いわせんの仕事部屋

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早く目が覚めてしまったので、幼小のつながりのメモを整理してみる。

昨日は、準備財団が運営している認可外保育「かぜあそび」にいってきました。楽しかった−。遊び浸っている子どもたち。豊かな時間だ。

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半日だったのにヘトヘトになった。保育士ってすごい・・・・こんなところです↓

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疲れているはずのに、明け方4時半くらいに目が覚める。そして二度寝ができない(老化?・・涙)。

眠れないので、これまで書いたきたことを再編集し、明け方うつらうつらと考えたことを加筆し,一気にメモしてみました。


幼小のつながりを考えるとき、小学校側が

「いかに学校文化にスムーズに移行させるか」

という問いを立てると、たいていつまらないことになってしまいます。
「グーピタピン」とか、「筆箱の置く位置は」とか、「1の声、2の声」とかいう話になってしまうわけです。

何度か書いてきましたが、
「良質の幼児教育を継続する形で小学校教育をリデザインしたら?」
という問いを立てて考えたい。

学校文化への移行を目指してしまうと、「いかに45分間座らせるか」ということが「課題」として立ちあがってしまいます。大きな声で返事、指名されるまでしゃべらないという「スキルをいかに身につけるか」に一生懸命になってしまうのです。
子どもにとっては,ある日突然、自分が暮らす世界のルールが変わってしまう。これは子どもの育ちの問題ではなく大人の側の問題、制度の問題です。

小1プロブレムに内実は、小学校が自分たちの文化に疑いを持たず、教員の「教えやすさ」を優先させて、「学校のお作法」を教えることの優先順位を上げてしまっているからではないでしょうか?
我が家の次女は、遊ぶことを大切にする保育園を卒園し、小学校に入学したとき、
「学校ってずっと座ってるんだよ」
「手は膝の上に置かなくちゃいけないんだって」
「どんなに晴れていても、教室の中にいるんだよ」
「遊ぶ時間は20分しかないんだよ」
と不思議そうに報告してくれました。
ある日を境に、文化が180度変わる。
ある日を境に、「動き回る」から「座り続ける」に。
ある日を境に、「あそぶ」から「勉強する」に。
ギャップを感じる方が自然です。

どうすれば一貫した環境をつくれるか。
この問題は、新学習指導要領でもしっかり書かれています。画期的。

小学校学習指導要領 第1章総則
第3 教育課程の役割と編成等  4 学校段階間の接続
 ⑴幼児期の終わりまでに育ってほしい姿を踏まえた指導を工夫することにより、幼稚園教育要領に基づく幼児期の教育を通して育まれた資質・能力を踏まえて教育活動を実施し、児童が主体的に自己を発揮しながら学びに向かうことが可能になるようにすること。また低学年における教育全体において、例えば生活科において育成する自立し生活を豊かにしていくための資質・能力が、他教科等の学習においても生かされるようにするなど、教科間の関連を積極的に図り、幼児期の教育及び中学年以降の教育との円滑な接続が図られるように工夫すること。特に、小学校入学当初においては、各教科等における学習に円滑に接続されるよう、生活科を中心に、合科的・関連的な指導や、弾力的な時間割の設定など、指導の工夫や指導計画の作成を行うこと。

ちなみに上記の「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」とは、これです。

1. 健康な心と体
2. 自立心
3. 協同性
4. 道徳性・規範意識の芽生え
5. 社会生活との関わり
6. 思考力の芽生え
7. 自然との関わり・生命尊重
8. 数量・図形、文字等への関心・感覚
9. 言葉による伝え合い
10. 豊かな感性と表現

小学校特に低学年では、ゼロからのスタート、はっきり言えば赤ちゃん扱いのスタートをやめて、幼児期で身につけたこと・育まれたことを大切にしながら、その力が生かされる毎日を構想したい。

新幼稚園教育要領のポイントにも「小学校教育においては,生活科を中心としたスタートカリキュラムを学習指導要領に明確に位置付け,その中で,合科的・関連的な指導や短時間での学習などを含む授業時間や指導の工夫,環境構成等の工夫も行いながら,幼児期に総合的に育まれた資質・能力や,子供たちの成長を,各教科等の特質に応じた学びにつなげていくことが求められる。」と書かれています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shisetu/044/001/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2017/08/28/1394385_003.pdf

リザインする根拠として学習指導要領を指し示せる状況なのです。

では具体的にはどうするか?

まずは幼児期における「あそび」の重要性は改めて指摘したいところです。とはいえ、今話題の非認知能力。これを直接的に「教えよう!」というのはアプローチとしてやはり筋が悪いわけで、それは結果として育まれるもの。そのための芳醇な原体験は「遊び」の中にあります。それを保証せずして、なにが非認知能力だ、と思います。

ピーター・グレイは遊びの特徴を5つに要約しています。

1、遊びは、自己選択的で、自主的である
2、遊びは、結果よりもその過程が大事にされる活動である。
3、遊びの形や規則は、物理的に制約を受けるのではなく、参加者のアイディアとして生まれ出るものである。
4、遊びは、想像的で、文字通りにするのではなく、「本当の」ないし「真面目な」生活とはいくらか意識的に解放されたところで行われるものである。
5、遊びは、能動的で、注意を怠らず、しかもストレスのない状態で行われるものである

  

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

 

 

あそびの中で「幼児期・学童期はまずは直根を自分自身にしっかりと深く根ざすような体験の積み重ね」を大切にする。主は子ども自身です。そのためにお環境づくりが圧倒的に大切です。物理的な環境も大人の関わりも。

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これが学びにつながっていくってどういうことでしょう?
先ほどの5つの特徴の「遊び」を「学び」に置き換えてみるとこんな感じになります。

1、学びは、自己選択的で、自主的である
2、学びは、結果よりもその過程が大事にされる活動である。
3、学びの形や規則は、物理的に制約を受けるのではなく、参加者のアイディアとして生まれ出るものである。
4、学びは、想像的で、文字通りにするのではなく、「本当の」ないし「真面目な」生活とはいくらか意識的に解放されたところで行われるものである。
5、学びは、能動的で、注意を怠らず、しかもストレスのない状態で行われるものである

うん、ぼくはしっくりきます。

このような視点で幼小のつながりを考え直してみたいとぼくは思うのです。

ピンポイントには,低学年教育をいかに変えていくかになるでしょう。
幼児期に大切に育まれてきた「〜したい」からあそびに没頭する経験の積み重ねは、ひとり一人の「学びに向かう力」につながっていくでしょう。

そのためには生活科を中心としたプロジェクトとしての活動の充実が鍵だと考えています。子どもの「〜したい」からはじまるあそびをつなぎ、プロジェクトとして発展させていく。その中で結果として教科の学びも起きるでしょう。そこで起きる結果としての教科の学びは、もしかしたら現状よりもレベルが上がるのではないかとさえ予想します(ここ大事)。

 

それも事前に目標として明示されるものではない。子どもにとってはあそびと学びの境目はないのです。没頭しているうちに、結果として成長していた!と後追い的に気づくものではないでしょうか。

本城が先ほどの記事で書いていますが、

子どもが育つにつれ、僕たちは何かができるようになってほしい、こんな力をつけてほしいと望むこともあります。でもそれよりも、自分はどんなことに幸せを感じるのかを自分自身で感じとれるようになってほしい。自分自身だけでなく、一緒に生活する仲間や、まだ出会ったことのない人々、目の前にはいない同じ地球に暮らしている生き物、いろいろな生命とともに幸せになるってどういうことだろう?と考えながら、育ってほしいなと感じています。そしてその時に、その「幸せ」は、誰かと比較して幸せかどうかではなく、そして時代や社会に飲み込まれることなく、自分自身のものさしで「幸せだな」と感じられるようになってほしいと思っています。

に共感します。そのような没頭する時間の積み重ねの中で、気づいたら「なってよかった自分(アイデンティティを確立する)」になっていた、という経験を積み重ねていくのだと思います(佐伯胖先生のお話より岩瀬解釈)。

 

生活だって自分たちでつくりますよ、幼児だって低学年だって。幼稚園や保育園では番を張っているわけです、年長児は。それがある日を境に、急に「なにもできない、かわいらしい1年生」となりま。入学式の入場も6年生と手をつないで。ちょっと前まで年少さんの手を引いていたというのに。6年生から逆算した存在として「面倒を見られる」存在となるのです。昨日まで「面倒を見る」頼れる存在だったかもしれないのに。

ぼくが初めて1年生を担任したとき、やはり「なにもできないんじゃないか」と正直不安になり、友人の幼稚園の先生に相談しました。もう遙か昔ですが・・・
「あのねー、年長さんとして園で『番を張っていた』んだから、何でも自分たちでできるの。朝の会だって司会も自分たちでやるし、給食の配膳だって、ケンカの仲裁だって、下の子の世話だってやってきてるの。なんでも任せてみてよ。失敗したっていいじゃない。そこから学ぶ力だってあるんだよ」
本当にありがたい助言でした。

実際1年生はまことに頼もしい存在でした。
給食の食缶を運ぶとき、Mくんが倒してしまって廊下がカレーだらけに・・・廊下中に広がったカレーから湯気が上がっているのを見て目眩がしたぼくはつい「なんで倒したの!」と言ってしまいました。するとKちゃんが、「先生、そんなことより片付けることが先でしょ」とぼくを諭しました。本当にその通り。みんなでカレーを拭く作業は、不謹慎だけれど、なんだかお祭りのようで楽しかった。その間に給食当番の子は食缶を持って他のクラスに、
「カレーこぼしちゃったんで少し分けてくださーい」と集めて歩いてくれてました。

 子どもをどんな存在として見るかで、アプローチは変わっていきます。

「子どもは自分のつくり手である」を根っこにおきたい。

 

ここまで書いてきたことは、まっすぐ小学3年生以降につながっていきます。

ライフロングキンダーガーデン。

ライフロング・キンダーガーテン 創造的思考力を育む4つの原則

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さらには「教科の見方・考え方といわれる本質へもつながっていくはずです。ここは大人のの腕の見せ所でもありますね。がむばろう。

 

最後に、改めて「あそび」について。昨日、同僚の甲斐﨑(KAI)と話していたのですが、彼の一言。「子どもにとってはさ、本を読むことも、書くことも,算数もあそびなんだよなー。思いっきりあそんでるんだよ。あそびを狭く捉えちゃダメなんだよ」うん、同意です。ライブラリーでたっぷりあそぶ、書くことをあそぶ。あそびを限定的に捉えないことが大事だなあ。さすがKAI。

さて、二度寝しようと思ったのに目がさらにさえてしまった・・・・