いわせんの仕事部屋

Mailは「naoki.iwase★gmail.com」です。(★を@に変えてください。スパム対策です)

場所を選ぶ。

オフィス近くにある2階にいく階段をのぼっていくと、その踊り場で2年生の2人が今日も作品を書いている。国語の「作家の時間」。自分の集中できる仕事場を選んで書いていいらしい。オフィスではたらくスタッフを見ながらのこの席は2人のお気に入りのようだ。
自分の場を自分で選ぶ。学校では簡単なようで難しい。
教室にいるか・いられないかの2択を迫られがちだ。
その点、風越の校舎はまるで街のよう。やりたいこと、学んでいることに応じて、流動的に自分の居場所を変えていく。
理科室で実験をしていたと思ったら、ライブラリーに本を探しにいく。ちょっと理科室が狭いなと思ったら、「創造の広場」という共有スペースに移動することもできるし、図工室に材料を取りに行くこともある。
以前、見学に来たある研究者が「ここにいると、次どこ行こう、とまるで街を歩いているような気持ちになる。持ってきた上履きが壊れた時に、『ラボに行ってなおそう』と自然に考えていて、そんな自分の思考にびっくりした」とおおよそこんなことを話していた。
自分の「〜したい」から、行き先、居場所を選んでいく。
自分をつくっていくプロセスで、実はかなり大切なことなんじゃないか。
教育学の世界では、「自分で選ぶこと」が学びの自律性や内発的動機づけを高めるとされている。どこで学ぶかを自分で決めることは、小さなようでいて、大きな自己決定の経験でもある。子どもたちが「ここが落ち着く」「ここなら集中できる」と自ら場を選ぶことは、自分の感覚に耳をすませ、自分の学び方をつむいでいく過程でもある。環境を選ぶ自由は、学びへの責任と結びつき、学習者としての自己をかたちづくっていく、といったらおおげさだろうか。
この考え方は、レッジョ・エミリア・アプローチが強調する「環境は第3の教師である」という思想とも重なる(ちなみに第1の教師は子ども自身、第2の教師は保育者(教師)である)。教室や廊下、ライブラリーや階段の踊り場さえも、学びを支える場となりうる。子どもは空間との対話を通して、自分自身や世界へのまなざしを深めていく。教室という固定された枠を超え、空間の選択そのものが「教育」になっている、ともいえる。

 

2人のすがたを、よくここで見かける。2人にとっての仕事場だ。
「作品完成したら読ませてね」と声をかけて場を離れた。f:id:iwasen:20250508202322j:image

 

こりゃ革命やな。Deep Researchからポッドキャストへ〜

GoogleのNotebookLMがバージョンアップしました。

「音声概要」がすごい。

blog.google

アップロードしたソース(資料)を魅力的なポッドキャストのような会話形式に変えてくれる機能で、どんなソースからもとても自然な2人の会話にしてくれるんですよね。

これ、聞くとびっくりします。
5分少々でどんな話題も、気楽に聞けるポッドキャストになるわけです。

これを生かした情報インプットの方法を紹介します。

これはすごいです。

 

まずはDeep Researchで調べてもらう


たとえば

「エリオット・W・アイズナーのカリキュラム論について知りたい」(マニアック)と思ったとします。「〜について知りたい」はなんでもOK。


これをまずGoogleのDeep Researchにかけます。

「米国のカリキュラム研究者 E. W. アイズナーについて詳しく知りたい。特にカリキュラム論。」

こんな雑な感じでも、しっかりとしたリサーチ計画を立ててくれます。

この計画はもちろん修正できるので、自分のお好みで修正してね。

それでできたリサーチ計画はこちら。

E. W. アイズナー研究
ウェブサイトをリサーチ
米国のカリキュラム研究者 E. W. アイズナーについて詳しく知りたい。特にカリキュラム論。岡村亮佑氏の論文も参照する。
(1) エリオット・W・アイズナー(Elliot W. Eisner)の基本的な経歴(生没年、所属大学、専門分野)を調査する。
(2) アイズナーのカリキュラム論における中心的な概念(例:教育的コノサーシップと教育批評、表現目標、ヌル・カリキュラム、潜在的カリキュラムなど)を特定し、それぞれの意味を解説する。
(3) アイズナーのカリキュラム論に関する主要な著作(例:「教育的想像力」、「認識とカリキュラム」)を特定し、その概要や主張を把握する。
(4) アイズナーの理論が、米国内外(特に日本の教育界)のカリキュラム開発、教育実践、研究に与えた影響や評価を調査する。
(5) アイズナーのカリキュラム論に対する批判や、他の主要なカリキュラム研究者(例:タイラー、シュワブ、ピナー)の理論との比較を通じて、その独自性や位置づけを明らかにする。
(6) アイズナーの理論が現代の教育課題や実践において持つ意義や関連性を探る。
(7) 日本語で書かれたアイズナーに関する学術論文、書籍、解説記事などを検索し、日本における受容や解釈の状況を調査する。特に、岡村亮佑氏によるアイズナー研究に関する論文を参照する。
(8) 上記で得られた情報を統合し、E. W. アイズナーとそのカリキュラム論について、主要な概念、影響、現代的意義などを包括的にまとめる。
結果を分析
 
レポートを作成

 

7がぼくが追加で加筆した計画です。

あとはほおっておけば数分でドキュメントでアウトプットしてくれます。

なんと27000字。

おお。
これだけで十分、最初の情報収集としては「助かります!」なのですが、読むのも大変ーっていうのもある。最近老眼がひどいし。老眼って、読む意欲を減退させるんだよね。そして割と読みにくい。切り貼りの面もあるからね。
 

次はNotebooLMだ


んで。NotebooLMの「音声概要」の出番のわけです。
まず、このアウトプットを,LMにエイっと投げ込みます。無料です。無料なんです。

https://notebooklm.google.com/

ソースをアップロード、のところにPDFをエイっとドラッグ&ドロップ。Googleドキュメントならそのまま入れられます。
そうするとすぐに、こんなふうになります。


あとは「入力を開始します」のところにあれこれ質問すると、取り込んだソースをもとにAIが答えてくれます。
「アイズナーって結局何がすごいの?中学生にもわかるように教えて。」みたいな幼稚な質問にも、 

アイズナー先生(エリオット・W・アイズナー)は、20世紀後半から21世紀初めにかけて活躍した、アメリカの教育の専門家です。特に、学校で何を学ぶか(カリキュラム)や、学んだことをどう評価するかについて、すごく大切な考え方を示しました。彼はもともと美術の先生でもあったので、その芸術的な考え方を教育全体に応用したのが特徴です。
アイズナー先生の「すごさ」をいくつか挙げてみますね。
1.教育は芸術だ」と考えたこと
◦当時の教育は、工場で同じものを作るように、みんなに同じことを同じやり方で教えて、テストで測る、という考え方が強かったです。アイズナー先生は、これに反対しました。
◦先生は、教育はもっと人間らしく、複雑で、クリエイティブなものだと考えました。まるで芸術作品を作るように、あるいは芸術作品を鑑賞するように、先生も生徒も、教育の中で独自のものを生み出し、その質を深く感じ取ることが大切だと言いました。
2.「テストでは測れない大切なこと」に注目したこと
標準テストのような点数だけでは、生徒の学びの全ては分かりません。絵を描いたり、音楽を作ったり、深く考えたりする力は、簡単に点数にできないですよね。
◦アイズナー先生は、そういうテストでは見えにくい、学びの「質」をどう見るか(教育的コノサーシップ=鑑識眼)、そして、それをどう言葉で分かりやすく伝えるか(教育批評)という方法を提案しました。これは、まるで美術評論家が作品の良さを解説するようなものです。先生や教育に関わる人が、生徒の表現や学びをもっと深く理解するための方法を示したんです。
3.学校が教えているけど気づきにくいこと」と「学校が教えていないけど大切なこと」を明らかにしたこと
◦学校では、授業で習うこと(明示的カリキュラム)の他に、時間割のきまり、先生との関係、テストで順位がつくことなど、学校の仕組みを通して自然に学んでしまうことがあります。これを潜在的カリキュラム(隠れたカリキュラム)と言います。
◦さらに、学校が「あえて」教えていないこと、あるいは「うっかり」教えていないことも、生徒に影響を与えていると考えました。これをヌル・カリキュラムと言います。例えば、ある国の歴史だけを詳しく教えて、別の国の歴史は全く教えないとしたら、生徒は「こっちの国の方が重要なんだな」と感じるかもしれません。アイズナー先生は、学校が何を教えないかも、何を教えるかと同じくらい重要だと言ったんです。学校全体がどう生徒に影響しているか(学校教育の生態学)という視点を広げました。
4.「考える方法は一つじゃない」と主張したこと
◦学校では、言葉で説明したり、計算したりすることが得意な人が評価されがちですよね。アイズナー先生は、人間には言葉や数字だけでなく、目で見て感じたり、音を聞いて理解したり、体で表現したり、絵を描いたり、様々な方法で考え、世界を理解する力があると言いました(認知的多元主義)。
◦そして、それぞれの考え方や表現の仕方を大切にすること(多様な表象形式)が必要だと言いました。特に芸術は、言葉や数字だけでは表せない、別の方法で深く考える力を育ててくれると強く主張しました。
5.「テストのための勉強」ではなく「深い学び」を目指す目標を提案したこと
◦テストで測れるように、細かく「〇〇ができるようになる」という目標を決める(行動目標)だけでなく、もっと探求したり、実験したり、予期しない面白い発見をしたりするような、自由な学びを目指す目標(表現目標)も大切だと言いました。
◦表現目標は、結果が完全に決まっているわけではなく、活動そのものや、そこから生まれる多様でユニークな成果に価値を置きます。これは、みんなが同じ答えを出すことよりも、一人ひとりが自分なりの方法で考え、表現することを大切にする考え方です。
まとめると、アイズナー先生は、「教育は単なる知識の詰め込みや、テストで測れるような単純なものではない。それはもっと豊かで、人間的で、クリエイティブな営みであり、多様な考え方や表現を大切にすることで、一人ひとりの可能性を最大限に引き出すものだ」ということを、説得力のある理論と、芸術に基づいた分かりやすい考え方で示したことがすごいのです。
先生の考えは、今でも「テストばかりでいいの?」「創造性ってどう育てるの?」「芸術教育ってなんで必要なの?」といった教育の議論で、とても大切にされています。特に最近よく聞くSTEAM教育(科学、技術、工学、芸術、数学を組み合わせた学び)で、芸術(A)がなぜ必要なのかという理由付けとしても、先生の考え方が使われています。
だから、アイズナー先生は、教育を「もっと良くしたい」「もっと面白くしたい」と考える世界中の多くの人たちに、大きな影響を与え続けている偉大な教育思想家だと言えるでしょう。
ね、便利でしょ。
こんな感じで応えてくれます。それぞれの関心に応じて、壁打ち相手としてどんどん質問していくと応えてくれる。これで初期のインプットはOK。あとは必要に応じて著作を読んだり、論文を読んだり。

 

さて、ここで「音声概要」の出番だ

 

ここからがすごい。LMの一番右のタブ「studio」をクリックすると、こんな青いボタンが出る。それをエイっと押して待つこと5分。

 

できた!ポッドキャストができてる!


 聞いてみてください。驚きますよ。

https://notebooklm.google.com/notebook/173bd56e-649c-4678-8caa-6b71beb8c01a/audio

 

ところどころ日本語がおかしいところがあるけれど、大筋問題なし。

やりとりがスムーズ過ぎて怖い。
これを通勤中に聞けば、初期の情報収集としてはオッケー牧場。

リサーチからポッドキャストまで10分くらいでできちゃう。聞くのを入れて20分あれば最初の情報収集終了。毎朝の通勤が変わりますよ。


全く知らなかったことでも、これまでの5分の1ぐらいの時間で、最初の情報収集がでができてしまいます。びっくり。

いやあ恐ろしい時代です。1年後には、もうこのやり方は古くなっているんだろうなあ。ともあれおすすめ。

というわけで、アイズナーに俄然興味がでてきました。
論文をいくつか読んでみよう。

 

第2期ファシトレスタート。

 

2年前、軽井沢風越学園のマイプロジェクトで生まれた「ファシトレ(ファシリテーション・トレーニング)」という活動がある。きっかけは、9年生の「ホームをよりよくしたい!」というひとことだった。

 

みんなが安心していられるホームをつくりたい。そのためのお稽古をしたい。

 

そんな願いから、ファシリテーションを学ぶ時間がはじまった。

 

昨年度は、アウトプットデイなど特別な機会に限定して実施されていたが、その中でも子どもたちは県内の対話イベントを企画し、大人と共に“場づくり”の実践に踏み出していった。

 

▼昨年の活動

kazakoshi.ed.jp

▼その後の実践(信越放送ニュース)

newsdig.tbs.co.jp


「やってみたい!」の声から再始動へ

今年度、ある団体から「大人と子どもが一緒に話せる場をつくりたい」という相談が寄せられた。9年生のSたちにその話をすると、「やってみたい!」「またやろうよ!」と即答。そこから自然とファシトレが再び動き出した。

 

3人の中学生が全体に向けて「やりたい人、来てみてね!」と声をかけたところ、24人が集まった。中にはこの機会をずっと待っていた人もいたようだ。これまでの校内の「ファシリテーター」への憧れもあったようだ。

 

今年度のファシトレは、現在3回実施、週1回のペースで進行中。

伴走は、スタッフのテツとゴリの2人。

 


 

先日実施された第3回ファシトレでは、「きき手になること」をテーマに活動を行った。活動後の振り返りジャーナルには、印象深い言葉がいくつも並んでいた。

 

・たとえば、話し手がどんなにまともで、ちゃんと話していても、聞き手がだれも聞こうとしなかったら本当によい場にならないし、何も始まらないなと感じた。

 

・ファシトレで、みんなの前で何か言って投げ出されたりしたらこわいなって気持ちがいつもあって、リラックスは完全にはできない。

 

・最後の方、ゴリも言ってたけれど、ちょっと意識しない時間ができると、聞かなくなってるなって。ホームとか今振り返ると思う。いい聞き手になれるようにずっと意識しないとだよね。ホームとかから頑張る!

 

・個人的に、グループになってあかりが進めてくれたのがめっちゃ嬉しかった!まずAさん自ら「じゃあ私が」と言ってくれて、おおー!ってなって、やることが終わって「どうすればいい?」って聞いたのもすごっ!ってなって「もう上級者やん」って心の中でつっこんでた。

 

・自分がゴリさん目線になってみて。ていきょうするってもっと難しいことだな…って感じた。場のつくり手ってほんとうに大変なこと。ていきょうされる側だから全然感じてなかったけど。今日改めて実感した。

 

自分がいい聞き手になると、まわりの環境が変わったり、話し合いの場もファシリテーターが進めやすい環境になるかなと思う。いい聞き手ができることで、いいファシリが生まれて、いい場が生まれるなとって思う。

 

・ゴリさんが、「この後どうしようか迷っている」と問いかけしてて、ああいう問いかけがあることで参加意識が高まる。私もプロジェクトを進めていくときに活用したい。

 

 

どの言葉にも、自分の内側を見つめるまなざしと、他者との関係性に対する感受がにじんでいる。

子どもたちの言葉を丁寧に読み解いていくと、いくつかの視点で彼らの学びの深まりが見えてくる。「投げ出されたら怖い」という言葉は、参加者、きき手の存在の大切さへの気づきへとつながる。「ていきょうするってむずかしい」という“される側”から“する側”への視点の転換、プロセスをメタに見ることなどなど。

 

ファシトレは、スキルのトレーニングに見えて、実は「つくり手」のマインドを育んでいる、と思う。


今年度は、保護者や地域の大人たちとも一緒に「場」をつくる取り組みにも広がるといいなという願いもある。子どもが大人とフラットに対話を交わすことは、その関係性を問い直す営みにもなっていく。

 

リスナーシップ。

きき手が場をつくっていく。

その実感の積み重ねが、これからどんな学びの情景を描き出すのか。

というわけで第2期ファシトレスタートです。

✴︎校内コミュニケーションシステム「Typhoon 」に時々書いている「毎日うろうろ」より修正して転載。こんな感じのことを日々綴っています。

学級づくりの研修

長野県松本市の研修センターで研修をするようになって3年目。リーディングスクールアドバイザーなるものを拝命している。
昨年度の「学級づくり研修」(90分)が高評価だったようで今年度も依頼を受けた。

意味と価値のある時間をつくりたかったので「少なくとも3時間はほしい」と交渉し、無事3時間いただけることに
(春休みの学級づくりワークショップは6時間だった。笑)。参加者は60人。「この指とまれの希望者研修に!といい続けてるんだけど、どうしても「学校全員で参加」というイヤイヤの人も来てしまうがそれもまあ仕方なしか。全校である意味は分かるので。

さて、ぼくにとって,どれくらいの時間かというのはかなり重要。
というのも、最近の研修デザインを,たっぷりとした学習者体験をベースに,それを実践者として振り返ったり、理論と繋いだりという「立場の切り替えデザイン」(岩瀬命名)(Learner–Practitioner Cycling)」
にしているからだ。

例えば、研修スタートをくじ引きの座席のスクールモード(一斉講義用の前向きの座席配置)にして、居心地の悪さを味わう(学習者体験)。そのことを振り返りつつ、
その居心地の悪さとそれが解れていく過程を,実践者の帽子に被り直して分析したり,理論と繋いだりする。

そうすることで、教室の「場のつくり方」や「関係性の構築」の理論が、他者事ではなく自らの体験として腑に落ちやすい。

例えばこのように、実践者と学習者を行ったり来たりしながら実感知を伴う学びの機会をつくっているので、どうしても通常の2倍くらい時間が欲しいわけだ。

そのほかにも、
・マイクロ・インタラクションの繰り返し(Chunked Interaction)
・足場かけを構成的に開示的に行うプロセス重視の学び合い(Scaffolded Collaboration)
・体験をベースにした理論ー実践のサンドイッチ(Theory–Practice Integration)

など、自分なりの研修デザイン論を整理しながら行っている。
特に,若い先生には「構成することを恐れない」「すぐれた構成があることで結果として子どもが自由になっていく」を実感してほしいな。

だいぶ手応えのある研修がつくれるようになってきたなと思う。明日は愛媛松山。松本で行った研修の課題を改善してさらにブラッシュアップしたい。明日は4時間あるので丁寧に進められるな。
学び合うコミュニティができていくプロセスを実感できるまでいきたいが果たしてどうなるか。

夏の後半にどこかでまた実践したい。
冬には、2日間という依頼が神奈川であり,それはとても嬉しいことだ。松本研修

長野県松本市の研修センターで研修をするようになって3年目。リーディングスクールアドバイザーなるものを拝命している。

昨年度の「学級づくり研修」(90分)が高評価だったようで、今年度も依頼を受けた。

意味と価値のある時間をつくりたかったので、「少なくとも3時間はほしい」と交渉し、無事3時間いただけることに。

(春休みの学級づくりワークショップは6時間だった。笑)。参加者は60人。「この指とまれの希望者研修に!といい続けてるんだけど、どうしても「学校全員で参加」というイヤイヤの人も来てしまうが、それもまあ仕方なしか。全校である意味は分かるので。

さて、ぼくにとって、どれくらいの時間かというのはかなり重要。

というのも、最近の研修デザインを、たっぷりとした学習者体験をベースに、それを実践者として振り返ったり、理論と繋いだりという「立場の切り替えデザイン:岩瀬命名(Learner–Practitioner Cycling)」

にしているからだ。

例えば、研修スタートをくじ引きの座席のスクールモード(一斉講義用の前向きの座席配置)にして、居心地の悪さを味わう(学習者体験)。そのことを振り返りつつ、

その居心地の悪さとそれが解れていく過程を、実践者の帽子に被り直して分析したり、理論と繋いだりする。

そうすることで、教室の「場のつくり方」や「関係性の構築」の理論が、他者事ではなく自らの体験として腑に落ちやすい。

例えば、このように、たっぷりとした体験をベースに、実践者と学習者を行ったり来たりしながら実感知を伴う学びの機会をつくっているので、どうしても通常の2倍くらい時間が欲しいわけだ。

そのほかにも、

・マイクロ・インタラクションの繰り返し(Chunked Interaction)

・足場かけを構成的に開示的に行うプロセス重視の学び合い(Scaffolded Collaboration)

・体験をベースにした理論ー実践のサンドイッチ(Theory–Practice Integration)

など、自分なりの研修デザイン論を整理しながら行っている。

特に、若い先生には「構成することを恐れない」「すぐれた構成があることで結果として子どもが自由になっていく」を実感してほしいな。

だいぶ手応えのある研修がつくれるようになってきたなと思う。

 

 

明日は愛媛松山。松本で行った研修の課題を改善してさらにブラッシュアップしたい。明日は4時間あるので丁寧に進められるな。

学び合うコミュニティができていくプロセスを実感できるまでいきたいが、果たしてどうなるか。

夏の後半にどこかでまた実践したい。

冬には、2日間という依頼が神奈川であり、それはとても嬉しいことだ。

校長になって6年目。学校も安定してきたので,ようやく本当にようやく外に出てゆこうと思う。

f:id:iwasen:20250426135857j:image

というわけで愛媛に行ってきます。

軽井沢風越学園のことも伝えてきます。

 

 

 

 

こどもと本。

【子どもと本とライブラリー】

小学生時代、北海道の札幌市で暮らしていた。決して裕福ではなかった(真っ直ぐ言えば貧乏だった)。本もなかなか買ってもらえなかった。

母は、毎月子ども3人を(ぼくには2歳離れた妹、4歳離れた弟がいる)をバスに乗せて西区の図書館に連れて行った。

読もうが読むまいが3冊借りて帰ってくる。1ヶ月経つとまたその本を持ってバスに乗り、本を返してまた新しい本を借りてくる。全く読まずに1ヶ月後に返すこともあったし、借りてきた本は夜寝る前に読んでくれることもあった。

『どろぼうがっこう』は母に読んでもらいたくて、何度も借りては夜を楽しみに待った。
読書にハマるきっかけとなった青葉学園物語シリーズ『さよならは半分だけ』に出会ったのも西区の図書館だった。表紙の絵に惹かれ、出てくる子どもたちのやんちゃぶりに自分を重ね、物語に出てくる「下向き会社」を真似て(屑鉄を拾い集めて換金していた)、放課後にコーラの空き瓶を拾い集めてそれを売って、駄菓子をかったり。やんちゃな子ども時代。

思いがけないたくさんの本に毎月出会うこの習慣が、ぼくと図書館、そして本とつないだ。
自分がどんな本が好きかわからず、どんな本を楽しみめるのかもわからない中、おもしろいと思える本に出会うための豊かな仕掛け。もう他界している母だが、どんな想いで何年も続けてくれたのだろうか。

図書館にいくのが当たり前で、知らない本に出会い続けるこの原体験が、高校時代に県立図書館に篭って受験勉強したり、大学生になって図書館に入り浸ったりと、その後の人生を支えてくれたと思う。

学校図書館(≒ライブラリー)は、図書館に出会う最初の入り口だ。家庭によって置いてある本も違うので、自分の知らない本との最初の出会いの場所でもある。

ライブラリーとの出会い(「図書館」という場との出会い、本との出会い)。

その経験の豊かさがその後の人生において、何かを知りたい、学びたい、何かに出会いたい、というときに自然に、近くの公共図書館に足が向く、「図書館のある暮らし」につながるのではないかな。

そう考えると学校のライブラリーはとてもとても大切な場所。

 

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そんなこんなで軽井沢風越学園ではライブラリーが真ん中あります。

みなさんはどんなふうに本と出会ってきましたか?どんな本が好きでしたか?

たくさんの大人に出会う。

【いろんな大人に出会う】

オフィスでは、3年生のAくんが、副校長のスタッフと談笑している。
「風越の敷地って何坪?」

「えー何坪だろう?」
マイプロジェクトの「ハチプロジェクト」の時以来の中。オフィスで彼に相談することが増えたことがきっかけで、いい関係になったらしい。
写真のようなシーンをよくみかけ、なんだかほほえましい。

 

 

学級担任制だと毎日1人の大人とだけ出会うが、風越ではホーム担当・ラーニンググループ担当と実に多くのスタッフと関わりをもつ。それだけじゃなくて、マイプロジェクト、休み時間、いろんなスタッフと自由につながっていける。


相性だってあるだろう。いろんな大人に出会ってみる。つながってみる。時には距離をとってみる。そのゆるやかさと網の目の広がりが、こどもたちの育ちや居心地につながっていくんじゃないかな。いろんな大人に出会うことは、いろんな世界に出会うことでもある。


通りかかった中学生に声かけてみたら、以下のように話していた。


「前は担任の人としか喋らなかったから、大人との関わりがなかった。だから生徒のなかだけでしゃべってた。ここは、大人もいろんな人がいて、いろんな人と話したりするから刺激を受けるなー。こんな風にゴリさんともね。」


学校づくりの構想をスタートした頃から、子どもとスタッフの1対1の関係に閉じないこと、複数のコミュニティに所属できることをを大切に考えていたので、嬉しい言葉。

それにしてもAくんとそのスタッフはすっかり風越でのパートナー。もはや役職や役割は関係なく、人として対等。

 

学びの伴走や雑談や、きっと困ったことがあったら相談するだろうな。公式(?)のパートナーはいるけれど、こうやって自然な信頼関係が、あちこちで生まれるといいなと思います。
保護者とこどももどんどんつながっていくといいなとも思います。

そのきっかけにもなるかな、と「うろうろ風越」(終日授業参観)、今年もやろうかなと思っています!

うろうろ風越はこちら。

note.com

 

✴︎校内コミュニケーションシステム「Typhoon 」に時々書いている「毎日うろうろ」より修正して転載。こんな感じのことを日々綴っています。

新年度こそ振り返りジャーナルをはじめよう

新年度、一人ひとりの子どもとつながることがまず第一歩目。

学級という単位は先生にとっての単位であって、新年度の子どもたちにとっては、あくまで「せんせい」と「わたし」の関係がまずあります。

とはいえ、1日の時間は限られています。気づくと「あの子と一言も交わさなかった」みたいなことも起こりがち。

もう少し言えば、一人一人の子が「先生は私の声を聞こうとしているか」「先生は私に関心があるのか」をじっと見ています。

 

そんなときに助けになるのが「振り返りジャーナル」。いかに簡単にその方法を説明します。関心をもったらぜひ書籍を手に取ってみてください。増補改訂版は中学の例も載っています。

 

 

 

はじめに

ある年の5年生。グループ間で競争するアクティビティを行った後に書いた、振り返りジャーナルを紹介します。テーマは「リーダーって何だろう?」です。


リーダーシップってしきるんじゃなく、話すことでもなく、ちゃんとみんなの意見を公平に聞いてまとめる役、だと思います。今日一番高く積んだチームは、いつも意見をよく聞いている人たち(あんまり話をしない人たち)がけっこういたから、あのチームはちゃんとみんなの意見を聞いていて、みんな公平だったんだと思う。自分にはどんなリーダーシップがあるだろう。 いつも○○ちゃんたちはこんな気持ちだったんだ…ってことがわかった。


 リーダーシップって「引っぱること」って思いがち。でも自身の体験を振り返る中で「きくことのリーダーシップ」に気づき始めているのがわかります。
振り返りジャーナル(以下「ジャーナル」)は、その名の通り、毎日の振り返りを習慣化するノートです。
そのままでは忘れてしまう毎日の出来事を1日の最後に丁寧に振り返り、自分の成長を記録します。 行事に限らず、授業でできるようになったことや友だちとのトラブルで感じたこと、日々の学校生活すべてが子ども達の成長の種です。しかし体験したことはあっという間に忘れてしまいます。これらをジャーナルに記録すると、後から読み返したときに自分や他者、コミュニティの成長を自分自身でたどることができるのです。先のジャーナルも振り返って言語化したからこそ、その人の「学び」として残っているのですよね。

●なぜ書き残すの?
 ジャーナルを書く間、子どもたちはシーンとした集中した空気を作ります。カリカリカリ…鉛筆の音だけが静かに響く教室で、子どもたちは自分との対話を深めながら振り返りを進めます。
 その日の思考や心の動きを書き出すプロセスを通じて、子どもたちは自分の体験を一旦、整理して、自分の中から外に出します。書くことで「文章化された自分の体験」を、まるで読者のような気分で、客観的に眺めることが可能になるのです。
 ペラペラとジャーナルをめくって「1週間前の自分」と比べてみると「あのときはこう考えていたけれど、今は違うな」といった具合に、自分の思考や行動の変容、そこにある成長を知ることができます。メタに眺めるからこそ、次に生かせることが整理され、振り返りのサイクルが生まれるのです。1年が終わって改めてジャーナルを読むと、自分や友達、クラスの成長がはっきりとわかります。自分で成長を確かめる時間はなんとも幸せな時間です。

新学習指導要領でも「自らの学習活動を振り返って次の学びにつなげるという深い学習のプロセス」 が重視されていますが、そこでも振り返りジャーナルで育まれる力が役立つはずです。

 

●「振り返りジャーナル」を始めよう!
具体的な導入方法を紹介します。誌面の都合で概略の紹介ですので、詳しくは拙著、『「振り返りジャーナル」で子どもとつながるクラス運営』(ナツメ社)をご覧ください。始めるのに必要なのは、クラスの人数分のノートだけです。B5判の大学ノートを横半分に切って使います。

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低学年も同じノートでスタートし、最初は、罫線2行分で1文字分を目安にします。慣れてくると小学1〜2年生も横罫1行にびっしりと書きます。毎日以下の手順で進めます。
①基本は帰りの会に取り組みます。
②黒板に今日のテーマを書きます。
③子ども達は振り返りジャーナルを書きます。
④書き終わったら、前に座っている先生に提出します。
⑤先生はサその場でサッと読んで、簡単なフィードバックをします。

以下、実践で大切にしたいことを整理していきます。

・毎日、帰りの会で5〜10分!
 振り返りジャーナルを書く時間は5〜10分が基本です。B5ノート半ページの分量は、1日分を5分で振り返って書くのにちょうどいいサイズサイズです。最初の2週間は、書くことに慣れるためにも余裕を見て10−15分とりましょう。1日に1ページ書ききるのを目標にします。

・毎日、書くことを徹底しよう 
 何よりも、まず大切にしたいのは「毎日書く」ことです。
 振り返りジャーナルの目的は、「振り返り」の習慣化です。そのためには当たり前すが「続ける」のが一番です。優先順位をあげて時間確保に努めます。続けているうちに、子どもたちが振り返り慣れてきます。とにかく続けましょう。

・ 最初はポジティブなテーマで
 残念な「反省日記」にしないことが大切。最初はポジティブなテーマからスタートしましょう。振り返ることが楽しい!という体験を積み重ねます。ポジティブなコミュニケーションが一定量貯まると、うまくいかなかったこと、辛かったこと等の深い振り返りもできるようになります。「今日の○○大成功!その時どんな気持ちだった?」「私の好きなこと、実は○○なんです」「こんなクラスにしたい!」「今日の算数で私ががんばったことを紹介します」「この土日どんなことが楽しかった?」等々。他のテーマ例は拙著を参照してくださいね。
 
・フィードバックは40人で20分!
忙しい業務の中で、フィードバックを書く時間の確保は難しいものです。ぼくらは他にも教材研究や会議、事務仕事など山のように仕事を抱えています。 無理なく、毎日、続けるために、フィードバックにかける時間は40人を20分と決めてチャレンジしましょう。

・共感のコメントを2カ所程度。
 ジャーナルにフィードバックを書くときは、子どもたちの書いた文章に赤ペンでアンダーラインを引き、コメントがある場合はその横などに一言書き込みます。コメントの内容は、先生の意見ではなく、相づちのようなもの。先生が「うんうん、なるほどなるほど!」と、子どもの話を聞いている姿を想像すると、イメージしやすいでしょう。先生が子どもの毎日を励まし、応援していると子どもが感じるコメントにしましょう。よく使う言葉は、「うんうん」「ナルホド」「OK!OK!」「ありがとう」「スゴイ!」「感動!」「大丈夫」「そっかあ」「一緒に考えてこう」「了解」「へえ〜」「あらら」「そっかあ」「は〜い!」「応援!」などです。

 

・長く書きたくなる時は直接の対話で。
 とはいえ、内容によっては返事を長く書きたくなることもあります。そんな時は、次の日の直接の対話の機会につなげます。「昨日〜って書いてあったから気になってさー」「昨日のジャーナル読んだよ。いやあすごい気づきだなと思って〜」。振り返りジャーナルの中ですべてを解決しようとしないようにします。日々の子どもとの関係性を深めていくことに生かしていきます。


●先生を成長させてくれる
学校教員時代、一番の楽しみは、放課後にコーヒーを飲みながらジャーナルを読んでコメントを書く時間でした。一人ひとりの成長に思いを馳せ、自分自身の実践も振り返る時間。この時間が、先生としてのぼくを成長させてくれました。拙稿を読み、やってみよう!と思ってくださった方々にとって、振り返りジャーナルが子どもの成長、そしてぼくら教員の成長に寄り添ってくれるものになったら嬉しい限りです。

 

振り返りジャーナルについては以下の記事も参考にして下さい。

 

iwasen.hatenablog.com

iwasen.hatenablog.com

iwasen.hatenablog.com

 

 

振り返りジャーナルはあくまで「ツール」です。なんのためにそれを使うのかという、先生の価値観が重要となります。なんのための振り返りジャーナルなのか。そのあたりも書籍には書いているのでぜひ読んでみてください。
新年度、子どもと信頼関係でつながるツールになりますよう。

 

では!