切に読んでくれる。

「他ならぬ私のために選んでくれた」が実は大切。そのためには、その子のことと、本のこと、両方にアンテナを張り続けて、マッチングの試行錯誤を積み重ねるしかない。

 

学校や幼稚園、保育園の先生にとって、たくさんの子どもの本を読んでいること、知っていることは、「先生としての大切な土台」だとぼくは考えている。子どもの本を読んでいないのに、国語の授業ができるわけがない。

 

児童書やヤングアダルトをたくさん読んで、100冊を超えたあたりから見える世界が変わってくる(当社比)。

騙されたと思って読んでみてください。
ちなみにぼくや、盟友のKAIは、かなりおじさんになってから児童書やヤングアダルトに目覚め、それから何百冊と競うようによんできました(ちょっと盛ってるかなww)。大事な経験だった。


「何を読むか」も決定的に大事なので、例えばこちらも参考程度に。http://iwasen.hatenablog.com/entry/2015/11/05/193414