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いわせんの仕事部屋

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「岩瀬さん、いい職場をつくれない人は、本当の意味でいい学級はつくれないよ」

初任の学校の5年間。
ボクは「自分のやっていることが正しい」と無邪気に信じ、同僚や管理職から何かを言われても、自分のやりたいように学級で実践し続ける教員だった。自分の学級さえよければそれでよかった。自分さえよければそれでよかった。当然職場では浮いていた。
普通は職場で浮くとつらい。
しかし、「学校外の学習サークル」という居場所があったのでボクはわりと平気だった。
そこで勤務校を批判していればよかった。
 
 
20代中頃。
初めて異動した学校にSさんという実践家がいた。当時50歳ぐらいで研究主任だった。
当時ボクは教員6年目。実践がおもしろくなってきた頃で、学級経営や授業づくりに夢中になっていた。学外の学習サークルに参加して資料発表することも増えていて、明らかにボクは天狗になっていた。自分はこの職場の中でいちばん勉強している。外にも学びに行っている。本も読んでいる。にもかかわらず同僚たちは学びにも行かず、今までのことを繰り返しているだけではないか。教育委員会もおかしい。管理職もおかしい。学校の現状に落胆し、批判的であることがボクの中の正義だったのだ。
 
みんな何もわかっていない。
 
そんな中、Sさんに出会った。彼は全生研(全国生活指導研究協議会)の実践家として学習サークルも主催されている有名な実践家で、同じ職場でそのような人に出会ったのは初めてだった。
「岩瀬さん、どんな実践をやっているの?」
最初の飲み会でSさんにあいさつに行くとこう質問された。
ボクは意気揚々と自分の実践を開陳し、
 「初任校では、けっこう同僚とぶつかってました。まあ目立っちゃってましたから。ほんと嫌になっちゃいますよ。校長も何もわからないくせに注意ばかりしてきて。何にもわかっちゃいないですよね。あはははは」
うんうん、と聞いていた彼は一言こう言った。
 
 
 
「岩瀬さん、いい職場をつくれない人は、本当の意味でいい学級はつくれないよ」
 
 
 
その後飲み会の度に激論になった。
「いや、まず担任は自分のクラスに責任がある。順序が違う。」
「岩瀬はわかっていない」
毎回明け方まで飲んだ。
 
ボクはしばらくSさんの言葉の意味がわからなかった。
そのことの意味が少しずつわかってきたのは、その学校の職員室の中に、初めてボクの居場所が生まれた頃だった。
彼は、本当に職員室を大切にする人だった。学年はいつも一緒に実践。
「担任同士は夫婦みたいなもの。いっぱい話して協力していい関係を作って一緒に子どもたちを育てていくんだ」。
当時のその学校は特別活動の研究に取り組んでいた。
学校の「子ども祭り」を創り上げるプロセスで、彼は主任として職員を巻き込み、保護者を巻き込み、「みんなで行事をつくる」プロセスをていねいにつくり、職員室を一つのチームへとファシリテートしていた。
「岩瀬さん、ステージで子どもと地域の人の希望者の出し物大会やりたいんだよね。企画お願いしていい?」
「岩瀬さん若いからどんどん動いてくれて助かるよ」
いつの間にかボクもチームの一員になっていた。
この学校に関わっているすべての人の力を信じている人だった。ボクは保護者の方々からも大切にされた。保護者の方々もSさんに大切にされているのを実感していたからだ、と今はわかる。
 
職員で沖縄へ行ったり、オーストラリアに旅行したりするほど関係がよく、困っている人にはいつも誰かがサポートに回るのが当たり前の職員室だった。跳ねっ返りだったボクの実践も、1年、2年と経つうちに、「岩瀬さんやっていることおもしろいねー!教えて教えて」と先輩の先生が聞いてくれた。Sさんがつないでくれていた。学年で一緒に実践していく、ということが文化になっていく学校だった。
「みんなの学校をみんなでつくる」が原則の学校。ずっとここで働いていたい、そんな職員室の中で「自分は大切にされている」と体感したボクは、Sさんの言葉、
「岩瀬さん、いい職場をつくれないひとは、本当の意味でいいクラスもつくれないよ」
の意味が、その学校に異動して3年かかってようやく実感を持って理解できるようになった。
 
 
 
 
何のために学校はあるのか。例えば仮に
「その学校に来ているすべての子に居場所があり、その安心な場で、他者と関わりながら、一人一人が成長し、自分の生きていきたいように生きられ、お互いの生き方も尊重しあえるようになるため」(自由とその相互承認)と仮定しよう。
となるとだ。まず学級を、というのは、スタートから視点の置く場所を間違えていたんだ。
 
 
子どもたちは6年間かけて成長していく。いや一生かけて成長し続ける。
だからこそ「学校」はどんな場であるべきか。
目指す教育を学校で丁寧に共有していく。職員が対話を重ね、学び合い、エンパワーし合う。学校に関わる人みんなでコミュニティを創っていく。
そこがスタートなんだと彼は伝えたかったのだと今ならわかる。
 
 
 
職員を信じることは、人の力を信じること。
そして、それは子どもの力を信じることにつながる。
2つは入れ子構造だ。
職員の力を信じることができないならば、本当の意味で子どもの力も信じていないのだ。
何もわかっていないのはボクだった。
自分という狭い世界の中で世の中を見ていた。
Sさんの言葉が今になって、グッと染みてくる。