いわせんの仕事部屋

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ひらく。

教室も、職員室も、学校も、学習サークルも、研究会も、学会も。

「とじて」いると同質性が高まり、凝集性が高まり、視野が狭くなり、気づきが減り、中でのゲームに明け暮れる。

 

 

その構造に中にいると気づきにくいのは、中の人にとっては居心地がよかったりするから。

他者からの「王様は裸じゃないか!」の指摘でゲームのルールの見直しを迫られることを恐れるから。
 
 

居心地の悪さを感じた人が去っていき、その組織の同質性はさらに高まることもある。

小さな違いが許せなくなっていく。

視線の行き交う範囲が限られるので、人の視線、評価が過剰に気になってくる。

 

逆に、離脱できない組織は悲劇を生む。
居心地の悪さを感じることが排他の対象になりかねないからだ。
 
 
 
「ひらく」という構えや仕組みは、
ほんとだいじだ。
 
 
その視点から眺めると、学級制度は根本から考え直してよい制度だ。
少なくとも「ひらく」を意識することで変わることがある。
小さな穴をたくさん外に向かって開けよう。
 
 
自分のありかたにも「ひらく」と「とじる」がある。
人の評価が気になると「とじる」。
とじていれば、評価されなくて済むからだ。
評価されたい部分だけを「ひらく」。
結果、成長が止まりかねない。
 
 
評価が気にならない人なんてあんまりいないだろうが、
評価よりも、自身の成長に関心があるひとは「ひらく」。
他者からのフィードバックが自身の成長につながると知っているからだ。
その喜びを実感しているとひらけるんだよな。
もしかしたらひらいていることで痛みを感じることがあるかもしれない。
それでも「ひらく」構えを持ち続けられる人は、なにがそうさせているんだろう。
 
 
成長>評価か、
成長<評価か。
 
 
国際バカロレアでは、目指す「学習者像」として以下を設定している。
 
心を開く人=open mind って学習のための態度なんだよな。
 
ひらこう、オレ。