いわせんの仕事部屋

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学びのコントローラー

軽井沢風越学園での重要なキーワードは「学びのコントローラー」。

 

ぼくは、自分を動かすコントローラーを自分で持っていたい。

他人に自分のコントローラーを渡したくない。

ぼくを動かすのはぼくだ。

 

子どもたちにも、自分のコントローラーを自分で持ってほしい。
他人に渡してほしくない。

 

だから、子どもの学びのコントローラーをぼくらが持ってちゃいけない。

ちゃんと持ち主に渡さなくちゃ。

最初は慣れないのだから、
ぶつかったり、逆に進んだりしてもいいじゃないか。
そのうち、うまくなってくるさ。

周りの人が操作方法のお手本を見せてくれるかもしれないし。
マネしてるうちにうまくなることもあるよ。

自分で操作しなきゃ、うまく操作できるようにならない。

 

学びのコントローラーを自分で持つ。

 

これがすべての出発点だ。

 

なぜ学校では、子どもたちの学びのコントローラ-を回収してまとめて操作しようとしてしまうんだろう。

「最初にAのボタン押して!次にBボタン。コントローラー前に倒して。ほら○○ちゃん、コントローラー前でしょ!」

なんて言ってしまうんだろう。

「いつかは自分で」との善意から、先生が張り切って子どもの学びのコントローラーを操作する。

そのうち子どもは「コントローラー置いておけば、誰かが操作してくれる」「このコントローラーは他の人が操作するものだ」ということを体験的に学び、

「この先生はコントローラーの操作がうまい!」と依存し、

最後にはその学びのコントローラーが自分のものであることを忘れる。

先生はずっと子どものコントローラーを操作し続けることになる。そして高揚し、ときに疲弊する。

 

でもそれが仕事だと思っている節があるし、

なにより人の学びのコントローラーを動かすのは気持ちよかったりもする。

先生の「コントロール欲求」は、なかなかやっかいだ。

 

にもかかわらず、

「最近の若者は自主性がない」なんていう……

 

大丈夫。ちゃんと持ち主に返そう。

人は自分で自分の学びのコントローラーを持つ力がある。

一人ひとりが学びのコントローラーを持って操作してみよう。

誰かとぶつかったら、何かとぶつかったら、うまく進まなくなったら、

そこで考えればいい。

 

先生だって、その方が結果としていい意味で「ラク」になる。

だって、みんなそれぞれが自分で動いているんだもの。

  

学びのコントローラーを自分で持つ。自分で操作する。

それが学校での小さな民主主義の第一歩であるし、

それなくして「学びの場」ではないのだと思う。

自分で操作することをたくさん体験した人は、「自分の手元から社会は変わる」という原体験を手に入れるのだろう。

 

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浅間山は雪が積もってきれいだ。

この麓で、子どもも大人も、学びのコントローラーを自分で持つ学校が2020年に開校する予定。

軽井沢風越学園の学校づくりのプロセスでも、本城や苫野、ぼくだけがコントローラーを持つのではなく、関わる全ての人がコントローラーを持って自由に試行錯誤できるようにしたいなあ。

だってその方が絶対にいい学校になるもんな。

リーダーシップからオーナーシップ。何度もここに戻りたいなあ。