いわせんの仕事部屋

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保護者と学校。

保護者を「お客さん化」してしまっているのは、実は学校。学校や授業にコミットするチャンネルをつくっていないからだ(今の多くのPTAは形骸化しているし)。

 

長男が小さい頃、ぼくは1年間育児休暇をとった。ちょうど長女が小学1年だったので、「よし!学校に関わるチャンスだ!」と張り切っていたけれど、学期に2回の読み聞かせボランティアと、お通夜のような懇談会、家庭訪問しかチャンネルがなくて愕然。
保護者から眺めてみると、難攻不落の閉じた空間だ。担任と密に連絡を取ったのは、娘の友だちとのトラブルの時だけだった。そんな時に信頼関係をつくるのは難しい。

 

関われないのなら、「預ける」しかない。お客さんマインドになるのは当たり前だ。そうなる他ない。

閉じた学校は学校の論理で動いてしまい、保護者をシャットアウトする。「口を出してほしくない」とチャンネルを閉ざし、学校独自の慣例が残り続ける。そこに違和を唱える保護者をクレーマー扱いしかねない。

実は保護者の側にも「預けてしまおう」感が多い。
コミットして当事者になるのはなかなかしんどいことだし、それならば「お客さん」である方が楽。時間を割かなくていいからだ。

文句を言っているだけの方が楽だ。Lineで学校や担任の悪口が回るなんてこともあるだろう。

実は両者の思いは一致しているので、ありたい姿になかなか向かわない。

対話を続けながら一緒に子どもの学ぶ場をつくるのは、手間がかかる。だから「預ける−預かる」関係性を維持してしまうほうが短期的に楽であり、結果、両者の本来持っている力、想いがまったく発揮されない。

 

「幸せになってほしい。そのための力を身につけてほしい。成長してほしい」。
実は保護者と教員の願いは大きな方向で一致している。場所は違えど同じ子の成長に関わっているからだ。にもかかわらず、保護者と教員が日常的にコミュニケーションをとる機会がほとんどない。お互いのことを知らないまま進んでいく学校。
両者とも断片的な話や噂、かつての評判などの少ない情報から推測するほかなくなる。
不信が不信を招く。
同じ子を見ているのに情景を共有していない。

 

まずは小さな一歩からはじめてみてはどうか。
学校からできること。

まずは、「学級でのポジティブな情報を保護者に伝えるチャンネルを複数持つ」こと。
例えば、
・写真や学級通信で様子を伝える
・ポジティブな情報を電話や手紙、連絡帳、一筆箋等で伝える
・会って話す機会を増やす。
・参観や懇談会で子どものポジティブな姿を共有したり、保護者の願いや感想を知る機会を作ったりする。
・授業参加の機会をつくる、一緒に授業を創る    等々。

目的や状況、関心に応じて方法は山ほどある。
複数持つというのがポイント。一つのチャンネルだけでは共有できない可能性もあるし、どのチャンネルが自分や保護者とマッチするかもわからない。いくつかプロトタイプを試してみるのがミソ。
この小さな一歩から、子どもや学級の様子が保護者に伝わり、一緒に成長を喜んだり、保護者と担任が子どものことで対話できるようになっていったりして、良好な関係が少しずつ築かれていくきっかけになるはず。
ちょっと関わってみようかな、という気持ちにつながるかも知れないし、関わってみたら思ったより手間ではなく楽しかった!ということもおこるかもしれない。
小さくでも動いてみることで、何か生まれる。

写真は保護者と行っていた交換ノート。
ここからいろんなことが生まれたなあ。

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今ならICT使えばカンタンにできること。

そもそもICTの得意はこういうコミュニケーション機能。

どんどんチャレンジしてみるといいと思うなあ。

 

では、保護者や地域からできることってなんだろう?

一緒にできることってなんだろう?

 

子どもたちが育つ場は、実は大人も共に育つ場。

毎日行く場所だからこそ「ああ、今日も楽しみだ−!」とまるで放課後、原っぱにあそびにとびだしていくように、軽やかに向かう場にしたいなあ(原っぱというのが古いけど)。

あそびだって手間をかけて創った方が楽しい。

学校もきっとそうなんだと思う。

 

Facebbookの記事の転載です。タイムラインに流れていかないように。