いわせんの仕事部屋

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どんなクラスがいいクラスなのか?

この4月から、大学に来て、学級経営の授業を担当していますが、

「学級ってなんだろう」

「どんな学級がよい学級と言えるのだろう」

 という問いは、常に持ち続け、何度も何度も自分に問い直しています。

以前に、あるメルマガで書いた記事を、

ちょっと長いけれど引用してみます。

今はまた、ちょっとずつ変わってきている感じがします。

 

《どんなクラスがいいクラスなのか?》

■「どんなクラスがいいクラス?」
ボクの中でずーっとある問いです。
ボクは子どもの頃、いわゆる「落ち着かない子」でした。座っているのが辛い子。先生も親も悩んだことでしょう。そんなボクでも居心地のいいクラスってどんな感じだろう。ボクの3人の子どもたちが幸せに暮らせるクラスって?もしボクが今のまま子どもに戻って小学校に通うとしたら、どんなクラスに通いたいだろう。そんなことを問い続けながら、日々公立小学校で子どもたちと試行錯誤しています。
 
今回はボクが今のところ暫定的に考えるいいクラスとは?を、がんばって言葉にしてみます。
実はボクは若い頃クラスの一体感を大切にやっていました。集まったメンバーで力を合わせていこう!運動会も、合唱コンクールも優勝目指してがんばろう!そうすればクラスのチームワークは高まってクラスはチームになっていく。パフォーマンスが上がっていく。単純にそんなふうに考えていました。「夕日に向かってエイエイオー!」です。いいクラスが目的、になっていたのです。
 
でも。そこに感じていたちょっとした違和感。
それは、凝集性に関する違和感です。
クラスがグッと凝集していけばいくほど「自分たちのクラスはすごい!」となっていく。それが徐々に排他性を生んでしまう。「自分のクラスに比べて他は・・」のような優位性を感じてしまう・・・そんなことをじんわりと感じたのです。もちろん多様であることも意識していたつもりなので、その凝集具合が極度になっていく、ということはなかったはずですが・・
 
数年前に、以前に取材してくださった新聞記者の方から、クラスの様子に、こんなフィードバックをくださいました。
 
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・先生が自分の発言の影響力を意識
・先生と生徒の絶妙な距離感
・多様性を認めつつ共生する主張はするが、勝つのが大事ではない
・一人の力の限界を知っている
・友だちに助けを求められる軽み
・集団と個人の満足度
・「クラスがあたたかくて、静かな自信に満ちている。気持ちよく他者を受け入れてくれる。なげやりな子。体が外に対して閉じていない。突出したリーダーがいるようにはあまり感じられないけれど、それぞれに得意分野を持っているのを理解している、という印象でした。」
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この言葉に心底ホッとしましたが、でもボクは学級経営の中に「凝集性」を利用していた、ことは疑えません。
 
またある方には、こんな問いを投げかけられました。
「クラスはチームなのか?」。
 
ボクはこのことを一度も疑ったことがありませんでした。どうしてだろう?
チームビルディングを学んだり、ビジネス書や組織開発、リーダー論の本を読んで、そこでの学びを援用しようとしたのもあります。そしてそれは割と現場で「しっくりといったりする」んです。その当時、そのように学級経営を見る人が現場には少なかったので、「いい気」になっていたところも正直あります。
 
しかし。
やはりクラスの凝集性が起こす「排他性」の芽が気になっていました。
それはややもすると集団の中の「同調圧力」にもなりかねません。自分たちはすごい、という心持ちもやはり気になります。
  
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■ボクはどんなクラスにいたいか?
そこでボクはもう一度、じっくり考えて見ることにしました。クラスがチームであるかないかは、「チーム」をどう捉えるかにもよります。そこで問いをこんな風に変換したのです。
「自分がいたいクラスってどんなクラスだろう?」
それは、ボクが暮らしたい地域やコミュニティってどんな場所だろう、と置き換えることもできます。子どもたちにとってクラスは間違いなく自分が所属する(せざるを得ない)コミュニティだからです。
教室を、これからボクらが将来目指したいコミュニティのイメージとして考えていきたい、そう思いました。
 
昨年の9月、ボクはこんなクラスにしたい、と目標を立てていました。
 
==============================================
・ゆるやかで流動的な人間関係
・複数のネットワークに所属できること
・自分への信頼。自分の可能性への信頼。人間関係への信頼
・凝集性に頼らない。緊密さは排他性へとつながる。
・ああ、こういうものの見方、考え方があるのか。自分と同じような考えの人ばかりじゃないんだなあ。いろんな人がいるんだなあ。という実感。
・失敗OK。成功より成長。
・「助けて」「困ってるんだけど」、と気楽に言える。
・言ってねではなく、言える環境。
・空気圧のゆるい教室。
・自分のやりたいことがある。自分らしくいられる。
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簡単に言えば適度な一体感と適度なバラバラ感。
 
ゆるやかで流動的だ、ということがとてもとても大事。
そして、そのコミュニティの中で、一人一人が成長感を感じることができる。自分の成長に他者は力を貸してくれるし、自分も貢献できる。
それは人間関係の濃い薄いを超えて、そのコミュニティに所属する人たちがゆるやかにサポートしあえる。空気圧のゆるい教室。
そんなコミュニティなら、ボクは過ごしやすいなあ。生き心地がよさそうです。
 
元々は、ボクは一人でいるのが好きなタイプ。実は人見知りです(あまり信じてもらえませんが)。親密なチームみたいなものが割と苦手。しかしクラスではそれを求め、そして先生の権威でそれを通せてしまう。よく考えると、とってもこわいことです。
 
今。先生としてのボクは、子どもたちに、そんなコミュニティづくりをする力がある、ということを信じ、共に目指していく、というスタンスを大事にしています。とはいえ、うまくいったりいかなかったり。今までのやり方や考え方がぼろっと出てしまったり・・・まさに3歩進んで2歩下がるという状態です。
 
■子どもたちからクラスを眺めると。
ある学期。いつも書いている振り返りジャーナルで、ふとこんなことを聴いてみました。「ボクたちのクラスってまとまってるの?バラバラなの?どう思う?もしそのことで思うことあったら書いてね」
関連するところを拾ってみます。
 
★うちらのクラスって「見た目」がバラバラだけど、それは見た目。
ぜんぜんまとまっていない。
みんなが同じことしてても意味ないし、たしかに自分のしたいことをやっているとバラバラに見えるけれど、実は何かあると助け合うじゃん。
んで、今までの私がいたクラスと比べると違いがある。
みんなで同じこととしてるクラスは、何かあると知らんぷり、だったり。

今までと比べた結果そこが違うんだよね。
 
★このクラスのとくちょうは、それぞれが違う強みを持っていて、それを必要とする時、本人が「やだ!」と言わずに、自然に「いいよ」といって手伝ったり、行動するところだと思う。
 
★算数とか一見バラバラにやってるけど、わからないところを聞けたり、教えたり自由にできるし、差は少しあるかもしれないけれど、分かり度、みたいなのは、みんなまとまっているんじゃないかなあと思います。あと、クラスレク、みたいなのがないのがいい。多数決で決めたりしない。多数決すると強制的に参加しなくちゃいけないし、そしたらその人も楽しくないから、それなら一人一人が好きな遊びをすれば、クラスのみんなが楽しくなるし、その方がいいと思う。みんなが幸せになれる方法だと思います。
 
★このクラスって、まとまってて、まとまってないけど、それもいいと思います。
いろんな人がいるし、休み時間もあそびかた自由だし。
わたしはけっこう教室にいます。配りものしたり、本を読んだり、おしゃべりしたり、中にいる人のやりとをみてることもあります。それもおもしろいです。いろんな人がいるから、まとまってなくていいと思います。
問題が起きたときは、まとまって話すし、それで十分だと思います。
 
★このクラスはどちらかというとまとまってるってよりバラバラな感じ。なんでっていわれても、それは人それぞれのことがあるから。
それがわたしは好きだなあ。私はよく泣くけれど、だれかはよく笑う。
私は笑いたくてもできない人だ。そこを相談できるのはよく笑う人なんじゃない? だってそこをよく泣く人に相談したらさ、泣く人も笑えないんじゃない?それぞれがいるから、それぞれのいいことを大切にできるから、ばらばらが好き。
 
★このクラスは、楽しくって、まとまっていているとおもう。いつも楽しい雰囲気で、みんなまとまっているっていうか。みんなが問題に向き合ったりとか、全員でやれているのがいいと思う。
今までとちょっと違って、算数とかだったら5-1だったら自由にやれる。みんなでできて、かたい感じじゃない感じ。やわい感じ。声かけ合ったり、手伝ってとかいえたり。そういうところがまとまっている感じ。
 
レクとかだったら、クラスでやったら強制的な感じがする。みんなで自由なことで遊んでることで、なんていうか、休み時間って感じ。強制的じゃないから楽しい。強制的じゃないからまとまっている。強制的だと、例えば多数決とかで決めちゃったら、他のことをやりたいことはできなくなっちゃう。その人は楽しくない。一人一人が自由だと、何人かが楽しいクラスより、一人一人が楽しい方がまとまっている。
サッカーとかだって、あんまり去年とか女子やってなかった。今年は女子たくさんやってたりするから、楽しくってやってる。不思議。選べる方がまとまるのかな。問題があったらみんなで話し合って解決できるところ、もいいかな。
2学期は、1学期より問題が多かった気がするけど、その分、全部を解決しているって言える。解決しているからこそ次に進める。みんなで解決して次に進んでる感じがする。先生に言われるよりも、自分たちでやった方が本音が言いやすい気がして、それをやればやるほど、仲もよくなる。本音とか言いやすくなる。食い違いとかあるから大変なこともあるけれど、解決できたときには、次にいける感じがする。
 
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         *  *  *
 
もちろん、担任であるボクの存在は強いから、そこに影響を受けていることも大きいと思いますし、その影響力には敏感でいたい。影響があるということを自覚しつつ、大きな方向性、このクラスで大切にしたいこと、を共有したら、その運営は子どもたちに渡していかなくちゃ、なんだと思います。
そこで回り道があったり、時には逆戻りがあったとしても、それもとっても大切な大切なプロセス。そこへの覚悟、がボクらは問われていると思います。
 
クラスは結局、一人一人の成長のために、一人一人の幸せのためにある。いいクラスになることが目的ではない。そのことをボクは何度も自分に言い聞かせています。

 

うんやっぱり今は少しまた変化してきているな。

 

ボクが一番最近出した本は、以下の本。

自分のうまくいかなさや、葛藤、悩みと向き合いながら、

何とかアウトプットした本です。

上記のメルマガのような問いに、

共著者の寺中とうんうんうなりながら考えて書いた本。

苦しくも楽しいプロセスでした。

 

表紙はボクが最も尊敬するイラストレーターで友人の荻上由紀子さん。

ボクのブログのタイトルの絵も彼女が描いてくれました。

 

せんせいのつくり方 “これでいいのかな

せんせいのつくり方 “これでいいのかな"と考えはじめた“わたし"へ

  • 作者: 岩瀬直樹,寺中祥吾,プロジェクトアドベンチャージャパン(PAJ)
  • 出版社/メーカー: 旬報社
  • 発売日: 2014/09/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ぜひ、何人かで対話しながら読んでほしい本です。

学校の先生だけじゃなくて保護者の方々にも手にとっていただきたいなあ。

そして、一緒に話してみたい。心からそう思います。

 

「これでいいのかな」という自分へのまなざしは、

これからも常に持ち続けていたいなあと思います。 

 

長文失礼しました。